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新桶狭間の戦いの始まり

遅くなってしもうたw 『Stellaris』という廃人ゲームを作る悪名高きゲーム会社『パラドックス社』にやられてました。


要は宇宙分割を皆で楽しむゲームしてました。


この作品書くために世界観の勉強で毎回見る『映像の世紀』(旧)とか見るとゲームで私が考えてることより愉快なことを世界の指導者たちが話しているのを見ると笑えます。


まぁとにかく遅れて申し訳ないです。

 現在の桶狭間は宅地開発などで戦国時代当時とは全く違うものになってしまった。それでも現代の桶狭間周辺を見るに周囲には森や丘が豊富にあったことを示すように大高緑地などが存在する。さらには大小様々な河川が周囲には流れており、想像するに沼地や湿地も多かったと思われる場所となっている。桶狭間古戦場近くには長福寺という寺があり、この近くには東海道が通っている、このことから今川義元は岡崎城から出陣後に安祥城を通ったのちに敵対する水野氏の勢力圏である刈谷城や緒川城の近くを通る最短の大府ルートではなく、それを避けれて比較的に安全な東海道ルートを通って北上したと見られる。このまま北上すれば今川方の鳴海城に到達するが同地には織田方の砦が築かれていたこともあり東海道から外れる形で桶狭間を通るルートで大高城を目指したと思われる。


 この桶狭間は大府ルートと東海道ルートの中間に位置しているが現代でも比較的新しい宅地と施設が多いことからも想像出来る事に加えて同地の歴史を見るに随分最近までは村があっただけという感じのところであった。つまるところ人通りの多い道ではなく整備されたルートでは無かったのである。


 しかも、同地の名前の由来からも小高い丘が多くあったようである、この小高い丘はヨーロッパのようなものではなく、木か草が生え、沼地と湿地が合間にあったのであろう。まさに奇襲するにはうってつけの土地柄である。さらに付け加えれば同地のすぐそばには大高緑地という現代でも残るほどの立派な丘と森があったのである。


 今川軍は慣れない土地で正規ルートから外れて大高城を目指して行軍していたのである。進行ルートは自ずと決まっていた、土地に慣れない今川軍に対して織田軍は地元を知り尽くしていただけではなく、相手の目的地も理解していたので今川軍の通るルートと場所は手に取るように分かっていたのは間違いないであろう。


 ここで話は変わるが…奇襲とは敵の進行ルートの横あるいは背後から不意を突くことを言うのである。より正確に言えば敵の警戒ラインの外から敵を攻撃することを言うのである。である以上は理論上は平原や宇宙空間もしくは大海原のど真ん中であろうとも奇襲は可能である。


 ましてや今川軍は不慣れな土地を進軍しているのである。しかも同地は小高い丘があり、近くには敵が近くにまで接近するまで分からない隠れ場所が多かった。まさに奇襲しやすい環境であった。


 織田信長の動きは一見周囲から見れば攻めてくる今川に対して物事を決めかねて清州城で待機しているだけに見えたに違いない。


 しかし、実際は嵐が起きる前の静けさであった。巧妙に仕組まれた織田軍の砦配置により、今川義元の動きは制限されていた。つまり、今川軍の進軍ルートと動きは既に織田軍に掌握されていたのである。


 これに加えて謀略の天才であった織田信秀の息子であり、稀代の戦略家であった信長は今川方の内情を正確に把握していた。この時点で今川方の大きな問題は精強で尾張との戦いに積極的な三河勢と駿河勢に比べて度重なる出兵に重い税と今川家の圧力による内政干渉で疲弊し不満を貯め込んでいる遠江勢という風に二分されていたことである。


 遠江勢の離反は三河と駿河の連絡ルートの遮断に加えて三河勢の孤立化と織田家への鞍替えを引き起こし兼ねない大問題であった。さらに言えば三河勢の力を高め、駿河勢の弱体化になりかねない問題でもあった。つまりパワーバランスの崩壊である。


 この重大な問題も抱えた上での第二次尾張侵攻であった。故に義元は遠江勢を強引に戦場に動員する為に有力な遠江国の今川方の武将達に兵を率いらせてきたのである。さらにその軍勢を義元自ら率いることで遠江勢に戦いを強要しようとしていた。


 強要されている遠江勢の士気は当然のように低いものとなっていた。今川軍は数は多いが精強な三河勢は度重なる戦火で数が少なかったし、駿河勢は本国の防衛のために割かれている分も多いために全体の軍の中での遠江勢の占める割合は多いものであった。


 信長は義元の弱点である遠江勢の切り崩しを兼ねて敵の本隊を奇襲して叩き潰そうと考えていたのである。



 そのために義元の本隊の動きを探らせていた。具体的には間者を使うという手であるが…それだけではなく、今川方に下ったフリをした国人達を送り込んで内情を探る共に自軍に有利な場所を通るように仕向けていたのである。


「信長様」


 サルが信長の元にやってきて信長に話しかけて来た。


「予定通りか…」

「はい」


 信長はサルの返事を聞くと勢いよく立ち上がった。


「熱田神宮へ参るぞ!!」


 それを聞いた周囲の武将たちが騒ぎ出す。


「信長様のご出陣だー」


 熱田神宮は尾張国の中でも一番大きな社である。この熱田神宮には三種の神器の一つである草薙神剣が祭られている。また熱田神宮は織田信長の父である信秀の巨万の富を支えた最重要地域にある重要な施設でもあった。


 まさに、信長の「熱田に行く!」は「いざ!鎌倉!!」と同じ意味であったのである。


 ここで戦勝祈願をする信長の姿を見て多くの将兵が武者震いで身体を振るわせた。


「敵は桶狭間にあり!!全軍出撃せよ!」

「「おおー!!」」


 信長の率いる軍勢は多くは無かった。何故ならば大軍では敵に自軍の動きを察知されるからである。奇襲である以上は少数の精鋭で行うのが鉄則であった。集められたのは信長が最も信頼する武将と兵士達である。ただし、中には柴田勝家など先の戦いで反信長側にいた将兵もいた。彼らは名誉挽回とばかりに目ざとく信長の動きを知って駆け付けて来たのである。


 これら不穏分子になりかねない将兵も信長は快く受け入れて出陣したのである。



 信長を先頭に軍勢は桶狭間へ向けて進軍した。


もちろん戦車の有る世界観で現代の地形を参考にして戦いは行われます。しかし、私は、それでも桶狭間は奇襲しやすい場所であると思います。



前書きでも述べましたが…『映像の世紀』(旧)とか『カラーで見る第一次世界大戦』とか見ると本当に現実の世界では小説よりも現実離れした真実が語られていてビックリしますね。もし『論より証拠』の映像が無かったら今頃は『昔の人が誇張していた!!』とか言って歴史の奥へと消えているに違いありません。


これと同じで戦国時代も映像があれば我々の想像を超える戦いが行われていたに違いありません。


とにかく映像は歴史学者を必要としないほど鮮明かつ真実を語ってくれる道具となっていると確信します。


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