捕まえたのは飛べない鳥
捕まえたのは飛べない鳥
平凡な阿比留光成にとって、瀬野貴弘と白鳥遥の二人は自慢の幼なじみである。瀬野と白鳥は、容姿端麗、スポーツ万能、その上性格だって良いのだから幼い頃から兄弟同然に育ってきた身としては非常に鼻が高い。まあ二人とも頭は少々悪いのだがそれもまたご愛敬である。世の中、完璧な人間などいないのだし完璧よりも何かしらの隙があった方が親しみやすいというものだ。
それぞれ三組の両親は共働きで家に居る事が珍しかった。昔からそうなので小学校高学年の頃には、朝食、夕食は光成の家に集まって三人で食べる事が当たり前となっていた。食費は割り勘だが食事当番は専ら光成だ。光成に用事あったり、光成が体調を崩さない限り、そう決まっている。理由は単純明快で光成の料理が一番美味しいから。瀬野と白鳥の料理はこう言っては何だが料理の域にすら達していない。本当に売り物の食材を使ったのかと問い詰めたいくらい、この世のものとは思えないおどろおどろしいものが出来上がる。
「だーかーらーミッツにはタカタカみたいなカッコ良い男の方が似合ってるの!」
「何を言う! ミッツにははるるのよう儚い系の美少年がピッタリだろうが!」
朝食作りを始めた光成の背後で瀬野と白鳥が始めたのは言い合いだった。いつもの事なので光成は喧嘩を止めるでもなく朝食作りに集中しようとする。さて、まずはウィンナーを焼こうと熱したフライパンに投下した。ちなみにミッツは光成、タカタカは瀬野、はるるは白鳥の事である。
「それこそ何言ってんのさ!? ミッツをよく見なよ。ミッツはアヒルみたく可愛いでしょ? そんな可愛い可愛いミッツに僕のような白鳥美少年が並んでみろ! 百合みたくなっちゃう! その点タカタカタイプは鷹みたいにカッコ良いし、お互いの魅力が正反対な分、お互いがより際立ってお似合いだよ! だからミッツには鷹のような王子様が良いの!」
(王子様って……!)
その時、まるで光成の心の声を代弁するかのようにフライパンが悲鳴をあげた。焦げ臭い匂いが光成の鼻孔を刺激する。被害はもちろんウィンナーだ。少し焼き過ぎたが食べられない事はないはす。光成はあっさりと片付けて、名は体を表すというが本当だなと感心した。光成は阿比留だからアヒル、瀬野は貴弘だから鷹、白鳥はそのまま読み方を変えて白鳥。それぞれが周りから呼ばれている渾名だ。
「百合カップルなんて上等じゃねーかよ。アヒルに白鳥か。最高だ! 逆に俺のような鷹タイプが並んでみろ! アヒルちゃんが怯えちゃうだろ!! やはりここは白鳥だ。ミッツの隣には白鳥王子だ。いくらはるると言えそこは譲れねぇ」
それにしても朝から頭が痛くなる会話だ。思わず光成の手元が狂ってしまった代償はフライパンの上で踊っていた卵。オムレツにしようとしていたのに形が崩れてしまった。仕方ない、スクランブルエッグにしよう。光成はそう思い直して、二人の恒例である“光成に似合う男口論”に溜め息をついた。顔を合わせば喧嘩ばかりしている二人だが瀬野と白鳥は付き合っている。男同士で。光成としては同性同士の恋愛について特に偏見はないし、自慢の幼なじみ達が手に手を取り合う姿を喜ばしく思っている。しかし。しかしだ。
「あのさ二人とも。白鳥でも鷹でもどちらでも良いけど、俺は王子様じゃなくお姫様が良い」
光成はそう訴えて、出来たばかりのスクランブルエッグ、こんがりと焼けに焼けたウィンナーと生野菜を皿に盛り付けるとテーブルへと置いた。光成の性癖はノーマルである。瀬野の事は鷹の様にかっこ良いと思うし、白鳥の事は白鳥の様に綺麗だとは思うが男である時点で恋愛感情は湧かない。鷹や白鳥云々よりもまずは女性という条件を念頭に置いて欲しい。
