初恋は、婚約破棄のその後に
【あらすじ】
フラム・ベルク・ラインシュタイン侯爵令嬢は、偽りの恋と分かりながら、婚約破棄を突きつけてきた隣国の第三王子であるクリスに恋をしていた。
しかし、婚約破棄が正式に認められるまであと一週間を切った時、突然クリスがフラムの下にやってきた。
彼の口から語られる婚約破棄の真意とは。
そしてフラムが出した決断とは。
恋が終わり――恋が始まる。
それは、春の兆しを太陽から感じるけど、まだまだ肌寒い三月の出来事だった。
この国唯一の高等学院の裏庭で、私は全く見知らぬ少女と対峙していた。
少女がその桜色の可愛らしい唇を開く。
「フラムさん! 貴女が元婚約者だかなんだか知りませんけど、これ以上クリス様に近付かないでください!」
どこからともなくアネモネの花びらがふわふわと風に弄ばれながら、私達の間を通り過ぎた。同時に少女から平手打ちが飛んで来たので、私はそれをスッと避けた。彼女はまさか避けられるとは思っていなかったらしく、バランスを崩しそうになるので、腰を手で支えてやる。
あの馬鹿王子のせいでぶたれるのは嫌だし、この子が転んで怪我でもしたら、またいらぬ恨みを買いそうだった。だから、これは仕方なくの行動だ。
「っ!! は、離してください!」
結果として私はその子を抱え、顔を突き合わす形になった。甘い、この年ごろの女の子独特の匂いがふんわりと香る。
その子は栗毛のリスのような小動物系の顔を真っ赤に紅潮させていた。その目は大きく可愛らしい。背が低く胸が大きいあたり、クリスの好みド真ん中な見た目だ。そう考えると、つり目がちで炎のような色の髪と瞳、そして細身で背の高い私が、彼に嫌われるのも無理はなかった。
でも、まさか婚約破棄宣言されるとはね……。
「……じゃあね。足下には気を付けなさい」
私は溜息をつくと、下から見上げてくるその子の腰から手を離した。
「ま、待ってください!」
そんな可愛らしい声を背中で受け、私は裏庭から立ち去ったのだった。
流石にこんな事が七回も続くと、私とて、こなれてくる。
「あと……一週間か」
青く透き通った空を見上げても、私の心は晴れなかった。
☆☆☆
「お嬢様はアホですわ」
「……分かってる」
私は自室のベッドに腰掛け、少し癖がある長い赤髪を弄っていた。母からその癖を直せと幼い頃から言われてきたが、今でも油断するとこうして出てしまう。
「分かっていませんから、こうして口酸っぱく言っているのです」
メイド長であるシャムがそう言って、私が誕生日にあげた銀縁眼鏡の奥から灰色の瞳で私を射貫く。この国では珍しい褐色の肌に、銀縁と金色の髪がよく映えていた。
「断固として聖教会に、あのクソボケ王子の一方的な婚約破棄は不当だと抗議するべきです。一週間後にはフラムお嬢様達は成人されて、法令的にも婚約破棄が認められてしまいます。そうなるまでにあの馬鹿王子の四肢を捥いでも、婚約破棄の撤回を求めるべきです。でないと……」
「でないと、私の将来も危ういでしょうね」
シャムの言葉に私は嫌気がさして、上半身をベッドに投げ出した。ベッドの天蓋が見えるが、それだけだ。
将来とか、そういうのはもう考えたくない。
「仮にも友好国である王子との婚約が破棄されたとなればお嬢様の名に傷が付きますわ。そんな傷物を貰ってくれる殿方なんていませんわよ」
「別に結婚なんてしなくて良いじゃない。この時代、王侯貴族なんてただの国の象徴でしかないんだから。くだらないわ」
時代は変わったと母は言う。もはや貴族も王族もただの飾りでしかない。政治は政治家が行い、軍事は軍人が行う。貴族社会はとっくの昔に崩壊している。
それに気付いていないのは、内輪だけで古き良き時代を未だ引きずっている王侯貴族達だけだろう。
「そういうわけにはいきません。とにかく、あの王子と婚約することが幸せとは思いませんが、少なくとも一方的な婚約破棄ではない、という形に持っていくべきです。いっそ王子を暗さ――」
「はい、ストップ。そんな事したら大問題でしょ」
殺意を纏うシャムを窘める。このメイド長、仕事は恐ろしく有能なのだが、時折こういう怖い事を言い出す。なまじ冗談ではなさそうなのが怖い。
「幸せ……か」
クリスの無邪気な笑顔を思い浮かべる。このファルシオン王国の友好国であり、隣国でもあるマゴーシュ聖国の第3王子であるクリス・マゴーシュ。私と同じ、十七歳。
そして私が幼い頃から、親によって決められた婚約者として、ずっと接してきた相手だ。
私は、それに不平も不満もなかった。物心ついた頃、そういうものだと教えられていたせいもあるが、単純にクリスが好きだった。好きに――させられた、と言ってもいい。
だって、幼い頃からこの人と一緒になる、恋人となり夫婦となる――と洗脳されていたのだ。今考えると、なんて馬鹿らしいことなのだろうか。
