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103/105

103-頭痛


「風邪薬は… ないっと」



 こういうときはだいたい気合で治すか、ギリギリになったところで汎用の解熱鎮痛薬を飲むくらいだ。風邪薬なんて飲んだ記憶がない。どんな風邪薬があるかもさっぱりわからない。


 じゃ、今回も気合で治そうかと思ったのだが、悠長なことをしているとアース人の報復が待っているだろう。


 特にナギさんだ。最近食事で頼りっぱなしなので、罰としておかず抜きとか言ってきそうだ。リアルより充実している食事の面で報復されると辛すぎる。せめて、浅漬けくらいは欲しい。


 ナギさんのその辺りをこじらせてしまっては大変だ。ログインして出合い頭に―



”実家に帰らせてもらいます”



 とか言われたらとても困る。ぐさっとくる。俺が悪いことをしたみたいじゃないか。被害者なのに。このセリフ、かなりのパワーがあるんだよな。自称の妻とはいえ、あまり聞きたいセリフではない。あ、でも、これは普通か。ナギさんなら―



”あなたを殺して、実家に帰ります”



 こうだろうな。とりあえず俺を殺すことは、ちゃんとやってから帰るだろう。体調が万全になったばかりのところに、すぐ三日休みとか意味不明で床に転がって喚き散らしたくなる。異世界症候群の人が奇行に走る理由がわかったかもしれない。


 切り替え、切り替え。


 いかんな、病気になると思考がネガティブになりがちだ。ちゃんと栄養をとり薬を飲んでゆっくり休めば短時間で治る。はず。楽観的に行こう。


 しっかしだ。ちゃんと栄養をとるといっても、今あるのはカップラーメンとおにぎりだけだ。これで栄養がバッチリとれるとは思えない。


 ま、しょうがない。頭が痛いしコンビニに行く気力もない。これも、おにぎりぐらいしか食べることができないだろう。


 よし、なら、薬だ。頭痛のときの友達、解熱鎮痛薬のバフリンさんで何とかしよう。頭痛が治まればコンビニへ行く気もおきるだろう。今回はギリギリはなしだ。


 たしか、この辺りに置いていたはずなんだが… 微かな記憶を頼りに薬を探す。出番が少ないので忘れがちだ。



「あった、あった」



 痛っ。自分の発した言葉が頭に響く。しかし、バフリンさんの箱を発見。ツートンカラーの憎めない箱だ。箱を手に取り軽く振ってみる。



「あれ?」



 音がしない。少しへこんだ新品とは思えない箱が無音を返してきた。中身がミッチリ詰まっているとも思えないし俺の不安を後押しするような重さだ。


 箱を開けてみる。


 …


 ……


 空でした。


 ついてないどころではなかった。空なら箱捨てとけよ、俺!いやいや、新しいの買っとけよ、俺!!


 いかん、いかん。自分を今責めたところで事態は好転しない。頭が痛いだけだ。


 しょうがない、とりあえず何か食べよう。




 おにぎりを食べた。ほうじ茶をたっぷり飲んだ。少し楽しかったことを思い出してみる。掲示板なんかチェックする気は全くおきない。もう、あとは寝るしかない。寝て体調が少しでもよくなることを祈ろう。


 スマホで時間を確認。21時04分。うーん、頭が痛い。ベッドの上に転がっているVRギアをどかして寝転がる。


 あ、電気。消すのを忘れたが、面倒なので、もう、いい。



「おやすみ」



 腕で目を隠すようにして頭痛の中無理矢理眠った。


 しかし、頭痛で簡単に眠れるはずもなく散々寝返りをうつハメに。痛みを紛らわす体勢がなかなか見つからない。




 目が覚める。いつの間にか眠っていたようだ。体調は良くなるどころか悪くなっているような気さえする。汗も凄くかいているようだ。しかし、風呂は無理だな。


 こんなに苦しんでいても夢は見るようで、さっき見た夢にはマユミさんとアオイちゃんが出演していた。極悪姉妹として。誰がこんな恐ろしいオファーをしたのか?


 お見舞いに来たのか、二人はなぜか俺のこの部屋にいた。俺のために用意されたであろう梅干しが入っているメロンパンをアオイちゃんが一人でバクバク食べていた。俺の部屋まで来ていったい何をしているのか。


 俺は隣で、それを眺めていただけだった。食べたことのない梅メロンパンが嫌いだとか、そもそもお腹が空いていないとか、そういう理由があったわけではない。マユミさんが俺に知らない関節技をかけていて物理的に食べられなくしていたからだ。


 この姉妹は、ホントにもう… 二人の楽しそうな顔を夢だというのに鮮明に覚えていた。不吉な夢だった。


 時間は1時を回っている。この調子だとすぐに治りそうにない。アースにログインできないことを伝えておかないと、おかしな心配をされるかもしれない。場合によっては、おかずが減ることだろう。しょうがない甘んじて受けよう。


