表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

79/172

徳川劇場:教えてサドの神!出世年齢で分かる!戦国大名及び徳川家の人間関係!!

最近、ご無沙汰していました。いろいろ忙しかったは言い訳にしかなりませんね(汗)


年齢は物語を作る上で重要です。今回、改めて調べている内に、改めて調べてみると「へぇー実は、あの武将は、あの時点で、こんなに若かったのか!」とか、同い年なのに立場に大きな開きがあったりするのを目のあたりにすると自分と重ね合わせてみたり、とかして新しい視点が得られました。


正信先生「人間というのは自分と同年代が活躍しているのを見たりすると憧れたり、自分の無能ぶりを意識します、年下が活躍していると嫉妬したり、自分の不甲斐無さに呆れたりします。戦国大名や武将も普通の人間と同じことが言えると思いませんか? 」


秀康「おっ? 講義始まったのか?」

富正「突然の自分語りですか?」

成重「サドの神は出世始まったの激遅だもんな!」


正信先生「自分達には関係無いと思っているのですか? 本当にそうか例を挙げてみましょう。例えば、勝家、光秀、一益、信長野郎、秀吉猿、家康ちゃん、という順番を聞いてどう思いますか?」


秀康「天下人になった奴と天下人になり損ねた奴」

富正「勝ち組と負け組」

成重「なるほど!丁度、前三人が負け組で後の三人が勝ち組に分かれるな!」


正信先生「確かに上手い具合に前半と後半に分かれていますね!、実は、これは6人を年齢順に並べた場合の順番です!」


三人「!?」


正信先生「光秀に関しては年齢について諸説ありますが信長野郎より年上というが定説です。なぜ諸説あるのかと言えば、資料が少ないからというよりは光秀自身が年齢を気にしていて、もしかしたら年齢を誤魔化していたり、詐称していたのかも知れません。つまり、光秀は年齢が信長野郎よりも年上であることを意識していたのではないでしょうか?」


秀康「意識するのは分かる。上杉景勝や毛利輝元のような奴に頭を下げたり、礼儀を尽くしたりするのは疲れる。秀家くらいなら少し楽だな! というか俺って若い武将だよな!」


富正「私達は関ヶ原時の主要プレイヤーの中では宇喜多秀家と同じ世代となります。」


成重「伊達政宗は7歳年上だが、10は離れてはいない。逆に上杉景勝、毛利輝元とは20前後ほど年が離れていた。」


正信先生「そうですね!、年齢というのは人物関係を語るうえで非常に重要なファクター(要因)になっています。なのに戦国時代を語る歴史関連の本では必ずしも各人物の年齢を重視しているというのは聞きません。これは間違いだと思います!」


秀康「関ヶ原の戦い時の大名及び武将を年齢順に並べると興味深いかもな!」

富正「そういうのを意識すると小早川秀秋なんて私達より、10近く年下なのですね!」

成重「小早川秀秋が優柔不断だったり、情けないのは経験不足と年齢からくる孤立感(孤独)もあったのかもな!」


正信先生「そうでしょう!年齢は非常に重要です。武田信玄が生まれた年から二年後に毛利元就は兄の息子が死んで家督を継いでいます。この時、元就は27歳ですので武田信玄とは25も年が離れていました。面白いのは、ここからです。毛利元就といえば厳島の戦いですが、これが1553年、武田信玄といえば川中島の戦いですね!これが同じ1553年です。では信長野郎は同じ頃なにしてたと思います?」


秀康「野原で遊んでたんじゃないか(笑)」

富正「うつけ時代じゃない?」

成重「ダメダメな頃だろ!」


正信先生「実は信長野郎の父信秀が死んだのが1552年です。1553年は平手正秀が自害した年になります。まさに信長が『うつけ信長から天才信長へ』という大転換期だったのです。年齢は何と!!驚きの19歳です!」


