83-忘却の彼方2
浜辺を離れて来た道を戻る。いつもの陣形だ。
マユミさんとアオイちゃんは何を話しているのかわからないが楽しそうだ。今、ドットサイトという単語が聞こえたような気がする。間違いない。
時間を確認する。15時半前。おやつの時間だった。お腹が何かを訴えているのは気のせいではなかったようだ。
何か食べるものは… 食べるものは…… あった。砂浜で食べるつもりで、すっかり忘れていたおにぎりが。
マユミさんが戦力をどうこう言っていたわりに綺麗に忘れているおにぎりだ。
後は、傭兵事務所で魔石を換金してチームハウスに戻るだけなので、今食べても問題ないだろう。
だいたい、俺はおにぎり戦争の当事者ではなくただのご近所さんなのだ。戦争なんて近所迷惑なのでやめて欲しい。
しかし、ここで問題が起きた。左手に対物ライフルでは、歩きながらリュックサックの中の弁当箱にアクセスすることが不可能だった。
前の二人に悟られることは避けたい。戦争が始まってしまったら意味がないのだ。慎重に事を進めないといけない。
でも、お昼前にハンバーガーのダブルにあれだけのサイドメニューを食べたんだ。戦争を起こすほど空腹ではないのでは?
いやいやいや、よく考えろ。マユミさんはどこにあるのかいくつあるのかわからない別腹にジャンクフードを格納していた。
別腹は空腹回路に繋がっていない可能性が高い。今は俺と同じくらいの空腹かもしれない。いや、同じだと考えるべきだ。
お腹が少し騒がしくなってきた。もう少し待ってくれ、すぐだから。
うーん、変にコソコソして機嫌が悪くなられても困る。あとあと尾を引くくらいなら、いっそのこと戦争になった方が…
(早く食べたら。考えすぎだと思うよ)
また、耳がゴソゴソする。今はそれどころではない。
マユミさんとアオイちゃんは話に夢中で俺が立ち止まろうがいなくなろうが気づかないんじゃね?
だよな。ちょっと考えすぎだったかもしれない。神様も突っ込んでくれればいいのに。
(いやいやいや、突っ込んだし)
さてと、そうと決まれば、さっそく行動に移そう。
まず、立ち止まる。霧のおかげで足音はほとんど聞こえていない。あの二人には気配を感じる術はないはずだから、俺だけがここに残って―
よし、いい調子だ。二人だけでどんどん先に進んで行っている。
対物ライフルを地面に置く。すれ違う人がハンバーガーを食べながらこっちを見ているような気がしないでもない。
見世物じゃありませんよ。さっさと行ってください。
順調だ。背中のリュックサックを外して弁当箱を取り出す。リュックサックを対物ライフルの隣に置き、知らない家の軒下で弁当箱を開けた。
おばちゃんが用意してくれた変わり種のおにぎりが顔を出す。
ガーリックベーコンが巻かれたおにぎり。マヨ唐が入っているらしいおにぎり。そして、最後が問題の梅と鮭とザーサイが混ぜ込んであるおにぎりだった。
梅と鮭を同時に入れるとは冒涜すぎる。マユミさんとアオイちゃんが見たら何て言うか…
「あら、美味しそうね」
「!」
「センパイ、よく見てください。このおにぎりは― 調停する…」
「!!」
「アオイちゃん」
【気配察知】先生、仕事は?あ、都市内では自然と気にしないようにしてたんだった。意味ねぇ。
そんなことよりマユミさんとアオイちゃんがいる。しかも見られた。意味深なことを言っている。もう、戦争は避けられない。知らない家の人、ごめんなさい。
「マユミさんとアオイちゃん、いつの間に」
「シグレ、当然そのおにぎり、分けてくれるのよね?」
「シグレさん、ワタシも」
