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秀康、織田信長と会う

 秀康は義元の許可を取って和平のお礼ということで京都に上洛することにした。


 この当時の京都は荒れていた。荒れていたと言っても京都人の根性は称賛すべきものである。(西洋の歴史書風(笑))でも実際に京都人は凄い!京都は応仁の乱以前から戦乱に晒されている。室町時代だけを切り取っても初代将軍足利尊氏が後醍醐天皇を打倒するべく挙兵して京都を攻めている。その後も足利将軍の傀儡である北朝と後醍醐天皇系の南朝の争い(南北朝時代)が数代に渡って続いている。第三代将軍の足利義満の時代に一時は混乱が収まるも足利義満が没する。(暗殺説が濃厚)


 第四代将軍は比較的安定した政権だと言うが…晩年は三国史の孫権並の後継者問題を起こしていたり、関東に戦国時代を巻き起こしたりしている。(戦国時代は応仁の乱でなったと言うが…実は関東だけに限定すると応仁の乱前から事実上の戦国時代であった。)


 第五代は早死している。第六代になると『くじ引き将軍』こと足利義教が将軍となる。この人物は日本史において特出するべき人物であった。彼は信長より先に『第六天魔王』と言われた人物である。先ほど言っていた関東の争乱も実は一時的に義教が平定しており、彼は日本を文字通り支配し平和にした人物である。


 彼の政策は全てにおいて最先端であったが…信長の時代ですら反発の強かった様々な改革を実施しようとした為に非常に多くの敵を作ってしまった。その結果、義教は多くの家臣が見守る中で家臣に殺されてしまった。


 この暗殺の時に義教を必死に守って死んだ数少ない人間の中に大内氏の当主がいた。この時の恨みが後に京都に襲い掛かることになる。


 この第六代将軍が事実上の足利将軍家の中で大きな力を持った最後の将軍と言って良いだろう…第六代以降の将軍は小粒となってしまう。


 第七代将軍は幼い上に早死にである。第八代は前回でも話に登場した足利義政である。つまりは応仁の乱である。銀閣寺という豪勢なマイホームを作ることが出来たという意味では足利義政は強い権力を持っていたように見えるが…まだ、この当時は足利義政が強いというよりは足利一門が強かったからこそと言えるだろう。


 応仁の乱以降は足利一門の没落が始まり、次第に将軍は傀儡という意味では価値はあったかもしれないが本質的には『居てもいなくても良い存在へと変わっていった。』と言えるだろう。


 その間、京都は常に戦乱に晒される羽目になった。応仁の乱以降に特に特出するべき争いとしては『大内氏の上洛』と『三好vs細川』がある。前者の大内氏は義教時から強い力を保っていた一大勢力である。


 大内氏の力の源は広大な支配領域(現:山口県と福岡県)に加えて朱印貿易という中国との貿易によってもたらされる巨万の富にあった。この巨万の富は現在の銀閣寺の池にある一番大きな石、通称:大内石という名前からも分かる通りである。その巨大な富を背景に大内氏が京都への上洛を仕掛けたことがあった。


 この上洛の軍勢の中に実は若き毛利元就がいた可能性がある。少なくとも毛利元就の父と兄は参加していたのは確実である。その父と兄は上洛戦の心理的な過労により死んでいる。


 後者の『三好vs細川』は足利一門の没落を決定的とした戦いであった。この戦いは実は呆気ない程簡単に三好長慶が勝利している。決戦を仕掛けようと三好長慶が攻めたところ細川勢が大混乱して逃げ惑い敗北するという形であった。まさに『おごれる者久しからず』という平家物語の一文をコピペ(体現)したかのような没落ぶりである。


 さて話は長くなってしまった…


 まぁとにかく京都は室町時代初期から、そんなに平和では無かったことが読み取れるであろう。~幕府と聞くと江戸幕府を思い浮かべる人が多いと思いますが…三つの幕府の中で将軍が安定して権力を持っていたのは江戸幕府だけである。なにせ江戸幕府には第十一代将軍徳川家斉という『オットセイ将軍』(ヤリチン将軍)という長生きのクソ野郎が居たくらいである。(笑)


 江戸幕府が異端と言えるだろう。


 またまた話がズレてしまった。


 とにかく、京都は幾度も壊され略奪されておきながらも幾度も再建されていた。そこには涙ぐましい一般庶民の努力があったのである。





 秀康が訪れる時期の京都は比較的安定し始めていた時期である。それは三好家のお陰であった。


 そのような時代の中で第十三代将軍足利義輝は足利将軍の力を取り戻そうとしていた。



 松平秀康は京都に向かうために伊勢湾を渡り自治都市となった桑名に入ろうとしていた。


 松平秀康一行が桑名を通ることを見越して信長も桑名を通るルートを選択したことである。


 松平秀康は主だった家臣を引き連れて重武装で伊勢湾を渡り、桑名へと到着した。秀康が船を下船して物々しく桑名市内へと入ろうとしたら、正面から華やかな甲冑を着た集団と出くわすことになった。


 すぐさま本多忠勝が秀康の前に出て正面から来た集団に睨みをきかせると相手も負けじと殺気を出して対抗してきた。相手は、どう見ても織田家の集団であっただけに松平家の家臣だけではなく、同行していた今川家臣達も一緒になって織田方に殺気を飛ばしていた。


「なんだ、なんだ!上洛する仲間同士で揉めるな!」


「そうだぞ!お前たち、武器を下げろ!!」


 正面の集団から信長が出てくると家臣達を叱りつけるのを見た秀康は直ぐに部下達に武器を下げるように命令した。だが、忠勝は唸り声を挙げて引き下がろうとしなかった。


 まさに今にでも信長に襲いかからんばかりに信長を睨みつけるものだから…相手方からも森可成などの武闘派が出てきて忠勝に襲いかかろうとする状態になった。


 これはいかん!と思った秀康は忠勝の前に強引に出ると信長に挨拶をした。


「信長殿!出向いご苦労です、それでご用件はなんですか?」


 そう言われて信長が少しムッとする感じがあったが…直ぐに気を取り直したのか返答して来た。


「うむ、秀康殿が京都に行くと聞いたのでご一緒したいと思ってな…」


 なるほどなるほど…信長殿は俺と話がしたいらしい


「分かりました!しかし、ここでという訳には行かないでしょう?」


「ああ、桑名の料亭に既に席を用意してあるから…そこで話をしよう!」


「奢りですかな!ありがとうございます!!」


「さようか…」


 秀康は奢りだと勝手に決めつけて信長との会食を快諾した。


「おい、忠勝行くぞ!」


「…」


 秀康が忠勝に呼びかけると…忠勝が秀康を睨んできた。おいおい…怖いよ!忠勝さん…止めてくれません?


 親の仇で相性最悪とは言え…今は引いてくれませんかね?そんなことを秀康が言えずに忠勝と睨み合う。すると忠勝も察したのか槍を持ったまま信長が向かった方向に歩き始めた。


 ホッとした秀康も忠勝の後を付いていくことにした。


 本多忠勝…恐ろしい子である。父上も…さぞかし、信長と会う時は常に肝を潰す思いだったのに違いない。なにせ傍に狂犬が常に居たのだから…


 とは言え、一方的に忠勝が信長を敵視しているだけで…何故か信長は忠勝が気に入ったらしく…問題は起きなかったらしいが…本当に大丈夫なの?と疑問に思う秀康であった。

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