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徳川劇場:教えてクソ親父!東照大権現と徳川三兄弟が討論する本多正信と榊原康政の関係

今回から趣向を変えて戦国時代の主人公(笑)であり、現在も日本国の神であらせられる東照大権現である徳川家康公と愉快な息子達が繰り広げるバトル話となります。

家康先生「今現在でも神様で毎年日本国民が参拝しに必死に山登りしてくるほどのカリスマ性を持っているのは凄いと思うのだ!」


兄信康「黙れ!クソ親父!!」

次秀康「そうだ!そうだ!」

弟秀忠「お前なんか神にしたつもり無いぞ!!永遠に久能山で眠ってろ!!」


家康先生「何という親不孝者どもだ!神の天罰を食らわせてやるぞ!!」


徳川兄弟「望むところだ!!」


家康先生「東照大権現パーンチ!!」


兄信康「うわあああああ!」


家康先生「東照大権現キッーク!」


次秀康「なぜだああああああ!」


家康先生「東照大権現チョップ」


弟秀忠「何ということだ!」


家康先生「思い知ったか!お前らなど私の敵ではないのだ!!パンチやキックやチョップを避けれない程度の小童風情が神に勝てるわけがなかろう!!!」


徳川兄弟「ぐぬぬ」


家康先生「ところで私を神にしたのは秀忠では無いのか?」


弟秀忠「バーカ!お前なんか死んでも神になんかしないぞ!!神にしたのは不詳の息子家光だ!!!」

兄信康「嘆かわしい!」

次秀康「何も知らない奴はいいな!」


家康先生「ぐぬぬ、お前たち!どこまで親を馬鹿にしたら気が済むんだ!!少しは親を敬え!!!」


兄信康「私見殺されました!」

次秀康「生まれた時から虐められてました!」

弟秀忠「常に傀儡として日陰に追いやられてました!」


家康先生「……」


徳川兄弟「恨みを語りだしたら止まらないぞ!」


家康先生「確かに……酷いことをしたかもしれないが……立派に育てただろ?」


徳川兄弟「( ゜Д゜)ハァ?」


家康先生「まぁいい……今回の議題に入ろうではないか!」


兄信康「逃げたぞ!」

次秀康「十八番の逃げ病か!」

弟秀忠「タヌキ親父め!」


家康先生「本多正信と榊原康政は仲が悪かった!という『最終的な結論』を『最初からそうだった!』と歪曲しているのが現在の日本の稚拙な歴史家の認識だが……この二人が最初から仲が悪かったという証拠は無いし、二人が具体的に何が原因で仲が悪くなったのか?については第一級資料では確認できない。さらに言うと二人の仲悪いエピソードは後世の創作的な意味合いが強いと言える。実際に三河物語の作者である大久保忠教は正信は『大久保家に恩があり、大久保家を権力争いで排除するはずが無い!』と書いている。これは嫌味のようにも受け取れるが……実は額面通りに受け取った方が史実の関係上、極めて筋が通っている面があることを忘れてはいけない。」


兄信康「他人事のように言っているが中心にはクソ親父がいたんだろ!」

次秀康「どう考えても一番真実を知っているのはクソ親父殿だろ!」

弟秀忠「クソ親父が黒幕に違いない!」


家康先生「確かにそれもあるかもしれない……しかし、実は二人の仲を改善しようとワシは努力していたのだ!康政のエピソードにワシが水戸の領地を与えようとしたというエピソードがある。「老臣権を争うは亡国の兆しなり」は当時既にワシより年上の正信への嫌味だった。つまり、この時にはエサで釣っても釣れないほど修復出来ない対立が生まれていたことになる。でだ!逆説的に言えば、それ以前はエサで康政を釣ることが出来た事例があったということになるとは考えられんか?というのも実は康政は以前に老中に抜擢されていたのは明らかにエサだったと言えるのではないか?つまり二人(正信と康政)は元々対立することはあったが……ワシの努力で二人は協力していた!と考える方が実は論理的だと思わないか?」


