出会いと旅立ち iii
背中で寝息を立てているハンナに呑気なものだな、などと思いながらジグは村の外周を歩いている。
十数の家が木製の柵の中で身を寄せあっているだけの小さな村で、暮らしている人もそれにみあった数しかいない。
お情け程度に作られた柵はどちらかと言えば結束の意を表しているだけで有事の際に役に立つものでもないだろう。
その輪の外にジグの家はある。
歩いて10分ほどの距離で、そこまではだだっ広い草原に人が踏み歩いてできた道が続いているだけである。
一家と村人たちとの仲が悪いわけではなく、実際何度か村の中に引っ越してこないかとも言われているのだが、その度にジグの母はやんわりとその申し出を断っているのだ。
家に人の気配は無く、朝早いことを考慮しても、いつもの母なら朝のスープでも作っている時間だ。 しかし、煙突から煙が上がってないことからそうでないことがうかがえる。
古い木製のドアを開けると、スズでできた鳥がカンカンと高い音を響かせる。 しかし誰も出てくる様子はない。やはり母はいないようだ。
石造りの家にはジグと母の二人しか住んでいない。 ジグの父は彼が物心着く前に戦争に行ったっきり帰ってこない。
そう、聞いている。
実際父との思い出など無く、だからその人のことをどう思えばいいのか、ジグにはわからない。 そんなものだと思うし、興味は湧くがあえて知りたいとも思わない。
だから、母がいないとなればこの家には今誰もいないのだ。
物置部屋の隣にある自室に入ると薄いベッドの上にハンナを下ろそうとし手を、いや、この場合腰を止めたと言えばいいいのか、なんにせよ動きを止め悩んだ。
(こんなところに下ろしてもいいのだろうか)
勿論問題はベッドの薄さではなく、それがジグの、つまりは男のベッドであるということだ。
深く考えることもなく回れ右をして部屋を出ると、リビングにある母のベッドに寝かせた。
しばし出会った時のようにスースーと寝息を立てるハンナを見下ろすと、物置に薪を取りに行く。
大きいのを三本と小枝を幾つかを持ちだすと、思い出したようにランタンを取り出す。
中にはロウソクが立っており、青白い炎が燃えているのを確認するとリビングに戻る。 暖炉に薪を並べそこに先ほどのランタンを近づけロウソクを入れ替えるための窓を開いた。
すると、そこから青い炎がゆっくりと身をくねらせ細い線のようになりながら出てきた。 細い枝にたどり着くとまるで蛇が口を開けて獲物を丸呑みにするかのように枝を飲み込み始める。
一本丸々飲み込むとまた次の枝という風に次々と枝を飲んで行く。
全て飲み込むと、二回りほど大きくなった体を大きい薪の間に潜ませとぐろを巻いた。
しばらくその場で留まるとやがて木に火が燃え移りパチパチと心地いい音を立てる。
燃料を使い切ってもとの太さに戻った蛇のような炎は自分の仕事は終わったとばかりにランタンに戻ってきた。
「お疲れ様」
ランタンの中でロウソクの火になった炎に労いの声をかけると、どっと疲れがこみ上げてきた。 三時間も人一人背負って足場の悪い森を歩いてきたのだから当然だろう。
ハンナの寝ているベッドの淵にもたれかかるように座り込むと鉛のように重い瞼をゆっくりと閉じる。
(ハンナのこと、母さんになんて言おう……)
悩んでいる暇もなく、底なし沼に飲まれるようにジグは夢の世界へと落ちていった。
××××××××××
うっすらと目を開いたハンナは足元で俯いて黙っている少年をそっと見た。
「まだあなたの名前聞いてませんでしたね……」
返事がないのを承知でそう呟くと、わずかに笑みを浮かべ楽しそうに目を細めた。
「はやく、案内人を見つけないと……」
やはり、答えるものはない。