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「おーい地球人、プロレスしようぜ!」  作者: 鶏の照焼
第八章 ~モノ「鬼」登場~
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「同化」

 翌日。百鬼夜行本番の日。

 強いて言うと何も無かった。午前中から午後にかけては何の問題もない、いつも通りの平凡な時間が過ぎていった。


「何も起きなかったな」


 そして順調に帰りのホームルームまで済ませ、生徒が全員出て行った空の教室の中に一人残って仕事を片づけながら、亮は顔を上げて誰に言うでもなく呟いた。職員室に戻らなかったのは単純に居心地が悪かったからだ。


「何か起こるかもしれないと思ったが、考えすぎだったか?」


 亮はこの日、いつもよりも神経を張りつめて一日を送っていた。今日は彼が前から散々聞かされてきた百鬼夜行の本番の日だったからだ。

 モノが人間にとってどれだけ恐ろしい存在であるかについては、亮は亮なりに認識していた。麻里弥とその家族が行おうとしている「何か」がモノを人間から遠ざける上で非常に重要な役割を占めている事もまた理解していた。そして、ここに自分の出る幕はないこともまた理解していた。

 今自分に出来ることは何もない。ならせめて、何が起きてもいいように心構えだけは万全にしておこう。亮はそう考えて、かつて自分が現役の宇宙刑事だった頃に単身で宇宙マフィアのアジトに乗り込んだ時の事を思い出し、その修羅場をくぐり抜けた時の自分と同じくらいに精神を研ぎ澄まして学園の一日を過ごしたのだった。その時の彼は、まさに百メートル先の地面に落ちた針の音まで聞きつける事が出来るほどの驚異的な五感と集中力を備えており、文字通り備えは万全であった。

 もっとも、その結果は徒労に終わったのだが。


「変に気負いすぎたか?」


 大仰に首を回しながら疲れた声で亮が言った。既に外は日が沈んで薄闇が垂れ込め始めており、それを見た亮は今度は肩を回しながら億劫そうに立ち上がった。


「まあ、何も無かったっていうのは喜ばしいことなんだけどな」


 平穏無事に一日が終わることほど良いことはない。かつて幾度と無く死線をくぐり抜けてきた亮は本気でそう思っていた。だから正直なところ、モノだの百鬼夜行だのと言った物騒なイベントは亮としてはあまり歓迎したくはなかった。麻里弥がネタばらしをした時にはその彼女の話を嬉々として聞き入る生徒も何人かいたが、亮はもう彼らのようにスリルを楽しめるほど若くは無かったのだ。


「若いっていいよなあ」


 輝いていた頃の自分を思い出しながら亮がしみじみと呟く。彼自身はいわゆる「中年」にまでは到達しておらず、まだまだ十分現役を張れるほどに若かったが、同時に昔を懐かしむことが出来るくらいに歳も取っていた。

 そんな彼のズボンのポケットに入っていた携帯電話が音を立てて鳴り始めたのは、まさにその時であった。





「いきなり呼び出してすまなかったのう」


 それからぴったり十分後、亮は塀で囲まれた十轟院家の屋敷の敷地内、その縁側に座って中庭を目の前にしながらスイカを食べていた。その彼の横では麻里弥の母親である十轟院多摩が彼と同じように腰掛けてスイカを食べており、そして一通り食べ終えたところで多摩は視線を縁側に向けたまま亮にそう言った。


「実はな、娘からちょいとあなたの経歴を聞いてな。それであなたは頼りになると思って、何かが起きた時に手伝ってほしいと思ったのよ」

「なるほど、そういうことですか」


 多摩の言葉に亮が頷く。実は亮がここに呼び出された理由を聞くのはこれが初めてであった。これより前、教室で仕事を終えた亮が多摩から電話をもらった時は「ちょっと頼みたいことがあるからウチに来て欲しい」と言われただけであり、詳しい理由についてはその時には一言も聞かされてなかったのだ。