※wikiでは正信と忠隣を次世代と言っているが……正信は康政より10年上だった。忠隣は5歳年下でしかない。


兄信康「その努力を息子達に対してもするべきだったのでは?」

秀康「兄上の言う通りだ!」

弟秀忠「そうだ!そうだ!」


家康先生「二人の仲が悪かったというエピソードは実は根拠が薄い。そもそも正信の息子の正純が『奢れ』たせいで後に粛清されたこともあって『正純への批判』を込めて高潔な本多正信像を汚す意味で二人の仲悪い説が作られたとも言えるからである。むしろ、二人は本多忠勝や大久保忠世を通して繋がりが強かった。バカ秀忠が第二次上田合戦で失態を演じた時も康政と正信は仲良く一緒だったし、今回の話で重要なエピソードとなる『宇喜多騒動』時も一緒に仕事をしていた。江戸時代が始まると仲良く老中をしてもいたのである。そう考えると仲が悪いと言われる割には接点が多かったとも言える。」


兄信康「正信先生の息子の正純を粛清したのはクソ親父か?」

秀康「ひどすぎるぞ!」

弟秀忠「……」


家康先生「いや、そこにいるバカ秀忠ぞ!」


信康&秀康「?!」


秀忠「俺は悪く無いぞ!あいつが悪いのだ!!」


家康先生「マブダチの正信の子孫を私が粛清するわけが無かろう!私は寛大で功臣には厚く恩を返したのだ!!((`・∀・´)エッヘン!!」


兄信康「俺を見殺しにしておいてよく言うものだな!」

次秀康「大久保長安や弟の忠輝のことは忘れてないぞ!」

弟秀忠「そうだ!そうだ!(矛先を変えたい)」


家康先生「ぐぬぬ、またしても私の痛いところを突いてくる息子達だな!!いちいち父親の悪口言わないと気が済まぬのか?」


徳川兄弟「アンチだからな!」


家康先生「まぁ良いわ……話を戻すとする。宇喜多騒動の話になるが……宇喜多家は大都会岡山の支配者で中国地方では毛利に次ぐ勝者として君臨していた大大名家である。宇喜多直家は冷酷な策士として主家だった浦上家を裏切るなどして押しあがった人物である。しかし、裏切れるようになるまで忍耐強く長い間耐えたこともあり彼は高齢になっていた。」


家康先生「息子の秀家は幼い上に優秀な弟にも先に死なれたこともあり、譜代の家臣達を統制出来る親族に恵まれなかった。つまり自分が死ぬと父広忠のように幼い故に家臣達に見捨てられて毛利家に宇喜多家が吸収される可能性もあったのである。このような危機的状況を打開するために直家は秀吉に接近した。」


家康先生「人を裏切り、冷酷に他者を切り捨てて成り上がった直家にしては……最後の最後に後の豊臣秀吉に『宇喜多家と息子の秀家の運命を託す』という他力本願的な行動に走ったのは不思議であるとともに関心せざるおえない策略である。」


家康先生「この他力本願的な策略は結果を言えば大正解であった。宇喜多家は秀吉により厚く守られ存続し、秀吉が天下人になると五大名の一角として屈指の繁栄を手に入れることに成功したのである。故に秀家は秀吉に厚い忠誠を誓っていた。」


兄信康「確か秀家の養父は秀吉だったな!」

秀康「そうなんだよ!年齢は俺より年上で義理の兄ということになる。信康兄さんほどではないが……俺にとっては大事な兄だったのだ」

弟秀忠「それを踏みつけるようなことをする狸親父がいるらしい!」


家康先生「それは仕方がないだろう。徳川家の繁栄の為には宇喜多家は大きな障害だったのだからな!弱体化を狙うのは当然と言える。そして秀吉が死ぬと宇喜多家で『お家騒動』が勃発する。30過ぎとはいえ……秀吉の庇護下で今まで安泰だっただけに秀家には大きな実績が無かった。さらには『明との戦争』で宇喜多家は『莫大な損失』を受けていたが秀家は秀吉の養護ばかりしていたので感情的に家臣達と溝が生じていた。それ故に『古くから仕える譜代家臣達』よりも『新参者で自分にベッタリな家臣』に心惹かれて新参者を優遇したために譜代家臣達の不満が爆発したのである。」


