徳川劇場:数正先生と徳川最強三人衆の関係~徳川家に派閥争いは無かったのか?~
石川数正と徳川最強三人衆の関係は実は密接です。
思いのほか仕事が忙しいので書くことが出来ませんでした。
数正先生「ところで私と皆さんの関係とは何でしたっけ?」
三人「ええええ!」
数正先生「タダの先生ですか?」
忠勝「師匠!」
正信「愛すべき先生!」
康政「恩師!」
数正先生「確かに…でも…それって作品の中だけでしょ?><」
三人「そんな馬鹿な!絶対違いますよ!師匠は師匠ですよ!」
数正先生「謎です!これは戦国時代の大謎です!!今回は私と一見関係無いと勘違いされている三人衆との関係を探ってみましょう!」
三人「嫌です!」(探るんじゃない!)
数正先生「そもそも、私は酒井忠次の六歳年下ですが…家康に対しては十歳年上、本多正信に対しては五歳年上、忠勝・康政コンビの十五歳年上になります!つまり、忠次は先輩にあたりますが…正信は後輩レベル、忠勝・康政コンビに対しては当時で言うところの子供レベルの年齢差があったということです。」
※ここで注目!実は本多正信は忠勝達よりも年齢が上であるという事実、これは後の徳川家派閥争い及び忠勝&康政コンビの立ち位置を知るうえで重要な要素になる。要は年功序列的には忠勝&康政コンビは正信に対して頭が上がらないほど年齢差があった。因みに正信は家康に対しても五歳ほど年上である。
忠勝「なのだ!」
正信「私がサザエさんポジ(仕切り屋)の理由だね!」
康政「誰も腸が腐った奴になど従っておらんぞ!」
数正先生「さらに、さらに!私は西三河衆の筆頭で旗本先手衆という徳川家最精鋭部隊の創設者&指揮官という立場でした。西三河衆及び旗本先手衆の内、本多正信は西三河衆の支配下にいました。忠勝&康政は両方に所属していました。」
忠勝「そうかも?」
正信「数正先生は直属の上司?」
康政「そうだぞ!」
数正先生「もっと分かりやすく、するために西三河衆と酒井忠次の率いた東三河衆を比較してみましょう。あと旗本先手衆も!下記をどうぞ!」
西三河衆所属(有名武将)
大久保忠世、本多忠勝、榊原清政・康政、本多重次、他有力譜代の全てです。
旗本先手衆所属武将
本多忠勝、榊原康政、大須賀康高、鳥居元忠、服部正成など徳川最強戦力の大部分
東三河衆所属武将
酒井忠次及び松平家一門、旧今川領の家臣達。つまり井伊氏です!(強調)
忠勝「我が軍は圧倒的では無いか!」
正信「なんということでしょう!」
康政「東西格差が凄まじいな!」
数正先生「ですが…徳川四天王では半分半分です!」
三人「えっ…」
数正先生「だってそうでしょ?西側;本多忠勝、榊原康政に対して東側:酒井忠次(筆頭)、井伊直政です。しかも江戸時代の負け組VS勝ち組になっています!!」(血の涙)
三人「ええ!私たちは負け組?!」(驚愕の真実)
数正先生「そうです!それも圧倒的負け組です!酒井家は江戸時代に栄華を極めた一族です。理由は言うまでも無く、徳川譜代筆頭にして徳川一門の『まとめ役』というポジションにいたからです。井伊家にいたっては『京都周辺の最高責任者』で幕末期には大老井伊直弼を出した名門中の名門一族です!どうみても勝ち組!圧倒的勝ち組!!それに対して本多・榊原は一族は断絶するわ!領地は減らされるは!配置変えはされるは!順番で『たまに』重職を担うだけの一族という位置付け!!というポジションに押し込まれました。」
三人「そんな馬鹿な!」
数正先生「江戸時代で最も重要な要職に定期的に付くことが出来た一族は井伊氏、酒井氏、土井氏、阿部氏、水野氏だけです!残念ながら我々と関係があるのは…水野家と阿部氏だけという…」
忠勝「土井とは何ぞ?」
正信「本編に出てきている架空の一族じゃないの><」
康政「そんな奴らいたのか?」
数正先生「悲しいお知らせをせねばなりませんね…土井氏は土井利勝という人物を輩出する前に存在したのか?それすら怪しい一族です!その土井利勝の功績も実は…というレベルの功績です!!ですが…土井氏は江戸時代全期を通して幕府から超優遇されました。なにせ親藩大名レベルという凄さですからね」
三人「( ゜д゜ )」
数正先生「さて、ここまでの話では…本多正信が私の派閥という理論がイマイチ分からん!という人もいると思いますが…本多正信が三河一向一揆で徳川家を一時離脱してから帰って来るまでの間…正信の息子の正純は実は大久保家の厄介になっていました。さらに本多正信の復帰から出世は全て大久保忠世の支援のお陰であり、その息子の大久保忠隣と正信は両者が権力を握って争うまでは共犯者であり蜜月の関係でした。つまり両者は同じ派閥の勢力だったのです!つまりですね!正信は実は武断派系列の人間なのです!!」
※というか正信と正純以外の正信の親戚&兄弟&息子は皆歴史に名が残るレベルの脳筋武闘派で同姓同名同族の政重コンビという戦国随一の最強武将がいたりするのである…つまり正信&正純は武闘派の敵ではない!ということである。正信の弟の政重は正信に対して対立しているどころか非常に仲が良かった。
三人「…」
数正先生「さて話は大分ズレましたが…前に伏線?という訳では無かったのですが(笑)前に私が言った『小牧までは全て私のお陰!』という発言を思いましてくだいさい!!これから読み取れるように常に全ての戦いにおいて貴方達が活躍して時の上官で貴方達に命令して指示(作戦立案&部隊配置)していたのは私だったのです!」
忠勝「師匠は凄い!」
正信「上司だから当然?」
康政「恩師だからな!当然と言えば当然!」
数正先生「ここで話を一旦切らせていただきます。次回は本多正信と榊原康政の関係を掘り下げていきます!そこから見えてくる意外な両者の関係は今までの定説を覆すと共に見え方を変える物になります!」
忠勝「楽しみなのだー」
正信「えええ!調べなくて良いよ!」
康政「そうだ!そうだ!」
石川数正は徳川家康のお姉さん的ポジションの人でした。家康の懐刀で側近というよりは名宰相という立場ですね。軍事面においては作戦立案と現場の指揮を担当していました。つまり参謀です。防衛面においては忠次の功績が幾つかありますが…小牧までの主要な戦いは数正の方が主要な役割を担っていました。




