流れ i
朝食のシーン、食べ物に違和感があるので近日中に編集しますorz
鐘は何処か遠く、繰り返しその音を響かせる。
何度も、何度も。
今日の寝覚めは良かった。 そう思いながらにジグは窓の外を眺める。
昨夜は暗く気づかなかったが、そこそこの広さを持つこの部屋には白い縁取りに色のついた硝子を嵌め込んだ窓がある。
今朝になってそれに気付いたため、朝の空気を取り入れようとその窓を開いた所で、この建物の非凡さを改めて痛感させられた。
窓から吹き込む風は鼻につく異臭を含み、その涼しげな爽やかさと妙にそぐわない。
静寂の中にあった室内には、木々を揺らすざわめき、それをさらに大きくしたような音が満たす。 眼下には日の光を受けキラキラと輝く水面が穏やかに揺れている。
昨日も見た光景だ。
しかし、あの時は匂いは感じなかった。 音もだ。
同じ幻影の類ではないのだろう。
そこまで冷静に判断した上でジグは僅かに心を踊らせていた。
話に聞いていた海は変な匂いのする、とてつもなく大きな湖らしい。
昨日はその地平線まで続く広大さに直感的にそう感じ取ったが、確かに、と鼻をひくつかせて顔をしかめる。
あまり好きな匂いではない。
興味は有った、が、どことなくジグは海は自分の性に合わないということを感じていた。
しかし、昨日と今日で確信した。
自分は海がそれほど好きではない、と。
まだ本物を見たわけではないが、その澄んだ水面に一人、自分だけが残された姿を想像すると身震いする。
海は確かに広い、しかし、その空白は人にあまりにも毒すぎる。
ベッドの向かいにあるドアをくぐると小さな台座からちょろちょろと水が出ている。
鼻に付いた嫌な臭いを消し去るようにそれで顔を洗う。
窓は開いたままなので尚も潮の香りが満ちているが、ひんやりとした風と波の音は嫌いではない。
そうして白いウッドチェアに腰掛けるとただ呆然と波の音に耳を済ませていたのだ。
風が純白のカーテンを揺らし、窓からのぞく海と空が白を基調としたこの部屋によく映える。
ジグはただ、海を眺めていた。
波間に視線を這わせていると、ドアをノックする音が聞こえてきた。
乾いた木を二回叩く音がリズミカルに響く。
「はい」
現実に引き戻されジグは慌てたように立ち上がると、扉に向かって足早に近づく。 ドアを開けると僅かな笑みをたたえたサンハルトが軽く頭を下げた。
「ジグ様、おはようございます」
「おはようございます」
ジグも挨拶を返す。
「ダグラス様とリーナ様はすでに食卓の方へ、ジグ様もご一緒にということでしたのでお迎えに上がりました」
リーナという言葉に一瞬誰か、と頭をひねったが、ダグラスがロジャンにハンナの名前を偽って伝えていたのを思い出し、サンハルトにも同じように教えたのだろうと導きだす。
「わざわざすいません。 案内してもらっても?」
「はい」
サンハルトはにこやかに応じると先立って歩き出す。
ジグが窓のことを話し出す前にサンハルトが口を開いた。
「ここは外から見るよりも広いでしょう? 流石は神族と言うべきなのか、どうやらこの建物は中と外で違う空間にあるようなのです」
詳しいことはわかりませんがね。 と口元を綻ばせ、サンハルトは言う。
ジグも確かにと相槌をうった。
部屋をでてすぐの廊下をまっすぐ進んでいるのだが、行き止まりにある扉が小さく見える。
「まだまだ地下にも続いているようで、人が迷うといけないという名目で一般人は中に入ることは許されていないのですよ」
「自分達は入っても良かったんですか?」
ジグの質問にサンハルトは苦笑いで答える。
「まぁでも、こちらには第三皇子もいらっしゃることですし。 見つかってもなんとかなるでしょう」
「それもそうですね」
ジグは微笑して返す。
アーチ状の柱が廊下の片側に続き、そちらは礼拝堂だろうか、天井からの淡い光でいくつも並べられた長椅子が木材の深い光沢を放っている。
「本当、広いですね。僕だけじゃ迷ってしまいますよ」
「私も時々どこがどこだかわからなくなります。 神族達もこんなことに使う労力があればもっと別のことをしてくだされば良かったのに」
サンハルトはため息とともにそんな愚痴をこぼした。
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さらに歩くこと数分、ようやく食卓のある小部屋にたどり着いた。 小部屋といっても普通の家のリビングの二倍ほどはある。
卓には既にパンにベーコンエッグとサラダが人数分並べられていた。 作りたてらしく湯気が細く、良い香りとともに揺れている。
「ごめん、待たせたよね」
既に集まっていたダグラスとハンナに照れ隠しの笑みを向ける。 二人共特に気にした様子もなく挨拶を返す。 気にしていないではなく他の事に気がいっているという感じか。
「とりあえず温かいうちに頂こうか」
とりあえず、という事は何かあるのだろう。 興味はあるが、せっかくの料理が冷めてしまうのは勿体ないという感情が先にでたのか、ジグは口を開くもののなにも言わずに席に着く。
パンは昨日と違い硬いバケットが用意されていた。 バケットにベーコンエッグを乗せるとそれはもう絶品、なのだが、ダグラスもハンナもそうはせず別々に食べている。
パンから零れる黄身を慌てて掌で受け止めているジグを横目に。
ハンナも心ここに在らずといった様子で、ジグに無関心に食事を続ける。
その様子に僅かに首を傾げている間に黄身の滴がジグの腕を伝って落ちた。
「ジグ……忙しそうな所悪いが少し聞いて欲しい」
極めて真剣なその表情にジグは小さく頷いた。
「とりあえずそれは拭いておけ」
そう言ってナプキンを渡すダグラスは一度あたりを見渡す。
「これは彼、サンハルトには秘密だが」
向かいではハンナが重そうに顔を上げる。 僅かに伏せられた瞼から緋の瞳がのぞいた。
「第三皇子殿には悪いが、私達は私達で動くことにする」
ジグは頷かない。 所詮、ジグの選択など意味はないのだ。 自分にできる選択肢など帰るか、従うかの二つしかないことはジグにもわかっている。
「さしあたって隣のトラン大陸に逃げ込む事にした。 今日の夕にはこの街を出る」
「急だね。 もう少し、時間があると思ったけど」
ダグラスはすまないと呟くが、そこには感情の色は含まれていない。
「街を出たあと、恐らくだが、追っ手がかかるだろう。 これをやり過ごして王都の向こう、港町スケルヘントに向かう」
伺うように瞳を覗き込むダグラスに、ジグは頷いた。
「何度も言うようだが……」
ジグはダグラスの言葉を手で制すと、小さく笑った。
「分かってるよ」
「……すまない」
寂しげな呟きはジグには届かなかった。