「しかし、あなたも奇特な人よのう。こっちは詳しい理由も話して無いというのに、あなたはそれでも迷いもせずにウチに来たのだからのう。自分を貶める罠か何かだと疑ったりはせなんだのか?」

「疑ったりはしなかったですね。十轟院さんの親御さんがそんな事するとは全然思えませんでしたから」

「しかし、我らの家系が世間一般とは大きくかけ離れた、特殊なものだと言うことは既にご存じのはず。一度も怖いとは思わなかったのかえ?」

「それもないですね。驚きはしましたけど、怖いとは思いませんでした。十轟院・・娘さんはとても礼儀正しくて優しい良い子ですから、そんな子が育った家が怖いとはとても思えないですよ」


 感心したように言った多摩に亮が自然な口振りで返す。それを聞いた多摩は「ほおーう」とさらに感心したように声を漏らし、亮の肩を叩こうと手を伸ばした。


「なるほどのう、くっ……確かにっ、あなたは麻里弥が気に入るのも、納得のっ……人よ……くそっ」

「……」


 だが多摩の手は亮の肩には届かず、多摩は苦悶に満ちた声を放った。多摩は一見して幼女と見まがうばかりに背丈が低く、亮と隣り合って座る姿はもはや「教師」と「生徒の保護者」ではなく、ただの「親子」にしか見えなかったからであった。


「背中丸めましょうか?」

「やかましい!」


 なんとなく不憫に思った亮が提案するが、多摩は頑としてそれを認めなかった。そして駄々をこねる子供のように頬を膨らませて睨みつける多摩を前にして亮が反応に困った微妙な顔を見せていると、彼らの後ろから二人のよく知る声が聞こえてきた。


「先生来てくれたのですね」

「おう、十轟院か」


 亮が肩越しに振り返りながら声を返す。その視線の先には彼の言葉通り十轟院麻里弥がこちらに近づいてきていたのだが、その姿を見た亮は同時にその顔に不安げな表情を浮かべた。


「それ、その格好はなんだ?」

「ああ、これですか?」


 亮に指摘され、麻里弥は目線を下ろして今自分が身につけている衣装を見る。そして一通り見終えた後で麻里弥は再び亮の方へ目を向け、何気ない口調で言った。


「これは仕事着ですわ。今日の儀式に必要な衣装ですの」

「仕事着って」


 麻里弥の声を聞いた亮が呆然として呟く。この時麻里弥が身につけていた装束はシミ一つない真っ白な着流しであり、その姿を見た亮は真っ先に一つの不吉なイメージを想起した。


「それ死装束じゃないのか」


 そしてそのイメージを迷わず声に出す。それを聞いた麻里弥と多摩は一瞬きょとんとした顔になり、そして互いに目線を合わせてから「ああ」と二人して納得したような声を出した。


「確かにこれはそう見えるかもしれませんわね」

「初めて見る分にはそう見えるかもしれんわな。でも安心してくれい。麻里弥は別に今日死ぬる訳ではないからな」

「そうなんですか?」

「うむ。これはあくまで儀式を行うための服。いわば作業着だ。死を覚悟するとかそういう物騒な意味で来ている訳ではないのだぞ」


 澄まし顔で多摩が言い放ち、麻里弥もそれに同意するようにゆっくりと頷く。それを見た亮はいくらか安堵したように肩から力を抜いて大きく息を吐いたが、それと同時に麻里弥の背後からまた別の声が聞こえてきた。


「おお、みんな揃っておるようじゃな」

「どうやら私たちが一番最後に来たようですね」


 一人はしわがれた老人の声。もう一人は若々しさの残る青年の声だった。亮がその声の主二人に目線を向けると先方の二人もまた亮の存在を認め、歩調を速めてそそくさと麻里弥の隣に立ち、亮を前に恭しく一礼した。


