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織田家は三河に興味無し!

 赤々と炎が燃え盛る。第二次小豆坂の戦いは織田松平両家の一大決戦であった。この戦いは後の徳川家となる安祥松平家の発祥の地であり、松平家の本拠地である。岡崎城に最も近くにあるという戦略的要衝であった安祥城を織田信秀(信長の父)が奪い、それに伴って信秀が自らの野望である三河平定を目前とした大事な戦いでもあった。この戦いで、もし織田が勝っていれば後の徳川家は滅亡していたのである。


 この第二次小豆坂の戦いを初陣とする一人の若武者がいた、名を織田信長という。幼名は吉法師といい、異母兄弟に兄信広、同母の弟である信行などの兄弟を抱えていた。特に信長は弟信行に比べると不良少年という面が強かったために評判は悪かった。


 信長は初陣で後方に留まり、敵と味方の戦闘を仁王立ちで眺めていた。この奇怪な行動を怪しむ家臣達は信長に奇怪な行動の理由を問い正した。


「信長様、戦わないのですか?」


「この戦いは父上の勝利にはならぬ」


「それは信長様が戦いに参加しないからでは無いですか?」


「松平は結束が強い、三河は外敵の侵略に悩まされており、統治者が無能でも外敵に侵略されることを良くは思っていない。故に彼らは決死の覚悟で戦いを挑んでくる。だから負けるのだ。」


 この話を聞いた家臣達の反応は信長の望んでいた反応とは異なっていた。大抵の家臣達は目の前の出来事と織田家の優位という点にしか目がいっていなかったのである。そして今だに大馬鹿者だと信長を馬鹿にしていた為に信長が偽りの姿では無い真実の姿を晒しているのに気づかなかったのである。そう信長は先を見据えていたし、無能とは程遠い存在だったのである。


「あの大馬鹿者が、そんなことを言っていたのか?」


「はい、全く馬鹿げた話ですね……これで家中の者は益々信行様贔屓になりますよ!」


 佐久間信盛と林秀貞の二人が話していた。林は他の家臣よりは頭が切れていた。というのも他の家臣が目の前の戦いを見た上での考えに対して林は家中での権力争いに基点を置いていたからである。


「あの大馬鹿者がな……」


「もう信長様には未来は無いかもしれませんな……」


 信長の後見人の一人で重臣の林が信長を見限ろうとしている中で……同じく重臣である佐久間信盛は全く別の考えが脳裏を過っていた。すなわち信長の真意を読み取り始めていたのである。後々を知る我々後世の人間は、どちらが正しい判断かは言わずもであるが……この両者の面白いところは信長の後見人が信行に乗り換えようとしている時に飛ぶ鳥を落とす勢いで力を増しているはずの信行を見限ろうとする信盛がいたのである。


 ※佐久間信盛が信行を見限った時期は定かではない。ただ言えることは良く信長の才能が高かったことを証明するエピソードとして斎藤道三と信長のエピソードが持ち出されるが……それは後に美濃征服と侵略の正当化の為に信長自身が斎藤道三との関係をプロパガンダとして流布したという面がある。なので本当に道三が信長の実力を見抜いていたかは怪しい面がある。それに対して初期信長期に誰よりも早く信長の実力を見抜いたのが佐久間信盛である。信盛は信行派が圧倒的に優位な中で佐久間一族の命運を信長に全て賭けている。その時期の速さと一貫性は彼が無能とは程遠い人物であったと言えるだろう……


 ……

 ……

 ……


 そして時が過ぎた。


 桶狭間の戦いによって情勢は一気に織田方に傾き始めた。義元が死んでいようが生きていようが『義元が信長に敗れた!』という事実が流布されることによって尾張国内の反織田陣営は影響力を失っていったのである。それと並行して『うつけ信長』から『義元を破った信長』つまり悪名から名声へと変わり、信長の立場は以前とは違うものへと変化したのである。


「「「三河へ!三河へ!」」」

「「「攻めろ!攻めろ!」」」

「「「今こそ屈辱を返す時!」」」


 義元の権威が低下し、今川への恐怖が薄れると尾張の民衆の中に三河への復讐を口にするものが増え始めたのである。尾張者にとって三河者は天敵であり、それは美濃者への怒りを上回っていた。


「是非にも及ばず、三河へは進軍せず!親父の轍は踏ない!!」


「「「そんなー」」」


 多くの者は落胆する。だが怒りを露わにして信長に詰め寄る者は少なかった。それは『織田のトラウマ』を恐れていたからでもあるが……それ以上に尾張統一戦争、信行との家督戦争、美濃征服戦争、そして桶狭間の激闘を通して皆が信長への信頼を高めていった結果でもあった。


「三河へ攻め込んだところで意味は無し、肥沃で交通の要衝である美濃を支配することが尾張の未来を明るいものにするのである! 」


 信長は三河に攻め入ることを避けた。それは親父である織田信秀が三河征服を『織田のトラウマ』である本多忠高(本多平八郎)に阻止され、美濃征服の絶好のチャンスを斎藤道三に阻止されるという父親の轍を踏まないためであった。父の無念、そして二正面作戦を避けることも重要だったのである。

佐久間信盛は有能だったと思います。初期の頃から織田家の重臣の中では最も早く信長支持を一貫して貫いており、桶狭間時にも一族の佐久間盛重が最前戦で今川方の猛攻を防いでいました。この佐久間盛重の守る砦を落としたのが若き徳川家康です。もし、この砦が落ちずにいたら織田信長の本隊がどう動いていたのか?というのを考えると面白いです。そういう意味でも織田信長は若き徳川家康の実力を見抜いたのかもしれません。



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