芸人・花形星吉
今夜もまた幕があく。
現れたのは派手なスーツに身を包み、細身でダンディでホットな芸人、花形星吉だ。
お決まりの言葉、お決まりの身振りで安定のパッケージ漫談を上演する。星吉の達者な話芸に観客は腹を抱えて喜ぶ。しかし、こんな芸で喜ぶな、心の中で星吉はそう叫んだ。
今となっては伺い知ることもできないが、かつての星吉は反体制で皮肉屋で日本では珍しい本格的なスタンダップコメディアンだった。テレビに出ない放送禁止芸人と言われ、そのライブはチケットが秒殺で完売するほどの知る人ぞ知る超売れっ子だった。
そんな星吉がなぜお決まりのパッケージショーで笑いをとっているのか?
それは五年前に遡る。
星吉のマネージャー柴田和夫にパッケージ芸への転身を提案されたのだ。星吉がその真意を問い質すと、柴田はこんな話を始めた。
「日本はもうすぐ戦争を始めます」
柴田は東大法学部政治学科卒の芸能マネージャーというとんでもない経歴の若者だ。なのでその手の読みはいつも正確だったが、さすがにこれは突飛すぎる。星吉はそう思った。
「日本だけじゃありません。世界各国が戦争に突入します」
「なに言ってるんだ。いい加減にしろ」
「知らないんですか? 核保有国の全てが核廃絶に賛同したんです。核を無力化する技術はすでに完成し、大国は無力化を実施しています。核の均衡はやがて崩れるでしょう。そのとき何が起こると思います?」
「それが戦争だって言うのか」
「ええ。どの国も『自助』が基本となり戦争へのハードルが一気に下がります。世界各地で内紛・戦争が勃発し、大国はそれで儲けるでしょう。アメリカももう日本を守りません」
「なんだって? そんなわけないだろ!」
「星吉さん、今から方向転換して体制批判ではない安全な芸に転換しましょう。そうすれば政府や軍に目をつけられることはありません。今回の転身はあなたのためでもある。私はあなたの芸に惚れた一ファンとして、戦争ごときであなたの芸を失いたくない」
あのときの柴田の目と同じだ、星吉はそう思った。
星吉がまだコンビを組んで漫才をやっていたころ、あなたはピンでやったほうが絶対面白い、私にマネージメントをさせてください、そうすればあなたを一流の芸人にしてみせます、と異様なまでの迫力で星吉を口説き落としに来た柴田の目と同じ目なのだ。
星吉はその目を信じた。パッケージショーに転換したのである。
事情を知らない世間は星吉のことを「ひよった」とバッシングし、人気は一気に下降した。
しかし、その三年後、現実は柴田の言う通りになった。
大国のすべてが核無力化を終えた途端、韓国と北朝鮮は戦争を再開し、中国は東南アジアに侵攻した。そしてロシアは北海道に上陸、自衛隊が応戦するも、瞬く間に制圧されてしまった。日本はその段になってようやく改憲を実施、軍隊を設置し、本州攻防、北海道奪還を目的にロシアと戦争に突入した。
言論は封殺され、芸能活動は一切停止、唯一許されたのは兵士の慰問だけだった。柴田は軍に取り入り、どこにでも慰問に行くので星吉の兵役は免除してほしいと嘆願した。柴田の目論見は当たった。牙を抜かれた星吉の芸は軍にとっても都合が良かった。
軍から発注がきた。それはロシアをこきおろし、日本政府と軍を褒めちぎれ、というものだった。それに見合う台本が出来れば兵役を免除するという。
「ふざけるな、そんなことできると思うのか?」
「あなたは自分の芸を残すため生き残らなくちゃならないんです。私を信じてください」
そのとき、柴田の目はまたあの目になった。
星吉は台本を書いた。星吉にとって不本意な台本が出来上がったが、軍は大いに気に入った。出兵する兵士が最後の夜に体験する娯楽として、星吉のショーが抜擢されたのだ。
「これはとても名誉なことですし、星吉さんの命は軍に保障されたことになるんです」
柴田は自分のことのように喜んだ。
それから軍の施設でのショーが始まった。幕が開くと目の前には明日、戦地に赴く軍服姿の若者たちがいた。彼らのうち何人が死ぬのだろうか。少なくともほとんどの者は二度とこの地に帰ることなく、北の地で散る運命となるのだろう。そう思うと星吉は心が折れそうになった。
「目の前の客に最高の芸を披露する。それが星吉さんのモットーだったんじゃないですか」
度々の柴田の喝のお蔭で、下らないと思いつつも星吉は一切、手を抜かなかった。
汗をかき、声を大にして何百回とステージをこなしたある日、幕があがると星吉は客席に見てはならぬ人物を見つけてしまった。
それは軍服姿の柴田だった。
一瞬、星吉は動きが止まった。柴田はじっと星吉を見ていた。その目は「しっかり芸を披露してください」と喝を入れているようなあの柴田の目だった。星吉は我に返った。いつもの下らない芸を一生懸命演じた。柴田の目に涙が溢れた。星吉の目にも涙が溢れ汗とともに流れた。
幕が閉じた。星吉はその場にうずくまり泣き続けた。
やがて誰もいなくなった劇場で星吉は幕をあげた。そして禁制のスタンダップコメディを演じた。戦争と政府と軍に毒を吐いた。総理大臣をお坊ちゃんネタでコケにした。軍隊司令部一人ひとりをハゲだのデブだのコケにした。もう滅茶苦茶で芸でも何でもなかった。それは単なる魂の叫びだった。
最後には泣きながら、戦地に赴いた若者たちに謝罪を求めた。
そして星吉は舞台に再びうずくまると、柴田に語った。
「柴田、ごめん。俺、もう続けることできないよ。お前がいなきゃ、俺は……、俺は……」
この夜の星吉のスタンダップコメディは、芸人・花形星吉として人の記憶にも歴史に残らぬ、最高で最後のライブとなった。
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