徳川劇場:教えてクソ親父!そもそも武士とは何なのか?ハッキリしない存在を考える。
実は未だに不明な存在
家康先生「一般的に武士とは『農民が武装した!』とか『源氏や平氏がトップ!』といった存在だと思っている人が多い。これは片面的真実でしか無い。藤原氏出身の武士として有名なのが伊達氏、上杉氏(長尾氏は平氏)、神主系として織田氏や諏訪氏(武田勝頼)などの一族がいるし、長宗我部氏や毛利氏は古からいる在地氏族(地方の有力者)、大内氏や高氏は渡来系、松平家も源流は加茂氏、他に言うと坂上田村麻呂の子孫は江戸時代に代官に任命されているので武士と言えるだろう。
こうして考えれば『平氏や源氏であることが武士の絶対条件ではない!』ことは容易に分かる。農民出身であることも武士の条件ではない。楠木正成は商人系武士、弁慶のような僧侶系もいるし、そもそも『源氏は皇族出身』で、平氏は在地領主、藤原は貴族だ!
織田家は平氏じゃないの?松平家は源氏じゃないの?という疑問が沸くが……実は平氏や源氏の人間が藤原氏を名乗ったり、平氏が源氏を源氏が平氏を名乗ることは珍しくなかった。養子による相続も一般的だし、結婚で婿入りしたり、血縁が出来て姓を変更することが可能だった。本人達が勝手にやる場合もあったが……朝廷や幕府から公認を得ることで変更をするのが一般的だった。←これらは現代と同じである。
姓と言うのは言わば所属している派閥を示す意味があり、派閥の変更は基本的に自由だったのである。ただし、変更前の家系図を残すのが当たり前であり、直系だと嘘を付くことは『また別の問題である。』が直系=血縁が繋がっているでは無いことも重要である。」
信康「クソ親父は知らんが(笑)俺は母方が今川貞世の直系子孫である瀬名氏の子孫なんだぜ!つまり足利氏の一門だと名乗っても誰も文句の付けようの無い超名門の生まれということを忘れるな!」
秀康「信康兄は名門の出で母親が俺を虐めた元凶だけど!俺をクソ親父と面会させて『俺の息子だ!』と認めさせてくれた恩人でもある。俺達兄弟は非常に仲が良かったということは言っておこう。」
秀忠「直系じゃないとダメ!となってしまうと天皇家も中々苦しい面があるし、姓は本来『家の名誉』を表すものであり、家の名誉を守るために養子をとることは認められていた。もちろん自家よりは対等か上位からではあるけどな……(秀吉は例外だが(笑)」
家康先生「坂東武士という言葉があり、武蔵七党(東京都&埼玉)が武士の起源の一つだと言われている。武蔵国と言うと埼玉だと勘違いしている人が多いが……武蔵国の国府は東京都府中市で鎌倉幕府の武蔵国支配の拠点も府中市にあった。つまり東京都と埼玉県は元々同じ国なので戦艦武蔵は戦艦東京という意味も含まれている。
話が脱線したが(笑)一般的に平氏が関西、源氏が関東だと思っている人が多いが……平氏は元々関東出身である。だから北条執権家は伊豆の領主であり平氏なのである。相模国、武蔵国、上総&下総国なども平氏勢力が強かった。源氏は複数いるが一番凄いのは河内源氏の清和源氏勢力だが……河内は現在の大阪府なので言うまでも無く源氏は関西出身の一族である。
平氏は中央に進出するにつれて海洋貿易利権を握りだした。平清盛を出した伊勢平氏が代表格で平氏勢力は次第に福原(神戸)や広島(安芸国)や博多(福岡県)を支配して西国に勢力圏を広げたのである。
対する源氏は平氏の牙城だった関東を包囲する形で反平氏勢力を糾合していくことになる。代表的な支配地域として尾張、三河、北陸圏、甲信越、北関東、東北などである。
特に北関東&東北に対しては八幡義家&新羅義光兄弟の頑張りにより大きな勢力拡大に成功した、八幡義家の子孫が源頼朝、新田義貞、足利尊氏などである。新羅義光系には武田信玄、佐竹義重、南部利直などがいた。」
信康「今川家は足利家の分家で一門衆なので義家系列になる。ちなみに足利家が源氏の超名門な理由は鎌倉時代に幕府から『源氏一門の筆頭』として指名されて北条執権家と血縁関係があったからである。」
秀康「新田は源頼朝と並ぶ名門だったせいで頼朝から迫害された為に出世が思うように行かずにいたから足利家より下扱いになった。それでも足利家とは強固な血縁関係にいたので超名門であることに変わりはない。」
秀忠「新田義貞の出身を疑う説があるが……一次資料の『太平記』では明確に疑う余地のない名門出身として描かれている。無位無官だった!からと言う理由があるが関東で挙兵すると他の新田一族の岩松氏を始めとした義貞より偉い立場にいた一門衆が義貞の指揮下に入っているので義貞が新田氏のトップだったのも疑う余地が無いんだ。」
家康先生「源氏と平氏の話になったが……先ほど言ったように武士の条件に明確なものは無い!ということは理解してもらえたと思う。ただし、宗教的な同一性は生まれていく、それには理由があって平安仏教までの宗教は貴族的で『殺生を嫌っていたからである。』言うまでも無いが武士は『殺人を生業にする職業』である。殺人を生業にしている以上は『天国に行けない』ということになりかねなかった。
