出会いと旅立ち i
ジグの母の名前が第一設定時の名前となっていましたので修正しておきました。
ジグは夜の空気に晒されて目を覚ました。
色とりどりに輝く星の光が優しく瞳に降り注ぐ。
ふわりと体を包む背の高い草を布団に眠っていたらしい。
あくびと共に大きく伸びをすると、淡い光をはなつ月とは対照的な黄金色の髪が風にわずかになびく。 前髪の隙間から覗くのは橄欖石の玉のような澄んだ瞳。
ジグはそこに双月をうつして笑みを浮かべた。
翠と紅の月が並んで空に浮かぶ、どうやら今宵はウェルト神族が勝利したようだ。
双月とは翠と碧の二つの月を指す。
翠をしたメナスの月と呼ばれる方が少し速く動き、二つは半年に一度その影を重ねる。
その時にメナスの月に住むウェルト神族と碧いアーシャの月に住むラルト神族の争いが起こるのだ。
敗北した方はそれから一月ほど屈辱の赤に染まるのだという。
ここから遥か彼方のその地を踏む人間はそうはいない。
この世界にある八つの大陸の各王が半年に一度、対戦の勝利を祝い、勝った神族の元に祝いの品を届けに行く時のみ、月に住む神族と人間の交流は持たれる。
そこにジグは思いを馳せる。 見たことのない地の森を思い、見たことのない地の海を思う。
それは憧れ。 年頃の青年特有の冒険心。
今年の収穫の日を迎えれば18歳となるジグはすでに彼の住まう狭い世界に満足できなくなっていた。
繰り返される日々を憂い、時たま訪れる旅芸人の話に心を沸かす。
そんなどこにでもいる青年は森をこよなく愛していた。
行くたびに違う顔を見せる森は彼を飽きさせない。 暇を見つけては深い森の奥に足を運ぶ彼を最初は母のイルアナも心配していたが、行くたびに木の実を手一杯に持ってこれはどんな味だとか楽しそうに語る彼に、ついに何も言わなくなった。 頬に手を当て誰に似たのかしらと苦笑いを浮かべるばかりである。
今日もよく熟れたラルの実を片手に森の中を歩き回っていたのだが、いままであまり行かなかった『ヤナの涙』方面へと足を伸ばすと木々の真ん中に開けた場所を見つけたのだ。
鬱蒼と生い茂る木々の中、そこだけ木が刈り取られたように芝草のみが生え渡る様は、どこか不思議なものであった。
木が無いおかげで日の光を目一杯に浴びられるそこはとても魅力的に思えた。 寝転がって青空を眺めると途端に睡魔が襲ってくる。
それほど心地良いのだ。
一口ラルの実をかじると甘酸っぱさと爽やかな香りが口一杯に広がる。
そのまま丸ごと一つ食べてしまうと、することもなく、つい寝てしまったというわけだ。
結果としていつもより遅い時間になってしまったわけだが、ジグは怖がる様子を見せず、むしろ見慣れない夜の森を嬉々として目に焼き付けていた。
冷たい風が闇に染まった木を揺らし、葉と葉の触れ合う音が波のように森を伝わる。
耳をそばだてなくとも森の息吹を感じられるようであった。
しかし、ふと不思議に思う。
命の主張が乏しい木々が、どうしてこうまでも騒々しく騒ぎ立てるのか。
暗がりのせいで色を濃くしたように見える森は、太陽の出ている時よりも遥かに生き生きとして感じられる。
そればかりではない。
確かに森全体がざわざわと揺られ、心に響くような冷たい音を立てているが、あまりにも他の生き物の声が小さい。
あるいはいっそ無いと言ってもいい程に木々のざわめきしか聞こえない。
その違和感はジグの心を激しく揺さぶった。
葉と葉のこすれ合う音、枝の折れる音、落ちた葉が風に巻き上げられる音。 その全てが自分という異物を排除しようとしているように感じられたのだ。
夜の寒さのせいだけではない身震いをおさめようと身を強張らせる。
次第に落ち着きを取り戻すが、それと同時に体中をカッカッと血が回るのを感じた。
過敏になった感覚が、肌をそっと撫でる空気の微粒な動きを感じとり心臓が痛いほどに脈を打つ。 新鮮な森の空気を吸い、心が燃えているようであった。
それをしずめるためにどこえともなく駆け出した。
一歩足を踏み出すたびに体が軽くなり、空を駆けているかのような錯覚の中を走っている。 冷たい夜気が火照った体にぶつかり心地いい。 よし、もう少し走ってやろうと速度を上げる。
その直後であった。 空気を震わし木々を揺らす、獣の叫びのような轟音が森を満たした。 次いで雷が落ちたかのような衝撃が森を駆け抜け、大地を揺らす。
たまらず一度足を止めると音のした方に振り向く。
木々の隙間から月が落ちてきたかのような青い光が見て取れた。 心にそっとしみるような淡い光である。
その発生源はここからそう遠くないように思われた。
そう思った瞬間には再び駆け出していた。
ジグを動かしているのは一つの思い。
あの光の出処がなんであれ、それはきっと自分の人生を変えるだろうということ。
それがいい方にか悪い方にかはこの時の彼にはわかるはずもないことであり。 彼自身、現状さえ打破できるのであればなんでもいいと思っていただろう。
ジグは近づくにつれて増す光に目を細めながらも、ペースを緩めることなく走っていた。 光を放っているものはもう、すぐそこにある。
やがて光源がひときわ大きく、星のように輝き、思わず顔を伏せてしまった。
瞼の裏を焼くような光もやがて小さいものになっていく。
やっとの思いで目を開けると、銀粉をばらまいたかのように空気がキラキラと輝いている。
とてつもない振動があったというのに光のあった場所は窪んでいるわけでも焼け野原になっているわけでもなかった。
木と木の間で青草が不自然にはえ、その上に青い布のようなものがまるでピクニックの敷物のように広がっている。
その中央はこんもりと盛り上がり、そっと近づいていくと布の端から金のシルクが外に伸びているのが分かる。
ジグはゆっくりと唾を飲み込むと恐る恐ると行った様子でその布を持ち上げていく。
布がめくられ月明かりが覆われていたものを照らす。 長いまつげにふっくらとした頬。 先ほどシルクのように見えたのは髪であった。 ジグのそれと同じ黄金色、しかし艶やかに光を反射し、月光のもとで輝きを放っているかのようである。 髪が川の流れのようにうねり、青草の上に広がっている。
涼しげな風に交じる温かな草の香りが近づく夏を知らせていた。