そんな彼が、十六歳で高等学院に入ると同時に、一方的な婚約破棄を私に突きつけてきたのだ。
その突然さに私は混乱したが、どこか自分の醒めた部分が、まあそうだろうなと納得していた。
だから私はその時、泣きすらもしなかった。
『好きにしたら?』
言いたい事を全て飲み込んで、それだけ伝えた事を今でも覚えている。
もうすぐ、あれから一年経つのだ。
クリスはその後まるで、繋がれた鎖から解放された犬のように、とっかえひっかえで学院の女の子達に手を出しているらしい。詳しい事は知らないし、知りたくもない。
そして、飽きた子に対しては、元婚約者がうるさいから別れようと切り出すようだ。おかげで、何の関係もない私に今日みたいなとばっちりが来るのだ。
「最低な男だよほんと」
私の呟きを聞いているのかいないのか、シャムが無言で紅茶を入れ始めた。心地良い香りが部屋に広がっていく。
そんな好き放題しているクリスに、しかし私は文句も愚痴も言わなかった。
それを知っているだけに、シャムはそんな私の態度が気に入らないようだ。
このままいけば、一週間後にある成人の儀をもって私達の婚約破棄が、正式に聖教会によって許可されるだろう。そうすれば間違いなく、私は王子に捨てられた女、という不名誉な称号が公になってしまう。
だけど仕方ない。仕方ないのだ。
それが偽りだと分かっていながらも……私は今でも――クリスが好きなのだから。
☆☆☆
「相変わらず怖い顔してるな。もっと柔らかい表情を浮かべないと、モテないぞフラム」
そんな事を嬉しそうに言いながら、風で乱れる金髪をそのままに、クリスが庭に生えていたタンポポの花をちぎった。
それは、突然の来訪だった。クリスが私を訪ねて屋敷へとやってきたのだ。
私は身だしなみもそこそこに愛想なく、〝何しに来た〝とだけ聞いたところ、お喋りしに来たと返ってきたので追い返そうとしたらシャムが勝手に家へと上げてしまった。どうやら彼女は婚約破棄について話し合う良い機会だと思ったのだろう。私は、彼を自室には入れたくないので、妥協案として屋敷の中庭で話す事にしたのだった。
「しかし懐かしいよなあここ。よくフラムのおままごとに付き合わされたっけ」
中庭の中心にある、大きな木の下。私はクリスの声にそっけなく答える。
「覚えてない」
クリスは何も言わずごろりと転がって空を見つめた。その蒼い瞳は、空を映していて綺麗だった。
私はスカートの裾を気にしながら、風で煽れた髪を弄る。
「俺、ククリにさ、フラれちゃったよ。あんな素敵な人を不幸にするなんて最低です!って。フラムはあいつに何をしたんだ?」
「誰、そのククリって子」
「リスみたいな子で胸がデカい」
あの子か……。
「クリスとククリって名前が似てるよね~って声掛けて、付き合ったまでは良いけどさ……なんかしっくりこなくてなあ。別れようかと思って、フラムの名前出したら、別れ話を切り出す前にどっかいっちまってな。んで、次の日に会ったら、豹変してたよ。だから女は怖いんだよなあ」
ペラペラと喋るクリスの話を聞き流しながら、私は何度もあの時の事を思い出すが、余計な事をした覚えがない。
「何もしてない。ぶたれそうになったから避けたぐらい」
「そっか。なんかフラムに惚れ込んでいるような感じだったけどなあ。ま、とにかくさ。この一年、色々な子と付き合ってみたけど、どうにも面白くないんだよなあ。ベタ惚れしてくれるのはありがたいけど、なんというか張り合いがなくてさ。貴族令嬢ってあんなんばっかりなのか?」
「知らないよそんなの。みんな良い子でしょ」
私に一々文句を言いに来るぐらいには、クリスの事を一途に好いていた子達だ。悪く言えるわけがない。
ま、自分でもお人好しが過ぎるとは思うけどね。
「友達がさ、フラムが特別過ぎるんだってしつこく言っててさ。最近ようやくそうかもなあって思えてきた」
クリスが雲を掴もうと右手を伸ばした。だけど、その手は空には届かない。
「週が明けたら……成人の儀だよ。ちゃんと練習してる?」
「……嫌々ね。今時、剣舞なんて、やって意味あるのかよ」
「儀式はそういうものでしょ。やりたくても出来ない大役なんだからしっかりやんなさいよ」
「フラムに言われると、途端にやる気が出るよ」
そう言って、クリスが起き上がった。そして私へと、いつものあの無邪気な笑顔を向けてくる。
「フラム。婚約の件だけどさ――」
クリスの言葉にドキリとする。
まだ心の中で保留していた事が……ここで決まるかもしれない。
それが恐怖を掻き立てた。曖昧であって欲しかったことが――定まってしまう。
それは凄く……嫌だ。
「破棄するって去年言ったけどさ。それを無しにしないか」
そう言って、クリスは真剣な表情で私を見つめた。
え?
