徳川劇場:教えてクソ親父!教科書が教えない!!日本の宗教が世界でも不思議な理由編
宗教は政治の直接結びついてるから難しい話題である。
家康先生「日本の宗教観は世界でも非常に特異なものとなっている。基礎が神道で土台が仏教、柱が儒教で壁が道教で外壁がキリスト教、室内には多種多様な宗教が混ざり合っているというのが日本である。この例えでも不十分なほど日本の宗教観は様々な宗教が混ざり合い補完しあう独特な思想となっている。最初に神道から始めたいが……そもそも神道は明治になってから明治政府によって創作された宗教であって日本の歴史の始まりにあった古代宗教を神道と表現するのは適切ではない。こじつける行為は右翼的とも言えるので本文では他宗教を説明しながら他宗教に無いものイコール日本独自の宗教観と定義づけることにする。」
信康「クソ親父を祀ってる日光東照宮でさえ明治以前は天台宗の輪王寺とワンセットとして切っても切り離せられない関係だったからな……」
秀康「日本各地の有名な神社のすぐそばに寺があるのは別々の存在として共存していたのではなく、同じ同一の個体として合体していた時代(神仏習合)があったことを表している。」
秀忠「ちなみに神社を管理して守っていたのは寺の方で……寺の方が神社より上位という考え方が明治以前の日本の宗教観として最もポピュラーだった。」
家康先生「残念ながら……日本独自の宗教である神道を強調すると右翼的な要素が強まる傾向がある。何もコレは明治になってからの事ではない。天皇家出身の聖徳太子が仏教を日本に本格的に導入した時に仏教導入を反対した物部氏が日本史における右翼とも言えるからである。物部氏の宗家は戦争に敗れて衰退したが分家筋は現在でも日本の重要な有力者として存続しており、子孫がいるという事実も忘れないようにしたい。故に物部氏批判はタブーな面が強かったりするのである。」
信康「子孫がいる!これ重要!!」
秀康「日本は敗れた敵の子孫を根絶やしにすることは少ないので……子孫が生きてるパターン多いんだよな!」
秀忠「子孫が生きてて有力者だと日本史での歴史学者の批判が少ない!なんていうのは良くあるパターン、子孫が強いと名誉回復どころか気づいたら必要以上に功績が上積みされているなんて日常茶飯事だったりする。」
家康先生「右翼は宗教観にウルさい、左翼は歴史認識にウルさい傾向がある。どちらも日本史に与えている悪影響は甚大なので困りものである。さて、話を本題に戻すことにする。」
家康先生「やはり日本の宗教で最も影響を与えたのは仏教だと言っても間違いはないだろう!正信のところで仏教伝来のルートについては話があったのでワシは日本に伝わった仏教の特徴について話をしよう!!」
家康先生「仏教伝来のルートの話で何故中国を通らないルートが無いのか疑問に思うものがいると思うが……その理由は非常に重要である。何も中国が凄いからではない!そもそも中国の仏教はチベットから入ってきていたことが確定している。何故ならチベット仏教こそが大乗仏教の祖だからである。これは東南アジアの上座部仏教とは全く違うものである。だが日本仏教とチベット仏教も違いが大きいのである。何故ならば日本仏教には現世利益信仰が+されているからである。この現世利益信仰こそが日本と中国の共通点である。また日本仏教は道教や儒教の影響も受けており、いずれにしても中国を経由しないことには無い特徴があるため中国を経由しないと日本仏教は成り立たないのである。」
信康「現世利益信仰て何だ?」
秀康「俗物的と言うことか?」
秀忠「何だか……腹立ちますね!」
家康先生「現世利益信仰を簡単に説明すると!「お守り欲しいな!」「お札欲しいな!」「煙吸わないと!」「願いを祈らないと!」「絵馬に願いを書かないと!」というように(笑)参拝するたびに現世(現実世界)で何かしらの利益がもたらされると信じている信仰の事である。特にこの傾向は日本が一番強いと断言できるだろう。現代の中国でも見ることが出来たりする。西洋でも見られるが西洋では『神への信仰』の『証』(聖書)としてのモノや『来世利益』を求めるための『切り札』(免罪符)としてモノを求めることはあっても現世利益を求めるのは珍しい。イスラム教は『偶像崇拝禁止』なのでモノに信仰が宿ると言う思想は弱いし、異端と言える面が強いのでタブーである。」
※ただしメッカの中央にある神殿には黒い石があり、それに向けて祈ったりはしている。『石像や似顔絵』は禁止だが『模様や文字』は禁止されていない。なので模様や文字に対しては非常に文化が発展した。建物や地形に対して祈ったりはしている。余談だが古代ギリシャやローマの傑作と言われる文学や学問書が現代に存在しているのはイスラム世界で『大切に保管』されていたからである。これをルネサンス時代にヨーロッパがイスラム世界から輸入したことでヨーロッパの政治思想や文化が発達したのである。つまり皮肉なことに今日の『日本人が崇める西洋文化は!』『イスラム世界の功績』と言える面がある。
