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清水寺の戦い

六角陣営は『将軍山城の戦い』で大損害を受けたものの主力部隊は無傷で済んで逆に三好方の主力部隊に大打撃を与えることに成功していた。北部方面では内藤宗勝率いる軍勢が抵抗を続けていたが情勢は良く無く後退を余儀なくされたことにより若狭の武田家などが南下する姿勢を見せたこともあって三好方は後退せざる負えなくなった。


後藤賢豊「京都に攻め込むには有利ですぞ」


六角義賢「確かにそうだな」


六角勢は畠山高政と合流するべく京都への侵攻を再開した。状況は三好方に不利となり六角勢は京都へ入ることに成功したかに見えた。


しかし、足利義輝は京都に六角勢が入って来ても協力する姿勢を見せなかった。それどころか清水寺に布陣して防御陣地を構築して六角勢と対決する姿勢を見せてきたのである。


この行動に驚いた六角義賢は和平の使者を送るものの義輝の決意は固く翻すことが出来なかった。


六角勢は仕方が無く清水寺へ進軍することになった。


清水寺の周辺には鎌倉幕府が京都支配の拠点とした六波羅探題があった場所がある。つまり京都では極めて重要な位置づけの土地であった。


清水寺近くにある東山には将軍塚というものがあった。


足利義輝「ここが将軍塚か!」


細川藤孝「ここが京の都が出来る切っ掛けになった地だと言われております。」


桓武天皇は都を奈良から京都の南方、長岡に移したが災難が続きいた。この時に和気清麻呂が天皇をこの山上に誘って東山に登って京都盆地を見下ろしながら、都の場所にふさわしいと進言したそうである。その結果として天皇はその勧めに従って延暦十三年(794年)に平安建都に着手したと言われている。


義輝「新田義貞が我が祖先である尊氏様を倒した場所でもある。その場所に今は私が陣取って足利家に渾名すものと戦うというのは実に甘美なものだな」


藤孝「勝ちましょう」


義輝「うむ」


ちなみに将軍塚の由来は桓武天皇が東山に将軍の像を作って設置したからだと言われている。


将軍塚で必勝祈願をした後に軽い食事をとったところで六角軍襲来の知らせが来たので皆鎧を着て出陣することになった。



蒲生定秀「全軍進め!」


六角軍の主力として攻めてきたのは蒲生定秀だった。蒲生は出来るかぎり砲撃は控えて街への被害を最小にしようと努力していた。


砲撃をして街を瓦礫の山にしてしまう行為は瓦礫という名の防御陣地を防衛側に与えてしまうリスクもあったので攻撃側としては市街戦で少しでも有利に進めようとしたという面もあった。


大勢の市民が逃げ出す一方で市内に残っている市民も多かった。彼らの多くは自分の家を守ろうと考えて家の窓や壁に板を張り付けて守っていた。家や建物には『戦争反対』の文字が書かれた紙や横断幕が貼られていた。


多くの人々は度々怒る争いにウンザリしていたのである。どっちに協力しようなんていう考えは全く無かった。ただただ戦いが終わるのを待つだけだったのである。


藤孝「敵軍来ます」


義輝「剣豪将軍の力!今こそ見せてやる!!」


義輝は自ら前線に出て剣豪将軍の異名は嘘では無いことを示そうと躍起になっていた。だから将軍自ら最前線で戦うというのだから幕臣たちは大慌てとなった藤孝も十兵衛も甲冑を着て幕臣皆で義輝のために奮戦することになった。


六角兵「将軍の御旗だ!」


将軍本隊の御旗と共に将軍自ら先頭になって迫って来て六角兵は狼狽えてしまい後退する事態になってしまった。


定秀「後退せよ」


仕方が無いので定秀も後退の指示を出さざる負えなかった。さすがに『将軍殺し』の汚名はきたくなかったのである。


後藤賢豊「山科方面の防衛線を突破しても敵は清水寺から撤退しません」


六角義賢「力攻めして我が六角の武威を見せてやるべきだ!」


賢豊「将軍自ら前線に出てると言われています。将軍の側近を含めて殺してしまうのは避けた方が良いと思うのです。」


賢豊は『将軍殺し』を恐れていた。将軍殺しは重罪という意識があったのである。


義賢「幕政は伊勢貞孝が握っているので万が一殺したとしても問題無いはずだ。」


義賢は『将軍殺し』を言うほど恐れていなかった。細川氏とも婚姻関係があるし、もともと三好と将軍家は仲が悪いと分かっていた。それに幕政を握っている伊勢貞孝は義輝を見捨てている様子だったので義輝の奴が死んでも幕政は六角家が握れるのは確実だったからである。


賢豊「なりません!将軍を殺すなど許されるはずがありません。」


ここに来て六角家の家臣達は義賢の態度に疑問を持ち始めていた。


義賢「なんだと……」


有力家臣達の反対が強くなっていた。義賢は清水寺に対して総攻撃を仕掛ける命令が出せずに終わったのである。


義輝「敵は怯んでいるぞ!突撃せよ!!」


義輝の命令で足利軍が六角軍に対して総攻撃を仕掛けた。すると六角軍は退却を開始してしまったのである。結果として義輝は勝利を手に入れてしまった。


義輝「このまま京都に進軍してやろうか!」


藤孝「それよりも三好と合流するのはどうでしょうか?今なら三好方も我々を軽んじることは無いと思います。」


清水寺に布陣したこと将軍自ら出陣するという奇跡のお陰で完全に六角軍は萎縮していた。本気で戦えばお互いに相当な死者を出す可能性があったが敵が後退してくれるお陰で将軍が圧勝しているように見えることは重要であった。今のところ三好は負け続きである。


義輝「今こそ、我々の力を三好に認めさせるべきだな」


藤孝「はい、ですから三好勢と合流して長慶に将軍への忠誠を今再び示すようにするのです。」


危機的状況下ではあるが……三好が劣勢な間に三好に味方したことは大きな貸しを作った上に再度忠誠を誓わせることで将軍家の威信は高まるはずである。それで情勢が変われば『将軍のお陰で勝てた。』となるはずだと藤孝は考えたのである。


戦局は全体としては三好不利で悪化していたが足利勢は上手く六角勢と戦えているお陰で戦力が温存されてるし、十兵衛が何処からか物資を調達してきてくれるお陰で装備も充実してきていた。


上手くいけば三好家を足利家が支配できるかも知れないと義輝も藤孝も考えるまでになっていた。

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