 しかし問題がある。こちらの一日はアースで三日、二日休むと当然六日になる。流石に俺の口から一週間来れませんとか言えない。なので、短時間ログインできそうなら顔を出すだけでもしないとまずいだろう。


 ログインしてしまえば、あちらでは頭痛から解放されるから楽なのだが調子にのって長時間いると、こちらの本体が大変なことになってしまう。ひょっとしたら、このVRギア、装着してゲームをすると免疫力というか抵抗力?みたいなのが下がるのかもしれない。聞いたことはないが、もし本当なら重大事だろう。決して俺の日頃の不摂生が祟ったわけではない。たぶん。


 ま、今は俺が重大事だから、そのことを伝えてこないと…


 うーん、時間的に今ログインしてもチームハウスには誰もいないんじゃないか?書き置きするものもないし、まいったなぁ。


 切り替え、切り替え。


 また、ネガティブになっていた。とりあえずログインして誰もいなかったら、すぐに戻ってこよう。


 いや、待てよ。メールがあるじゃないか。探して誰もいなければ、ナギさんにメールを出そう。いやぁ、すっかり忘れてたな。リアルでもボッチだからメールを出すという思考が抜け落ちてるんだよなぁ。


 だが、その前にこの状態で冷蔵庫まで行き、ほうじ茶を飲むというミッションがある。さっきから、やたら喉が乾いていた。


 だるく重い体を動かす。頭に響かないように、なぜか少し屈んだ状態だ。


 そぉっと歩き冷蔵庫の扉を静かに開ける。ほうじ茶を取り出しすぐに飲み、また戻すと同時に扉を閉めた。


 忍び足にも似た足運びでベッドまで戻ってくる。ミッション無事終了だ。何かを飲むのも楽なことではなくなっていた。


 よし。それでは、行ってこよう。




 白い世界を抜けると当然自分の部屋だ。時間もお昼に近いからなのか出待ちもない。


 いきなり気分が良くなったので少し戸惑うが、俺にはミッションがある。リアルで待っている俺の体のためにも急がなければ。


 自分の部屋を出て居間へ行く。誰もいない。まぁ、そうだろう。俺には【気配察知】先生がいて、チームハウス内ならナギさん以外はどこにいるのか、だいたいわかる。


 そして、現在、先生は誰もいないと無言で教えてくれていた。予想はしていたことだ。次の行動をおこそう。


 その前に、ナギさんはいる可能性があるので、一応旧お仕置き部屋を確認しておくことにする。静かに頭に響かいないように部屋に向かった。


 俺はナギさんと違って、ちゃんとノックができる人間である。いなくてもノックをする。当たり前のことだ。



『コン、コン』


「はい」



 いたぁぁぁ。いなければ、メールを出して撤退のところだった。ナギさんが何をしているかとかはどうでもいい。



「俺です」


「あなたですか。どうぞ」


「いえ、聞こえているなら、このままで」


「そうですか。なら、私が開けます」


「いや、だから―」



 言ってるそばから旧お仕置き部屋の扉が開く。中には目のやり場に困るんナギさんがいて―


 すぐに、その扉を閉める。



「このままで大丈夫です。ゆっくり服を着てください」



 すると、扉がすぐに開く。



「私なら問題ないと、以前言ったはずです」



 しかし、すかさず扉を閉める。



「言ったとか言わないとかの問題ではありません」



 ナギさんも意地になっているのか扉がすぐ開く。



「じゃ、どういう問題なんですか?私が気にしないと言っているのですから問題ないでしょう」


「俺が気にするんです」



 ナギさんが目のやり場に困る状態で扉に脚を挟ませてきた。さらに目のやり場に困る。くっそ。


 なら、俺は180度反転して背を向けてやる。



「あなた!」


「これなら問題ないです。で、時間もないので用件を伝えます」



 ナギさんが俺の前に出てこようとしているのを必死にブロックする。



「あなた、いい加減にしないと殺しますよ」


「で、用件は、その、言いにくいんですが。リアルの、アナザーの世界の自分が風邪を引いてしまったので治るまで、しばらくこちらに来れません。以上です。それでは」



 前に出てこようしていたナギさんの動きが止まる。よし、いいぞ。


 しかし、俺が帰ろうとしたところで右手を掴まれた。


 そのまま沈黙の時間が流れる。



「ナギさん。治ったらちゃんと帰ってきますから。治らなくても一日ごとには顔を出すようにします。防衛はちょっと無理ですけど」


「……… わ、わかりました。あなたの早い回復を祈っています」


「それでは、急ぎますので」



 危険で柔らかい手から右手が解放される。ナギさんのつまった言葉に少し申し訳なく感じながらも自分の部屋に戻りログアウトした。ナギさんの料理を味わうためにも一刻も早く風邪が治ることを俺も祈りたい。


