徳川劇場:教えてクソ親父!何で天皇家(朝廷)てクソ雑魚なの?
疑問に思いませんか?
家康先生「天皇家(朝廷)は最初からクソ雑魚だったわけではない!初代天皇の一人として挙げられる天武天皇は『戦場に甲冑を着て戦っていた!』とされているので天皇といえど戦っていた。やはり初代天皇として挙げられる応神天皇の母であり日本有数の信仰を集める神功皇后は『身籠りながら戦場に出た!』という逸話がある。聖徳太子も戦場に出ていたと言われている。そして何よりも好戦的な天皇にして『鎌倉幕府を打倒した!』後醍醐天皇がいたりした。」
信康「後醍醐天皇は自力というよりは他人の力を借りてだからな……」
秀康「天皇て初代多すぎない?実在が不確かな天皇が多く、応神が本当の初代説が存在するし、そもそも天皇を最初に名乗ったのは天武天皇が最初だと言われていたりするし……」
秀忠「それを言ったら徳川家も前身の松平家は怪しさが漂ってるしな……」
家康先生「確かに後醍醐天皇に関して言えば……『他力本願的要素が強かった!』という特徴がある。これは天皇には『警護の兵士はいても軍隊はいなかったからである。』そう!今回の議題は正に天皇家が何時から軍隊を持たなくなったのか?という疑問を考えるのである。」
信康「面倒で汚い仕事は武士に丸投げになっていったからじゃね?」
秀康「武士の台頭を見ていくと他人にばかり頼ってたら、いつの間にか何も出来ない連中が力を失っていくのは自明の理かと……」
秀忠「クーデターを恐れて怖い怖いなんだろう!」
家康先生「日本の首都は平安京までに30回以上遷都している。平安時代までに起きたクーデターの数は丁未の乱、大化の改新、壬申の乱などなど多数起きている。日本史の教科書を見ていると古墳時代、飛鳥時代、奈良時代、平安時代とあるが……この間、一貫した相続制度で権力者達が日本を支配していたかのように読み取れてしまう。しかし、実際は大きな争いだけでも物部氏VS蘇我氏(丁未の乱)、蘇我氏VS中臣氏(大化の改新)、天智朝VS天武朝(壬申の乱)があるのである。複雑なのは物部氏VS蘇我氏では蘇我氏が勝ったが……その後、物部氏側だった中臣氏が大化の改新で蘇我氏を倒しているという事実である。天智朝VS天武朝は天武朝が勝利するが……後に天智天皇の子孫が平安京を創り現代の皇統へと繋がったのである。
日本史は意外と天皇制を巡る争いが激しかったようである。平安時代でさえ親政、摂関、院政、源平時代と混乱が見て取れるのである。」
信康「皇統の争いって激しかった割に日本史の教科書や学者の本で積極的に取り上げている話題じゃないのは可笑しいと思う……」
秀康「日本史て世界史に比べて平坦なイメージが強いが……全体的に争っていた時代が多いし大鏡、吾妻鏡、平家物語、太平記、架空だが源氏物語など結構内部で泥沼な権力争いがあったことを示唆する内容を暴露している本が多いのに現代の歴史学は内部の権力争いを正確には描かないよな!」
秀忠「政治上の意図とか宗教や皇統の争いを解説するのが日本史は不得意だよな……その割に右翼思想や左翼思想が入り込んでいるせいで意味不明だったりと……他人の国に対しては辛辣な癖に自国に関しては平坦だったかのように演出しようとする意図が垣間見える。」
家康先生「平安時代は長いが!前半時代には強大な軍隊を天皇が指揮していたことは確実である藤原仲麻呂の乱を天皇側が鎮圧したり、坂上田村麻呂が『蝦夷を討伐』したりするなど朝廷の軍隊がいたことは確実だからである。もしくは『万葉集』にある防人の歌が乗せられたりしているので中央集権的な軍隊がいたのである。」
信康「藤原京辺りから世界的にも巨大な首都を建造するなど強力な王朝だったことを伺わせる遺構が多かったりと日本の朝廷の権力が大きかったことを示唆している。」
秀康「藤原氏も絶対的な権力を握る前に何度か栄枯盛衰を繰り返しているよな!この辺の権力争いは日本史で一番重要なのに日本史の学者で積極的に研究している奴が少ない、戦国時代の中でも一部の物事だけ研究テーマにして争っているイメージが強いのは何とかして欲しいモノである。」
秀忠「徳川家の前身の松平家の研究も少ないし、大久保長安や大久保忠隣という日本史に影響を与えた重要人物の研究が捨て置かれている。その割に明智光秀、武田信玄辺りが今だに二転三転しているほど研究熱心だよな……俺のことに関する研究も少なくない?俺を誰だと思ってるんだ?」
家康先生「朝廷に強力な常備軍が存在し続けたのであれば……傭兵要素の強かった武士階級が登場することは無かったはずである。しかし、ある時点から朝廷から強力な軍隊が消えていったのである。幾つか理由として候補を挙げるとしたら1、平和が長すぎて平和ボケして軍備縮小した。2、政治思想上の理由で軍隊が消えた。3、クーデターや内乱を恐れて軍隊を縮小した。4、中央権力が弱くなったせいで地方勢力が中央を上回った。5、藤原氏が私兵を増やして天皇家の軍隊を減らしまくった。などになると思われるが何れも単独では根拠としては薄い面があるので複合的な要素が強い……