家康先生「話に中国が良く出てくるが……中国と言うと語弊がある!正確には三国時代から唐王朝の時代である。この時代の!(強調)中国では仏教が全盛だった。というのが正しい表現で、『西遊記』の玄奘三蔵も唐時代の人であり、このあと衰退することになるが正しい表現と言える。今は大勢ある宗教の一つにしか過ぎないレベルにまで落ちた。だから中国にある当時の仏教の建造物で現存している物は少なく、だいたいが現代まで忘れ去られていたりするくらい栄枯盛衰が激しかった。」
家康先生「これらは220年~907年までの時代である。日本で言うと『卑弥呼の時代』~『平安時代中期初期』までという長い間の話になる。日本の宗教の中心的存在となる『最澄と空海』の時代も含まれている。」
家康先生「ところで?卑弥呼という名前は可笑しいと思わないだろうか?中国の連中は中華思想の影響で自分達以外の人々、つまり異民族や他国を馬鹿にするために外国人の名前に当て字を付けていたことは有名である。良い例がチンギスハンのハンを汗としていた点である。中国では『汗をかく』行為は負け犬の行為として馬鹿にされていたのでチンギスハンの一族への侮蔑を含んでいるのである。なので現代ではハンと書いて記述するのが一般的である。」
信康「犬戎、匈奴、朝鮮とか倭以外でも侮蔑的な文字が使われているよな……」
秀康「卑弥呼も良く考えれば酷い文字の羅列でしかない」
秀忠「中国から見た名前なんだな……」
家康先生「日本側の発音を中国側が聞いたうえで当て字が付けられたと考えられているので!実際の文字は『日(火)巫女』だったと考えられる。つまり日本の最高神であるアマテラス(天照)の原型イコール日巫女なのである。実際卑弥呼の伝説とアマテラスの伝説はリンクしている点が多いので卑弥呼が日本で最も重要な存在の一人であることは間違いないと言えるのである。」
信康「日本史て実は最重要歴史人物に女性が多いよな!」
秀康「室町時代までは女性の指導者イコール正義という感じが強いですしね!」
秀忠「室町以降はクソな感じになってるがな……」
家康先生「ここで疑問なのが……現在の中国語は日本が学んだ時代の中国語なのか?という問題である。漢字には『訓読み』と『音読み』があるが訓読みが『日本古来の読み方』で音読みが『中国本来の読み方』と言われているが……現代の中国人の発音を聞いていると音読みの通りに発音しているとは考えられ難い……また日本人が中国語を学ぶために開発された漢文も現代の中国語とは違う面が目立つ……」
家康先生「文法面も現在の中国語は西洋のアルファベット系の言語に似ている面が目立つ!これは征服王朝であるモンゴルの元が色目人(白人)を中国支配に利用し、アルファベット系の文字を導入したことによる影響では無いのかと考えられるのである。日本は唐の時代までは中国と盛んに国交を結んでいたが……唐末期以降は中国と疎遠になり、文化面での自立が高まるのである。つまり断絶する期間が長くなるわけだが……この間に中国では歴史的な変革が頻発していたことが大きいと思えるのである。」
信康「仏教も唐が終焉すると衰退した。日本にある仏教は元々中国から来たが……中国仏教はローカル宗教へと落ちたのに対して日本は仏教全盛が続くことになる。日本と中国の文化の違いが大きく見えるのは日本が中国に合わせても『中国側の変化が激し過ぎた』という面もある気がするぞ!」
秀康「江戸時代の鎖国政策のせいで日本側が中国を避けたように考えている人が多いが……鎖国政策そのものが中国の影響で始めたものなので……中国を避けたというよりは中国を真似たが正しいんだよな!」
秀忠「クソ親父は自分が鎖国政策を始めたわけではない!と言っているが……鎖国政策の元となる儒教の朱子学を積極的に導入したのはクソ親父なんだ!」
家康先生「江戸時代初期の時代は未だにイギリスやフランスで内戦が起きていた時代であり、商人然としたオランダやポルトガルの時代である。スペインは『信長の時代が全盛期』で関ヶ原の戦い(1600年)の直前にイギリスのエリザベス一世にアルマダの海戦(1588年)で敗北して衰退ルートに入った時代だった。ここから半世紀ほどはオランダの時代でイギリスのクロムウェル(イギリス唯一の共和制)の時代に英蘭戦争(1652年)、フランスブルボン王朝全盛期の太陽王ルイ14世の親政が1661年である。中国では偉大なる明王朝が1644年に清のホンタイジに滅ぼされた時代となった。実は世界情勢が大混乱な時代に日本は『長い平和を享受する』ことが出来ていたことになる。」
