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織田信長が倒せない!

ふと自分が大量にため込んでいた書きかけという名のストック達を見たら意外と良い感じのものが大量にあって笑った……


以前上げていて消したのを含めて


今見ると別に消す必要無いと思えるものが多かった。自分に驚く……


何を悩んでいたんだ?


という訳で上げて行くことにします。時系列とかゴチャゴチャになってるかもしれませんが……


申し訳無いです。

 森可成の所属している森氏は旧国名では尾張国出身だが実は美濃勢である。何故なら森氏は現在の岐阜県出身であり、道三以前は美濃の守護大名土岐氏の家臣であったからである。



 そう美濃国には致命的な問題があったのである。それは統一するのが困難と言う問題である。前の話でも触れたが美濃国の周囲には強敵が多い。そして美濃国の問題点は美濃の国力を支える木曽川の支配権の問題が常に美濃のアキレス健になっていた。



 グーグルマップで美濃国つまり現岐阜県を見ると分かるが木曽川は愛知県との県境になっている。これは当時(戦国時代)でも同じであったと考えられる。そして木曽川を支配する上で美濃と尾張どちらが有利かという問題が生じていた。結論から言えば尾張側の方が有利である。



 木曽川の上流域を除けば、木曽川の川幅が狭い部分の要所である犬山城(白帝城)を始めとした拠点はことごとく尾張側にあり、木曽川を通して材料を運び入れる生産拠点や消費地も尾張側にあった。そして何よりも木曽川の下流域は美濃側では無く尾張側にあったのは致命的であった。



 ※現代においても河川は重要な交通の要所である。浄水施設や発電施設なども河川域にあり、工業で使用する水も河川からくみ上げている。日本だと意識しづらいがドイツの生命線であるルール工業地帯などを想像してくれれば分かりやすいと言える。あとセルロースナノファイバーの主な材料が木材なので木材輸送にも河川は重要な役割を担っていた。



 このことが森氏を始めとした美濃南部の勢力の織田氏への従属を強めさせる原因になっていた。それだけでは無く、木曽川上流域である東美濃勢ですら織田家に従属しているという現実があった。これは東美濃の遠山氏を見れば分かるのである。ただし、遠山氏の場合は複雑で武田家にも仕えていた。



※ヨーロッパでも見られる現象であるが…封建領主は複数の国王に仕えるのが当たり前であった。遠山氏は斎藤、織田、武田の三氏に仕えていたことになる。



※余談ではあるが…遠山氏は美濃の農産物を織田家に売っていた。これは裏切り行為と言うよりも美濃の外貨収入が尾張への農産物輸出にあった為である。戦時のために尾張では農産物が高騰していたこともあり、美濃の商人達は積極的に尾張に農産物を輸出したがっていたのである。他にも武田家から軍事物資が密かに織田家へと送られていた。これらから上がった利益の一部は斎藤家へと収められていた。



 木曽川は、その名の通り信濃国の木曽群から流れている川である。木曽郡には木曽氏がいた。この木曽氏は武田家傘下であり、武田家とは血縁関係を結ぶほど武田家から有力視された一族である。この一族の有力化をしているということは武田家にとっても木曽川は重要な川であったということであり、そのために武田氏は東美濃を支配下に入れようとしていたのである。



 この木曽川を巡る戦いは伊勢の北畠氏にも利害があった可能性すらあるほど大きな争いの原因となっていた。どちらにしても木曽川を支配する上で織田家は圧倒的に有利な拠点を保有しており、この状況を改善しない限り、斎藤氏の美濃国での力は強まるはずが無かったのである。



 木曽川を通して見れば分かる通り斎藤家は極めて苦しい中で織田家と戦っていた。それでも史実で滅ぶ寸前まで何度も織田軍を撃退したり破ったりしているのを見ると斎藤家の実力は決して弱かった訳では無いことが分かるのである。


 白帝城の戦い後に美濃へ撤退した義龍は白帝城の戦いでは織田軍に大きな被害を与えたことを強調して自らの勝利を国民に宣言して軍を解散させた。



 ところが軍を解散後に義龍の元に緊急事態の報告が入った。


「大変でございます!織田軍が尾張国境を越えて美濃へ攻めてきました!!」


 この知らせに義龍達美濃勢は慌てて解散した軍を呼び戻して織田軍の迎撃に当たることになってしまった。


 この織田軍の攻撃は撃退された。


 しかし、勝利宣言して軍解散後直後に織田軍に攻められたことは国民と兵士達に衝撃を与えた。その衝撃は義龍の勝利宣言の正当性を失わせるのに十分なものとなっていったのである。



