1.白い石
風が唸り、村を荒らしながら駆け抜けていた。
窓の外は灰色。雪が暴れるように舞っていて、数メートル先も視えない。朝、自宅でみた太陽は幻だったのではないかと思えるくらいだ。
大きな風が家に体当たりしてくる度に、天井から粉がぱらぱらと落ちてくる。この家を外から眺めた時も、かなり年季が入っているとは思っていたが、この嵐に耐えられるのかも不安になってくる。
埃っぽいこの廊下は、風こそ吹かないものの、体の熱をどんどん奪っていく。俺は口元に手をかざし、温かい息を吹きかけた。
「レオ、スープができたって」
床の軋む音と共に、階下でナルシスの声が聞こえた。
「ああ、すぐ行く」
返答しながら、俺は手すりのない階段を注意深く降りて行った。なにせ、踏み板の幅は小さく、俺が駆け降りると割れてしまいそうに見える。
この家ではさまざまな古い木の香りが充満している。生家も祖父母の家も木造ではないのにも関わらず、俺はこの家の雰囲気にはどこか郷愁を覚えていた。古い木で組まれた家と、幾何学模様の褪せたタペストリーを見ると、誰もがそう感じるのかもしれない。
玄関に続く寒い廊下で、首を縮めたナルシスが、俺が降りてくるのを待っていた。
「先にキッチンに入っていてもよかったんだが」
「放っておくと、いつまでも降りてこなさそうな気がしたんだよ」
「そんなことはない」
ナルシスは自分の腕をごしごし擦っている。
「いや、あり得るよ。今日のレオ、かなり浮かれてる」
不意に痛いところを突かれた気持ちだった。ナルシスが言う通り、俺は浮かれていたのかもしれない。確かに今回、俺はナルシスの付き添いではなく、俺の希望ではるばるこの家にやってきたのだ。
「ああ……それで、”彼”はどこいった」
俺は頭を掻きながら、ごまかすように訊いた。
「なんだ、”あいつ”の後を追ってたんじゃあないのか?」
「2階の様子を見ていたんだ。窓は無事だったが、壁と扉にはぶつかった痕がいくつもある。”彼”はなかなか、暴れまわっている」
「やんちゃだ」ナルシスは面白がって言う。
その口が言うのもどうか、という言葉を飲み込む。
「というか……レオと僕の近くにいないんだったら……」
そこで、しばし、俺とナルシスの間に沈黙が流れた。
「”あいつ”は今どこにいるんだ……?」
「見失った……?」
ナルシスの不安げな声が、暗い廊下に響く。
廊下には明かりがない。小さな窓から昼の光が散らばるようにはなっているものの、外が太陽の隠れた雪嵐では、窓の甲斐なく、かなり薄暗い。廊下は狭く長く、つきあたりの壁は両方とも闇に溶け込んでいる。今聞こえるのは、立てつけの悪い窓がカタカタ言っているのと、男のうめき声のような風の音だけだ。
”彼”の足音はどこからも聞こえない。
不意に、俺は首筋に冷たい空気を感じた。
「あっ……」
目の前のナルシスが、息を漏らしたとき――
みしり、と俺のすぐ後ろで、床が鈍く鳴った。
俺は振り向く。
眼前、暗く冷たい空間が俺の顔を包む。そこには何もない。
視線を落とすと――足元には、赤ん坊くらいの大きさの、丸い石があった。白い石は薄汚れていて、人間の皮膚のようにも見えた。
俺は思わず息を飲む。この石は、さっきまで何もなかった足元に、いきなり現れたのだ。
「びっくりした」同じく俺の足元を覗きに来たナルシスが、寒さなのか、驚きなのか、震えた声をあげていた。
丸い石は、まるで俺の体に這い登ろうとするがのごとく、ゆっくりと俺の靴に体を押し付けてきた。俺がさっと身を退いて、少し離れると、石は少し転がって、時が止まったかのように停止した。
いや、それが本来あるべき姿なのだが――しかし、”彼”の場合はそこらの石とは違う。
「お前、驚かすのが好きなのか?」
ナルシスがしゃがみこんで、石を手のひらで軽く叩きながら語りかけている。
