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オルコットの解けない雪  作者: いも
貧乏画家と全裸
2/17

2.全裸が中にいる

少しだけ血のでるような描写があります。ご注意ください。

 俺は凍えながら、穴だらけのソファの上で目を覚ました。まだ目蓋が完全に開き切っていないが、眠気より寒さのほうが勝って、ソファから起き上がる。毛布をひきずりながら、狭いキッチンに向かい、湯を沸かす。底が焦げているケトルの下にある炎に手をかざせば、指先に温かさが戻ってくる。窓の外を見ると、快晴とはいかないが雪はやんでいるようだった。ごうごうという風の音も聞こえない。厚い雲が街全体を覆っているような薄暗さだ。俺は、冷たい水が沸騰するのを待ちながら、果たして昨日はいつ寝たのだろうかと思案した。

「おはよう」

 不意に、背後から投げられた言葉。

 素早く振り向くと、全裸の男が立っていた。既視感があるな、と思ったら、昨晩のことが思い出された。玄関先にいた全裸の男。

「あ、昨日の」

 俺が言うと、男はこちらに手を伸ばしてくる。握手かと思ったが、そのしなやかな腕は俺の肩にひっかかっていた毛布を奪っていった。男は、寝坊だね、と言いながらリビングのほうに歩いて行った。

「いや、待ってくれ。君はだれだ」

 俺が呼び止めると、男はこともなげに言う。

「昨日も言っただろ、僕はナルシス」

 そのまま、すたすたとリビングに行き、ソファの前ですとんと姿が消える。腰を下ろしてくつろいでいるようだった。

 ナルシス。いまだにぼーっとする頭の中で考えを整理する。ナルシスは、神話に出てくる一人だ。木霊の神の恋心をないがしろにした罪で、復讐の女神により自分だけを愛する呪いをかけられた美しい青年。彼は他の誰をも愛さず、湖に映った自分の姿を見つめながら、孤独に死んでいったという。今でこそ流行らないが、よく絵画のテーマとされることは多い。

 今リビングで俺の毛布にくるまっている青年は神話に登場してもおかしくないくらいの美しさではある。しかし、ここは現実だ。

 沸騰した湯を2つのマグカップに注ぎ、コンソメの瓶をとって適当にいれる。スプーンで混ぜた後、一つのカップをソファの彼に渡した。

「帰る家がないのか」

「ないよ。風呂からあがったときも、そういったじゃない」

 今度こそ、昨日のことをすべて思い出した。中へ入れてくれと言うやいなや、彼は俺を押しのけて家へふらふらとあがりこんだ。驚いて、追い出してやろうとも思ったが、足元もおぼつかない男を放置するのも気が引けたので、シャワーを貸してやった。風呂からあがると、彼はローマ人よろしくバスタオルを体にまきつけていた。そのとき俺は、ちょうど今の質問をしたのだ。すると、男はたしか、追い出されたのだと言っていたきがする。そのあと、男は、俺が大事にしまっておいた酒を開けた。俺は怒って、それを取り上げて飲んだのだった。俺は自分が下戸だったのをすっかり忘れていた。そのまま意識をなくしたらしい。

「ああ、今思い出した……」

 俺は頭を掻いた。

 歳は十代後半から二十歳くらいだろうか。体は発育しているのだが、異様に肌がきめ細やかで、判別がしづらい。だが、昨日と違い、肌は血色の良さを取り戻している。頬がほのかに紅い。元気になったようだ。育ちのよさそうな顔と綺麗な手が毛布の塊から突き出て、おとなしくスープを啜っている。

「それで、姓はなんだったかな」

 俺は青少年の無謀な家出だろうと踏んで、あくびを押さえながら聞く。

「僕には名前しかない」

「親がいないのか? 孤児院育ちか」

「違う」

 ナルシスはぶつぶつと言った。

「親といったらあの女なんだろうけど、やつは僕を追い出したんだ。そんな姓はまっぴらだ」

「母親?」

すぐに電話をかける必要があるなと思った。

「あんなの母親じゃない。僕の作り手だ。僕はもともと石膏像だったんだ」

 ナルシスは癇癪を起こしたように言う。

 石膏像?

 俺に質問する暇を与えず、ナルシスはいきなり、すっくと立ち上がり――毛布がずりおち、また全裸になって――手に持っていたマグカップを床にたたきつけた。寝起きの頭が揺さぶられる思いがした。俺は目を丸くして目の前の光景を見ていることしかできなかった。

 ナルシスは少しかがんだかと思うと、右手に割れた破片を掴んでいた。そして、俺の目の前にもう片方の腕を突き出した。

 あ、と思った時には遅かった。

 ナルシスは、左手の前腕の真ん中に破片を刺していた。俺はマグカップを放り投げ、彼の両方の手首を掴んだ。まだ深く刺そうとしていた彼の右手を静止させた。

「やめろ」

 低く言うと、ナルシスは少し怯んだような顔をしたが、大丈夫だよ、と言った。

 何が大丈夫なものか。マグカップは2つも割れるし、血は床に染み込むし――と、俺は彼の左腕を見てはっとした。

 彼の腕からはたしかに液体がどろどろと流れ出ている。しかしそれは血ではない。血は赤い。今滴っているそれは、真っ白だった。純白の液体が、ぽたぽた、と床におち、すぐに固まっていく。一度俺が見たことのある液体だった。俺はナルシスの手首を離し、腕から落ちる雫を手のひらに受けた。丸い真珠のような球が皮膚の上に落ち、平たくなって、乾燥する。その際、発熱する。

 間違いなく、石膏の粉を水で溶いたものだった。

「僕が石膏像だったってこと、信じるでしょ」

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