家康先生「この大事な局面で私は『最も信頼できる家臣』として康政を宇喜多家に派遣したのである。だが康政は『宇喜多秀家』と『譜代の家臣達』を和解させようと根気強く頑張り始めたのだ!つまり宇喜多秀家に同情して『敵に塩を送る』が如き行為をしたのである。」


兄信康「康政の兄貴からすれば……秀康の友人である秀家を徳川家の味方に引き込めるチャンスだと考えたのだろう。」

秀康「その通りだ!薄情者の父上と違って康政爺やは何という素晴らしいのか!」

秀忠「……」


家康先生「確かに、そういう考え方もあるが……現実的に秀家が徳川方に付く可能性は低かったし、最も確実に天下を取るためには不確定要素を信じるよりも堅実な手段を選んだほうが現実的と考えるのは当然じゃろ?それにワシは決して油断していたわけでは無かった。だからこそ!康政に対して『早く結論を出せ!!』と迫ったのだが……康政は「必ずや説得します!忍耐強くお待ちください!!」と返してきた。と言うわけで正信を急遽康政の代わりとして宇喜多家に派遣したのだ。」


兄信康「武田信玄が長男の義信を切り捨てたのと同じで……自分の利益の為なら義を重んじないんだな!」

次秀康「最も信頼できる家臣とか言いつつ結果が出ないとコレである。」

弟秀忠「狸親父の十八番だ!!」


家康先生「正信はワシの期待に応えてくれた!宇喜多家は大分裂の末に有力家臣達が宇喜多家を離反し、多くが徳川家方に付くことになったのである。これで宇喜多家は我が軍の障害とはならずに済んだ!とワシは思ったものだ……」


兄信康「秀家は雑魚だから有力家臣さえ無力化すれば容易いと思ってたら関ヶ原でMVP候補になるほど暴れられる羽目になるのwww」

次秀康「関ヶ原は誤解している人が多いが……関ヶ原で一番活躍したのは宇喜多秀家と島左近だと断言しても良いからな……」

弟秀忠「断じて真田なんかじゃない!(苦しい言い訳)」


家康先生「まぁ確かにな……宇喜多騒動は正信と康政の関係を考える上で重要な事件となった。元々、正信の方が康政よりも10も年上だが正信は徳川家を離脱していた時期があり、また正信や長安のような文官よりの武士が活躍し始めたのが関東入府以降だった。故に当初は康政の方が偉い立場にいたとも言えたが……宇喜多騒動辺りから正信達の活躍が目立ちだしたとも言える。パワーバランスの変化が起きだしたと言えるだろう。」


兄信康「クソ親父は言及しないつもりだが!俺事件(信康事件)も影響大きいぞ!!康政の兄清政が徳川家の中心メンバーから失脚したし、俺の後見人だった石川数正の影響力の低下、さらには酒井忠次が高齢化して関東入府以降は隠居したことも徳川家での力関係パワーバランスに影響を与えたのだろう。」


次秀康「そうだな……徳川家の家臣団に旧武田家臣や旧北条家臣も加わったりと大きく変わったことも影響与えてるかもな……」


弟秀忠「康政には大きな恩があるから私は断然康政派です!」


家康先生「康政と正信、そして忠隣は関ヶ原の戦い時は揃って秀忠の軍勢に組み込まれていた。バカ秀忠は関ヶ原時21歳といった感じで若く経験が浅かったので事実上の総指揮を執っていたのは三人と言うことになる。秀忠勢は中山道ルートで岐阜を目指す予定だったが……途中の上田で真田昌幸率いる手勢に挑発を受けることになる。この挑発と人生最大の活躍の場を与えられたことに舞い上がっていたバカ秀忠は康政&正信が予定通りのルートを通るように言うにも関わらず真田昌幸を倒すことに気を取られてしまうのである。」