――そう、この石はナルシスの兄弟だ。
アレスの事件が片付いた時から、しばらく経っている。
冬の終わりも近い。もっとも、オルコットの春は、雪の降りにくい優しい冬というだけだ。しかし、夏に向けて気候と街の人々の気分は、おのずと穏やかになる。俺もその市民の1人だ。
3週間ほど前、俺は何事もなく、カフェの仕事と絵の制作を続けていた。
頼まれていた絵が完成し、依頼主に受け渡したということもあって、金銭面でも精神面でも、俺はかなり安定していた。
ナルシスの方も、あれから急に体調を崩したりすることもなかった。ジョンに次なる兄弟の行方探しを頼む為、カフェの仕事に精を出していた。
ある日、いつものようにカフェでウェイターの仕事を終えた晩だった。俺は、店長によって片付けの終わった厨房に呼び出された。ナルシスも一緒だった。
「今日もお疲れ様」
店長はいつも通りのとろけたような笑顔をしている。何の用事があるのだろうかと俺はぼんやり思った。
「さっそくなんだけど。この前、仕事を休んでゼップさんのところの本屋で、事件があっただろう?」
俺は喉元にナイフを当てられたように、ぎこちなく肯定した。
なにせあのとき、俺は、店長に黙って、絵を描く為の休暇をカラス探しの時間に当てていた。店長は俺が絵を描いていると思って、休暇をくれたのにもかかわらずだ。
カフェの周りには近づいていなかったとはいえ、噂で彼の耳に届いたのかもしれない。嫌な予感がした。
店長は、その緩い弧を描いた眉を、申し訳なさそうに少し下げる。
「すこし、君たちに伝えたいことがあって」
俺は一瞬背筋に冷たいものを感じた。解雇、という言葉が頭をよぎる。
「店員というより、クローディアさんの作品の専門家として、僕の話をちょっと聞いてほしいんだ」
クローディアの作品の専門家。ああ、その詐称は――
おそらく店長は、俺たちがどんな風にその事件に関わったのかを知っている。
喉元まで、謝罪の言葉がせりあがってきていた。
ナルシスが横で、良く磨かれて透き通ったガラス細工みたいな顔をしていた。それもそうだ。あのときナルシスは休日だったのだ。嘘をついたのは俺だけだ。
「僕のお客さんのことも、頼まれてもらえないかな?」
俺はぽかんと口を半開きにした。
店長が言った言葉の意味もわからなかったが、それよりも、
「怒らないんですか?」
「え? 何を?」驚いた俺を見た店長も、何故か驚いている。
「知っているんですよね? その……絵の休暇を別の事に使って、貴方に嘘を吐いていたことを」
「うーん、嘘かあ。ちょっと大げさだなあ」
尻すぼみの俺の言葉に、店長は困ったように笑った。
「僕はねえ、君のことを信じているんだよ。いつも言っているけれど、僕には絵のことはちっとも分からない。それでも、君はいつも物事をよく考えているし、正しくあろうとしている、と思ってるんだ。君にも事情があったんじゃないかな?」
そこで店長は、しまった、と言う風な顔になって、続けた。
「こういう事を言うと、かえって負担になるってアンヘルにも言われたな。建前だけでも、怒ったほうがよかったかもしれない」
店長はわざとっぽく口をとがらせて、ウィンクした。仕事中にミスをした年少のボードリエを慰めるときに、よく使う仕草だった。
俺は自然と頬が緩んだ。安心のような、照れくささのような、また、そのどちらでないような何かが体の筋肉をほぐしていった。
今の俺を生かしている1人は、この人なのだろう、と俺は改めて思った。同時に、あれは不可抗力だったのだとか、少しでも言い訳を準備しようとしていた自分が恥ずかしかった。
結局その後もずっと、店長は俺の言い訳を聞こうとはしなかった。
「僕だってレオのことくらい知っているぞ」ナルシスがエプロンの裾で遊びながら、不機嫌な声をあげた。会話ののけ者にされたことを気にしているようだった。「それで、何を手伝うんだ?」
