出会いと旅立ち ii
少女は息を呑むほどに美しかった。 少なくともジグが生きてきた中で目の前の少女より可憐な者は見たことがない。
先ほどの比ではないほどに心臓が脈打ち、血管が内側から張り裂るのではないかと思える。
確実にこの辺りの者ではない。 もし彼女を一度でも見ていたら決して忘れるようなことはしないだろう。
謎の光に不思議な少女。 そこに関連性は見いだせないが無関係ではないと思う。
少女は眠っているのか口元にかかった髪が一定のリズムを刻んで揺れている。
いつまでもこんなところで寝かせていては風邪をひくし、このまま置いていくのは論外だ。 かと言って起きてもらわねば背負うのも難しいだろう。
「起きて……はないよな……」
顔を覗き込んで確認する。 乾燥した藁に火をつけるようにさっと頭が熱くなり顔を背けた。
しかしこのままではらちがあかないと肩を揺するために手を伸ばしたその時、バネじかけの人形のように少女がはね起きた。
上半身を垂直に起こして暫し木立の間を見つめていたかと思うと、ハッとしたように辺りをキョロキョロと見渡す。
ジグは行き場を失った手をそそくさと引っ込めると丁度少女がジグを見つけたところだった。
「あなたが案内人ですか?」
深紅に染まる海のような、そんな澄んだ瞳がジグを見据えて問いかける。
質問の意味がわからず首をかしげるジグの顔を少女は宝石ですらも見劣りするようなその目で心配そうに覗き込んだ。
「違うのですか?」
「え、いや。 この森から出るとこまでなら案内できるけど」
ジグは慌てて返事をした。
「そうですか」
少女は安心したように息をつくと立ち上がりかけて少しよろめいた。
「大丈夫か?」
思わず声をかけたジグに大丈夫ですとだけ返すと、差し伸べた手を少女が掴む。 ひやりとした少女の手にジグは自分の火照った手が気まずくて、助け起こすとすぐにその手を離してズボンのポケットに突っ込んだ。
「こ、ここからじゃ村まで少しあるし、疲れてるなら背負って行こうか?」
恥ずかしさを紛らわせるために早口で告げた。
「大丈夫ですから、そこまでして頂くわけにはいきません」
ジグの思惑を知ってか知らずか少女は真面目くさった答えを返した。
「どのみちその足じゃ」
と、少女の何も履いていない足を指す。
「危ないから。靴の予備なんて持ってないし……」
少女はそれもそうですねと自分の足を見下ろしている。
「それでは、お願いできますか?」
ジグは背負っていた背嚢を下ろすと、少女に背負わせ自分は少女が乗りやすいようにと前屈みになった。
微かな重量感とともに肩に手が置かれ、キンモクセイにも似た甘い香りが鼻腔をくすぐる。
「大丈夫でしょうか?」
心配そうな声がすぐそばで聞こえ、気恥ずかしさで耳まで真っ赤になる。
出会ったばかりで好きとかどうとか、いわゆる一目惚れというものをジグは信じていない。
相手の内面的要素を見ずにそんなことを、と思ってしまう。 しかし、今の自分を客観的に見てみれば。
(ちょっとしたことでも動揺して……これが本当に好意からくるものなのか?)
ジグは、冒険心に溢れる普通の青年と評価するというのであれば、人を愛したことのない変わった青年とも言えた。
村で一番の美人と言われている娘をみて、軽く巻いたくせ毛や裏表のない輝くような笑顔を、確かに、可愛らしいとは感じるが、それはそこまでのことであり、だからどうしたということである。
それが今の自分はどうだろう。
少女が少し動けば一流の舞をみているように心がなり、吐く息は桜色に染まって見える。
恋に落ち、恋に溺れている。
それとも、やはりこれも一過性のものに過ぎず、結局のところ自分は真に誰のことも愛せないのか。
(それはとても、笑えない)
「やっぱり重たかったですか?」
ボーッとしていたジグに、何を勘違いしたのか少女が問いかける。
「あ、ご、ごめん。ちょっと考え事をしてて……重いなんてことはないよ、むしろ軽すぎて驚いたくらい」
慌てた様子で言うジグに、
「あからさまな嘘はかえって人を傷つけますよ」
少女は聞き取れるかどうかの小さな声で応える。
ある意味、人を愛したことのない、異性にさほど気を遣ったことのないジグは、こと、言葉の選択力は人並み以下であったらしい。
「ご、ごめん」
すかさず謝るジグの耳元でクスクスと笑っている声が聞こえたが、そちらを振り返る気にはならなかった。
今はまだ月明かりしかないおかげか、この真っ赤になった耳も少女は気づいていないらしいが、この距離で振り返って少女の顔をみて自分が平静を保てるとは思えない。
そう言えばと、気を紛らわせるためかもしれないが、まだ少女の名前を聞いていないことに思い至った。
「そう言えばだけど、君の名前聞いてなかったよね」
ジグの問いかけに少女の息がしばし止まったのを感じた。
「私は……私はハンナと言います」
ジグとしては名前だけでなくなぜこんなところにいたのかも答えてくれればと思っての問いであったが、少女、ハンナはそれ以上を話すことはなかった。
それからは互いに声を掛けることはなく、非常に気まずい帰路となってしまいった。
ジグの思っていたよりも人一人を背負って森を歩くと言うのは難しく、村に続く街道、と言えるほどの大きさもないが、に着く頃には日の光がはるか彼方の山影から伸びていた。