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野良田の戦い

浅井家は北近江を支配しており、北近江は現在の福井県と岐阜県を京都と結ぶ交通の要衝地であった。北陸からの資源や物資は陸路にしろ海路にしろ必ず北近江を通らなければならなかった。京都に大量の資源と物資を運ぶ最重要な港湾都市である敦賀港からのルートは浅井領を必ず通った。山陰地方からの資源と物資は敦賀港を通して運ばれていた。


北近江と言えば!


後の『賤ケ岳の戦い』や『関ヶ原の戦い』といった決戦の地の直ぐ傍として有名


要するに日本における主要な交通の要衝として古代から現代に至るまで最重要地域だったと言える場所である。


そのような地域なので経済力的には実は六角領と本来は変わらないはずだった。それどころか戦国期には国友衆という非常に優れた職人集団を支配下に置いており、高い工業力を有していた。


浅井家には高い工業力からくる強力な軍事力があった。


だがしかし!


浅井領の隣国は大国越前国や美濃国であり、南には六角家がいた。越前国には強大な力を有している朝倉家が存在していたし、美濃には斎藤家が存在していた。


実は野良田の戦いが起きる直前には織田信長を苦しめたことで有名な斎藤義龍が浅井家に攻め込んでおり、浅井家側は全力で斎藤家と戦わなければならなかった。


斎藤家と戦うためにも六角家との同盟は重要だったので不平等な同盟にも納得しなければならなかったのである。


その義龍による激しい攻撃に耐えて撃退に成功、斎藤義龍の宿敵だった織田信長が『桶狭間の戦い』で今川義元を破ったのが永禄三年五月十九日だった。『野良田の戦い』が起きたのは永禄三年8月中旬というわけで全く無関係どころか大いに関係していた。


『桶狭間の戦い』の三か月後に『野良田の戦い』が起きた!


織田信長が今川義元を倒した後に三河に攻め込まないことが分かったからこそ!!


浅井家は織田信長が美濃に攻め込む意志が高いと理解した。だから斎藤家は北近江には攻め込めない


故に美濃勢による攻撃は無い


だから六角家との戦いに集中できる!!!


これが浅井家の思惑だった。



近江国愛知郡 肥田城


肥田城城主「六角家の旗を降ろし!浅井家の旗を掲げよ!!」


六角家臣だった肥田城城主が突如として六角家から浅井家に寝返った。


蒲生定秀「大変でございます!肥田城城主が浅井家に寝返りました!!」


六角義賢「なんだと!」


後藤賢豊「これは浅井家の策略です。」


浅井家側が六角家に対して独立戦争を挑もうとしているという事実は以前から噂になっており、事実として浅井賢政(長政)は名を返上して新九郎とした。新九郎は賢政(長政)の幼名である。要するに名前を返上したので幼名に戻った訳である。嫁いでいた六角家臣の娘も返してきたほどだった。長政の方が有名なので以降は新九郎(長政)表記になります。


だけれども!同盟は維持されており、六角家側から同盟を破棄する積極的理由も無かった。何よりも15歳の若造に何が出来る訳も無く、ほっとけば自滅する可能性もあったし、斎藤家が再び攻めれば六角家に救援を依頼してくるだろうという楽観論もあって六角家側は浅井家に対して直ちには行動に出ないことで意見が一致していた。


