結城家への処遇
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北条方と戦っていた上杉軍も宇佐美定満の陣頭指揮のもとで撤退に成功した。被害は多きかったものの上杉の主力は撤退に成功した。これに対して結城家の手勢は松平家の旗本先手衆に撤退中に発見されて追撃される羽目になる。結果、撤退に失敗して今川軍に包囲される事態に陥ってしまった。
「秀康殿、結城春朝に対する対処はどうするかね?」
「…」
今川義元が秀康に投げかけた言葉は秀康にとって非常に困った言葉となった。なにせ結城春朝といえば史実で秀康の養父である、つまり義理のお父さんに当たる人である。ここで「殺しましょう♪」とは口が裂けても言えない、かといって簡単に許すわけには…
ええーい!どうにでもなれ!と半端やけを起こして開き直った秀康は助命を願うことにした。
「義元様、ここで春朝を殺すのは容易いでしょう、しかし、殺さずに生かしておけば今後、北条家にとっても我らにとっても良いことになるはずです。」
「ふむ、確かに…だが、春朝も武士の矜持の一つでもあるであろう、そう簡単に投降に応じるかな?」
「私が行って説得しましょう!」
「…お手並み拝見といかせてもらおうか…」
そう義元に言われて秀康は結城陣営へと向かった。結城陣営は突然、自分たちを追い詰めた原因を作った敵の大将が訪問してきて驚いてザワザワとザワつくことになった。
結城春朝も随分驚いたが交渉は秀康がリードする形でスムーズに進み、結果として結城家は今川家に降伏することになった。春朝は秀康の行為に感動したのか「側室で良いから秀康殿に娘を嫁がせたい!」と申し入れてきたが…秀康は「結婚したばかり故に無理は言わないでください…」と言って断った。ちなみに春朝の娘は史実では秀康の妻の母親である。代わりに春朝は部下の犬塚番作を秀康に仕えさせると言ったために秀康は番作を含む数人を召し抱えることになった。
その頃、別の場所では佐竹家と北条家が戦っていた、兵力が少ない割に佐竹勢は北条氏照に対して善戦しており、北条の攻撃に良く耐えていたが…先に上杉の方が撤退を始めたために佐竹勢も撤退せざるおえなくなった。
「義重様を守るために!ここは一歩も引かずに敵を向かい討つぞ!」
そう主張して佐竹勢の家臣達が攻めてくる北条勢に決死の戦いを仕掛けて北条軍を止めたことにより、佐竹義重は撤退に成功した。
関東決戦は上杉軍の撤退で終わるものの連合軍側の被害は甚大であった。特に今川と武田は予想していたより被害が大きくなったために北条家に追加の要求を突きつけることを決めた。
武田晴信は関東決戦後、直ぐに北条家の領内にある要所を占領して爆弾を仕掛けて脅しの材料とした。怒った北条方は兵を出して両軍睨み合いの事態に発展した。
「追加の褒賞金を出せ!」
武田晴信は北条氏康のいる陣屋まで家臣達を率いて乗り込むと氏康を脅迫し始めた。
「さもないと主要な橋や鉄道を破壊するぞ!」
「…」
北条家の家臣達は怒りを露わにして今にでも刀を抜きかねない勢いであるが武田の家臣達も刀を抜く仕草をして応じて見せる。そんな中で晴信と氏康は互いに睨み合いながら対峙する。
「追加の褒賞金を払おう」
「氏康様!」
「よせ、今は耐えるのだ!」
氏康に言われて北条家家臣達は怒りを抑えざるおえなくなった。
今川家は結城家を北条家に与力として与えることにした。これにより結城家が今川家臣の北条家所属という形になった。
上杉景虎は撤退しながらも憂鬱な気分でいた、理由は関東決戦で負けたからでも晴信を討ち取れなかったからでもない。側近の直江景綱が負傷したと聞いて驚いたからである。聞いた時は心臓が飛び出る勢いであったが直ぐには行くことが出来ずに鬱陶しい思いをさせられた。
「山本勘助の方はどういたしましょうか?」
「殺すでは無い、大切な人質だ、丁重に扱え!」
「ハッ!」
景虎は難しい局面になり、兵器も多数失ったが肝心の人的損害は低かったので上手くやれば軍の再編は出来るし態勢は立て直せると考えた。
「冬になる前には越後に撤退しなければいけない、関東のことは北条高広に任せる。」
「北条は適任だと思いますが…」
「信用するしか無いだろう」
北条高広は優秀だが…裏切り癖があるので油断できない面はあった、しかし、景虎は彼を信用していたし、信じたいと思い任せることにしたのである。
関東決戦後、秀康は各地を転戦して活躍した、これにより北条家は松平家に恩を感じたのか秀康に横浜で会食に参加してほしいと申し入れが入った。
8/11日はお休みします。
字数を少ないですが…これで関東決戦の話は終わりとします。※今後加筆する予定です。
そういえば、ブックマークが増えたのに…お礼言っていなかったので遅くなりましたが、ありがとうございました。
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