水野家と松平家~腐れ縁か、それとも良縁か?
水野家の動向は織田と松平の関係に大きな影響力を持っていた。第二次小豆坂合戦の直接の原因が水野家の当主交代によって引き起こされたからである。松平家にとって水野家は裏切者の一族ということになるのだが…ことは、そう単純では無い。水野家と松平家は互いに勢力圏が重なることもあって長らく対立と融和を繰り返してきたのである。
直近で言えば後の徳川家康こそが水野家と松平家の関係を象徴しているし、第二次小豆坂合戦は家康が原因とも言える面がある。何故ならば家康の母親が水野家の出だからである。そして母と父の離婚が第二次小豆坂合戦を引き起こし、この戦いが原因で家康は今川家の人質になることが決まり、その道中で戸田康光の裏切りで織田家の人質になって……という惨劇の始まりでもあったからである。
このようなことを考えても……両家の関係は複雑であった。
「今川が桶狭間で敗れた。今や今川は尾張での支配力を失い、三河の防衛も危うい状態に成りつつある。」
水野家の現当主にして水野家当主就任と同時に松平家との同盟を破棄して織田家と同盟を結んで松平家を攻め第二次小豆坂合戦の黒幕で松平秀康の叔父でもある水野信元の発言だった。
「好機到来ということでしょうか?」
水野の家臣が信元に話しかける。
「ああ、だが……我が家の勢力拡大は難しいだろう……」
「と言いますと?」
「我が水野家は大高城を含む、かつての領地を今川から取り戻した。それは……良い事だが……織田との緩衝地帯となっていた地域が消え去り、共通の敵という脅威が薄れる中で織田が三河に攻めいるだろうか?」
「それは……」
ここで言う『三河に攻め入る』というのは『織田家が』という意味では無く『水野家が』という意味であり、織田家が水野家を支援して水野家が三河を手に入れることを指している。
「私が思うに……織田信長は我が水野家の勢力拡大を望んでいない、むしろ我々を敵だと考えるようになるに違いない。」
今川の脅威が無くなれば、尾張の支配を直接したい織田信長にとって水野家の存在は厄介でしか無いのである。さらに言えば尾張国の知多半島の支配を重視する水野家の方針は織田家にとって目障りであり、知多半島の支配力では水野氏は織田家に対して優位で水野家は既に有力国人から戦国大名へランクアップする一歩手前であった。つまり、それだけ強かったのである。
※織田家、松平家、今川家の三勢力に揉まれながら勢力拡大を続けていたことを考えると……水野家の強ささは戦国屈しと言えるだろう。というか実際、戦国時代に無双の強さを誇る武将を数多く出し、その一人は戦国屈指の知名度を誇っていたりするのである。江戸時代中期以降は数多くの老中を輩出し、余りに老中=水野というイメージが出来た為に(笑)悪代官の名字と言えば水野……という不名誉まで背負っていたりするのである。ペリー来航時の幕府の最高責任者が水野家の人間だったりする。
「織田と戦うことになるのですか?」
「いや、織田は強い、織田と戦うのは得策ではない。それよりも松平家を利用するのだ。」
「松平家を?」
「松平家を説得して味方に付け、織田家との同盟を我が水野家が仲介すれば両者に恩を売ることが出来るし、上手くいけば我が水野家が松平家を支配することが出来る。」
「なるほど……」
信元の言うことは確かだが……実現するとは誰も思わない程に水野と松平家の関係は冷え込んでいた。並みの才覚の者では実現は出来ないだろう……だが水野信元は並の才覚の持ち主では無かった。彼は戦国屈指の策略家だったのである。今、歴史に埋もれた稀代の戦略家が歴史を動かそうとしていた。
水野家は徳川家と縁戚で徳川の天下統一に多大な貢献をした家であり、江戸時代中期からは幕政の中心的存在になっていた。