「あ、そうなんだよ。それで、」2人の都合がよかったらなんだけど、と店長は前置きをした。「もうすぐ、この店の記念パーティーだろう? 今僕は、連絡先を教えてもらった遠方のお客さんに、招待状をだしているんだ」
店長の父親の代から続いているこのカフェは、3週間後(現在から数えるともう2週間後に迫っている)に40周年を迎える。
元はといえばレストランだったらしいが、先代店長兼コックが辞めてからは、カフェの色が強い。息子である店長は、父親の”優れた味覚の能力”とは違う能力を授かったからだ。しかし、息子の代になっても、先代の常連客はよくここへ来ている。
カフェの記念日には店長のはからいで、新旧時代のすべて店員と客が、飾りつけされた店内で1日パーティをすることになっている。
「あ、パーティ! 楽しみだ。な、レオ」ナルシスはぱっと顔を輝かせながら、俺に話しかけてくる。「知ってたか? パーティっていうのは、まず家で一番大きな鍋を被って、男はフォーク、女はスプーンを空に掲げて皆で歌うんだぞ」
「なんだそれは」
パーティの”素敵な”知識を、お調子者の同僚・アンヘルからよく教え込まれたらしい。
ナルシスの誤解は後でしっかりと解くとして――
「いや、それより、俺たちに何か手伝えることがあるんですか?」
ナルシスの述べた競技ははたして当日の題目にあったか、と首を傾げていた店長の意識を惹いた。
「うん。ちょっと時間がかかるんだけれどね。パーティに誘おうと思って、数年前にウチに来てくれたご婦人に、昨日、電話をかけたんだ。彼女は、オルコット市と港町の間にある、小さな村に住んでいるんだけれど」
オルコット市と、港町の間にはいくつかの小さな村がある。店長が言ったボルシカという村もそのひとつだ。
「そのご婦人は、数年前にオルコットでクローディアさんの石彫作品を買ったらしいんだ。パーティには行きたいんだが、今はその作品のことで、手が離せないと言うんだ」
「手が離せない?」
「なんだか、彼女のいう事をきかないんだって。その石彫の作品は、まるでペットみたいに命をもっているようなんだけれど、僕にはちょっとわからなくてね。それが犬ならわかるんだが」
「とにかく、ご婦人には困りごとがあると?」
「そう。それで、よかったらなんだけど、彼女のところへ少し見に行ってくれないかな?」
「俺は構いませんが……」俺は”専門家”であることがどこかから舞い込んできた齟齬のある表現だということを伝えた。結局、俺とナルシスは作品の起こした事件には関与しているものの、見事に解決してみせた記憶はない。
「君はクローディアさんの作品によく関わっているし、ナルシス君の兄弟のことだ。ぜひ君たちに見てきてもらいたいんだが、行ってもらえないかな?」
「もちろん、行きます!」俺が是も非もなく、すかさず答えると、ナルシスが驚いて俺を見上げていた。
「ボルシカってどこだ? 列車を使う?」彼も乗り気の様だった。
「レオ君、絵の制作は大丈夫? ナルシス君も、予定は空いているかな?」
どちらも問題ないと答えると、店長は報酬の話をし始めた。その後は、俺と店長が何度も押し問答をして、ようやく決着がついた。ナルシスはパーティで好きなメニューを先代コックに頼める約束を、俺は絵の為に2日休暇をもらえるという形となった。
「別に、レオはいつもと変わらないんじゃないか?」
俺はナルシスに黙っていろと目線で言うが、やはり全く意味は通じていないようだった。
それが1週間前の話だ。
廊下に突如として現れた石は、とりあえずは放置しておくことにした。俺たちはこの家の主人から昼食に呼ばれているのだった。「大人しくしてろよ」とナルシスが言うが、石は沈黙したままで、理解しているのか、むしろ聞こえているのか定かではない。
