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徳川劇場:教えてサドの神!:「俺、人生半分過ぎたんだ!やべえええ!!あと半分しかないじゃん!」と焦る始皇帝に対して実は家康ちゃんやサルよりも猛スピードで統一を成し遂げていた劉邦

久しぶり過ぎる投稿、リアルが忙しくて落ち着くまで投稿を止めていたら次の年突入してましたね(汗)その間にも劉邦や項羽についての見方が変わりました。韓信についての見方が大分変りました。世の中理不尽なニュースが増えてきました。理不尽な時代でも前を向いて歩いていきたいですね。


正信先生「始皇帝は40過ぎると「俺、人生半分過ぎたんだ!やべえええ!!あと半分しかないじゃん……小役人(陳勝呉広)や若い奴(項羽)らが俺を超えるほど何かが出来るとは思わない。何せ、下々(英傑達)の中にはノンビリと暇そうに寝てる奴(劉邦)ニート(韓信)底辺(劉邦)労働者(劉邦)がいるが……あんなので40歳過ぎまで過ごしている奴(劉邦)らとは違うんだ!死を克服しなければ!!!と言って大急ぎで頑張った結果、49歳で亡くなりました。」


秀康「なに、その壮大な皮肉……」

富正「自分を偉大だと思い過ぎて死に急いだんですね……」

成重「まさか自分が見下している奴らの中に『革命の先駆者』『西楚の覇王』『高祖』『国士無双』とかが紛れているとは思わなかったんだろうなぁ」


正信先生「始皇帝と真逆に劉邦はノンビリ人生に見えてしまいます。しかし、本当に劉邦はノンビリ人生だったのでしょうか?都合が良いことに陳勝の呉広の乱の発生地、項羽達の活動地域、張良が隠れていた場所、韓信の所在地が劉邦を中心にしているかのように点在しているという事実、そして蕭何と曹参が劉邦を『いつの間にか』慕っていた。なんていうのを額面通りに受けとり過ぎるのも間違っているような気がします。」


秀康「確かに…史記はワザと時系列をズラしたり、人物ごとに章分けして話を進めているのは何かを誤魔化すためとも受け取れるな……」


富正「実は劉邦が黒幕なんじゃね?という疑いは、もしかしたら司馬遷の頃から既に皆の心にあったのかもしれませんね。」


成重「劉邦が凄すぎると疑いたくなる気持ちは分かる。」


正信先生「劉邦の真実の姿を必死に考えても最終的に劉邦が勝ったという真実は変わりません。そして、それは間違いなく大正解の勝者でした。項羽は非寛容で無慈悲で政治には向かない潔癖症。他の指導者達では昔と同じ戦乱の時代を再現するのが精々でしょう……何故そうなるかと言うと項羽を含めた多くの王侯将相は始皇帝の統一国家に反発して反乱を起こしていたからです。それに対して陳勝呉広の乱で反乱した農民たちは自分達が『再び損する』連合国家に戻れとは言っていませんでした。単に『自分たちの理想とする国家』の実現の為に立ち上がったのです。」


秀康「劉邦は陳勝呉広の乱に触発されて反乱を起こしたのであって項梁のような『王侯将相の反乱』に触発されて反乱したわけではないんだよな……」


富正「『農民反乱』が先で『王侯将相の反乱』が後なのは、何も偶然ではなく、王侯将相が反乱を起こしても大多数の庶民の支持は受けれないという裏事情があったような気がしますね。」