どういうこと?
「いやさ……俺達ってずっと一緒だったろ。ちっちゃい頃からさ。だから、俺知りたかったんだよ。フラム以外の女の子の事を」
「待って……分からない」
私は首をふるふると横に振った。何も、言葉が出て来ない。
「うちの騎士長いるだろ?」
そう言って、クリスがチラリと中庭の入口に立っている三十代ぐらいの無精髭を生やした男へと視線を向けた。それは、彼の護衛であり、マゴーシュ聖国騎士団の騎士長の……確かグラディウスとかいう名前の男だったはずだ。
だけど、今はそんな事はどうでもいい。
「あいつがさ、いつか言っていたんだよ、〝人は失って初めてその良さに気付く〟って。だからさ、俺はフラムと一旦距離を置こうと思って。フラムを失って、俺はどう感じるかなあと。最初は楽しかったよ。だけど……段々物足りなくなってきてさ。従順なのもつまらないし、俺が何言っても肯定しかしないし」
「なにそれ……」
「だからさ、分かったんだ。やっぱり俺には、フラムしかいないって。だから婚約破棄を……破棄する。それで、成人の儀の後に、正式に婚約を結ぶ。俺は残念ながら第3王子だから、王妃になれるわけではないけど……それなりの生活も地位も約束できる。そして君を幸せにする。絶対にだ」
そう言って、クリスが手を私に差し出した。
だから私は――
「ふざけんな!!」
クリスを思いっきり引っぱたいたのだった。
スパーン! という心地良い音が中庭に響いた。
☆☆☆
「ああ……いや……ええっと……いや、こういうのは俺苦手なんだよ……参ったな」
中庭でうずくまって泣きじゃくる私の横で、どうしたら良いか分からずにおろおろしているのは、クリスではなく、グラディウスだった。
クリスがいないのに彼がここに留まっている理由は、私が彼のズボンを掴んで離さないからだ。誰でも良いから側にいて欲しかった。一番に駆けつけたのがシャムだったら彼女でも良かった。でも、結果としてグラディウスが一番に駆けつけてきてくれた。
「うちのアホ王子が……なんというか迷惑掛けたな……つーかあいつ何処行きやがった。今度こそ説教してやらねえと」
「話……聞いていたんですか」
「……一応、少しだけ」
「最悪です」
私は顔を上げて、グラディウスを恨みがましく見上げた。顔の無精髭に、男性にしては長めの黒髪を後頭部で縛っているその姿は野性味があって新鮮だった。騎士だけあって体格もがっしりとしていて、顔も学院にいる男子達のような細面ではない。いかにも武人然としているけど、その茶色の瞳にはどこか優しい光が宿っていた。
「……なんていうかすまなかった。謝罪する」
「なんで……謝るんですか」
「俺が余計な事を言ってしまったせいで、あの馬鹿王子が勘違いしちまったみたいだからな。〝人は失って初めてその良さに気付く〟は、それに続く後半部分が一番大事なのに、あいつは何も分かっちゃいなかった。〝だから今ある物を大切しろ〟って俺は言いたかったんだ」
「……今さらですね」
「今さらだな。だからあいつの代わりに謝罪する」
「……許しません」
そう私が言うと、グラディウスが参ったなとばかりに頭を掻いた。きっととても強い人のはずなのに、こんな小娘の戯れ言に困っている姿が、どこか滑稽で、気付けば私の涙は止まっていた。
「ふふふ……冗談ですよ」
泣いて、笑ったら、全てが馬鹿らしくなってきた。
結局、クリスはどこまでも身勝手だった。散々、人を振り回して、婚約破棄を破棄するなんて、信じられなかった。なのに今さら、また婚約しようだなんて――私を馬鹿にしているのにもほどがある。
私は怒りを原動力に立ち上がろうとする。
しかし長時間うずくまっていたせいで、足が痺れて、上手く立てない私はふらついてしまった。
「――おっと」
そんな私を、グラディウスがその大きな手で支えてくれた。
「あ、ありがとう。優しいんですね」
「あー。もう暗くなってきたから、足下に気を付けてくれ。それに冷えてきた」
