新桶狭間の戦い 後編
史実での松平元康(徳川家康)は織田家の大高城を包囲している二つの砦を今川方の主力部隊と共に攻撃して陥落させた後に桶狭間の戦いの知らせを受けて人生初の大敗北による混乱を味わうことになるのである。
※極めて速く砦を落としていることからも松平家単体で見れば大勝利を挙げていたのである。この時、家康17歳だった。
一般的に勘違いされがちだが…今川家の主力は義元公の周囲にはいなかったのである。これは当時の桶狭間の戦い時の駿河勢の有力武将(戦が得意だと見られる武将)の配置場所を見れば分かるのである。
逆に桶狭間で死んだ武将を見ると義元の側近(政治に関わる武将)と遠江勢の有力武将が多くいることに気付くのである。
これが桶狭間の戦いを読み解く重要なキーワードとなるのである。
さて話は本編に戻ろう。
松平勢は史実とは異なり、砦を落としたのちに反転して桶狭間に向かって進軍したあとに今川軍を奇襲して大戦果を挙げていた織田軍に突撃する形で戦いに参加した。
突然の松平勢の乱入に最初は混乱するも織田勢は直ぐさま態勢を立て直して反撃に転じ始めた。
この織田勢の迅速な対応を後押ししたのが大高緑地にいた木下藤吉郎が率いる観測部隊の報告であった。
この報告が各部隊に伝わったことに加えて観測部隊の指示で松平勢への的確な砲兵隊による砲撃で松平勢の勢いを削ぐことに成功したのである。
それでも、松平勢は止まることなく前進した。
「狙うは!信長の首ぞ!!」
信長と違い、秀康の狙いは最初から信長の首に的が絞られていた。義元公が生きているか分からないのに加えて敵は少数なので、いっきに大将首を取ろうという訳である。
反織田感情がMAXの松平勢の勢いは留まることを知らない。
この突然の状況変化に対して信長は直ぐさま自らの逃走へと切り替えた。
まさに脱兎の如く逃走して戦線を離脱するべく有力な武将と部下に守られて撤退を開始した。
「のぶながあああああああああ!!」
突然、どこからか降って来た一人の武将がいた。
その武将は本多忠勝であった。
その姿を見て信長達一行は驚愕した。
なにせ本多平八郎(織田のトラウマ)が突然空から降って来たからである。
これには、さすがの信長も驚いたが…それは一瞬で直ぐさま逃げようとする。それを阻止するべく忠勝は持っていた槍を信長めがけて投げたのである。
投げられた槍は信長めがけて飛ばされるも途中で弾き返された。
弾いたのは前田利家である。
さて、ここで前田利家の桶狭間前の話をしよう。
前田利家と言えば加賀百万石で有名になって以来というもの勝ち組の一人という印象が強くなっている人である。(平凡なイメージが定着して来てしまった。)
しかし、彼は意外と波乱万丈な人生を送っている。
前田利家は尾張の有力な国人衆の家の生まれである。そのためか信長の傍に逸早く付いて回ることに成功し、信長とは禁断の愛の関係だった。イヌという愛称まで付けられていたことからも伺える。また、後に織田家の中核を担うことになる精鋭部隊の一員でもあった。
まさに当時のエリート層の一人であり、出世街道のど真ん中にいた一人であった。
そんな彼だが信長の側近を信長の目の前で殺してしまう事件を起こしたのである。これが桶狭間前の出来事である。
この出来事は妻である『まつ』から渡されていた大事な物を良く盗まれた為と言われているので必ずしも利家が悪いわけでは無い…それどころか横柄な態度で知られていた人物であっただけに起きるべくして起きた事件であった。
とはいえ、信長の側近の一人を信長の目の前で殺してしまったのは明らかに行き過ぎな行為であった。この行き過ぎた行為を見逃すことは信長自身のプライドからも許せなかったのか信長は利家を殺そうとしたほどであった。
しかし、柴田勝家、森可成のお陰で死罪は免れた。
死罪は免れたとはいえ、それまでエリート街道を突き進んできた出世頭からの転落は免れない事態に陥るのは避けられないどころか…織田家を追放されることになったのである。