兄信康「予定通りに進んでいれば関ヶ原の戦いに秀忠勢が援軍として到着する予定だった。小早川秀秋が裏切らなくても東軍が勝つ可能性が益々高まることになっただろう。そして、それは秀忠の徳川宗家相続を決定的なものにしたかもしれない。」


次秀康「この時、俺は北関東で佐竹&上杉&伊達に睨みをきかせていた。皮肉なことに佐竹氏は様子見ばかりで動かず、上杉は最上義光の決死の抵抗で進撃が遅れ最上軍に伊達軍の援軍到着となり混戦に突入し、結局のところ関ヶ原の戦いが終わるまで両軍ともに戦いが終わらずに終戦を迎えてしまった。つまり俺は戦局を眺めてるだけで終わった。」


弟秀忠「信濃は真田家の勢力が強かった。真田家を倒さずに進めば……後方を真田家に脅かされる危険性があったから真田家を攻撃したのです。(苦しい><)」


家康先生「この関ヶ原時に康政&正信は攻撃反対派で攻撃支持派は大久保忠隣の方だった。このことからも正信と康政は敵対関係では無かったことが伺える。しかし、関ヶ原後の徳川家の支配体制における力関係パワーバランスを考えると大久保忠隣と本多正信が台頭していった。康政は二人の間に立ち仲介役のような立場になったとも考えられる。」


兄信康「クソ親父殿は康政のご機嫌取りを兼ねて清政の方を突然『気にかけ』始めたりと必死に康政を宥めていたが……次第に無理が生じてきていたのは目に見えてるよな……」


次秀康「面倒くさそうな二人相手に仲介役は神経すり減って大変そうだな……実際、正信先生よりも年下なのに大分早く死んでるし……可哀そうすぎて涙出る。」


弟秀忠「私はサドの神が大嫌いだから!忠隣と康政が仲良くしてくれると嬉しかったが……関ヶ原の経緯を考えるとサドの神以上に康政の方が忠隣のことを嫌ってたような気がするので……難しい……」


家康先生「もともと康政は井伊直政とも意見が合わなかったりと……徳川家で台頭してくる若手相手に不満があったように感じられる。性格的に康政は『一本筋が通った直情型の皮肉屋』なので我慢の限界が近づくとヘソを曲げてしまい。次第に家中で孤立していってしまったのだ……」


兄信康「何度も言うが!それはクソ親父が悪い!!サドの神の『腹黒さ』と忠隣の『尊大で横暴な振る舞い』を『許していた』ことが康政のストレス要因になっていた。そもそも康政の言うことを一つも聞き入れずに無下にしていたのはクソ親父殿だろう!」


次秀康「これは康政が死んでからの話だが……結局のところ忠隣が無能化すると呆気なく切り捨てたり、忠隣の派閥だった大久保長安が死ぬと『不正蓄財』を理由に長安の一族を根絶やしにしたりと親父殿の酷さが良く表れている。つまり親父殿の責任も大きい」


弟秀忠「サドの神も何考えているか分からんかった。サドの神自身は謙虚だったが……息子の正純は図々しさが増していき……最終的に徳川政権を我が物にするほど私物化していった!つまり、康政の周りは皆なクセ者揃いだったのだ!!」


家康先生「話はタイトルに戻るが……正信と康政の関係が最終的に悪くなっていった理由として考えられるのは……正信はバランス重視をする余りに康政を蔑ろにしていったのだと思う。それはワシにも言えるかも知れないが……天下を取るということは犠牲が付き物だが……その犠牲として康政は心身を病んでいったと考えるのが一つの答えだと思うのである。」


家康先生「榊原家は康政の死後は不幸が続くことになる。息子の康勝は大坂の陣で若死にし、残された息子たちは幼いという理由で相続できずに……大須賀家に養子に出されていた忠政が相続することになるが……その後も断絶の危機が頻発し、榊原一門は縮小が続く羽目に陥ったのである。康勝の幼い子供たちも榊原本家を相続出来たが……徳川四天王の家名として考えれば不遇な家としての待遇に追いやられたとも言えるのである。」