ナルシスの後に続き、薄暗いリビングに入ると、まず、トマトの酸味のある香りがうっすらと鼻についた。
織物のかかったロッキングチェアや背の低い木製テーブルの隙間を抜け、明かりが漏れているキッチンへ入る。すきっ腹を揺さぶる濃厚な匂いがした。
「来たわね。呼んできてくれてありがとう、ナルシスくん」
花柄の赤い頭巾をかぶった老婦が、温かい笑みを向けてきた。
「何か、わかったかね?」
老婦は言いながら、いそいそと鍋をテーブルに運んだ。白い鍋の中で、明るい赤のスープが揺れる。
「いえ、まだ。2階の廊下をほうを見てきました」俺は席につきながら答える。
「寝室に入ってくれても構わなかったんだけどねえ」
彼女は慣れた手つきで、赤いスープを皿に盛りつけている。皿の上の肉と野菜の比率は、3つの皿でしっかりと守られていた。
「ネステ……ヴェーラさんの許可なくというわけには」
「もう。ヴェーラでいいって言ってんだろう。ナルシスくんだって、呼び捨てで呼んでくれてるのに」
「気を付けます」
「あ、そのランチョンマット、お願い」老婆がテーブルの端をさっと指差したので、俺は緑の布を3人分、広げていく。その上に、老婦が白い皿を乗せて行った。細かい油の粒が、赤いスープの中で揺れていた。
「嫌ならいいんだけどねえ。でも、呼び捨てのほうが同年代の友人みたいで、いいだろう?」
老婦は喋りながら、盛り付けを終え、席に着いた。ナルシスは大人しく椅子に座って、目の前の皿を興味深そうに見つめている。
「ま。調査は急いでくれないほうがありがたいよ、私は。独りで食卓につくのはさみしいもんだよ」
老婦はそう締めくくると、胸の前で手を合わせ、食前の祈りを始める。
多少、趣は違うようだが、同教である俺も無言で彼女に倣う。石膏像には信仰というものはないようで、ナルシスはテーブルに両手をついたまま、老婦の信心深い言葉に耳を傾けていた。
「アーメン」
胸の前で十字をきると、彼女は俺たちに向かってにっこりと笑った。
老婦の名は、ヴァルヴァーラ・イサーエヴナ・ネステレンコという。
ボルシカという村で、独り身の暮らしをしている女性だ。駅と村の家々から少し離れた場所にある、2階建ての小さなログハウスに住んでいる。夫は死に別れ、子供は東の大都市のほうに住んでいるらしく、彼女だけの暮らしだ。
ほんの数時間前、俺とナルシスは古い木の香りが漂う玄関で、簡単な自己紹介をしていた。
「連絡があった、クローディアさんの作品の、お手伝いさんだね?」彼女は口を一直線にして、俺を見上げた。
「そうです。ミセス・ネステレンコ」
彼女はなぜか俺の言葉を聞いて、顔をしかめた。
「この家に上がるなら、まず私のことはヴェーラと呼んでくれないかね」
玄関で迎えてくれた彼女は、ヴェーラという愛称で呼ぶことを求めた。たしかにネステレンコという姓は言いづらかったが、まるで古い友人のような愛称で呼ぶこともいたたまれない。
しかし、俺がどうしたものかとまごついていると、彼女はにこりともしなかった。むしろ、そう呼ばないと何も話さない雰囲気があった。俺とナルシスは顔を見合わせ、それを了承すると、彼女は途端に朗らかとなった。まるで何歳か若返ったような、活気ある笑顔だった。
主人の許可が取れた後、最初はリビングで彼女の話をきいていた。そのとき、リビングの隅には、じっとしている白い石――問題の石彫もいた。彼女の悩みの種とは、クローディアの作品の、尋常ではない振る舞いのことだった。俺は、シュタイナー邸の危険な死神の1件を思い浮かべたが、一刻を争う事態ということでもないと老婦に言われた。
「なんていうのかねえ。家の中を暴れまわって、手をつけられないんだよ」
