94-昼昂ぶる魔物
ヒロコさんに続いて歪んだ空間に入る。
そして、抜けた先が廃病院。なんてことはなく建物を背にしたヒロコさんが視界に入ってきた。ヒロコさんは既にナックルを両手に装備していて準備体操のようなことをしている。バックパックは下ろせばいいのに。
だったら、俺も。しゃがみつつ腰のバッグから弾を取り出し対物ライフルに装填。ハンドガンをホルスターから抜きボルトを引いてすぐに戻す。そこから立ち上がり対物ライフルを担ぎ直せば準備完了だ。
そんな俺を何が面白いのかわからないが、ナギさんがジッと見つめていた。ま、閉じているのか開いているのか判断のつかない目、だったが。
「シグレ。この廃墟もヤドカリだったりするんだろ?」
いきなり、ヒロコさんが背にしていた建物、そこそこ廃墟の壁に右ストレートを繰り出した。盛大に壁が崩れ廃墟が加速していく。
「いや、それがヤドカリなら悠長に準備なんてできるわけないでしょ」
「いやいや、そこが罠かもしれないだろ。油断させて後ろからガブッって感じで」
ないって。大きいのに頭がいいモンスターとか、非常に困る。
「あなた、ヒロコさんは大分ストレスが溜まっているようです。好きにさせてあげてください」
「ナギ、言うねぇ。異界には罠が多いんだ。油断してるとナギでも怪我するよ」
「大丈夫です。油断はしていません。私はシグレとは違います」
「俺だって油断をしているつもりはありません」
「いえ、あなたは油断してください。私がフォローしますので」
「それって…」
ヒロコさんは、その間も手や足を休めず建物を廃墟を通り越して瓦礫の山へと変えていた。これでチームハウスの居間のテーブルは当分安泰だろう。
「これで、よしっと。安全確保」
眼鏡を直しながらスッキリとした表情を見せるヒロコさんがいた。
「それじゃ、行きましょうか。ナギさん、こっちでしたよね?」
「ええ、そちらだと思います」
「じゃ、私は新婚さんの後ろだね」
ここで陣形が変わり1列目が俺、と自称妻のナギさん。2列目がヒロコさんになる。ヒロコさんのニヤニヤした表情が非常に気になった。
昨日お世話になった廃病院を目指す。目印にもなって大変貢献してくれていた。
しかし、このダンジョン、廃病院とは反対側がどうなっているのか全く謎のままだ。探索してはみたい。ヒロコさんがいるので今日は無理なのだが。気になる。
不気味に点滅を繰り返す街灯を見る。モンスターがいない。平和なダンジョンだった。
廃病院の横を通り砂浜を見下ろせる位置で足を止めた。さて、昨日のヤドカリの鋏はどうなったのかな?
「おっ、普通にないな。それに―」
「サハギンがいます。あなたが言っていたことは本当だったんですね」
夫の言うことを信じていない妻がいるな。やはり自称妻だ。俺は騙されないぞ。
「おおお。あれが美味しいカニの味がするヤドカリだね。ホントに大きい。全滅してなくて良かった。しかし…」
「サハギンを襲ってますね。モンスター同士が戦っているのを初めて見ました。食べるんですかね?」
「私も初めてです」
「私もだよ。防衛に貢献してくれているのかな?ま、倒すんだけど」
「防衛に貢献しているのなら、倒すのは損じゃありませんか?」
「美味しいから得なんだよ。絶滅させなければいいんだ。調査捕獲って奴だね」
鯨じゃあるまいし。あ、鯨食べたくなってきた。
「大丈夫でしょう。どちらも、この異界が生んだモンスター。また、生まれるでしょう。それより巨大ヤドカリが2体ですね。どうします?」
「ヒロコさん、どうするんですか?自分の目で見たでしょ。ちなみに俺一人じゃ倒せませんから」
ここから狙撃でもと思ったが、上からだと殻が薄そうな胸辺りを狙うのは無理だ。頭や背中側の殻は鋏に及ばないまでもかなり硬そうだ。同じところに2発目を当てられるならダメージは入るだろうけど。
真剣な表情で顎に手を当てているヒロコさん。サハギンがヤドカリのお腹に入るまで休憩でも俺は問題ない。さぁ、どうする?