成重「農民の権利を主張して力を得てきたという意味では農民出身が多い武士も同じだと思うのだ。」


正信先生「劉邦は王侯将相どもを『騙したり』『裏切ったり』することに罪悪感を感じていたのでしょうか?答えはノーです。農民出身の劉邦は王侯将相どもが寄越す役人どもが『理不尽』で『横暴』で『約束を守らない』存在であること理解していたからです。しかし、始皇帝が寄越す役人は理不尽や横暴さは少なかったと思います。そうでなければ蕭何、曹参、夏侯嬰といった始皇帝の寄越した役人と仲良くはなれないのです。そして何よりも劉邦が秦の小役人である『亭長』になったりはしていません。つまり、劉邦達は秦の始皇帝の苛烈な政策には反感を持っている一方で始皇帝以前の王侯将相どもの統治に対して良い感情を持っていたかと言われれば答えはノーだったのです。むしろ始皇帝以前は任侠という反政府側だったという事実が、それを物語っています。この辺、愛国心の塊の項羽や代々『韓』の宰相の家だったが韓が滅ぼされてから『任侠になった』張良とは違うと言えるでしょう。」


秀康「前王朝を倒した現王朝が前王朝を悪く言うことは多い、そんな中でも秦始皇帝は苛烈さは批判されても政策は否定されず、項羽を始めとした王侯将相達は殺されずに生きていた。始皇帝の任命した官僚たちは無能とは程遠く有能だった人物が多かったのでは無いかと思えるほど有能な人材が多かった。」


富正「始皇帝は『生まれながらの王』です。腐敗を好まず、『実力主義』に基づいた統治手法を徹底しました。コンピューターが無い時代にコンピューターが無い以前の官僚制度の原型を作りました。これは御世辞ではなく、後にペルシャや東ローマに伝わった中国の官僚制がヨーロッパへ伝わり、これが現代の政治制度に繋がったのです。」


成重「始皇帝は自分が『絶対に正しい』から自分の考えが末端に伝わるまでに捻じ曲げられことで『間違いが起きる!』と考えていたんだろうな……それが前代未聞の大発明を生んでいたのだろう。凄い自信家である。」


正信先生「劉邦について散々私はスローライフだと強調してきましたが……実は家康ちゃんと比較すると劉邦は年齢で見た場合3年ほど統一するのが速かったのです。面積でいけばさらに速いと言えます。前208年に決起してから前202年に中華統一ですので、統一にかかった時間は僅か6年でした。始皇帝は統一時の年齢は39歳ですが即位からの年数では26年かかりました。サルは約54歳で本能寺から約10年、家康ちゃんは57歳で統一を成し遂げています。サルの死から数えるならば2年ですが……少し無理がありますね(笑) 劉邦はサルや家康ちゃんより速いし、統一にかかった年数では始皇帝を上回るほど速いスピードで成し遂げたことになります。ですので史記が書いているよりも劉邦は遥かに狡猾で果敢な決断をし、なおかつ誰よりも慈悲深く情けぶかい振る舞いを、いかなる危機的状況でも忘れることなく振る舞い続けました。これは恐るべき忍耐力なのです。」


秀康「凄すぎる。」


富正「ドラマや映画ばかり見ていると同年代が戦っている印象になりがちだが……字面にして書き出して比較すると恐ろしい真実が見えてきますね。」


成重「前の話で毛利元就と武田信玄の関係もそうだが……同時代でも同世代が戦っている訳ではない!ということを忘れてはいけない。」


正信先生「また劉邦は戦術戦略共にメチャクチャ斬新でした。常に目標を決めると真っ直ぐ進みます!首都咸陽を誰よりも速く落としましたし、項羽の本拠地を項羽不在の時に奪い取ったりしています。これのせいで項羽は本拠地の奪還後に本拠地の防衛ばかり気にし始めてしまい完全に大局を見なくなってしまいました。実際には支配領域エリアでは互角だったにも関わらず本拠地で劉邦軍に包囲されたのは劉邦の策略と言えます。劉邦は実は世界史でも有数の煽り屋だったのです!この辺の型破りな行いは歴代の中華皇帝や世界史の英雄達でさえ見ることが稀な行為と言えます。(項羽が稀なほど潔い性格だったとも言える。つまり煽り耐性ゼロだった。)」