 織田信長は白帝城の戦い後に犬山から名古屋へと向かうのを避けた。理由は至極当然の如く、松平家との決戦を避けたためである。



 そのために彼は尾張国内を通らずに美濃を通って名古屋へと撤退したのである。そのついでに美濃勢を攻めたフリをすることで義龍の美濃での支配を切り崩しにかかったのである。


 この余りの非常識かつ大胆な行動には天下の松平勢も対応出来るわけも無かった。



 桶狭間でIFな行動をしたせいで過去に捕らわれない新たな歴史となった。その結果、図らずして秀康は改めて信長の強さを思いしったのである。



 内心悔しい思いをしつつも秀康も何もしていなかった訳では無かった。



 松平勢は小牧山で作られる大量の軍事物資を名古屋へと送らせないように補給線を襲撃して敵の物資を略奪した。さらに織田軍の守山城への圧力を強めることで守山城に立て籠もる信長の異母兄弟で兄の信広を追い詰めていった。



 異母とは言え兄を見殺しには出来ない信長にとっては実に効果的な作戦と見られたのである。



 それでも信長陣営は松平勢との決戦を避け続けた。



 信長は連日のように伊勢や美濃に攻め込む一方で松平勢には戦いを仕掛けなかったのである。



 この間、今川義元も動こうとするも佐久間信盛率いる軍勢が義元軍の進路を塞ぐように名古屋に陣取っていたために義元も動こうにも動けない状態が続いた。



 そのような中で三河の軍需工場から一台の巨砲を乗せた列車は出て来た。多くの工員達に見守られながら列車は守山へと向かっていった。



 守山には既にレールが敷かれ、巨大なバンカーが作られていた。そこに巨大な大砲が運び込まれたのである。


 そして大砲は直ぐさま発射準備に取り掛かった。



「目標、名古屋城!撃て!!」


 その命じられた瞬間に大砲は火を噴いて名古屋城を砲撃し始めた。


 三河K5と名付けられた巨砲による攻撃は凄まじく名古屋城を守るシールドも激しく揺らされた。幾度かシールドが無力化されることもあったほどである。


 ※クルップk5のことである。クルップk5はアンツィオ上陸作戦で連合軍を一時的に壊滅状態に追い込んだと言われる巨砲である。


 しかし、同砲による遠距離攻撃は思いのほか大変で運用当初は命中力の悪さに悩まされることになったのである。


 結果として同砲の砲弾の多くは民間の施設に降り注ぐことになった。


「うあああああ」


「たすけてえええ」


「ぎゃああああ」


 名古屋市民は火の海になる名古屋市内を逃げ惑う羽目になった。


 こうした事態に織田信長は名古屋市内を歩いて回った。


「尾張万歳!」


「三河に負けるな!!」


「侵略者今川義元を倒せ!!」


 などの言葉を発しながら市民達は信長に迫った。


 この光景は単なるプロパガンダでは無く、実際の名古屋市民の大部分の感情を表していた。


 こうした報復を求める市民の声を背景に織田軍は戦力を増強して益々美濃への圧力を強めていった。


 ※民間施設への攻撃は、その派手さから映像映え(今風だとインスタ映えか(笑))するために効果的だと考えられがちだが…ドイツのロンドン空襲、アメリカの日本本土爆撃、ドイツ本土爆撃などが見た目に比べて戦術的戦略的に効果が薄いことが知られている。軍事施設を狙うほうが効果的である。また、民間施設への攻撃は敵対国の国民に怒りを植え付けて逆に厭戦感情を弱めさせる効果まで付いている面がある。


 このような戦いの状況は織田家への包囲作戦は上手くいっていないと今川方に感じさせるようになっていった。


 さらに義元の側近が桶狭間で多く死んだことで新規の側近が増えたことが今川家の方針転換に繋がる原因となっていった。


 次第に今川家は遠江国での支配を強化することに力点を置き始めたのである。


 今川家は織田家との和平を模索し始めたのである。


 松平家方は今川家の動きの変化に苛立ちを覚えていくことになる。

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