「ミッツと女の子って想像出来ない」
白鳥が不満げにピンク色の唇を尖らしながら応えてると「いただきます」と両手を合わせて光成特性の朝食を食べ始める。光成と瀬野もそれに続く。瀬野はオムレツ予定だったスクランブルエッグを口に放り込んで大きく頷いた。
「まっミッツを任す事になるんだ。女でも強くなくちゃいけないな」
「そうだね。熊は無理でもって猪くらい倒せる子なら歓迎するよ」
「それが最低条件だな」
(そんな女の子は嫌だ)
朝食を食べながら光成はそう思ったが言葉には乗せなかった。瀬野も白鳥も一切笑っていないからだ。瞳は真剣で二人の心からの台詞であった。
「明日、入学式だね」
この二人を言いくるめるのは至難の業である事を身を持って知っている光成は話題を変えた。光成達は今春で高校生になる。受験戦争が終わった中学最後の春休みは、特に何をするでもなく三人ともだらだらと過ごしていたが今日でそれも終わりだ。
「……くれぐれも空也には気を付けろよ」
不意に瀬野の口から紡がれた名前に光成は瞳を細めた。山口空也。山口は瀬野や白鳥と肩を並べるぐらい端正な顔立ちをしており、恵まれた体躯から期待出来る通りスポーツ万能であった。その上、成績も優秀なのだから山口ほど完璧に近い男を光成は知らない。実は彼も光成達と幼なじみである。しかし瀬野や白鳥と違い山口とは交流が続かなかった。一応同じ中学で家も近所なので、顔を合わせば会釈ぐらいはするがそれだけだ。光成は山口に必要最低限の礼儀を示した後は、決まって逃げるように彼から離れた。山口とは馴れ合うような間柄ではない。山口は昔から光成を邪険に扱うのだ。原因は分からないが、それこそ幼稚園の頃からいじめられていた。その度に瀬野や白鳥が庇ってくれ、今もこうして仲良くしてくれているが光成は山口が苦手になった。特に光成を見る、山口の刺すような視線が嫌だ。だいたい山口には隙がなさ過ぎる。山口の話題にみるみるうちに光成の表情が曇っていたのだろう。白鳥が見かねた様に声を掛ける。
「あー心配だよ。よりにもよって空也なんかと一緒の高校なんて」
「あいつは昔から頭だけは良かったからな」
頭だけ、というところを茶化すように強調して瀬野は笑う。
「僕達も同じとこに行けたら良かったんだけどね」
「俺達、頭だけは悪いもんな」
光成を少しでも元気付けようとしてくれているのか、二人の声はやたら張っている。昔から光成に優しい瀬野と白鳥。二人は光成の自慢の幼なじみだ。
「大丈夫。山口くんにいじめられたのは幼稚園とか小学校低学年頃の話だし」
かつて、光成も瀬野達の様に山口を下の名前で呼んでいた。“くーちゃん”と。しかしそれも過去の話だ。光成は目の前の二人に心配掛けまいと続けた。
「山口くんとはもう関わり合いがないよ」
今日は入学式ということで、久々に両親と外で食事する事になった光成は浮かれていた。外食するからには光成が作れない様なプロの味をうんと楽しもう。光成は新入生らしく“着る”というよりも“着られている”という表現がピッタリの真新しい制服を揺らしながら入学式に参加した。入学式は滞りなく終わると新入生達はクラスが張り出されている掲示板がある校舎へと急いだ。自分のクラスを確認すれば、今日の学業はこれでお仕舞い。
掲示板前は人でごった返していたが、平均よりも小柄な光成はわりとすんなり掲示板の目の前に着くことが出来た。それから直ぐに阿比留光成、と明朝体で印字された自分の名前を発見する。あいうえお順で書かれている為、あ行から始まる自分の名字は見つけやすい。光成は自分の名前が書かれた掲示板をもう一度視線を配らせると両親の元へと急ごうとした。しかしーー……。