信康「世界史と比較すると日本の進み具合が良く分かるな!特に西洋と比べて負けていた訳ではないことが分かる。」
秀康「国土面積でも日本はイギリスやフランスより大きかったしな!人口で比べてもルイ14世時代のフランスよりも多かった、資源面だと金と銀が世界経済に影響を与えるほど豊富に採掘されていた。(日本銀)負けている部分が少ないんだなぁ……」
秀忠「金山や銀山は幕府が直接支配していた。大阪という経済センターも有していて。江戸はヨーロッパには存在しない100万都市という巨大都市に成長していくからな……」
家康先生「話が江戸時代まで進んでしまったが……要するに日本が手本として比較できるレベルの国が世界には少なかったのも原因だと言うことである。正信の方で語られていたが……『王侯将相いずくんぞ種あらんや!!』は『人は皆生まれながらにして平等である!』と同義語である。この二つが似ているのは偶然ではない!どう考えても中国の思想がヨーロッパに入ったことによる影響なのである。後に西洋人は西洋至上主義に奢れた結果として忘れただけなのである。フランス革命は1789年なので私達の時代である1600年前後の時代ではヨーロッパが世界の中心とは言えなかったのである。」
信康「ドイツやイタリヤは1789年の時には存在せず、どちらもプロイセン王国とサルデーニャ王国という地方国家(大名)だったしな!」
秀康「植民地は多く持っていたけどw産業革命は私達の時代から100年ほど後になる。火薬や大砲は中国で発明されていたし、何よりも産業革命の前提条件であるマニファクチュア(前工業化)は日本も西洋に負けないスピードで実現している。」
秀忠「火縄銃の進化系であり、世界征服の強力な武器となったライフリングも1700年代後半からなので関ヶ原から100年以上後も未来の話だしな……」
家康先生「話を日本の宗教に戻すと!大乗仏教は中国から来たということである。しかし、近年の研究では上座部仏教(東南アジア系)も大乗よりも早く伝わっていたという研究結果も出てきている。また、中国から伝わった時期も以前より早いという意見も出ており、日本政府(大和朝廷)が正式に仏教を採用するよりも民間で布教されていたスピードの方が速かったようである。」
家康先生「中国から伝わったモノを単にコピーした訳ではない、中国から伝わったモノの中には儒教の『天命思想』が入っていたが……天命思想は『神の子孫』による統治を否定するものだったので日本では排除された。聖徳太子が創った仏教である南都六宗(奈良仏教)は『日本古来の神の化身』が『仏』という主張を前面に押し出しており、後の平安仏教が『仏』の化身が『日本古来の神』という思想と異なっている。」
家康先生「日本は中国の思想を都合の良いように選択して排除していたのである。この選別主義的な他思想を受容する考え方は後に西洋文明に対しても発揮され、文明開化と言う形で花開くのである。つまり、日本は中国の良い部分だけを意図的に見ており、悪い部分はワザと排除して受け入れることが大好きだったのである。悪い部分はポイしていたのである。」
家康先生「つまり、日本の宗教が他国と違うのは……日本が『自国に会わない思想は選別して排除』していたことが第一の理由である。第二に中国の良い部分を吸収していたが『いつの間にか中国が変化』した結果、いつの間にか日本オリジナルになっていた!という不思議な現象が起きていたのである。そのせいで日本人は「中国から伝わってきた大事な教えなのです!」と言うと中国人は「えっ!そんな教えが存在したのか!?」と驚くという出来事が起きるのである。実際に中国で失われた経典や書物が日本で『大切に保存されていた!』なんて出来事が良く起きていたりする。」
家康先生「このように考えると日本のオリジナリティーは中国の影響を受けているが中国の側が変化しても日本は変化しなかったり、昔のモノが保存された結果として残された遺物という部分もあるのである。」
家康先生「また、戦国時代に流行った中国伝来の茶器も当時の中国で流行っていた『色鮮やかな美しい陶磁器』では無く、『ワビさび』などという独自のモノなのは……日本人が中国人とは違う美的感覚を持っており、中国人の好みと違ったことの証拠とも言えるのである。この辺にも日本と中国の違いが大きく表れていると言える。なので日本人の言うところの中国文明は常に『日本人が観たい中国文明』であり、汚い部分は意図的に排除するのが日本人は大好きなのである。これが日本の宗教の独自性であり、不思議さの原因だと言えるであろう。」
日本は中国の影響を昔から受けているが昔から中国の中華思想は存在した。日本人は中国文明の良い部分だけを見て学び、悪い部分は学ぶことを辞めてきたのである。




