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「まもなく、お客様入られます!」
従業員の呼びかけにお店の中は一層緊張感が高まった。お客様をお迎えするため従業員が並ぶ列に慌てて俺も混ざる。
入って来たのはスーツを来た男性客達だった。挨拶の傍ら、ぞろぞろと入ってくる男性客の顔を一人一人確認してみる。どんなVIPが来るかと思ったけれど、有名人のような知っている顔もいなさそうだ。
一つ気づいた点と言えば、その誰もが一般的な会社員と言うよりも身体つきがしっかりとしていてスポーツマンの印象を受けるという事ぐらいだろうか。
そしてぞろぞろと入ってくるお客様の列の中、サングラスを掛けた長身の男が俺の前を通り過ぎる。やたらスタイルの良いその男性客は、1人スーツではなくカジュアルな格好をしていて思わず目に留まってしまう。それに一瞬のことでじっくりと顔を確認することは出来ないのに、これがVIPゲストなんだと関心するような惹きつけられるオーラを纏っていた。
彼は一体何者なんだろう。
いつもは表でお客さんの対応をするのだけれど、今日は限られた上の従業員だけで表に立つらしい。VIPが来るということも知らなかった俺は当然今日は裏に回され、なんとなく居心地が悪かった。このお店の経営者ご子息とは思えない現場の立場に、今日も落ち込む夜を過ごしそうだ。
洗い場の手伝いを淡々とこなしていると、突然誰かに肩に手を回される。ちらりとその主を確認すれば、何やら悪そうな笑顔を浮かべる龍樹の姿があった。
「で、どうだったよ?VIPさん達の顔ぶれは!」
「見たけど誰も分からなかったよ。ほとんど皆んなスーツって感じで、それ以外は何にも」
「マジで?じゃあ芸能人ってよりは何かの業界の集まりか…可愛い女優さんとか期待してたんだけどな…」
「あぁー、女性はいなかったかも。……あ、でも」
1人、カジュアルな格好で颯爽と目の前を通り過ぎた男性を思い出す。サングラス越しで素顔など分からなかったのに只ならぬオーラを放っていたその男性は、もしかすると芸能人かもしれない。落胆気味の龍樹に朗報を伝える気持ちで、もう一度話しかけようとしたその時だった。
「颯太郎さん!」
やってきたのは、表にいるはずの上の従業員のおじさん。額に少し汗を浮かべる姿は、何人ものVIPゲストをおもてなしする大変さを物語っている。
「今、表の人が足りないので、颯太郎さん表に出てくれますか!?」
「良いですけど…俺出ても大丈夫ですか?」
「ええ、お料理運ぶの手伝って頂くだけで大丈夫ですので」
自分の肩に回されていた手にポンとひと叩きされると、隣にいた龍樹が去ってしまう。どうやら一仕事頑張ってこいというメッセージらしい。
VIPゲストの個室に料理を持って入ると、上品な部屋の作りの中には何十人のお客さんで賑わう宴会のような空間が広がっていた。あからさまな酔っ払いは見受けられないけれど、開けられたお酒の匂いに酔いそうになる程、ここの男性客達は酒乱が多いようだ。
お客様にぶつからないよう慎重に料理を運んでいく。
奥の席に進んだ所には、見覚えのあるカジュアルな服装の男性客が頬杖をついて座っていた。今度はサングラスをかけていないその素顔を見た俺は、思わず心の中で「あ」と声が出る。
それは俳優の結海 薫だった。テレビ越しでも分かる圧倒的な存在感と綺麗な顔立ちはどんな俳優よりも洗練された個性を感じる。そしてその存在感を活かした演技はどんな役にも味をつける実力者で、まだ若いのにも関わらず日本を代表する役者だった。
(まさか本当に……結海…?)
現実とは思えなくて急に浮遊な世界に立たされたような感覚を覚えたけれど、目の前の男の瞳には確かに自分の姿がしっかり映っていた。
しかし次の瞬間、背中から押されるようにして俺は崩れた。
背後にいた盛り上がった集団の1人がよろけるように俺にぶつかってきたのだ。
そしてたっぷり乗せたお酒がキラキラと弾けるように宙へ舞う。
次の瞬間にはシャワーを浴びたような格好の結海が出来上がっていた。
「っっっっっ!!!!」
声にならない叫びとはこのこと。
「もももも申し訳あ、ありませんっっ!!」
そして一瞬の静寂の後、一斉に周りの連中は結海の方へ駆け寄り声を掛けだした。
あり得ないだの最悪だの俺への野次が次々と襲う。でも盛り上がって俺の背中におもいっきり当たってきた奴がいたからだ!必死に理由をぶつけるけれど、それは頭の中だけだ。こんな理由を話して通じると思うほど俺は馬鹿ではない。
騒ぎを駆けつけた他の従業員が結海と共にここを退室するまで、俺はとにかく頭を下げ続けるしかなかった。




