3.全裸の事情
ピグマリオンとガラテという神話がある。若い彫刻家は、自分が作り上げた彫刻があまりに美しかったので、その彫刻の乙女に激しい恋をする。それを見た愛の女神は、彫刻の乙女をガラテという娘に変えてやった。ピグマリオンは大いに喜び、神に感謝しながら、ガラテを生涯愛し続けたという。
「確かに、物に命を吹き込むような能力のある芸術家はいるぞ。名前はなんて言ったかな、思い出せないが、この街に住んでる女の作家だ」
昼過ぎにやってきた友人・ジョンはハムサンドを頬張りながらそう言った。この友人は昔から刹那的な性格で、だらしがない性根が幼いころから抜けない。ただ、この街一番の情報屋の下っ端として仕事をしているということだけあって、情報は信頼できる。
「自分を作った人間の名前くらい覚えてるんじゃないのか?」
「彼は意地でも俺に教えない気だ」
ナルシスは製作者の名前を言いたがらなかった。家に帰りたくないからか、もしくは石膏像だったなんて嘘だからなのかと思っていた。だが、確かに奇妙な物を創る能力を持つ女流作家がいる。彼は隠し事をしているが、嘘はいってはいないのだろう。
「それにしても、命を吹き込まれた元石膏像とはなあ」
ジョンが感心したようにつぶやく。
「普通の人間にしか見えないだろう」
しかし、この目で確認したのだから真実だ。人間にしては少し疑問が残るくらい美しいが、それはさておき。
「俺は持ち主に返そうと思うんだが」
俺の言葉に、ジョンは驚いていた。
「お前って本当にまともな事を言うんだなあ。もっと、何か考えないのか? あいつは利用できると思うんだが」
「? どういうことだ?」
いいか、と少しジョンは声のトーンを落とす。
「まずは医療系に需要があるだろ。外見は人間で、中身が石灰のくせに、物を食べるなんて不思議すぎる身体だ。貴重なサンプルになるじゃあないか。その次の候補は、そうだな、変な趣味の金持ちに売るんだ。あれだけ綺麗だったら、耳元で囁くだけで金払ってもいい奴もいるだろうし。女のように見えなくもないから、ワンピースを着せたっていいし、な……」
俺がまばたきせず黙っていると、ジョンは愛想笑いを浮かべながらそのおしゃべりをやめた。怖い顔するな、笑えよ相棒、趣味の悪い冗談だよ、と早口でごまかす。
「おれはお前の相棒じゃない」
釘をさす。ジョンは縫われたように口をつぐんだ。
「今の話はどういうことだ」
いつのまにか、風呂からあがったナルシスが仁王立ちしていた。例のごとく、古代人の外衣のようにバスタオルを体に巻きつけている。やはり、風呂上りは全裸では寒いのだろう。ナルシスは眉間にしわを寄せ、鼻を膨らませていた。怒っている。初めて見る表情だ。元石膏像とはいえ、やはりもう人間に近い存在らしい。
「なんで恰好が古代人っぽいんだ?」
一方で、ジョンは明後日の方向の疑問に首を傾げている。
「おいお前、僕の身体を女っぽいと言ったな」
対するナルシスの怒りの焦点も、どこかずれている気がする。てっきり、自分の人権や、尊厳に関わることかと思ったのだが、それは彼にとっては二の次のようだ。
「僕は男だぞ。みろ」
ナルシスはバスタオルを脱ぎ捨て、その体をジョンに惜しげもなく見せつけた。
「……」
ジョンは呆けたような顔をしている。
「レオ。石膏像っていうのは、露出狂の性があるものなのか?」
「知らん」
俺はクローゼットの中から、黒い長そでのシャツと、ゆるいサルエルパンツをとってナルシスに投げた。小さく声を上げながら、ナルシスがそれを受け取る。
「何のためにお前を風呂に入らせたと思ってるんだ。また冷えるぞ」
ナルシスは血が石膏だからなのか知らないが――たぶん、全裸だから余計になのだろうが――血の巡りが悪く、すぐ体を冷やしてしまうようだった。
「なんだこれは、僕は着ないぞ」
ナルシスは渡した衣服を見て、ジョンの顔面に叩きつけている。
「おい、今度寒いと言っても風呂にはいれないからな」
湯もただではない。やや語調を強めて忠告するが、反省する気配はない。
「いいさ、毛布を着るから!」
「なんでそこまで全裸にこだわるんだ」
ナルシスはその美しい顔を歪ませ、憤慨している。
「なぜって、この肉体美を服なんかで隠すことは作品への冒涜だと思わないのか?」
それだけ言うと、俺のハムサンドと毛布をつかんで寝室へ歩いて行ってしまった。
ジョンと俺はその白い後ろ姿を見送ると、顔を見合わせた。
「石膏像にも矜持があるのかなあ」
ジョンが投げつけられた服を丸めながら言う。
「ジョン、できるだけ早めに持ち主の名前と、電話番号を調べてくれ。できるだけ、早めに」
<この小説にでてくる神話について>ギリシャ神話の登場人物をもじっています。大筋は合わせてありますが、詳細の設定の改変など行っているかもしれないので、参考になさらないでください。