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雲をつかむよう

 泉はベンチに戻ってくるなり、唇を尖らせて僕をにらんだ。その全く迫力を感じさせない視線に、僕はたじろいだ風を装う。


「ひどいと思う」


「もとはと言えば、泉が毒見をさせたのが悪いんじゃないの」


 僕の言葉に何も言い返せずにいる隣の彼女を横目に見やり、思わず息を飲んでしまう。今の、二人で並んで座っているシチュエーション。耀一に見られたら詰め寄られること間違いなしの光景だよな、と思った。


「ねえ、てがみくんのその靴ってさ」


 結局、泉はそれ以上の糾弾を諦めて、急に僕の足元を指さした。僕が履いていたのは、偶然にも彼女と同じ黒色のスニーカーだった。


「スプリングコートのだよね?」


 違う? と視線を上げて僕の目を見た。


「そうだよ。スプリングコート」


 それは僕が周囲と被りたくない一心で探したスニーカーだった。周囲がナイキだのアディダスだのを履いている中、悪目立ちをしないように個性を出すには最適な選択だと思ったのが、このスプリングコートのハイカットモデルだった。一目見てそれとわかるようなロゴやモチーフは施されていないけれど、僕がこれまでに足を通したスニーカーの中で一番の履き心地を誇った。そして、まだ学校内では誰とも被ることはなかった。


「わあ、やっぱり。それ、高かったんじゃないの?」


「ううん。ネットのセールで買ったから、定価の半額くらいだったかな」


「やっぱり、履き心地いい?」


「うん。今日もこれ履いてたから間に合ったようなもんだし」


 アハハ、と口元を抑えて笑う泉は、とても輝いて見えた。


「そっかあ。いいなあ、そこのスニーカー、私も欲しかったんだよね」


「そのジャックパーセルも、よく似合ってると思うよ」


「ほんとに? ありがと。お気に入りだからそう言われると嬉しいな」


 何でもない会話をしているはずなのに、僕は教室で普段そうしているときのように、落ち着いて泉と接することが出来なかった。今がいつもと違うシチュエーションであるために、僕が一人で勝手に意識をしているのだろうか?


「俺も嬉しかったよ。普段、靴なんて褒めてくれる人いないからさ」


 それは本当のことだった。僕がお気に入りのアイテムを身に着けようと、数少ない友達はそれに気づくことがない(僕の周りには、着飾ったりすることに興味のない友達がほとんどだった)し、クラスメートの女の子に『そのアークテリクスのリュック、カッコいいね』なんて言われたことも、当たり前だけれど一度だってなかった。


「靴だけじゃないよ。今着けてる時計も、ずっといいなあって思ってたんだよね。スカーゲンだよね? それ」


「そう。よく知ってるなあ、泉も」


「私、ファッションにはちょっとうるさいんだよね」


「好きなブランドってあるの?」


 それは、僕がひそかに訊ねたかったことだった。


「んー、いいなって思うのを挙げてったらキリがないんだよね。最近はアイビールックで使われてるようなブランドばっかり目がいっちゃうかなあ」


「ハンカチもラルフ・ローレンとブルックス・ブラザーズのだったもんな」


「うん。ちゃんと見てるんだね、てがみくんも」


「泉のセンス、変わってるなあって思ってたんだ。もちろん、いい意味でね」


 どうしてスッと、いいと思うよと伝えられないんだろう。彼女は、何の屈託もなく僕を認めてくれているというのに。


「うん。できるだけみんなと同じようなスタイルにはならないように心がけてるんだ」


「それ、わかる。雑誌で見たまんまの判で押したような格好だけは、絶対にしたくないんだよな。ただでさえさ、みんな同じ制服着てるってのに」


「そうだよ!」


 泉の声が一段と大きくなった。そのことに気付いたのか、彼女は一瞬だけ口元に手を持っていったけれど、すぐに目を見開いて僕を見た。初めて見る、真剣な光の宿った瞳だった。


「みんな、どうして同じような恰好ばかりするんだろうね。私たちって、嫌でも他の人と同じ部分を持ってるじゃない? むしろ、他人と比べてここが違う、って胸を張って言えるような部分がどれだけあるのよ、って思うんだ。それに、私たちが個性だと思ってる一面って、必ずどこかの誰かと共有しているの。感性の集合体に完全を期待することなんてできないよ。だからさ、この世に、絶対的な個性って存在しないって私は考えてる。あるのは、誰とも色の違う個性を目指す姿勢だけ。自分という人間は一人しか存在しないし、それはれっきとした個性だって言っちゃえばそれで終わりだけどさ、問題は、その一人しかいない自分を、周りにアピールする手段なんだよね。私はここにいるよって、誰かに気付いてもらわないと個性なんて――個なんて――存在しないのと一緒だよ。ただ集団を形成する要素でしかないの。パズルのピースにすら誰かと一緒でないとなれないような存在には、私は死んでもなりたくない。そう思ったときに、どんな本より音楽より思想より、ファッションスタイルが、その人の持つ個性を簡潔に、雄弁に周りに主張してくれるんじゃないかなって、私は考えてるんだ」


 熱弁を振るう姿に、僕はただただ圧倒された。今の泉からは、迸るエネルギーが、電流のように体からあふれているように思えた。普段の、どこか力の抜けたような笑みを見せる泉とここにいる女の子が同一人物だとは、にわかには信じられなかった。

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