家出少女のただいまI
天空のコロニー。この世界には3カ所、人間が作った集落がありそのうちの1つが目の前にある天空のコロニー。べレスによる支配から逃れるため、現兵団長が危険な地上を離れ浮遊する要塞を築き上げたのだという。
「昔は今より能力に覚醒している人も少なくて、かなりの犠牲者も出てた。10年前の戦いで今の兵団長シゲヤスさんが能力に覚醒したことで、ようやく私たちは安心して暮らせる場所を手に入れることができた」
当時のことを語るアイは、おそらくその場でその光景を目の当たりにしたのだろう、苦々しい表情で俺たちに語ってくれた。
「あの場所は私たちにとって心の支えだった。どんな敵が相手でも、ここなら安全に暮らしていけるって、そう信じられた」
「なら、どうしてアイはコロニーを出たんだ?ここなら、あんな獣に襲われることも、食べ物に困ることだって」
「そうね。確かに、ここが世界で一番安全な場所であることは間違いない」
アイが言葉の途中で小さな嘆息を漏らしたのを俺は見逃すことができなかった。
「ここは、人間が住む場所だから」
間近に近づいた鉄の要塞を前にし、俺は緊張が解れない。外敵の侵入を阻む何重もの障壁はこの世界から隔絶した存在。そこに、俺のような素性のわからない浮浪者を受け入れてくれるかどうか。
隣に立つアイを見てみると、明るかった表情は剥がれ落ち、なにかと葛藤しているような様子だ。
「そろそろ日が落ちる。中に入るにはどうすればいいんだ?」
我に帰ったアイ。しかし、彼女はまだ意思が決まらないようだった。アイにとって、ここが大切な場所であることは間違いなさそうだ。なのに、彼女が迷っていると言うことは、まだ自分の存在に判断がつかないでいるのかもしれない。
「アイ。お前は、化け物なんかじゃない」
「・・川﨑」
「自分の家に帰るのに、気を使う必要もないだろう」
そういうと俺はアイの前に出た。今はカエデもおとなしくしているから、この世界の住人と揉めることもそこまで心配する必要はないはずだ。
「カエデも、中に入ってから暴れたりするなよ」
「この状態でなにができるっていうの」
アイの能力で作られた黒鉄の拘束具。カエデにも能力が備わっているため、一応の念を押しておく。しかし、カエデの言う通り、手足を拘束された状態では俺たち2人からも逃げることは叶わないのだから、おとなしくしているほかないだろう。
「ま、待って。私が先に行く。やっぱり、私がちゃんと説明しないと」
駆け足で前に出るアイの横顔はまだ少し迷いがあるように見える。それでも、一歩前に出た彼女を止める理由はない。
「私はいつまでこうしてればいいの?」
拘束されているというのに、呑気なカエデの呟きに俺は。
「とりあえず、俺の妹ということにしとくか」
「ここには、獣とべレスが侵入しないように中の能力者たちが障壁を張り続けているの。だから、人は簡単にコロニーに入ることができる」
「なら、どうしてこんなところで立ち止まるんだ?」
アイの足は門を前にして再び止まってしまった。天空のコロニーと地上とを繋ぐ幅3メートルほどの細い道は、下を見れば直下は霞んで見えないほどだったが、特に臆することもなくここまでは来れた。しかし、あと一歩。
彼女の中にある、なにかがその一歩に相当な覚悟が必要になる足枷になって、その歩みを鈍らせている。
「ちょっと黙ってて」
押し黙ってしまったアイに、俺はなおも煽るように言葉を続ける。
「ちなみに、俺とカエデは兄妹という設定にしておこうと思う」
「私、妹」
追随するカエデに目に見えてアイの額に青筋が浮かぶ。
「さっきまで、あんな敵意剥き出しだった魔人が、案外簡単に手懐けられたわね」
ぷいと明後日の方向を見るカエデには、突然現れたあの時のような黒々とした威圧感は少しも残っていない。むしろ、小さな体躯と可愛らしい顔立ちはまるで小動物のようだ。
「いまは命大事にです」
「・・あなたたちが命を語るなんてね。バカらし」
アイは門の扉に手をかけた。カエデの言葉に対し、なにかを口にしていたようだったが、一瞬見せた険しい表情がそれを詮索することを拒絶している。