この問題を解決するために鎌倉仏教と言う宗教が生まれたのである。また、仏教信仰が一般庶民にも信仰が広がったので鎌倉仏教は庶民的な宗教という側面も手に入れていった。要するに『天国に行ける可能性が広かったのである。』
庶民もそうだが……綺麗ごとだけ言って生きていける貴族階級と違って武士や庶民は『時には汚い』こともしなければならなかった。また貴族達は生まれた時からの『行いで天国に行ける』と信じていたが……これも庶民受けが悪かった。『生まれた時の境遇が悪かったらどうするんじゃい!』という訳である。『我慢』とか『忍耐』という言葉も受けが悪かった。というのも庶民は常に『生きるために必死』なので『即時性』があった方が嬉しかったからである。(現世利益信仰)
武士層は『我慢』や『忍耐』よりも『厳しい修行』や『鍛錬』の方が好ましがっていたので必然的に禅宗が武士層のスタンダードな宗教になっていった。」
※浄土宗及び法華宗は鎌倉後期以降から登場した。浄土真宗は鎌倉時代は超ローカル宗教だった。鎌倉仏教と言いながら、この三宗派は室町時代に主に広がった宗教である。逆に『踊念仏』で知られる時宗は鎌倉時代前期は他を圧倒したが……鎌倉後期には見る影も無いほど衰退したりしていた。
信康「禅宗がスタンダード!スタンダード!と騒ぐと浄土宗を信仰する徳川家には不都合すぎるので禅宗がスタンダードとは認めたくないものだな……」
秀康「正直現代は新興宗教を含めても浄土宗、浄土真宗、法華宗が強いから……この辺を強く主張すことはあまりなかったりする。」
秀忠「貴族的か武士的かの違いは日本史において非常に重要だが……この辺を詳しく解説する学者は少ない。」
家康先生「新渡戸稲造が著作『武士道』で説明した武士道は江戸時代に完成したものなので……江戸時代以前の武士の基本精神とはかけ離れていることは忘れてはいけない。あくまでも武士は『人殺しを生業』とする職業のことである。『人を殺してこそ!武士だ!!』という概念は意外にも江戸時代でも強く存在し続けており、幕末の動乱期の血生臭い事件も基本が『人殺し』というイデオロギー(思想)から来ているものである。(新渡戸稲造は武士を美化した最初の日本人とも言える。)
実際のところ武士層は貴族に代わるニューリーダー層だった。貴族との違いは明白で武士層は『戦闘に特化』していて『領地の揉め事の仲裁』と『御恩と奉公』に基づく上下関係を中心とした存在だった。
総じて貴族層を忌避しており、貴族層のような煌びやかだったり華やかな姿を嫌う傾向があった。『先頭に立つ』ことを好んでおり、『恥をかくことを最大の悪』と考えていた。」
信康「鎌倉時代の武士には『足軽』が含まれていない。総じて質素で『権力に媚びるのを嫌っていた』感じがする。時代が室町に近づくと武士層も貴族に似てくるが……それでも『戦』を生業とするという点では貴族と一線を隔していたよな!」
秀康「武士を語るのは難しいよな……西洋の騎士とは違い、単なる戦争のためだけの存在だったわけではない。統治者としての側面も持っていたし、教養を身に着けていて学者や芸術方面で活躍した人も多い、だが本質は戦争のための道具であることは変わらない。」
秀忠「結局のところライフリングの登場と共に騎士が消えたように……武士もまた消えたと言う意味では似ているが……武士は騎士のような綺麗な存在では無いし、庶民を虐げるだけの存在だったわけではない。西洋の制度になる過程で武士文化が西洋文化に負けてしまったことが武士消滅の原因かもしれない。」
家康先生「武士文化は日本軍に吸収されていたし、日清日露戦争を実際に指揮していたのは紛れもない武士達だった。指導者層も伊藤博文、木戸孝允、山縣有朋、山本権兵衛も江戸時代に生きていた本当の武士だった。皮肉を言えば本当の武士だった人々が消えていったから負けたとも言える。実際問題として太平洋戦争時の軍指導部で日露戦争を経験した人で現役と言えるのは山本五十六が日本海海戦でギリギリ巡洋艦『日進』で参加していたというレベルだった。月日と言うのは過ぎ去るのが速いのである。
『桶狭間の戦い』と聞くと現代と関係無いだろ!と言う人がいるかもしれないが……実は桶狭間の戦いが奇襲だったか奇襲じゃない!の論争の理由に旧日本軍の軍事教科書で『桶狭間の戦い』が奇襲の手本として乗っていたせいである。そう聞くと不思議に思う方がいると思う。私も不思議である。(笑)
要するに左翼の連中が言うには……旧軍は『桶狭間の戦い』に『対する認識が間違っていたから太平洋戦争で日本は負けたんだ!』とかいう理由付けなのである。なので戦国時代に二転三転している戦の話は旧日本軍の教科書に載っていた戦いだからなのである。(笑)
全く迷惑な話で!歴史を正しく理解する!とかほざいている学者ほど……実は戦国時代と関係無い!旧日本軍に対する批判で歴史を見ているのである。最近は右翼も歴史に対してウルさい傾向が強まっており、明智光秀や後醍醐天皇が見直されているのも露骨な歴史の私的利用なのである。
武士がハッキリしないのも右翼左翼双方が納得できる解釈が存在しないから!とも言える。こんなふざけた争いをしているから日本史には曖昧な存在が溢れかえっているのである。」
右翼とか左翼て必要ないよね!ポイしようね~