やはり、二人共おにぎりは入るようだ。どこに入るのかは、わからないが。
なら、ここはこのおにぎりを差し出して穏便に。
「あ、どうぞ」
「ありがと。って、シグレは、これ食べないの?全部渡していいの?」
「あ、大丈夫です。まだ、ありますから」
「そう、それじゃ、私の鮭おにぎりをあげるわ」
「じゃ、シグレさん。ワタシは梅おにぎりをあげます」
お、これは戦争が起きずに済みそうな流れだ。主力おにぎりがこちらに来るとは。ラッキーなのか?ラッキーでしょう。
マユミさんは俺があげた梅鮭ザーサイおにぎりを半分に分けてアオイちゃんに渡している。
「それじゃ」
「「「いただきます」」」
そして、二人が問題のおにぎりを口に運んだ。よく噛んで食べている。味わっているようだ。
「梅とザーサイは鮭に合っているかもしれないわね」
「梅に負けずに鮭が現れてザーサイの歯ごたえが両者の味をさらに引き出して。美味しい。流石、調停するモノ」
普通に美味しいだけでいいんじゃないかな。何か意味のわからない単語も混ざっていたけど。
知らない家の軒下で謎の光景が展開されていた。座り込んでいる俺達の前を通る人の足は速い。
さてと、俺は弁当箱に入っている四つのおにぎりを見下ろす。どれから食べようか。
二人の視線が気になるが、とりあえずガーリックベーコンのおにぎりから行ってみよう。
「おお、ガーリック」
美味しい。ガーリックベーコンが食欲をかきたててくる。進む進む。あっという間に一つのおにぎりが消えた。
次はマヨ唐おにぎりを口に運ぶ。思わず拳を握りしめて膝をトントンしたくなる旨さだ。
隣を見ると、なぜか二人が静かだ。マヨ唐おにぎりを奪われるかとも思ったが最後まで食べきることができた。あのさっきから続くギラギラした視線が気になってしょうがない。
「次は…」
どれにしようかな。気になるマユミさんとアオイちゃんは片付けを始めていた。もう食べ終わったようだ。
なら、俺も。小腹は満たされたし残りは帰ってからでいいだろう。弁当箱の蓋を閉める。
「シグレ。なぜ、食べないの?」
「シグレさん。ワタシ達に構わず食べてください」
「え?」
「食べて」「食べてください」
二人の圧が凄い。この圧はただ事ではないな。
「あっ」
二人はこれを待っていたのか。俺がどっちのおにぎりを選ぶかを。
二人の無言の圧が続いている。既に戦争は始まっていたようだ。
二人は仲が良いので可愛い戦争で済むだろうが、ここで俺が巻き込まれると無駄に軋轢を生んでしまいそうだ。面倒くさいなぁ。
「それなら」
地面に弁当箱を置き蓋を開ける。梅と鮭のおにぎりがこちらを見ている。
右手に梅おにぎりを左手に鮭おにぎりを持ち同時に口に運び同時に噛む。これなら、文句は… もぐもぐもぐ。口の中で梅鮭おにぎりの味が完成した。ザーサイが欲しい。
「はい、解散。選べない男はダメね」
「センパイ、行きましょう。梅か鮭かを選べないなんて」
口の外は散々だった。これは両方に軋轢が… ま、それも仕方ないだろう。片方だけに生じるよりは、いいかもしれない。
二人が先に行ったようなので、落ち着いて残りの梅と鮭のおにぎりを食べる。他人の家の軒下だ家主が出てきそうで実は落ち着かない。
どっちも美味しいおにぎりだ。おばちゃんの愛情がこもっている。んじゃないかな。
そして、最後に残った鮭おにぎりを食べて弁当箱の蓋を閉じリュックサックにしまう。喉を潤すため水を飲みリュックサックを再び背中に装着した。
対物ライフルを担ぎ、もう追いつけないかもだが二人の後を追う。と思ったら二人は少し先で情報端末を手に立ち止まっていた。何をしているんだろう?