そう言って、グラディウスが慌てて私の身体から手を離すと自分の上着を脱いで、私に羽織らせた。その上着は少しだけ男臭く、そして煙草の匂いがした。
それがなんだかおかしくて私は笑みを浮かべながら、シャムの姿を捜す。確かに気付けばもう日が沈みかけている。夜風が少しだけ火照った頬を冷ましてくれる。
「お嬢様」
「うぉっ!」
まるで見ていたかのように突然現れたシャムに、私は今さら驚かないが、グラディウスは違うようだ。
「どこから!?」
「メイドは常に側にいますとも。特に殿方と二人っきりの時は……ね?」
そう言って、シャムがニコリと笑う。このメイド長、どうやら最初からずっと見ていたようだ。相変わらずというかなんというか……。
「クリスは?」
グラディウスの言葉に、シャムが答えた。
「放心状態で、ふらふらと出て行かれましたよ」
「なに!?」
慌てて飛び出そうとするグラディウスをシャムが制止する。
「ご心配なく。ちゃんと当家の護衛を付けて、送り届けさせています」
「そうか……いや、でも俺も行かねば」
「……お嬢様は、足が痺れている様子。屋敷まで付き添っていただけます?」
シャムがそう言って、私へ意味深なウインクをしたのだった。いや、私もう歩けるけど……。
「それならば……仕方ないか」
そう言って、グラディウスが手を差し出したので、私は少しだけ迷った末にその手を握った。
クリスと違って、ゴツくてマメだらけのその手に、私はちょっとだけドキリとしたのだった。
その後、シャムによる引き留めによって、グラディウスは帰るに帰れなかった。
「とにかく今回の件について当家としては、お嬢様から切り出したという形で、正式に婚約破棄を進めさせていただきます。両者の合意による破棄で、お互いに非がないという方向で」
「……ああ。分かってる。俺からもそうマゴーシュ王家にそう伝える」
酒を断ったグラディウスが応接間で紅茶を飲みながらシャムの言葉に頷いた。私は、それが自分に関する話題のはずなのに、なんだか遠い国の事を話しているように感じた。
結局、この十数年間、クリスと共に過ごした時間はなんだったのだろうか。
私のせいなのだろうか。私がもっとちゃんとはっきり言っていれば、クリスは変わったのだろうか。
分からないけど……でも、これで良かった。
もう、クリスを愛せないと思ってしまったからだ。私に掛かっていた洗脳は……偽りの恋と愛は――もう解けたのだから。
こうして、私とクリスの婚約は両家の合意の下、完全に破棄されたのだった。
☆☆☆
結局クリスは翌週の成人の儀を欠席し、国に無断で戻ったそうだ。成人の儀の主役だっただけに、各方面で大ひんしゅくを買ったが、流石王子だけあって罸も何もなかったそうだ。
ただし、クリスの評判は地に堕ちた。そのおかげで相対的に婚約破棄を合意の下、事前に行っていた私の評価は一転した。
落ちぶれ王子を捨てた賢女として持ち上げられるようになったのだ。
そうして私の生活は少しだけ変わった。
まず、これまでは遠慮していたのか、それとも王子を捨てた女とやらを口説き落としてみたいのか、突然、沢山の男性から言い寄られる羽目になった。
勿論、全て断った。
ついでになぜか女子からも熱い視線を感じるようになったし、あのククリとかいう子もなぜか率先して私に話し掛けてくるようになった。
どうにも話を聞く限り、クリスは俺の女には絶対に手を出すなと周囲に強く言っていたそうだ。
なんてくだらない男だったんだろうか。
「お嬢様、しかし、なんで俺を」
私が、中庭のいつもの木の下に座っていると、傍らに私を護るように立っているグラディウスが今さらな事を言い始めた。
「貴方が、追放されたのは私のせいだからよ」
「……そんな事はないんだけどな」
グラディウスは約束通り、王子の行動や我が家の意思をその通りにマゴーシュ王家に伝えたようだ。だが、それによってマゴーシュ王は自身の息子のクリスではなく、私の立場を尊重したグラディウスを次第に厭うようになった。
