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徳川改姓について富正と成重と話す秀康


第二次尾張侵攻中に松平家は斯波義銀の影響力を駆使して平岩親吉に幕府及び朝廷との交渉をおこなわせていた。


松平秀康、本多富正、本多成重の三人が改名について話をしていた。秀康は父徳川家康よりも自分が上であることを示す方法を考えていた。


松平秀康「父上が行ったことで凄いことの一つは徳川姓を創造したことだが……その理由は分かるか?」


本多富正「新しい姓を創造するというのは、ユニークな手段でしたよね」


本多成重「サルが後に木下から羽柴にしてるが、それよりも先だからな!それは凄いと思うぞ」


現代の学者を含む多くの人々は名字を改めることの重要性を実感し難いのが問題でもある。時系列的には木下藤吉郎の改名よりも遥かに早く行われている。


富正「松平家の多様性と松平宗家の地位を巡る争いが原因だと考えられませんか?」


秀康「三河には父上が生まれる前に既に十八松平家という宗家から独立した多様な松平家が存在してる。その中には桜井松平家のように一時は宗家を凌ぐ勢いを持っていた一族もいたほどだ。それに加えて松平宗家の内で初代から三代目までは実は後の徳川宗家となる安祥松平家では無いことも見逃せない真実だ。」


成重「松平長親は安祥松平家の三男に当たるので松平家の中では分家筋の分家だったからな」


富正「松平家は一枚岩では無いですし、しかも織田家のように織田信長が他の織田家(主家筋)を滅ぼしていったような方法は家康様には出来なかったのでは?」


秀康「敵は多いからな……」


三河一向一揆の時ですら一部の松平家が反旗を翻す一方で長沢松平家のように家康陣営に忠節を尽くす松平家も多かったからである。つまり、一枚岩では無いが織田家ほど松平家の結束は弱く無く、宗家と分家はお互いに支え合う関係だったのである。さらに言えば酒井家、本多家、水野家など松平家と繋がりの強い準松平家も多数存在しており、彼らの強い忠節のお陰で松平宗家は支えられていたのである。


富正「今川家みたいに今川と名乗れるのは本家筋だけ!とは今更言えませんからね」


成重「そうだな!誇り高い松平姓を強制的に変えさせるには無理なくらい分家勢が強いな」


秀康「父上は今川という姓の強さに惹かれていた。晩年は駿府にいたのは今川時代の思い出が懐かしいからだと思ってた。」


成重「富士山が見えるから景色が良かっただろうな!」


秀康「改名するにしても世間がカッコいいと思う姓にしたいという気持ちが父上にはあった。」


改名をする場合は家臣や周囲の大名、それから朝廷や幕府に認めて貰わないと今後の外交や官位や役職、そして領地の支配にまで影響が出てしまうので既存の名字を使って理論武装こじつけをしないといけない。そこで家康が考えたのが昔存在していた新田氏の分家筋の得川氏の存在である。この得川氏に復姓するということで改名を実現しようと企んだのである。


新規に姓を創造している訳だけど……その革新性を隠すためのストーリーが必要だったとも言える。


秀康「父上より完璧な方法で改名したいな!」


富正「そうですね!」


成重「ですな!」


秀康「時の将軍で剣豪将軍と言われる足利義輝公に改姓を認めさせる必要がある。」


この物語だと散々酷い言われようの足利義輝だが……足利家が一時的とはいえ再興する兆しを見せた最後の将軍という意味では重要な存在である。この足利義輝に改名を認めさせれれば今後の天下取りが有利に運ぶと秀康は考えたのである。


富正「そのように出来るよう努力します!」


成重「親父コンプレックスの秀康のために!」


成重の余計な一言に秀康は腹を立てたのか成重を睨むが成重は、どこ吹く風のようにスルーした。


秀康「父上よりも偉大な人間になりたいのだ。」

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