「あの、どうしたんですか?帰らないんですか?」
「アオイちゃん。これではっきりしたでしょう。シグレは鮭派よ」
「センパイ、美味しいものを先に食べたんです。最後に食べたのが鮭だからこそ、シグレさんは梅派なんです」
情報端末のカメラのズームで俺を観察していたようだ。最後に食べたもので争っていた。アホだ。
「誰がアホよ」
「誰がアホなんですか」
そんな風だと思った顔をしただけで言ってはいない。言えないし。
「そんなこと言ってませんよ」
「思ってたでしょ?シグレはすぐ顔に出るんだから」
「シグレさんは体質的に嘘がつけないんですよね?梅派にそういう人、多いです」
くっそ。顔でわかるのか。俺ってポーカーフェイスじゃなかったのか。知ってたけど。
「早く帰りましょう。梅とか鮭とかどうでもいいじゃないですか?お酒に合う料理の支度があるんでしょ?」
「どうでも良くないわ。シグレ、そんなんじゃ長生きできないわよ。でも、料理の支度は急がなきゃ」
「シグレさんは梅派ですよねぇ」
そう言って二人はまた仲良く話をしながら歩き出した。全く、もう、梅とか鮭とかで生死が決まるわけがない。そんな面白い世界があるなら見てみたいものだ。
二人の後ろを歩きながらそんな面白い世界を想像してみた。
傭兵事務所の前まで戻ってくる。時間は15時46分。アオイちゃんがスカウトアントの魔石の換金に中へ入っていった。
「シグレ、本当は鮭派なんでしょう?さっさと楽になりなさい」
意味がわからなかった。何がどう楽になるのか。
俺は鮭派だった気がする。最後には自然と鮭のおにぎりが残っていた。二人のおにぎり戦争のおかげで鮭派から遠のいてしまったが。
こんな状況じゃ鮭派には戻れない。俺は…
「お、俺は、唐揚げ派です。梅でも鮭でも―」
マユミさんの表情が面白かった。てっきり怒られるかと思ったのだが。
「そう、苦難の道を行くのね。まぁ、それも自分で選んだのだから後悔しないように」
え?唐揚げって苦難の道なの?そもそも、そんな道あったの?相変わらず異世界にお住まいのマユミさんの発言は理解不能だった。
アオイちゃんが傭兵事務所から出てきた。理解不能の頭に爽やかな風が吹き込む。
「お待たせしました。2万YENになりましたので、7、7、6でシグレさんは自動的に6になりました」
「それで、問題ないよ。食費とかお世話になってるから」
「それじゃ、シグレは先に帰ってて。私とアオイちゃんは食材の買い出しに行くから」
「了解です」
「では、シグレさん。また、あとで」
後ろ髪が引かれる傭兵事務所をあとにしてチームハウスへ足を向ける。
傭兵通りは人が多いので裏通りに入る。最近は裏通りも人が多かった。少しげんなりする。
やっとチームハウスだ。階段を上がり玄関で靴を脱ぐ。履物が多い。ヒロコさんだろう。
居間をチラッと覗いてみるとヒロコさんと目が合ってしまう。軽く会釈をした。
自分の部屋に入り電気をつけて対物ライフルを置き装備を外す。軽くなった体を伸ばしてみた。
「うーーーーー。風呂に入りたい」
「沸かしましょうか?」
ナギさんだ。相変わらず音もなく背後を取ってくる。ノックはしてくれない。
「結構です。口が滑っただけです」
「本心をなきものにして。残念です」
リュックサックから弁当箱と水筒を取り出して台所へ。すると、ナギさんはいつの間にか消えてしまった。
台所に弁当箱と水筒を置いて、置いて、置いてって。魚、でかっ。
いやぁ、これは楽しみですな。ビールのお供に… って、ビールは誰が用意してくれるのか?
居間に行き再びヒロコさんと目を合わせる。
「いらっしゃい。早いですね」
「今日は美味しいお酒の日だからね。見ただろ?魚も用意してきたんだよ」
「見ました。楽しみです。そこで、ヒロコさんに聞きたいことがあるんですが」
「何だい?君」
「お酒は用意してくれるようですが、ビールは用意してくれてませんよね?」
「そうだね。私は日本酒があれば飲まないからね」
「ですよねぇ。じゃ、俺、ちょっと買いに行ってきます」
「と、いつもなら言うけど。ちゃんと地ビールじゃないビールは用意してあげたよ。量産品だね。うちじゃ水と同じ扱いの」
流石、ヒロコさん。地ビールじゃないと言っても現状全部地ビールじゃん。全く問題ない。それとも、マテリアル産が地ビールじゃないと言いたいのかな。
「助かります。ビールを買いに行くと言っても酒屋にはまだ行ったことがなくて」
「あなた、私もちゃんとビールを用意しています。忘れないでください。はい、私にも礼の言葉を」
神出鬼没なナギさんが現れた。そう言えば、そうだったかもしれない。すっかり忘れていた。
「あ、ありがとうございます。昨日は結局ビールが飲めなくて忘れていました」
