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結海がお店側で用意した服に着替えている間、判決を待つ被告人のような感覚になりながら刻々と時間だけが静かに進むのを感じるしかなかった。


一瞬のことで状況を整理しきれないまま今に至るが、結海の服がびっしょりと濡れたのはもちろん、自分の見間違いでなければ彼の腕には素人でもわかるような一級品の腕時計をしてたはずだ。


服のクリーニング代はお店の負担になると冷静に考える一方で、もしも時計が破格の値段なのだとしたら……


お店に多額の弁償代をさせた原因の俺は下手したらクビになるかもしれない。親の情けで雇われてる俺はアルバイトよりも頭が上がらない立場にいるのだから当然だ。

段々と事態の大きさに気づいた俺は、握り拳も出来ないほど力が入らずに全身が震え上がった。




けれど時は刻々と進んでいく。

しばらくして従業員と共に彼は再び俺の前に姿を見せた。


黒のズボンにシャツというシンプルな格好と、シャワーを浴びたのだろう濡れた髪を後ろに軽く撫で付けた男の姿を目にして、改めてこの男が俳優の結海 薫だとはっきりと認識する。


結海が何かを発する前に、俺と一緒に待っていた上の従業員が大きく謝罪を口にして深く頭を下げた。俺も震える喉を搾り取るようにして大きく謝罪の言葉を口にする。下げた頭の重さが全身にのし掛かるようで、少しでも力を抜けば足元が崩れ落ちそうだ。



「頭上げてください」


はっきりとした凛とした声は、どこかで聞いたことのある声だった。

ゆっくりと頭を上げれば、穏やかとまで言ったら勘違いかもしれないけれど、怒りの色は感じさせない結海の顔があった。その顔、姿そのものがやっぱり見たことがあって、けれど離れたTVの向こう側にいる人間で、俺はどこか現実味のない感覚に一瞬陥る。


そして目の前にある瞳はゆっくりと俺の方へ向いた。


「彼と2人にしてもらえますか?」



(……は?)


間違いなく心の中で俺はそう言った。

けれど次に言葉を発したのは俺の隣にいた従業員で、滅多に見ない狼狽えた表情を見せるも「承知いたしました」と言ってのけた。


(なんで、なんで2人きり……!?)


お客様に常に紳士的で従順な従業員たちは、今この瞬間もその姿勢を崩すことはなかった。去っていく背中に「これからどうすればいい?」と必死に問いかけるも無情にドアの向こうへ消えていってしまう。




バタンと嫌に鈍い音を立てて閉まるドアを最後に、いよいよこの空間には俺と結海の2人きりだけだ。


「とりあえず座ろうか」


一瞬の間を開けて声を掛けてきた結海に小さく「はい」と頷くしかなく、結海が席に座るそれだけの動作も気にしながら、俺も席へと手を伸ばした。



「……で、名前は?」


向かい合わせに座ると、一呼吸置く暇もなくまず結海は長い脚を組んでそう尋ねてきた。尋問のようだった。


「森喜 颯太郎です…」


「森喜?もしかしてここのオーナーさんと関係あったりする?」


「あ、はい。父はここの経営者です」


「へぇ、森喜さんの息子さんなんだ」


思ったよりもフレンドリーな接し方に緊張が緩むどころか、逆に結海の真意が見えにくくて身構えてしまう。ただ結海の口振りからすると、結海も父の広い交友関係の一人のようだ。つまり、今回の俺のやらかした事は父の顔に泥を塗るようなものだった。



「……本当に申し訳ありませんでした」


ここには居ない父にも謝罪するように俺は深く頭を下げた。


「クリーニング代はもちろん弁償させて頂きます…あと、その他にも汚れてしまったものがあれば…」


下げていた目線をチラリと結海の腕時計へ合わせた。けれど状態を確認するする前に「そのことだけどさ、」と結海の声に塞がれてしまった。


「クリーニング代もその他の物も、弁償しなくていいよ」


「え?」


「だって相当な金額になると思うよ。鞄とか時計も汚れたんだけど、正直一点ものだから弁償とかそういう事でもないし」



相当お怒りのようだった。淡々と話しているし表情も和やかなはずなのに、弁償の問題でもないと言われて仕舞えば、こちらが取り返しのつかない事をしてしまったんだと思うしかない。


「……あの、そういう訳にもいかなくて、せめてお支払いさせて下さい」


「支払うって、額が大変だと思うよ?そもそも時計動いてないし…直るのかなこれ」


「申し訳ありません…!!」


「だから弁償は大丈夫だって。別にお金で解決したいと思ってないから」


(じゃあどうすれば良いんだよ?!)


弁償しなくていいなんて本気で善意で言ってるようには思えず、むしろとんだ皮肉野郎だと思えてくる。一点物の時計なんて言われたら、余計に罪悪感が実るのに。



「弁償して欲しいなんて本気で思ってないんだけどな…」


結海がそう小さく呟くもますます固まる俺の表情を少し柔らげようとしたのか、「あのね、」と結海は困ったようにでも優しく告げる。


「普通は弁償してもらうのかもしれないんだけどさ、俺の場合、颯太郎君を見て違うこと思ったんだよね」


「違う?」


「うん。付き合ってみたいなって思って」


「は……?」

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