その言葉通り、石は家のあちこちを痛めつけていた。壁や扉、家具がとてつもない圧力を加えられたように、球形にへこんでいる。小さな戸棚などは、その圧力を受け止めきれずに無残な姿となっていた。幸い、家の主人が危害を加えられたということはないらしいが、徐々に家具が減っていっているのには、ほとほと困っているらしい。
犯人の名は”忠誠”というらしかった。クローディアによって命を灯された、少し歪な球形をした石彫だ。彼は、この古い家の中を自在に動き回っている。
肉と野菜がたっぷりはいったスープを食べ終わると、体の中がよく温まった。
美味しかったと述べると、老婦――ヴェーラは当然だよ、と言って嬉しそうに笑った。
本当は、村のほうで昼食を済ますつもりだったのだが、ヴェーラの好意で食卓を囲むこととなったのだった。彼女の話によると、村にレストランはないらしい。
ヴェーラはキッチンの片づけを終え、リビングでゆったりとくつろいでいる。ナルシスはテーブルの上の編み棒と、網掛けの毛糸をじっと見つめていた。
「2か月ほど前から、突然ものを壊し始めた、ということですよね?」俺は、ナルシスの横のソファに座って、言った。
「まあ、そうだね」ヴェーラは眠たそうな目をして、ロッキングチェアに揺られている。
「何か、変わったことはありました?」
「どうだろうねえ。最初に壊したのはそこのサイドボードで、あの日も、嵐だったねえ……」
ヴェーラが遠い目をしているのは、おそらく過去の日を思い出しているのではなく、単に眠いだけだろう。先程言っていたように、彼女は困っているとは言っているものの、この問題の早期解決にはあまり関心がないようだった。
それでも、俺としてはこの作品の悪行を早く止めさせて、2週間後に控えたパーティにぜひとも彼女も出席してほしいのだ。それは店長の希望であり、俺の願いでもある。
「もしかして、”忠誠”を外に出してやったことがないとか?」
「いいや。あれは私が散歩にいくときなんか、玄関の扉を開けるとサッと外へ出るよ。それでも、ちゃんと帰ってくる」
「そうですか……。とりあえず、今日はもう少し石の様子を見せてもらっていいですか」
「いいよ、どの部屋に入ってもいい。自由にしておくれ」
ヴェーラはそう言うと、ゆっくりと瞬きを始めた。どうやら寝入るようだ。
ナルシスは編み棒を膝に置いて、棒の間から生み出されている最中の編み物を観察していた。自分の兄弟のことより、今はそちらのほうが重要そうだ。
俺は、上着の中からペンと手帳を取り出した。
この家には、5つの部屋がある。1階はほとんどワンルームに近く、扉のない壁が、リビングとキッチンを分けている。2階は夫妻の寝室と、今は使われていない息子の部屋、それと小さな物置だ。どうやら、風呂とトイレは屋外にあるようだった。
簡単な間取り図を手帳に描きこんだ。そこで、一旦ペンを止める。
ヴェーラの話を総合すると、石が外に出ることはほとんどないらしいが、閉じ込めているわけでも、出ることができないというわけでもないらしい。
犬の話ではないが、もしかすると外出を求めて物にやつあたりをしているのではないかという俺の推測は、外れていた。あの石が自我を持っていて、ストレスが溜まった生物のようになっているのかと思っていたのだが。いくら命を持った作品だとはいえ、なんでも生物と同じにしてはいけないのだろうか。
しかし、2ヵ月前に、突然暴れだしたのなら、原因があって、それに対する反応だということだろう。破壊行動が物理的な反応でないならば――石にこういう言葉を使っていいのかは分からないが――おそらくはこれは生理的か意識的な反応で、自我のようなものがあるはずだ。外出とは違う、別のストレスの要因があると考えたほうがいいのだろうか。いや……座って考えていても、わからない。
俺は手帳に思ったことを書きとめ、また石を探すことにした。観察から何かわかることがあるはずだ。