「ふーん。ナギの表情もいいし君は上手くやってるようでお姉さん嬉しいよ」
「何のことかわかりませんね。アユミさんは来ないんですか?」
「もう少ししたら来ると思うよ。何か仕込みをやってるみたいだったね」
今夜も大騒ぎだな。近所迷惑にならなくて良かった。霧、様様だ。不謹慎だけど。
「いらっしゃい。ヒロコさん」
「いらっしゃいです。ヒロコさん」
マユミさんとアオイちゃんが帰ってきた。銃を肩にかけ手に食材が入った袋を持っていた。恐ろしくアンバランスで現実味がない状態だが、アースでは普通だった。
「「おかえり」」「おかえりなさい」
「それじゃ、私も料理をしようかな。シグレはここでおとなしくしてるんだね」
「あなた、ガン賢はやめておいた方がいいと思います。私がやっておきますから」
それじゃ、意味がないから。
女性陣がみんな台所に行ってしまった。寂しい。俺は料理ができないので一人ぼっちだ。ガン賢は止められたし…
「シグレさん!どうして傭兵事務所に来てくれなかったんですか?」
メイさんだった。あっ、そう言えば傭兵事務所に寄るんだった。すっかり忘れてた。いや、違和感は感じていたが。そうか、依頼の報告があったんだ。
ま、いいけど。
「お疲れ様です。忘れてました」
「ひ、ひどい。いいです。こちらで手続きは済ませました。傭兵カードをお返しします。依頼料は振り込んでおきましたから」
「ありがとうございます。助かります。それでは」
「それではって何ですか?今日も泊まりますから、よろしくお願いします」
「えええええ」
「それで、みなさんは?」
「今日はヒロコさんが貴重なお酒を持ってきてくれたので、それのツマミをみんなでつくっているところです」
「ヒロコさんが!貴重なお酒を!!では、私も手伝ってきます」
傭兵カードを情報端末のケースに入れる。いきなりメイさんが現れたかと思うと、もういないくなった。ボッチオンラインが加速しだした。
「すみません。うちのヒロコさん、見かけませんでしたか?」
「いらっしゃい。アユミさん。台所ですよ」
「じゃ、私も失礼して」
お鍋を抱えたアユミさんが増えたと思ったら、すぐに一人に。ボッチオンラインが本来の俺の姿だ。全然、全然、寂しくない。
そして、首を長くしてモンスターに変わってしまう少し前に料理が出来上がったようだ。時間は18時になったばかりだ。
料理が続々とテーブルに運ばれてくる。俺も手伝おうとすると邪魔者扱いされてさせてもらえない。肩身がどんどん狭くなる。
肩幅がいい感じに狭くなったところで全員が集まり宴会が始まった。俺にはビールの瓶とグラスが渡される。
女性が6人に男は俺だけ。話題に上らないように影を薄くして料理をいただく。
やはり、刺し身が美味い。この魚はマテリアル産なのか、それとも…
「シグレ。シグレは呑まなくていいの?アサヒワシ。貴重だし凄いわよ。どのくらい凄いかをAKで表現すると―」
「あ、それは、結構です」
「AKのマガジンがすんなり入ってジャムりもせず… え?いいの?とても凄いのよ。それに、もう呑めないかもしれないわよ」
「大丈夫です。味がわかる人が呑めばいいんですよ。一人おかしな人がいますけど」
「シェンパイ。これ凄く美味しいれす。とれも気分が良くなっれきましら」
「アオイちゃんは呑みすぎね。もう、あげないから」
「えええええ。ろうしれ。シグレさん、今なら何れも答えれあげれます。何が知りらいれすか?」
こんな状況で聞けるわけがない。ナギさんとアオイちゃん以外の視線が刺さる刺さる。
「大丈夫だから。アオイちゃんは部屋に戻って休んだ方がいいよ」
「それこそ、らいじょうぶれす。まらいけま―」
それがアオイちゃんの最後だった。マユミさんがアオイちゃんだった何かを部屋に運んでいく。
俺は刺し身を食べまくった。目立たないようにしているのにナギさんが、横でどんどん持ってくる。何を考えているかさっぱりだ。
マユミさんが帰ってきた。アサヒワシを味わうグループに戻っていく。何をそんなに話すことがあるのか知らないが時折黄色い声が聞こえてきた。
そして、あれは、アサヒワシがなくなりそうなんだな。四人がかりだとすぐだな。お開きかな?
「アサヒワシがなくなっても別のがあるから。どんどん呑もう。アサヒワシには遠く及ばないけどね」
酒豪達の夜はまだまだ続きそうだ。
俺は一通り刺し身を食べ終わったのでひっそりと退散することにした。
ナギさんの表情はよくわからないが、みんな良い表情をしていた。今日はいろいろ忘れていたが、この表情を、この日常を忘れないように、締めのお茶漬けを食べた。
ナギさんが用意してくれたのは、鮭茶漬けだった。アオイちゃんには内緒だ。