「あなたが麻里弥の担任ですな? お初にお目にかかります。儂は十轟院厳吾郎。十轟院家の頭首を務めております」

「同じく、十轟院猛と申します。妹の麻里弥がお世話になっております」


 最初に背の曲がった着流し姿の小柄な老人が、次にパリッと糊のきいたビジネススーツを着こなした青年が頭を上げて自己紹介をする。亮もその二人に続けて自分の名を名乗ったが、それを聞いた厳吾郎は背筋を反らして呵々大笑してから言った。


「もちろん、あなたの事は存じておりますとも、新城殿。麻里弥いわく、とても面白い先生だとか」

「面白いですか」

「もちろん良い意味で、ですぞ。今まで麻里弥が学園のことについて話すことなど殆ど無かったのですが、今はそれまでが嘘のように、その日学園で起きたことを楽しげに話してくるのですよ。そしてその話の大半にあなたの名前が出てきて、その名前を出すときに限って麻里弥はより一層嬉しそうに笑うんです」

「あそこまで麻里弥が惚れ込むというのも正直珍しい事なんです。ですから私たちは一度、その新城亮という人と会ってみたいと思っていたんです」


 楽しそうに話す厳吾郎に続けて猛が言った。それを聞いた麻里弥は顔を真っ赤にして「先生の前でそんなこと言わないでください!」と訴え、多摩は亮の横で腹を抱えてケタケタと笑い声をあげた。

 そんな一家の微笑ましい姿を見て、つられて亮も苦笑を漏らす。その亮の笑いに気づいた麻里弥が「もう、先生まで」と弱々しく呟いてから顔を更に赤くする。その様はまさに茹で蛸のようであり、麻里弥は穴があったら入りたいほどに恥入っていた。

 屋敷が大きく揺れたのはまさにその時だった。


「なんだ?」


 最初に気づいたのは十轟院家長男の猛だった。それまで楽しげに笑っていた顔を一瞬で引き締め、家の天井に目を向けて周囲に視線を投げかけた。その彼に続くようにして他の面々も次々と顔を真剣なものへと変え、全員が神経を張りつめて周囲の警戒を行った。

 再度屋敷が揺れる。前よりも大きい揺れだった。その揺れが収まる前に厳吾郎が言った。


「来たぞ。奴だ」

「モノですか?」

「うむ。それが来たのじゃ」


 亮の問いかけに短く答えてから厳吾郎が麻里弥に視線をよこす。麻里弥は小さく頷き、一人で縁側を飛び出して裸足のまま中庭に降り立つ。厳吾郎と猛は一拍遅れて縁側まで進んでその縁ギリギリの所に立ち、最後に多摩は亮のすぐ傍について構えを取った。

 早業だった。それは厳吾郎が麻里弥に目配せをしてからほんの一瞬の間に起きた出来事であった。事前に何度も打ち合わせをして訓練を積んでおかなければ出来ないほどに素早く正確な動きだった。


「始まるんですね」

「うむ」


 そして一気に張りつめた場の空気を感じた亮が近くにいる多摩に話しかける。多摩は頷き、それから小さく、しかし力に満ちた声で亮に言った。


「安心せい。先生の御身はこの多摩がお守りする」

「ありがとうございます。でも危なくなったら俺も行きますよ。元々そのつもりで来たんですから」


 亮がそう答えると同時に腰ポケットに手をやり、そこから銀色に輝く一本の棒を取り出した。亮はそれを両手で持ち、静かにスイッチを入れる。直後、棒の上端部分から青白く光る棒状のエネルギー体がまっすぐ伸びてきた。


「それがレーザーブレードか。初めて見るが、不思議なブツよのう」

「宇宙は地球よりハイテクが進んでるんですよ」

「母上、麻里弥にあれを!」


 それを横目で見た多摩が興味深げに呟き、亮がそれに答えているところに、縁側に立っていた猛が声をかけてきた。多摩はそれを受けて目線を麻里弥の方へ向け、猛に「わかっておる」と返してから懐に手を突っ込んだ。