「べレス化が解けた原因を知るまでよ。それまでは、見逃してあげる。ただ、もし叛意の気持ちを少しでもみせようものなら」
アイの声は途中から明らかに、ある感情に支配されている。それに続く言葉を俺は、おそらくカエデも聞くまでもなく理解していた。
「殺す」
開く門を前に、俺も密かに緊張していた。敵か味方かで言えば、カエデは真っ黒であるとは間違いない。しかし、この状況では俺も必然的に黒になってしまうのではないか。
中に入れたらとりあえず身を隠した方がよさそうだ。そう思っていたが、門の向こうに見えた光景にそれが不可能であることを察した。
軋む扉の音。その扉は薄く、これだけで敵の侵入を防げるとは到底思えない。しかし、その認識は甘く、これまでにも考えの甘い愚者を何度となく退けてきたのだろう。
障壁の扉の先には、コロニーの兵たちがすでに俺たち3人を取り囲み、合図があればいつでも攻撃を開始できるよう待ち構えていた。もちろん、俺たちを歓迎しているという様相ではない。
「兵長。サードが3人。うち2人は帯剣。残りは捕虜のようです」
最前列に立つ初老の兵が臨戦体制のまま顔の見えない長に報告を告げる。彼の顔には焦りや恐怖のような感情は一切ない。最前列の男だけでなく、どの兵にも躊躇などは微塵も感じられない。
額に汗が滲む。このままでは中に入るどころか、人の手によって粛清されかねない。しかし、隣に立つアイは剣を向けられているというのに、全く動じずことの成り行きを見守っている。まるで、何かを待っているように悠然と兵1人1人の表情を窺っている。
兵たちにも緊張が走る。これだけ戦力差を見せ付けてもなお、平静を保つ少女など常人であるはずがない。
「ユウイチ。いるんでしょ。面倒だから、早く出てきてちょうだい」
声を張り上げたアイに、騒がしかった兵たちが水を打ったように静まり返る。甲冑をがちゃがちゃと鳴らすなかに、アイの声は思いのほか良く響いた。アイの読んだ名前に聞き覚えがあるのか、兵の数名に焦りの色が見える。
「貴様!なぜ兵長の名を知っている」
静寂を打ち破り、1人の若い兵が声を上げた。しかし、それに続く何者かの声で、再び場は凍りついた。
「うるせえよ。バカ」
粗悪で乱暴。まるで子供のような叱責に、自分が責められたと勘違いした若卒の兵は身を強ばらせる。
群衆の中から飛び出した影はまっすぐにアイを捉え、斬りかかった。
それをアイは出刃包丁のような刀身で切り伏せる。空中で火花が散り、凄まじい金属音が衝撃波となって、周りにいた兵を薙ぎ倒す。
弾かれた影は大きく舌打ちした。追撃を警戒したが、それ以上の攻撃はなく。長の攻撃を開戦と解釈した兵たちが再び武器に力を込める。
「止まれ!」
三度、長と思しき男の一喝で兵は動きを止める。
「歓迎されるなんて思ってなかったけど、これはさすがにどうなの?」
「うるせえ。勝手に出て行った家出娘を一発殴ってやらなきゃ気が済まないだけだ」
高校生くらいだろうか。アイと同じく白い肌と尖った耳。人間の枠からはみ出した身体能力はまず間違いなくべレスの力だろう。鋭い目と乱暴な口ぶりは獰猛なネコ科動物のようだ。
「なんで、俺になにも話してくれなかった」
「・・あなたを巻き込むことなんてできないわ」
2人の中にある因縁を俺は知らない。アイとユウイチと呼ばれた男は剣を構えるでもなく、静かに、感情的に言葉をぶつけ合う。
「ふざけるな。それで俺が納得できるかよ」
「なら好きにして」
俺から奪い取った刀剣を放り出し。まっさらな頬をアイは差し出した。薄暗くなり始めた夕闇の中でも、白い彼女の肌は見失いようもない。
ユウイチは一瞬戸惑いを見せたが、一つ嘆息を漏らし前に出た。
「・・まったく、なんでいつもお前はそうなんだろうな」
呆れてはいるが明らかに彼の怒りは、すでにアイに向けられていない。見守るだけでなんの役にも立てなかったがこれでようやく和解成立だ。
「口、閉じといた方がいいぞ」
そして、躊躇することなくアイの頭を思い切り叩いた。