「2体同時は流石に厳しいね。私は初見だし。悔しいが時間を置こう」
「サハギンのドロップは、どうします?」
「あれは、ヤドカリのもんだろ?というのは冗談だけど、あんなの探すよりヤドカリと勝負だよ。いいかい?」
「了解です」
ま、そうだろうな。砂浜に落ちた小さな魔石を探すのは面倒だ。通りすがりに見つけたら拾うくらいでいいだろう。それがマテリアルならラッキーということで。
「それでは、あなた、ヒロコさん、お昼にしましょう」
「それだ」
「賛成です」
「では、こちらへ」
昨日お世話になった廃病院にナギさんが入っていくのでついていく。今日もお世話になるようだ。しかし、見通しの悪いここは本当に安全なのか?
「味噌汁をつくりますので少々お待ちください」
「流石ナギ、ありがたいねぇ。ちなみに罠とか大丈夫なんだろうね?」
「ええ、昨日もここでお昼をいただきましたから」
「ちょっと、ナギさん。あまり時間をかけない方がいいのでは」
ナギさんが、あの目を俺に向けた。いつもの目だ。怖くなんか… 瞼が動く、のか?
「あなた―」
「えっと、俺は何をすればいいんでしょう?やっぱり、おにぎりには味噌汁しかないですよね」
ナギさんの瞼の動きが止まった。よし、これで事なきを得たようだ。
ふぅ、つい、モンスター以外に命の危険性があることを忘れてしまう。しかし、殺される理由が味噌汁をつくるのを反対したからというのは、案外面白いかもしれない。ネタにはなるな。話す相手がいないが。
ナギさんが手際よく携帯ストーブで味噌汁をつくり始めた。
適当なところに対物ライフルを置いて座る。モンスターの警戒はしている。【気配察知】先生が。俺は、暇だ。
ヒロコさんは、なぜかビスケットを出して何かしている。おにぎりのおかずとしてビスケットはどうだろう?メロンパン定食を喜ぶ人がいるのだから、どうこう言うつもりはないのだが。いや、でも、ビスケットって。
「ヒロコさん。そのビスケット、どうするんですか?」
「食べるんだよ、私が。後で」
そっか、デザートか。それは気が付かなかった。
「お姉さんは、俺にもくれるんですよね?」
「うーん、これは、君には必要ないだろう。だから、あげない」
「ケチッ」
眼鏡のギリギリお姉さんは、ケチ。
「ケチッて、お姉さん傷づくなぁ。君だってその大きな銃の弾を頂戴って言ってもくれないだろ?それと同じだよ」
「うん?」
だって、ヒロコさんには対物ライフルの弾なんて必要ないでしょ?あれ?