 やがて多摩が懐から手を引き抜く。そこには以前亮が見た、雲のような不定形の黒い物体が詰められたガラス瓶が握られていた。


「それでなにを」

「麻里弥! 受け取れ!」


 亮の声を無視して多摩が麻里弥に瓶を投げてよこす。中庭に立つ麻里弥がそれを片手でキャッチした直後、彼らの頭上が一気に暗くなっていった。


「気をつけよ! 奴が来るぞ!」


 それは時間が進んで空が夜闇に包まれたからではない。多摩が投げた瓶の中に入っていた「モノ」と同じ存在がひとかたまりとなり、星の光すら通さない巨大な黒雲となって十轟院家とその周囲の頭上を覆い尽くしたのだ。


「奴は前の一件で、人を直接怖がらせた方が手っ取り早いということに気づいておる! 攻撃を始める前に先手を打つぞ!」


 前の一件とは、これより前に芹沢優とシユウが喧嘩をしていた時のことである。この時モノはビームを放って二人を町ごと攻撃し、それによって今の時代の人間を怖がらせるには「直接危害を加えるのが一番確実である」と学習したのだ。

 科学技術の発展したこの時代の人間は、もはや妖怪やお化けといったものの存在を無条件で信じ、それらに対して常日頃から強い恐怖心を抱くような存在ではなくなっていたのだ。

 閑話休題。


「麻里弥! 始めるぞ!」


 厳吾郎が麻里弥に大声で告げる。麻里弥は頷き、受け取ったガラス瓶の蓋を景気よく開けた。


「何をする気だ」

「先生、麻里弥を信じてやってくれ」


 困惑する亮に多摩が静かに告げる。その一方で、麻里弥は自分で蓋を開けたガラス瓶をまじまじと見つめていた。

 頭上に浮かぶモノはぴくりとも動かなかった。まるで不可視の目を真下に向け、こちらの動向を窺っているかのようであった。

 そんな見えない目の向く先で、麻里弥は一度深呼吸をしてから覚悟を決めたように叫んだ。


「……いきます!」


 そして手を持ち上げて瓶を口につけ、背を反らして中のモノを一息に飲み込んだ。


「ああ!?」


 黒く蠢く雲のような物体が、瓶口を通って麻里弥の口の中にするりと消えていく。麻里弥の白い喉が僅かに動き、それを胃の方へ押しやったことを周囲に言外に伝える。

 亮は何も言えなかった。驚きのあまりまともに言葉も出せなくなっていた。そしてそんな亮の腕を、多摩がどこにも行かせまいと片手でしっかり握りしめていた。


「安心せよ、先生。麻里弥は大丈夫だ」

「いや、でも、あれ」

「あれはこれから行う儀式に必要なこと。やらねばならぬ事なのだ」


 モノを体内に迎え入れた麻里弥は、瓶を持った手をだらりと下げて呆然と立ち尽くしていた。目に生気の光は宿っていたが、その体の輪郭は妙にぼやけて見えていた。

 そんな麻里弥の姿を目を皿のようにして見つめる亮に、彼の腕を握ったまま多摩が言った。


「あの子は今、二つの属性を持つ存在となった」

「二つ?」

「そう。一つは十轟院麻里弥。そしてもう一つはモノ。この二つの属性を同時に備えた、地球上で唯一の存在となったのだ」

「……つまり?」

「人間としての自意識を保ったまま、確固たる自分という存在を持ったまま、麻里弥はモノの一部になれる」


 麻里弥の体が浮かんでいく。体が白いオーラに包まれながら大地から両足が離れ、その体がゆっくりと真上へ浮き上がっていく。その先にはモノがある。雲のように上空に広がる、真っ黒な不定形の物体がある。

 麻里弥は目を閉じ、それに向かってひたすら上昇していく。


「あの子が、モノの導き手となる」


 その姿を見ながら、多摩が静かに呟いた。

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