早速キッチンとリビングを探したが、見当たらなかった。また廊下にいるのかもしれない。
俺はまた冷たい空気の廊下へ入った。リビングも決して快適といえるほどの室温ではないが、廊下は一段と寒い。足元に目を凝らしても、埃と黒ずんだ床があるだけだった。
2階の部屋の扉も開けてはみたが、結局石は見つからなかった。
いつの間にか、外に出たのだろうか。襟を上に引き上げて、俺は玄関で、古めかしい扉を開けた。
飛び込んできたのは、吹き飛ばされそうな嵐だった。内開きの扉が風を受けていよいよ外れそうになる。なんとか閉めて、雪を踏んで数歩歩てみた。雪が体の側面にぶつかって、激しい音を立てていた。剥き出しの顔に雪の粒が叩きつけられ、目を開けることもままならない。目を守りながら遠くを見たが、村のほうの明かりも見えなかった。停電でもしたのだろうか。
俺は家の中へ逃げ込み、玄関の扉にもたれて一息ついた。
そこで俺のポケットの携帯が鳴り、通話ボタンを押して耳に当てる。
「もしもしレオ君?」店長の声だった。「石の件はどうかな? まだネステレンコさんの家にいる?」
「ええ。まだ解決の手がかりは……今、石を探しているところです」
「なるほど。えーと、そっちに連絡は行っているかな? 今ね、大雪で鉄道が止まっちゃったみたいなんだ」
困った。村からオルコットまでの鉄道は1本だ。止まってしまえば、帰る手段はなかった。
「夜までに嵐が止めば、定期便はいくつかあるようなんですが」
「うーん。どうかな」
朝はただの曇り空だったのに、こんなにひどくなるとは。
もし鉄道が止まったままでも、村へ行って宿屋を探してみる他にない。俺は店長に礼を言って、通話を終えた。
俺は乱れた前髪を撫でつけて、リビングへ向かおうとしていた。
そのとき――どこかで派手な物音が聞こえた。
木を割るような、何かが破壊された音。
廊下ではない。天井から、砂と埃の粉が落ちてきた。
俺が2階へ上がると、階下と同じような見た目の廊下が闇に包まれていた。俺は目を凝らしながら進むが、何もない。小枝を踏んだような音がまだ聞こえている。聞こえるのは、今は使われていない息子の部屋だ。埃のからまった部屋の扉を開けた。
「おい、やめろ!」
真っ先に視界に飛び込んできたのは、チェストにめりこんだ白い石だった。俺は埃を巻き上げながら石にとびつく。
「離れろっ……」
指をひっかけるへこみなどなく、俺はまだチェストにうまっていない部分を両側から掌で挟み込み、自分の方へひっぱる。しかしびくともしない。それどころか何事もなく、石はさらにめりこんでいく。
圧倒的な力の差に俺は少し恐怖を覚えた。圧がかかっているほうに指を巻き込まれたら、ひとたまりもなく粉砕するだろう。足ならまだいい。だが、指は俺にとって筆を握る為のものだった。
少し躊躇ったが、手を放すこともできなかった。
この中に大事なものが入っていたらどうする。この石の目的がこの中身のものを破壊することだったら。俺は、店長にこの問題を解決すると言ったのだ。
「いう事を聞け!」
俺は声を上げて自分を鼓舞しながら、尻を床に降ろした。足の裏でチェストを蹴るようにして、渾身の力でひっぱる。
しかし、かじかんだ手が滑った瞬間、俺は背中をしたたかに打った。
そして、一際大きくバキッとチェストが悲鳴をあげた。起き上がると、チェストは見事に倒壊していた。中には何も入っていなかったようだが、本体はもうただのめちゃくちゃな木材の塊だった。
その中に白い石が、傷ついた様子ひとつなく鎮座している。
はた目から見れば、俺が石を投げつけた後のような光景だった。
「……お前、どこが”忠誠”なんだ」
俺は息を切らしながら石を睨みつけるが、彼にその言葉が届いているようには見えなかった。