「あなた、ヒロコさん。お待たせしました。味噌汁ができました。どうぞ」
コッヘルに入った熱々の味噌汁を受け取る。豆腐の味噌汁だった。完璧だな。
「「「いただきます」」」
今日はあのおにぎり戦争姉妹がいないので平和だった。ゆっくりと鮭と梅のおにぎりを味わう。
久しぶりの自分が買った鮭と梅のおにぎりだ。しかし、使者としてやってくる鮭と梅のおにぎりと味は変わらなかった。おにぎりに罪はないということだ。うんうん。
ヒロコさんは大量にもらったおにぎりをどうするのかと思って見てみたら、既にほとんどがヒロコさんの胃の中のようだ。よく噛んで食べましょうね。
そして、締めの唐揚げのおにぎりを食べる。冷えた唐揚げは最高だ。
「「「ごちそうさまでした」」」
味噌汁が入っていたコッヘルをナギさんへ返し水筒を出してお茶を飲む。
よし、これで午後も問題なしだ。空腹だとどんな弊害があるかわからないからな。
後は、ヒロコさんが食後のビスケットを食べるのを待つ。流石に食べているときに、もの欲しそうな目で見つめられたらヒロコさんも耐えられないだろう。チャンスはそこだけだ。
「シグレ、どうしたんだい。私の顔に何かついているのかな?それとも目の保養?」
ちょっと早かったか。早く食べて、どうぞ。
「ヒロコさん。シグレは、ビスケットを食べるのを待っているのです。私の夫は往生際が悪くて」
「諦めが悪いと言ってください」
「うん?まだ、食べないけど。君、今お昼食べたばかりだろ?」
「デザートは別腹です。ヒロコさんもそうでしょ?」
「ああ、そういうこと。これはデザートじゃないから。デザートのヤツは、こっち」
そう言って手品のように手からビスケットが出てきた。俺には違いがわからないしやっぱりデザートなんじゃん。
「はい、ナギ」
「ありがとうございます」
「お姉さん?」
「君は、こういうときは調子いいね。しょうがない、ほら」
よーし。眼鏡のギリギリお姉さんから、とうとうビスケットを1枚ゲットだぜ。すぐに口に入れる。
「もぐもぐ。ありがほうごらいます」
「ナギ、旦那の行儀が悪いよ」
「すみません。私がいたらなくて。さっきのと合わせて減点2ですね」
「そうだね」
え?さっきのってどれ?減点が2に。減点の増えるペースがヤバくないか?
「ち、ちなみにですけど。減点はいくつになると何があるんでしょう?」
「3で、とても口では言えないことが君を待っているよ」
「3って。もう後がないじゃないですか」
「そうだね。頑張ってね」
何を頑張るんだ?大丈夫だ。これから真人間に徹すれば、とても口では言えないことが去っていくだろう。真人間だ。真人間、頑張ろう。
対物ライフルを担いで廃病院を出る。砂浜にはサハギンを1匹も見つけることができない。同じく巨大ヤドカリも見つけられない。
「サハギンはいませんがヤドカリもいません。探すところからですね」
「そうだね。これは、減点だね。シグレ、おめでとう」
「え?今、俺に落ち度とか、ありましたか?」
「君は私の盾だから、八つ当たりを覚悟しておかなきゃ」
なんでやねん。
最初から無理だったようだ。世の中は理不尽でできていた。
「ヒロコさん。それでは、あんまりなので加点のチャンスをあげてください。シグレのやる気にも関わります」
「君はいい妻をもったね。盾として頑張ってくれたら加点をしてあげよう。敗者復活だね」
よし、ナギさんがチャンスをつくってくれたぞ。多少おかしな流れのような気がしないでもないが。これからは真人間より盾のようだ。盾、頑張ろう。
「それでは、あなた。まず砂浜に下りて火を起こしましょう。燃えるものを集めてください」
「了解です」
「どうして、火を起こすんだい?」
「それは、ヤドカリは火を嫌っているみたいで安全地帯になります」
「そうかい。それは助かるね。木を拾えばいいのかな?」
「そうです。小さいものから大きいものまで」
砂浜に下りてリュックサックと対物ライフルをナギさんの指定場所近くに置くとすぐに燃えるものを集める。ヒロコさんとナギさんも同じところにバックパックを置いて作業を始めていた。
そして、指定の場所に三人で手分けして火を起こした。近くには廃墟がなく波打ち際からも少し離れているところだった。
時間は12時半を過ぎていた。周囲にはサハギンはおろか巨大ヤドカリもいない廃墟が突き刺さっているだけの平和な砂浜が広がっていた。
「では、ここをベースにして巨大ヤドカリをこの近くに引き寄せるかたちで戦いましょうか。俺はこれで援護もしくは止めを刺します。二人共いいですか?」
「私はそれで構いません」
「私も基本は賛成だけど、最初は私一人で戦うから。いいって言うまで手を出したらダメだよ」
またまた、無茶なことを。
「喋れないくらいダメージを受けたらどうするんですか?」
「それは、君が判断して。私の盾だろ」
またまた、難しいことを。
俺なら一撃で死にそうな攻撃をナギさんじゃあるまいしヒロコさんは回避したりとかしないよな。きっと。正直いろいろ怖いんだが。困ったなぁ。
「いや、でも―」
「あなた、諦めてください。ヒロコさんがああ言ったら曲がりませんから」
くっそ。なんで、こんな胃が痛くなるような思いをしないといけないのか?
