あれは、一体何を唱えているんだろうと、読まれている文言を考えてみる。
「あれは何を唱えているんだろう」
「この世を生きている人は幸せな道を歩めるようにだってさ。お葬式のそれはあの世への導きと安らかに眠るように伝えたりする役割があるんだってさ」
「作った人が苦しみと向き合って、悟った後で、これなら幸せになれる!って実感?してそれを教えたのかな?」
「うーん。なんか内容読む限り、存在がねえぜ、って事しか書いてないけどな。全ては粒子で出来てて、それの集合体だ俺達は。心臓の鼓動も、音を拾うのも味を感じるのも俺達じゃなくて、その粒子の集合体がやってくれてんだぜ、って言ってたよ。つまり、俺達の体は粒子の集合体で、ただの物体、入れ物、器で、魂というか、心というか、自我みたいなモノは別にあるって事に読めた。でもその考えで行くと魂も粒子でしょ。体の粒子と魂の粒子が合体して、動かしてるのは結局俺じゃんって思うんだけど。てか、俺が読むお経の本を間違えたのか、浅い知識だからあれなのか知らないけど、どこに人を幸せな道に歩める言葉があるんだ?」
「粒子がある時点で存在はしてると思うけど。主が理解できてないだけじゃない?」
「それは大いにある。でも、そんな伝わらない文、誰の為に書いたのかな?」
「主と違って皆賢いんだよ」
「ディスられてるね、俺」
「けどこれって、何でそんな凄いものとされて、今なお唱えられているものなんだろ」
「まあ、お経の内容がどうのこうの、ってより、お経自体が、幸せに出来るもんだろう、成仏できるもんだろうって、事になってるんじゃない?」
「内容が大事じゃなくて、存在自体が神ってる的な?」
「そうそう。そういうもんだってさ」
「えぇ?何書いてあるかも知らずにそれが幸せだって……中々の固定概念、ってか雑じゃない?」
「世の中大抵そんなもんじゃない?理由もなしにそれが凄いものとされているのって結構見るけど」
「そっかぁ。大事だと思うけどなぁ。意味…………」
「俺もそう思う。意味わかってやってる?って思うときはよくあるしね」
「意味で思い出したけど」
「うん」
「お経をあげる、葬式とか、お墓の意味はあるのかな?」
「また明日、考えてみよっか」