それは大きな間違いだった。


結果として浅井家側が戦いを仕掛けるまで放置して時間を与えただけだったのである。


六角義賢「許し難い暴挙だ!今すぐ全軍を召集して肥田城を攻めるのだ!」


後藤賢豊「直ちに準備します。」


近江国愛知郡肥田城は六角家の本拠地である観音寺城から距離にして約8㎞である。目と鼻の先で反乱を起こされたのだから六角家としては許し難い事態だった。


六角家側は総動員をかけて肥田城を攻撃した。


ところが肥田城は六角家の大軍を相手にしても一歩も退かず、戦いは膠着することになる。


浅井陣営


浅井新九郎(長政)は家臣からの知らせを受け取ると即行動に移った。浅井家の全軍を集結させて肥田城救援のために向かった。


浅井新九郎(長政)「今こそ!六角家の連中に浅井家の武威を見せてやるのだ!!」


15歳の少年とは思えない即断即決で迅速な行動は多くの家臣達を関心させ従わせることに繋がった。大勢の兵士達が新九郎(長政)に付き従って進軍を開始した。


蒲生定秀「浅井勢が向かって来ております。」


後藤賢豊「義賢様、一旦後退して態勢を整えてから攻勢をかけてる方が良いのでは無いでしょうか?」


蒲生定秀「数ではこちらが優位なのだから、一気に攻勢をかけて敵を叩き潰すべきです。」


六角義賢「私も蒲生の意見の方が良いと思う」


後藤の意見は主君に受け入れられずに蒲生の意見が通ることになった。こうして六角軍は迫りくる浅井軍に対して迎撃作戦を開始する。


肥田城は宇曽川に隣接していたので宇曽川を挟む形で戦いは始まった。


浅井新九郎(長政)「六角軍は数で有利なことを利用して橋を渡って攻めてくるぞ!」


赤尾清綱「六角家には吉田砲兵術(弓術)という優れた砲兵術が存在します。砲撃戦では勝ち目がありません、ここは一気に肉薄して敵が砲撃による援護射撃を十分に受けられないようにするべきです。」


海北綱親「私が別動隊を率いて後方で待機します、チャンスと見たら敵の側面や背面に切り込んで敵を倒します。」


浅井新九郎(長政)「相分かった。私は兵士達の先頭に立って陣頭指揮を取るぞ!」


赤尾&海北「えっ!?」


二人が止める間も無く新九郎(長政)が行ってしまうので二人は納得せざる負えなかった。


浅井新九郎(長政)「皆のもの我に続け!」


浅井兵士達「おおー!」


主君自ら先頭に立って陣頭指揮をするので兵士達の士気は高まり、浅井勢は新九郎(長政)の指揮の下で橋を渡って来た六角軍に対して突撃を行った。猛烈な勢いで突撃して来る浅井軍に対して砲撃が間に合わずに乱戦に持ち込まれていった。


蒲生定秀「これはマズい!全隊態勢を立て直すために一旦後退せよ」


蒲生が各隊が幾つかの橋を渡ったせいでバラバラになっていたこと、また橋を渡った後に隊列を組むために個々の隊が他部隊との間を空けてしまったことに対して


危機感を覚えた丁度その時


海北綱親「今だ!全隊的に対して攻撃を開始せよ!」


バラバラになって大きな間隔を空けていた敵隊に対して浅井軍の海北が率いる各隊が、それぞれ敵の側面や背面に突撃して切り込んでいった。


圧倒言う間に六角軍の戦線は崩壊してしまう!


こうなってしまっては態勢を立て直すのは難しく


後藤賢豊「義賢様、このままではマズいです。後退せざる負えません」


六角義賢「何といことだ!後退せよ!!」


こうして浅井軍は六角軍に対して勝利したのである。



浅井新九郎(長政)は15歳にして『野良田の戦い』で圧倒的戦力差を覆して大勝利を挙げたのである。これにより浅井家は六角家からの独立を勝ち取った。


浅井家は六角家に対して休戦協定を結ぶことを提案する。この提案に六角家側も了承することになり、両者は一旦は矛を収めることで納得した。


この休戦協定終結には織田家の協力があった。織田信長は浅井家が六角家との戦いに集中するよりも斎藤家との戦いに集中してもらった方が良かったからである。また『野良田の戦い』での浅井新九郎(長政)の活躍を見て信長は長政の将来性に感動した結果として浅井家との同盟を結ぶことを考え始める。


従属といっても松平家が今川本家に連なる人物と結婚出来たのに対して浅井家は六角家との婚姻で家臣の娘との結婚をせざる負えなかったことを考えると松平家と比べて浅井家は支配領域の大きさ同じか大きいくらいだったのに対して下に扱われる存在だったことが分かる。


浅井家は『野良田の戦い』をきっかけに周囲の大名家から一目置かれ始めた。その結果として織田家との同盟までも呼び込むことに成功したのである。中小大名から大大名へと脱皮し始めたと言えるだろう

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