兄信康「酷い話だよな……本来なら徳川四天王に匹敵した大須賀康高を出した名門大須賀氏が康高が若死にして以降ずっと家名を親友だった康政が守っていたのに……榊原家に苦境が続いたせいで独立した大名としては存続できずに終わってしまう。子孫がいないせいで!『子孫がいないと不利になる大河ドラマ』では存在自体が何時の間にか消される羽目に陥ったのだから!!」


次秀康「子孫がいなかったり、弱かったりすると圧倒言う間に悪口のオンパレードになるのは有名な話だよな……佐久間信盛、柴田勝家、滝川一益、佐々成政、松永久秀などなど、枚挙に事欠かない。この点を忘れた客観性に欠ける話が多いんだよな……」


弟秀忠「私が言うのも何ですが……徳川御三家も実は私こと秀忠系列の徳川一門の序列の事を指しています。現代には関係無い!と思う方もいるかもしれませんが……現在の徳川将軍家の相続人選びでも秀忠系列かどうかを基準にしているのは明白です。何故なら有名な会津松平家も秀忠系列だからです。いつの世も……勝ったものが正義なのです!!」


家康先生「一つ断っておきたいのは……正信が康政や忠勝を冷遇していたわけではない!ということである。むしろ正信&正純が徳川政権で権勢を振るっている間は本多一門を始めとした武断派への優遇が続いていたのである。その最たる例が忠勝の息子忠政の息子である忠刻に秀頼の妻になっていた秀忠の娘である千姫が嫁いでいたことである。また、越前松平家(秀康系)や池田家(妻が信康の娘、つまり信康系)に対しても大幅な加増が繰り返されていたのである。これらが終焉し、それらの家の冷遇が始まるのが……皮肉にも『正純の失脚』(家康の死後)だったと考えると……実は後の池田騒動を始めとした幕府による粛清(武断政治)の始まりだったとも言えるのである。」


家康先生「よく勘違いされがちだが……鎖国政策は孫の家光の政策であってワシの政策ではない。ワシは最後まで海外の国の人間と会っていたし、晩年期にもスペイン、ポルトガル、イギリスなどと接触して積極的な貿易をしようとしていたのである。このことからも分かる通り、ワシの死後、『ワシの考え』(祖法)などと言う勝手な考えが一人歩きして神君家康の方針という名のもとに様々な事が捻じ曲げられたという歴史的な真実を皆に知ってほしいのだ!!」


家康先生「最後に言うと……天下取りの過程の犠牲と言えるのが康政であり正信である。康政が最後まで仁義を貫き通そうと必死に抵抗したように……正信は忠義の為なら如何なる汚名も着ようと頑張ったのである。正信は徳川家を途中離脱した負い目があったが……息子の正純は生まれた時から徳川家の家臣だったが故に正信ほど負い目が無かったために……自らの功績に対する対価を求め過ぎたから破滅へと追い込まれたのである。『天下を取った上で長く天下を維持するのは難しい』劉邦が統一後に必死にもがき苦しんだように……蕭何が最後まで抜かりなく生き残ったのが奇跡として後世に語り継がれるように……世界史において生き残ることは難しいのである。」

真実を知るのは難しい、何故なら資料が足りないからである。比較的に現代に近い戦国時代の資料でさえ実は限られている。まして一級資料などという区分の資料は実は『指で数えられるほどしか無い!!』という事実を知ってほしい!つまり、歴史学者が語っていることの大部分は実は憶測なのである。一級資料は全て本という形で出版されていて多くがキンドルでも読むことが出来るほどポピュラーであり、学者だけが知りえる事実など本当に極一部でしかないのである。


日本史の教科書は退屈だ!日本史が退屈だからではない!!書いてる奴らが歴史を分かっていないからだ!!!と思います。日本史の教科書読むくらいなら『平家物語』や『太平記』の方が何倍も面白い。(比較することが失礼)そして史実に近いのです。


日本史の一級資料の数は非常に少ないので素人でも簡単に見れるし、読めるので!歴史学者なんて正直いりません。

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