三人「ええええっ?!うそでしょ!(驚愕)」


正信先生「信長野郎と言えば本能寺!じゃなくて(笑)桶狭間の戦いですが、これは1560年になりますので信長野郎は、まだ26歳ということになります。ちなみに家康ちゃんは17歳です!」


秀康「ということは、忠次殿が33歳、数正殿が27歳、正信先生が22歳、忠勝殿と康政殿は12歳ということか…」

富正「興味深いですね」

成重「我らは-10歳以上ということか…」


正信先生「そうですね、毛利元就は、この頃、既に64歳、武田信玄が39歳です。元就に関しては晩年だと思う方もいるかもしれませんが…彼は1571年(75歳)に死にますが…これは信長が『順調だった天下統一から死闘の天下統一へ』と窮地に追いやられる金ヶ崎の戦い(1570年)の頃まで生きていたことを示しています。ちなみに武田信玄が死ぬのは1573年(52歳)です!!元就と信玄は25歳も離れていたのに死んだのは大して変わらないというのも興味深いですね。」


秀康「確かに…年齢で考えると見方が変わるな…」

富正「同じころに活躍していても、年齢が大分違うんですね。」

成重「若い奴と年よりの戦いは昔からだな!」


正信先生「1560年時点の織田家の主要家臣の年齢は筆頭家老の佐久間信盛が28歳、柴田勝家が何と!34歳(驚愕)、滝川一益が31歳、秀吉猿が23歳、ということになります!」


三人「光秀は!?」


正信先生「光秀は諸説あるので難しいですが…面白いのは28歳説があることです!これは佐久間信盛と同い年ということになります。これで考えると後の両者に生まれる因縁が何となく理解できたりします。」(意味深)


秀康「年齢は大切だな!」

富正「ちなみにですね!私と成重は同い年です!!」

成重「秀康の2歳年上だぞ!」

秀康「むむ!何が言いたい?」

二人「別にー」(意味深)


正信先生「年齢というのは人間関係を推し量るのに重要な要素になります。こうしたことを見ていくと戦国時代の資料や書籍を見る時の見方が大分変ったりします!見方を変えれば別の真実が見えてきたり、採用する様々な資料や説などで変わったりします。それが歴史の面白さです!歴史は生き物であり、暗記にだけしていては詰まらないのです!あの武将が何かの事件を起こしている時に別の武将は何をしていたのか?日本が戦国時代の頃はヨーロッパや中国では何が起きていたのか?などを知り比べてこそ!(強調)歴史の面白さを実感できたりします。皆様も、比べてみると面白いですよ?」


各大名及び武将の年齢まとめ


1560年時点


大名


織田信長、26歳

毛利元就、64歳

武田信玄、39歳

徳川家康、17歳


武将


織田家主要家臣   徳川家主要家臣


佐久間信盛、28歳 酒井忠次、33歳

柴田勝家、 34歳 石川数正、27歳

滝川一益、 31歳 本多正信、22歳

豊臣秀吉、 23歳 本多忠勝&榊原康政、12歳


関ヶ原時の大名年齢


結城秀康、 26歳

上杉景勝、 44歳

毛利輝元、 47歳

伊達政宗、 33歳

宇喜多秀家、28歳

小早川秀秋、18歳

徳川家康、 57歳

石田三成、 40歳


これを見ると徳川家臣の方が全体的に若く見える。佐久間信盛は長く織田家筆頭で織田家のナンバー2だったが最年長では無かった。彼がクビになる頃に年上の酒井忠次が長篠で大活躍していることを考えると佐久間信盛は同時期は地味な活躍の割に高い地位にいて派手だったようである。


関ヶ原の方を見ると東軍の最年長イコール総大将で石高も名声も上なのに対して西軍は石田三成が発起人なのに総大将が毛利輝元だったりと同年代で石高も名声も違い、譲り合いをしていたりする。つまり西軍は寄せ集めで結束力が弱かったのが分かったりするのです。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