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再び結海と会ったのは、その事件から1週間も立たない夜の日。
結海が指定してきた場所は都内の高級料理店だった。名家の御曹司と言えども、そのオーラを持ち合わせていない俺にとっては、待ち合わせの為にそのお店の前に立っているだけでも高いハードルだ。
携帯を握り締めて待っている俺の前に、一台のタクシーが止まる。
長い脚を地に置き車内から出てきたのは、サングラスを掛けた結海だった。結海とすぐに分かったのは、初めて出会った時に感じた、思わず背筋を正してしまうほどの独特な一流の雰囲気からだ。
望んでいない再会に店の前から一歩も動けない俺を気にもせず、結海は白い歯を覗かして「お待たせ」とこちらへ向かって歩いてくる。せめて最初の挨拶だけでも接待マンのようにこなそうと思っていた計画は頭の中から消え、俺はぎこちなく「どうも」と一言交わすだけで精一杯だった。
そして一歩以上間を空けて結海の後へ続き、お店の中へ入っていく。案内された個室に入った時には、これから結海と過ごす事実が色濃く表れた空間に通されるようだった。
腰を下ろしたところでサングラスを外した結海と初めて目が合う。
「ここはね、お刺身が美味しいんだ」
「…はい」
「じゃ、好きなの頼んでね」
「…はい」
好意的な会話の始まりを台無しにするような自分の気の抜けた返事に、何をやっているんだ…とジメッとした感情に襲われる。
(俺は会話の一つぐらいも出来ないのかよ…)
このままじゃ、本当に父に勘当されてしまう。そう焦る一方で、俺と付き合いたいという男の謎の要求なんて知るもんかと、悪態もつきたくなる。こんな混沌とした気持ちは、家の力に頼って困難を回避してきた三男坊にとっては初めてのことだった。
「…あ、あの、仕事だったんですか?」
「ん?ああ、そう。撮影の仕事してそのままこっち」
「…そう、ですか……」
意を決して話を振ってみたものの、すぐに会話は終わってしまう。昔から人に慣れない俺が、芸能人の結海相手に何を話していいかなんて分かる訳がない。
「颯太郎くんはさ、」
「は、はい…!」
その時黙々と食べていたかのように思っていた結海が、チラリと俺に視線を向けた。
「ご兄妹の誰とも似てないよねー。俺、森喜の人たちと結構会ってるんだけど、初めて見る顔」
「そうですか…」
「でもさ、森喜さんから君のこと聞いてたんだよね」
「え…あの、父からですか…?」
「そう」
わざわざ父が結海の件で俺に電話を寄越すくらいだ。父と結海の間には元々何らかの繋がりがあるとは思っていた。でもよりによって出来損ないの末っ子の俺の話をどうして父が…
「どうしようもない奴だけど後継は長男だから好きにさせてるってさ。結構親バカだよね、森喜さんって」
「……」
決して良い話では無いとは思っていたけど、これはこれで反応に困る話だ。
「でも好きにさせてた理由分かったよ」
「え?」
「親の脛かじってるバカ息子だけどさ、純情そうな見た目してるよね。そこが可愛いのかもね」
貶されているのか良いと言っているのか、どっちだろう。いや、そもそも親の脛はかじっていない。裏口就職だけど毎日働いてはいるわけで、バカ息子と呼ばれるにはいきすぎている気がした。
ムッとして口元が歪んだ俺に結海は楽しげに笑い、その口から爽やかな吐息を漏らした。
「食べたら俺の家に泊まっていってよ。ここから近いんだ」
「いや…!あの、明日の朝早いんでこれで帰ります…」
「大丈夫。明日は俺、午前中休みもらってるんだ。仕事場まで俺が車で送ってあげるし」
「わ、悪いですよ。結海さんの方が仕事お忙しいと思うので…」
「なんで?付き合ってるんだから別にこれくらい、なんてこと無いよ」
引き際の分からん奴とは目の前の男のことかもしれない。これだけ遠慮して遠回しに断っているのに、結海は全く引かなかった。爽やかな笑みに隠して、何としてでも家に連れていこうとしているのがひしひしと伝わる。
「…じゃあ、少しだけ寄ります」
「うん」
結局、遠慮という名の拒絶は伝わらず今夜は結海の家で過ごすことになってしまった。