更に、祖国で荒れに荒れていたクリスは、次第に酒にのめり込み、王家の金で酒場に入り浸るようになった。そうして出会った悪い仲間達と共に国際条約で禁止されている類いの薬の売買に手を出したそうだ。
クリスが犯罪者同然になったところをグラディウスが捕縛し、本来なら極刑なのを王族ということで免れ、王宮に幽閉されているという。もう、彼が表舞台に出てくる事はないだろう。そして、グラディウスは監督不行き届きという、なんとも理不尽な責任を取らされ、騎士長の辞任を強要されたのだ。
それは実質的な国外追放だった。
グラディウスは元々、それなりの名家の出身らしい。だけど、本人の気質的に貴族社会とは反りが合わず、若い頃に家を飛び出した。それからどういう経緯で騎士長になったかは定かではないけど、堅苦しい宮仕えを、馬鹿王子の尻拭いをこれ以上しなくてすむと、せいせいとしたそうだ。そして傭兵でもやるかと意気込んでいたグラディウスを、どこから聞き付けて来たのか、シャムが私の護衛として雇ったのだ。
『これからは、お嬢様に悪い虫が付くかもしれませんから。護衛がいないと、ですわ』
そう言って、悪そうに微笑むシャムの行動の意図を察して、私は溜息をついた。今回の婚約破棄のせいで、私の今後の婚約は難しいと聞いた。もはや政治的な力はほとんどないとはいえ、一国家の王家であるマゴーシュ家と事を構える気ほど力のある家はもう少ないのだろう。まあ、王子を捨てた女を迎え入れる度胸のある男がいるとも思えないしね。
父も母も、もはや諦めているように見えた。
結婚なんて当分は考えたくないから丁度良いとさえ思っている私だが――嘘偽りではない本当の恋を、少しだけしてみたいと思っているのも事実だ。
私はグラディウスの無精髭を見つめつつ、手のひらをひらひらと振った。
「とにかく、私に恩義は感じなくても良いから、しっかり護ってね。あ、そうだ、ねえグラディウス、私に剣を教えてよ。これからは女子も自分の身は自分で守る時代になるわよきっと」
私はそう言って立ち上がると、グラディウスが腰に差していた剣を抜いた。
見様見真似で構えてみる。剣って……結構重い……。
「ふむ……悪くないな」
「でしょ?」
「まだまだだけどな。しかし自分の身は自分で守るか……お嬢様らしく、俺は好きだぜそういうの。あの馬鹿王子のお守りするよりはずいぶんマシだ」
そう言ってグラディウスが肩をすくめた。最初は遠慮していたが、最近は私ともこうして気軽に話してくれる。
それが少し嬉しかった。
「マシって何よマシって」
私は怒ったフリをして頬を膨らませた。
「お転婆お嬢様の護衛も楽じゃないって事だよ」
グラディウスが私の背後に立つと、抱きしめるように手を私の前に回して、構えを直してくれた。そのちょっとした触れ合いが、決して嫌ではなかった。
「お転婆じゃないわ」
「そういう子に限ってそう言うんだよ……」
溜息をつくグラディウスを見て、私はなぜだか分からないけど心の奥に暖かさを感じた。
「それはそうかも。私がお淑やかになれるように精々祈ってなさい」
「俺は神を信じていなくてな。ま、剣を握っている時点で説得力はあんまりなさそうだが」
グラディウスの言葉を聞いて私は心から笑った。彼の優しく細められた目を見て、胸が高鳴る。
私の初恋は――苦い婚約破棄を経て……ようやく始まりそうなのだった。
初めて? 書いた異世界恋愛物の短編でした。
主人公とヒーローはこれから少しずつ距離を縮めていくのでしょうね。
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↓ハイファン×ミステリー短編書きました。ネクロマンサーが推理する系です。自信作なので是非!
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