俺が死ぬならまだしも、ヒロコさんは生き返らないのに。もう。
「ヒロコさん、死んだら怒りますよ」
「君が盾なんだから、よろしく」
何がどうよろしくなのか、さっぱりわからない。
対物ライフルを担いでベースからほんの少し離れた位置に移動して対物ライフルを下ろす。その横に腰のバッグから弾を3発取り出して並べ、うつ伏せになった。
対物ライフルのピストルグリップを軽く握る。
「いつでも、どうぞ」
「それでは、私がヤドカリを引っ張ってきます。途中でヒロコさんがそれを引き取ってください」
「問題ないよ。ナギ、よろしく」
ナギさんがベースに近いところの廃墟に寄っていって、その壁を数カ所蹴っていた。
どれがヤドカリの宿かわからないし、どうやればそこから出てくるのかもわからない。ナギさんは手探りで廃墟にちょっかいを出しつつベースから離れていった。
そんなナギさんを俺は安心して見守ることができた。ナギさんならよほどのことがなければ死ぬことはないというか攻撃が当たりすらしないからだ。
しかし、ヒロコさんならどうだろう。ヒロコさんには規格外の力、筋力があるのはわかるが、その規格は人間のものだ。圧倒的な体格差のある巨大ヤドカリにそれが通じるとはとても思えない。
ヒロコさんがナックルを装備しながら俺の横を通ってさらに前へ出る。
30メートルくらい進んだ辺りで足を止めたヒロコさんは、ナギさんが戻ってくるのを静かに待っていた。
視界の中にはヒロコさんとナギさんがいる。そのナギさんが大きく飛び退いたように見えた。始まったようだ。するとちょっかいを出された廃墟が動き出し巨大ヤドカリが出現する。ナギさんと比べれば大きさは一目瞭然だった。
「今から、そちらに向かいます」
「よくやった、ナギ」
「胃が痛い」
気がする。この体は、こういう状況にも強いようだ。中の俺だけが胃が痛い思いをしていた。
ナギさんがどんどん近づいてくる。それにつれて俺の心臓の鼓動も早くなっているようだ。ハッキリ言って昨日の方がどれだけ楽だったことか。今日はヒロコさんを人質に取られているようだった。
さらにナギさんが近づきヒロコさんの横を通り過ぎた。ヒロコさんが気合を入れたようなポーズを取り巨大ヤドカリにゆっくりと近づいていく。たぶん、俺とは違って生き生きとした表情なのだろう。
「始めるよ」
ヤドカリは特にナギさんに固執するでもなくあっさりと標的をヒロコさんに変更したようだ。ナギさんを追いかけていたスピードを落とし右の鋏でヒロコさんを薙ぎ払った。
「ちょっ」
ヒロコさんは俺の視界の中を横一直線に右へ飛んでいく。
ヒロコさんの状態はわからないが攻撃をこちらに向けるためにも1発―
「あなた、まだです」
「しかし」
「あなた」
ナギさんの瞼が真剣だった。仕方なくトリガーから指を離しヒロコさんを目で追った。
ヒロコさんは服についた砂でも払っているのだろうか。無事のようだ。うそーん。
そして、ヒロコさんはポケットから何かを取り出して口に入れていた。
俺にはそれがあのビスケットのように見えた。