秀康「劉邦の謙虚な姿勢も実は煽り屋精神から来る高度なワザだったのかもな」

富正「謙虚で自信なさそうなフリして相手の攻撃待ちという奴ですね。」

成重「うわぁーなにその腸が腐ってそうな言動……ドン引きだ。(同類嫌悪)」


正信先生「劉邦について語ると正直、一生答えの出ないほど様々な見方が出来るほど参考になる人と言えます。この辺に劉邦の底の知れない恐ろしさがあります。劉邦は民主主義を取らずに独裁制にした!だから独裁が一番なんだ!!と主張する輩がいるかもしれません。しかし、当時民主主義はギリシャでのみ成功していた政治制度でした。ギリシャの民主主義は大勢の奴隷で成り立っており、働かないから頭の良さげなことを永遠と語っていただけと言えます。もし劉邦がギリシャの民主主義を知っていても大勢の奴隷で成り立つ政治を受け入れる余地はありませんでした。何故ならば『王侯将相いずくんぞ種あらんや!!』だからです。この言葉の中には世襲や『他人を犠牲にして利益を得る』輩への批判が含まれていたからです。さらに言えば民族の語源になるほど素晴らしい統治を500年近く行った偉大な王朝の初代であり、その方向性を確固たるものにした高祖の言動を見るにギリシャのような差別主義的で階級主義的な統治は受け入れられるものではなかったと私は思います。」


秀康「中国日本にも奴隷は存在したが……基本的に農耕社会の日中では主人も奴隷と同じ作業をするし、相互協力が求められただけに固定した存在として残ることは無かった。また実力主義が強い遊牧民の世界では剣闘士のように強ければ容易に上に行けた可能性も高かった。さらに言えば後に曹操などは均田制などで農地を持たない貧民に土地を配っていたので奴隷は立場上の公称であって階級というほど強いものではなかった。これは日本にも言える面がある。でなければ奴隷の存在が文献や資料に沢山出てくるし、奴隷の反乱も多いはずだが……実際は農民の反乱と言う言葉で一括りにされていた感じだな」


富正「敗者を奴隷にするという考え方も日中では、あまり聞きませんね。農耕社会なので地元の土地に精通した農民達を追い出したり殺したりし過ぎると新たに支配下に置いた地域の税収が減ってしまうので西洋ほど露骨な階級による差別は難しかったのでしょう。」


成重「職業による差別が中心だからな!それさえもインドのカースト制なんかと比べると緩いし階級の移動は自由で江戸時代も従来言われていたほど階級による締め付けは強くなかったらしい。そうじゃないと坂本龍馬、伊藤博文、山縣有朋などが幕末に出てきたことの説明が出来無いし……それ以前にサルが天下人になってる時点でな!!」


正信先生「高祖劉邦は単なる偉大な指導者ではありません。漢と書いてオトコと読みますし、熱血漢という言葉が示すように劉邦の性格は極めて東洋のヒーロー像に多大な影響を与えています。我々が普段目にする映画やドラマ、そしてアニメや小説のヒーローは実は劉邦をモデルにしているとも言えます。某作品が日本や中国に何の所縁もないギルガメシュ物語を無駄に褒めていますが……ギルガメシュの姿が日本や中国のヒーロー像とは一致しないことを鑑みても『史記』そして劉邦の生き様は我々の求めるヒーロー像そのものと言えると思います。それが高祖の偉大な点なのです。」

劉邦の熱き魂を書きたい一方で、どこか冷めた感じに書いてしまうのも後の歴史を知っているからこそとも言えます。それが面白さでもありますけど……ただ完璧な人間なんていません。どんな人間も能力の限界があります。劉邦に何もかも全ての理想的な姿を求め過ぎるのは無理があります。それでも劉邦を貶めすぎるのは間違いだと思うのです。その辺の塩梅が大変な気がします。


まぁ小説なんで、そんなに難しく考える必要があるのか?という気もします。趣味で書いてますしね。

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