というのも平安時代は長い平和だったという割には争いが頻発していた。政治思想だけで軍隊を減らしまくるのも可笑しいし、クーデターや内乱を恐れているなら軍隊を減らすのは合理的ではない、中央権力が弱くなったと言う割には朝廷は強い影響力を維持し続けていた。地方勢力は何度も負けているし、藤原氏が強すぎたら武士が藤原氏を上回ることが出来たはずが無い。
世界史から似ている現象を探すとした……ローマ帝国や唐王朝辺りが参考になる。ローマ帝国は豊かになるにつれて貧富の差が激しくなって中産階級が消えていった。中産階級を復活させようとしたのがグラックス兄弟だったが兄弟は暗殺されて失敗した。その後、大マリウスが職業軍人制度を作るが市民権によって何不自由なく暮らせるようになると傭兵制度に移行した。唐王朝も同じような歩みの末に強大な権限を節度使に与えた結果『安史の乱』を起こさせてしまう。
もしくは中世のヨーロッパが領地持ちの貴族が台頭してきていて王様が強力な軍隊を持たなくなっていたのと似ているのかもしれない。もしくは天皇がローマ教皇化したとも言えるが……」
信康「真実は分かり難いが……平安時代に天皇が絶対的存在だったら親政→摂関→院政→平氏政権→源氏政権に移行するはず無いし……このように移行した以上は現代の我々が思う以上に天皇は不安定な存在だったのかもな……」
秀康「ローマ教皇も何度も憤死したり、フランスやドイツから攻撃されて苦しめられているし、大シスマ(教会大分裂)なんて起きているし……それでも現代まで尊い存在なので天皇も似たようなもんかもしれない。」
秀忠「天皇も何度も分裂している。壬申の乱や南北朝が一番有名だが……それ以前にも二院制とよばれる交代制だった時点でお察しである。」
家康先生「鎌倉幕府滅亡の原因は元寇では無い!元寇が1274年なのに対して鎌倉幕府滅亡は1333年だからである。これが正解なら『明』が滅亡する原因は日本のせいと言うことになる。だが実際は70年ほど離れている。(第二次~2020年くらい)
では鎌倉幕府の滅亡は何が切っ掛けかと言うと大覚寺統と持明院統の争いで幕府が「争わずに慣例通り順番で交代したら?」と言ったら後醍醐天皇に反乱されて滅んだのである。」
信康「そう考えると日本史て『いろいろ』誤魔化しているよな……触れてはいるけど……ピントをズラしてワザと焦点を合わせないようにしている。だからモヤモヤが解消され難い。」
秀康「『元』の後が『明』だから……『元』は1274年~1368年に大都(北京)を放棄するまで『中国の王朝』(征服王朝)だった。鎌倉幕府の方が先に滅んでいるんだな……」
秀忠「そう考えると日本と中国て断絶期間相当長いですよね。朝鮮は100年以上モンゴルに支配されていましたし……」
家康先生「承久の乱で負けたので天皇家が幕府に一方的に屈服したというよりは天皇家内部の権力争いのせいで鎌倉幕府が『代わりに天下を統治していた』という風に考える方が妥当かもしれない。そのような危うさだったから足利家の将軍は京都に常駐しなければならず……結果としてお膝元の京都を巡って『天皇家の争い』から『足利家VS天皇家の争いへ』と発展(変化)していくことになるのである。
足利家は足利家なりに日本史を勉強した結果として平和維持の為に京都支配をしたが……それが権力争いの絶えない安定しない状況を作り出す温床となったのである。戦国時代が起きた原因は足利家だけの問題では無かったのである。」
信康「足利家の京都支配の象徴と言えば京都五山・金閣寺(臨済宗)・日本国国王だよな!」
秀康「自分の住んでいる地域くらいは支配したいという欲求が天皇家にもあったし、もちろん足利家にもあった。そのせいでお互いマウントの取り合いになっていたとも言えるな……」
秀忠「そういうの面倒くさいよな……だから江戸時代は公家達に山城国くらいは支配させてたんだよな……考えるだけで面倒だ!」
家康先生「戦国時代に入り、信長時代くらいまでくると……天皇家は自前で御所の修理代金も天皇就任式代も葬儀代も伊勢神宮建て替え費も払えなくなっていた。公家達は文字が書けることを利用して代筆や家系図の販売、書物の複写という副業で稼ぐしかなくなり、京都より豊かな山口に逃げたり、あるいは武田信玄に娘を嫁がせたりするなどしたように地方の大名に取り入るようになったのである。
そんな情けない状態の中で織田家は信秀時代から資金面の工面をしていたのである。そう考えると織田家は尊皇な家柄と言える。天皇家の衰退を阻止し、現代まで天皇制が維持されるように頑張ったのは信長と言えるのに……
話がズレていったが……結論を言うと天皇家に対して対抗する勢力が勝利したと言うよりも天皇家自体が内部争いが激しく、外部の勢力に頼ったので他人に依存する体質になってしまった!と言うほうが正しいのかもしれない。」
天皇家も結構アグレッシブなことをしています。(意味深)