「同じクラスだな」
突然、背後から降ってきた聞き覚えのある声に光成の肢体は固まった。確認するまでもなく声の主は分かっている。光成は自分を落ち着かせるようにゆっくりと息をはいて顔だけ振り返った。
「……そう、なんだ。偶然だね、山口くん」
本音はいつもの様に会釈だけして山口から逃れたかった。山口と同じクラスだと教えられても興味が湧かない。しかし振り向いて分かった事だが、ぎょっとするくらい距離が近かった。人で混雑しているから我儘は言えないがそれを差し引いても近過ぎやしないだろうか。それに山口から話し掛けてくるなど何年振りの事だろう。どう出たら良いのか考えている光成の身体を刹那長い両腕が襲った。
「なっ!?」
背後から山口に抱き締められている。そんな自分の立場を理解するまでにしばらくの時間を要した。立場は理解出来ても納得は出来ない。何故山口は光成を抱き締めるのだろう。訳が分からないが山口の腕の中に大人しく収まる気はない光成は暴れた。しかし山口の腕の力は強く、解ける気配がない。公衆の面前だったので、いくつかの視線を感じたがただのじゃれ合いと思われたのだろう。視線は直ぐに外される。
「離して……山口くんっ!」
「“山口くん”じゃないだろう?」
耳元でそう囁かれ、ゾクリと光成は震えた。光成の反応に山口は満足そうに微笑むと続ける。
「やっと邪魔な鷹と白鳥はいなくなった」
「邪魔!?」
光成は山口の言葉の意味を咀嚼する前にかっとなった。邪魔という部分に脊髄反射してしまったのだ。自慢の幼なじみ達を馬鹿にされた様な気がした光成は今までにない強気な態度にでる。自分の事ならばともかく、幼なじみ達の事となると話は別だ。
「タカとハルを馬鹿にすんな! 二人は俺の自慢の幼なじみだ」
「……いつもそうだな。昔から鷹や白鳥の事ばかり。あいつらが自慢の幼なじみなら俺はどうなんだ?」
山口は一旦言葉を切って。
「婚約者のアヒル」
そう慈しむように光成を呼んだ。途端、光成の中に眠っていた記憶が蘇る。
『タカヒロくんにはタカでしょ、ハルちゃんにははくちょうでアヒルちゃんにはアヒル。ねーアヒルちゃん、ボクだけ鳥さんのお名前がないの』
『くーちゃんはクジャクさんだよ』
『クジャク?』
『そうすっごくきれーな鳥さんなの! まるでくーちゃんみたいだったよ。くーちゃんの“く”はクジャクさんのくーだね』
『……っ! アヒルちゃん、大好き!』
『ボクもくーちゃんだーいすき』
『アヒルちゃん、ボクと結婚して』
『けっこん?』
『大好きな人同士がするんだよ』
『そっかあ。じゃあボクくーちゃんと結婚する』
記憶の中で山口と光成の仲は悪くなかった。それどころか、この頃までは一番仲が良かった事を思い出す。しかしこの約束を境に二人の関係は一変する。山口は光成に独占欲を出し始めたのだ。光成が山口以外の友達と喋っただけで不機嫌になった。その相手が瀬野や白鳥だと殊更不機嫌になる。まだ幼かった光成は訳が分からず、山口の傍から離れようと必死になった。瀬野と白鳥も協力してくれた。そんな展開が山口にとって面白いはずがなく、つれない光成に構って欲しい一心でいじめ始めた。山口も山口なりに必死だったのだ。
「こ、婚約ってそんな大昔の事……」
幼稚園の頃に交わした結婚の約束などとうに時刻だ。それに山口と光成は男同士である。現実的な話、結婚など無理だ。そう怒るなり、笑い飛ばすなりすれば良いのだが、光成は戸惑う事しか出来ない。山口の視線の所為だ。あの、刺すような光成に絡みつくような鋭いそれ。
「アヒル、やっと捕まえた。飛べない鳥同士、仲良くしようぜ」
孔雀もアヒルも鷹や白鳥の様に空を飛べない。