 横になったままVRギアを外して隣に置く。こちらに戻ってくると突然体調が悪くなるので、さっきより悪化しているのかと感じてしまうが、気のせいだと思いたい。



「ハックシュ」



 くしゃみが頭に響く。そのたびに体温が上がっていく気がする。


 アースのミッションが無事終了した。ナギさんの下着姿という思わぬ収穫もあった。あちらの神様に感謝しておこう。


 今日は、第二次大戦の開始日だが掲示板をチェックする気力なし、何かを少し食べておかないといけないのだが食欲なし。あったとしてもカップラーメンしかない。


 大人しく寝よう。明日は起きたら無理矢理でもコンビニへ行って栄養になるものと、薬だな。確かいつも行くエイトイレブンは薬を売っていたはずだ。


 よし、頭が痛いがなんとか寝よう。



「おやすみ、俺」





 俺は今、なぜかチームハウスの居間にいる。その居間でダイニングテーブルの椅子に座っていた。


 左隣にはナギさんがいて、正面にはヒロコさん、そのヒロコさんの右隣にメイさんがいた。


 全員がダイニングテーブルの上に置かれた2枚の紙をそれぞれの思いを込めて見つめている。いつか見た記憶がある紙だ。


 そう、それは忘れもしないアースのアサヒ都市の婚姻届だった。2枚の婚姻届にはヒロコさんとメイさんの名前を見つけることができ、他はさっぱり心当たりのない情報が書き込まれていた。


 いや、心当たりのある情報というか単語もあった。”アナザー”という単語がトランプのジョーカーのような便利さで各欄を埋めていた。



「あなた、これを」



 ナギさんにボールペンのようなものを渡される。非常に既視感のある光景だ。メイさんの喜びを隠せていない表情が、俺の天の邪鬼な心を刺激した。



「えっと、これで俺は何をするんでしょうか?」


「君、この状況でよくそんなことが言えるね。最後の抵抗のつもりかい?」



 ヒロコさんは、隣のメイさんと違って真剣な表情だった。



「シグレさん、カタカナの3文字をそれぞれの名前欄に書けばいいだけです。印鑑は私が押しますから」



 神託の像がある世界だというのに、こんなにメチャクチャでいいのだろうか?いや、ダメだろう。ここに神託の像があれば、きっと凄い表情を返しているに違いない。


 それにしても、俺はなぜサインをするのをためらっているのか?


 既にナギさんのときにサインはしている。体が勝手にサインしたのだが。そして、そのナギさんがここにいて、新たな婚姻届のサインを促していた。もう2回サインをしたところで、本人達が望んでいるし都市でも認められている。何の問題もないはずだ。


 しかし、俺の右手はボールペンを掴むことができても名前を書く気はないようだ。


 頭がひどく痛い。熱もあるようだ。もう、俺はサインしてもいいと思っているのに体は言うことを聞いてくれない。



「なんか俺の体というか右手が名前を書かせてくれないみたいです」


「それでは、私が補助をします」


「え?」


「あなたは、ボールペンを握っているだけでいいんです。動かさなくても問題ありません」



 ナギさんが、ボールペンを掴んでいる俺の右手に自分の手を被せてきた。そして、その手を動かし婚姻届の名前の欄に文字を書き始めた。当然、字はおかしなことになっている。ギリギリ、アウトのような署名になった。流石に、これは…


 正面の二人はギリギリアウトの俺の名前が書かれた婚姻届に、順番に俺の名前が刻まれた印鑑を嬉しそうに押していた。偽造書類の作成の現場に居合わせてしまった衝撃を感じる。


 ヒロコさんは、その紙に満足したのかどこかにそれを放り投げると立ち上がり、俺の首を右手でガッチリと掴んだ。息がつまりそうに―



「ど、どうして?」


「君はもう不要だからね。さよなら、シグレ」



 ヒロコさんは俺の首を掴んだまま持ち上げ、さっき放り投げた紙のように俺を窓の外に投げた。マ、マジか。ここは確か2階のはず。


 窓の外は非常に都合の良いことにあの寂れた公園があり、どうやら俺はそこに飛んでいくようだ。


 漫画のように公園に落ちていき地面に叩きつけられる直前に目を閉じる。しかし、ポワンという感じで誰かにキャッチされた。全ての問題が解決されるかのような安らぎが俺を希薄にする。


 恐る恐る目を開けると、寂れた公園の噴水の石像にそっくりな誰かにキャッチされていた。男の俺が綺麗な女性にお姫様抱っこされている。は、恥ずかしい。


 そして、その女性の優しい瞳が静かに俺を窺っていた。



「シグレ、私の婚姻届にもサインしてくださいね」


「あ、は、ハッキュッシューン」





 はっ!ここは… 俺の部屋か。頭に手を当ててみる。VRギアは装着されていない。というか隣に転がっていた。



「夢、か」



 体は汗だくだった。頭痛も治っていない。ひどくなっているかもしれない。もう、よくわからない。


 重い体をひきずりトイレに行き、冷蔵庫からほうじ茶を取り出し飲み干した。


 やたらリアルでデタラメな夢だった。チームハウスの隣に公園はあるが、あの方向ではない。



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