追放後は相当惨めな生活を送ることになったと当の本人は言っている。しかし、追放後も織田家の家臣達との関係は完全には途絶えなかったようで支援は受けていたようである。
また、ここで時代を読み間違える愚か者であれば時期早々に歴史から名前を消していたのは間違いないだろう…
ところが前田利家は信長の傍に戻ることを願って機会を伺っていたのである。
彼は自分が利家だと隠さずに桶狭間に向かう織田軍に横から滑り込む形で勝手に従軍したのである。(史実)
そんな利家は信長に気付かれることなく、信長の傍に這い寄っていた。
本多忠勝が信長を槍投げで攻撃してくると利家は、ここぞとばかりに信長の前に出て忠勝の投げ槍を弾き返したのである。
もちろん信長へのアピールも忘れない。
「…」
この状況に信長は、どう反応し良いのか分からずに黙った後に何事も無いかのように後ろへと逃走していってしまった。
「逃がすか!」
本多忠勝の目には信長以外の存在は障害物としてしか認識しておらず、すぐさま信長を討つべく信長めがけて突進していくのである。
これに対して前田利家は自らの槍で本多平八郎を迎えうったのである。
両者が接敵すると利家は槍で忠勝を突こうとしたが忠勝は途中で引き抜いた刀で槍を槍頭の下の柄の部分を刀で両断して利家の攻撃を無力化した。
これに利家は驚きつつも刀を抜こうとするが忠勝が突進してきたために蹴り飛ばされて後方に吹き飛んでしまう。
この二人の攻防と同時並行的に森可成と河尻秀隆が左右から忠勝を攻撃するも二人の攻撃は忠勝に避けられてしまった。
直ぐさま二人が槍を引き戻して再度忠勝を攻撃しようとする中で態勢を立て直した利家が刀を抜いて忠勝に切りかかった。これを忠勝は自らの籠手で利家の刀を防いだ。
戦いは膠着状態になるかに見られたが…織田方の撤退は始まっていたために織田方の三人の武将は引き上げるタイミングを考えていた。
忠勝も信長を逃がしたこともあり、必要以上に三人と戦うのは得策ではないと考えたのかワザと三人から距離をとることにしたのである。
これを感じ取った三人は警戒しつつも忠勝から逃げるように戦場を後にした。
こうして桶狭間の戦いは今川義元本隊に壊滅的打撃を与えたものの前世のように義元の命までは取れないで終わる結果となった。
桶狭間後、義元公を伴って大高城に入った秀康は戦争の継続を訴えます。
これに対して義元公も「桶狭間での屈辱は必ず返す!」と強気の態度をとります。
秀康は直ぐさま次なる戦いの準備を始めるのであった。
第一次大戦の映像を見ていると『戦争が始まった当初は国民は乗り気だった。』と感じる映像が多いが…第一次世界大戦についての本(ちくま新書)を読んでみたら…必ずしも戦争は各国で歓迎されておらず、熱狂は都市部で限定的に起きていた現象だったようです。
基本的に第一次も第二次も共通しているのは『貧民や若者は意外と戦争に対して拒否反応が多い』という真実です。(現実的に犠牲になる確率が高いだけに反対者の比率は高くなる。)
それに対して特に第一次に関しては『露骨なほど権力者達が戦争を推進している姿が見られます。』この構造は現代も変わらないと私は確信しています。
この物語も戦争を描いていますが…一応戦場で戦っている主体は武士達です。彼らは江戸時代ほどでは無いですが権力者達と言って問題無い存在です。
ですが日本では武士が戦争をするのが常態化しており、これは西洋の騎士のような『なんちゃって兵士』では無く、本当に戦場の主力であり、戦いの主役でした。この点は重要な物語の要素になると思います。
なので無益な戦いや無駄な消耗戦は物語上では起きません。起きた場合は即主君への避難という形で表面化していきます。
今後の展開の中で重要なテーマになるかも知れませんね。
それと第一次を見ていると『食糧不足』は敗戦に直結するという事実を見た気がします。実際に食料不足が深刻な国の順で体制が崩壊していきました。
実は戦国時代も、よく調べてみると飢餓の話が出てきます。
話は尽きませんが、ここいらで話を切りたいと思います。
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