初めての人
僕は自分の名前が嫌いだ。
沢村 鯉。鯉と書いて、てがみと読む。今までに一度だって、僕の名前を初見で言い当てることの出岐た人間に巡りあったことがない。
どうしてこんな名前になったのか、親に訊ねたことがある。そもそも鯉をてがみと読むのは無理があるんじゃないか、と僕は常日頃から考えていた。鯉とは池を泳ぐ鯉で、それ以外の何でもないじゃないか、と。
鯉の体の中に手紙を入れて届けた故事から転じて、鯉という字には手紙の意味もある。それに、鯉という名前は孔子の子どもの名前でも使われているから、そう道外れた名前でもないのよ、と母さんは諭すように言った。当然、納得なんてできるわけがなかった。故事だか何だか知らないが、鯉と書いててがみと読むなんて、不条理という他ないじゃないか。対して、友達の名前には大体において竜だの翔だのといった漢字が使われていた。当時の僕はそういった漢字に憧れすら抱いていた。
小学校三年生のあたりから、この珍しい名前のせいで僕はひどくからかわれるようになった。一時期は、池を泳ぐ鯉やこいのぼり、手紙といったそれらの存在そのものを忌み嫌っていた。幸運にもからかいがエスカレートすることはなかったけれど、それ以降も五月になれば周囲は僕を笑ったし、名前を書く機会があると、必ず『こい、と読むんですか』と訊かれ、『てがみです』と答えると怪訝そうな顔をされるというやりとりは数えきれないくらいに経験した。ここの所なんかはよく、キラキラネームだと揶揄された。いい名前だね、と言われたことは、十六年と数か月の間にただの一度もなかった。
けれど、泉は違った。四月九日の月曜日。二年に進級したその日、隣に座った泉は真っ先にクラス表と僕の顔を交互に見て、ねえねえ、と声をかけた。
『沢村くんって、下の名前、こい、って読むの?』
『違うよ。てがみ』
『テガミ?』
『そう。てがみ』
僕はこの時点で、すでに辟易する思いだった。この後、彼女はその可愛らしい顔で意地悪く笑うのだ。『変な名前』と。それが自然な反応なのだと、かつての経験を踏まえて僕は信じて疑わなかった。
ふーん、と泉は唇をやや上に向け、そして花が咲くように笑った。
『いいね、てがみ。てがみくんって呼んでいい?』
それは僕が生まれて初めて言われた言葉だった。そして、自分で引いたボーダーラインを越えてしまい彼女にほとんど惚れてしまったと言っていい瞬間でもあった。非常にわかりやすい話ではあるけれど。
僕は泉のことを学校一可愛いと思っていた。そんな女の子に名前を呼ばれるのは、夢のような出来事だった。おまけに泉の声はとてもよく通るソプラノで、それはただ甲高いだけでなく、聞く者を惹きつける心地よさがあった。
泉と僕は、しばしば授業中に他愛ないお喋りに興じた。驚くべきことに、僕たちのトークの内訳は、ほとんどが泉から発信されたものだった。あの先生、黒板の字が右肩上がりだよね、とか、今日は午後から雨が降るらしい、とか、Aクラスの摂津さんと吉見君が付き合ったらしいよ、とか。お互いに母親には頭が上がらない、というような話をしたこともある。すべて、ものの見事に雑談の枠に収まってしまうような内容で、そんなことわざわざ授業中に教師の様子をうかがいながら話すようなことかよ、と思ってしまう。実際、これまで彼女と交わしたトークを振り返ってみても、話の内容の細部なんてほとんど覚えちゃいなかった。
けれど、それでも僕は、泉とのこのささやかな時間を苦痛だと感じたり、無意味だと思ったことは本当にただの一度もなかった。それどころか、小さくなってこちらに話しかけてくるその仕草や、笑いをこらえるときに細い肩を震わせ、口元を押さえて笑顔を浮かべているのを見るだけで、僕は心のどこかが満たされていく気がするのだった。