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「おーい地球人、プロレスしようぜ!」  作者: 鶏の照焼
第八章 ~モノ「鬼」登場~
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「本番前日」

 橘潤平がそれの存在を知ったのは、実父である橘兵庫が不意に放った言葉からであった。統括府が燃え広がったニュースが学園に広まる前日、時刻は午後十時。彼らの家である高級マンションの一室、そこにふさわしい広々としたリビングの中でのことであった。


「お前はモノというのを知っているか」

「モノ?」


 まったく不意の出来事であった。この時町では統括府が焼失したことが大きなニュースとなっており、そのことは当然父の耳にも入っていた。もしやそれが原因で突然話をしてきたのか、と勘ぐる息子を前にして、父の兵庫はそれまで深く腰掛けていた椅子から身を起こして両足で立ち上がり、一面に張られた窓ガラス越しに外の景色を見ながら言った。


「そうだ。なんでも、人間の心に反応して形を変える不定形の存在らしい。お前は聞いたことがあるか?」

「いえ、初めて聞きました。父上はその話をどこから?」

「外部の協力者からだ。陰陽道だか退魔の術だかを使いこなす、胡散臭い老人からだよ」

「は?」


 兵庫の言葉を聞いた潤平が片眉を吊り上げる。彼はオカルトは信じないタイプであり、そんなあるかどうかもわからない非現実的な存在を信じているような連中を無意識のうちに見下す部分があった。

 だから彼は自分の父がそのようなオカルトめいた話をした直後、父に向けて軽蔑の視線を向けていた。それは条件反射といってもいいほどの自然

な動作であった。それほどまで潤平は不確実な存在というものを毛嫌いしていたのだ。

 兵庫はそんな息子の視線に気づいていた。気づいていながら表面上は顔色一つ変えずに、先ほどまでと同じ調子で淡々と説明を始めた。


「その老人は遙か昔から続いている退魔の一族の現頭首だそうでな。一族の方も政府からその存在を正式に認められている由緒正しき所らしい。で、その現頭首は数年に一度、直接警視庁に乗り込んできてな。数日後に百鬼夜行が始まるから何もしないでほしいと警察に頼み込んでくるのだ」

「警察の幹部達はそれを信じているのですか?」

「心から信じている奴は殆どいない。ただのボケた老人の与太話だと思っている。私もその一人だ。だがその頭首様は非常にやんごとなき立場におわすお方だそうでな、あまり邪険にできんのだ。だから誰もその言葉は信じてはいないが、後で痛い目を見たくもないので、渋々それに従っているといった感じだ」

「さっき言っていたモノについての説明も、その時に?」

「うむ。刑事や警官の中にはいつになっても必ず一人、百鬼夜行ってなんなんだと例の頭首に問いかける奴がいてな。で、それを受けた頭首は百鬼夜行と、百鬼夜行を引き起こす存在について嬉々として話し始めるのだ。その時の会話をまとめると、百鬼夜行は全てモノが原因である、ということらしい」

「ほう」


 父の言葉を聞いた潤平が相槌を打つ。その目にはなおも侮蔑の色がこもっていた。


「それで、そのモノとやらがいったいどうしたのです?」


 不機嫌な調子を崩すことなく潤平が問いかける。兵庫は窓の外に目を向けたまま静かに答えた。


「それの力を借りたい。モノの力を使いたいのだ。そのために、お前に協力して欲しい」


 意味不明だった。潤平は父が何を言っているのか理解できなかった。そんな息子からの無言の圧力を背中に感じた兵庫は、その時になって初めて潤平の方を向いて言った。


「さっき話した頭首によると、そのモノというのはだな、なんでも人知を越えた強大な力を持っているらしいのだ。人間が一生かけても手に入れることの出来ないほどの、世界を丸ごとひっくり返す事が出来るほどの強大な力をだ。そんな力を自在に使いこなすことが出来れば、なんでも出来ると思わんか」


 ああ、そういうことか。聡い潤平は父のその言葉だけで、彼が何をしようとしていたのかを察した。そして潤平はためらうことなく、その自分が予想した「モノの使い道」を父に向けて言った。


「それを利用して、警察の威厳を取り戻したいと」

「そういうことだ」

「おかしな話ですね。先ほどは警察の中にはそれを信じる人間は殆どいないと言っていたじゃないですか。なのに父上は今、その自分も信じていないと言っていたはずの力にすがろうとしている。これはどういう事ですか?」

「どうもこうもない。そもそも、これは私の案ではない。もっと上の地位にいる人間の出したアイデアだ」


 実父に対しても容赦なく言葉の刃を振り下ろす潤平に対し、兵庫は渋い顔を浮かべながら返した。


「そうでなければ、誰がこんな胡散臭いものの話をするか」

「では誰がそんな世迷い言に近い案を出したのです?」

「現警視総監だ」


 潤平の顔から表情が消えた。警視総監。警察の実質的なトップ、全ての警察機構を取り仕切る唯一無二の存在。

 それがそんなオカルトめいた話をしたというのか? 潤平はとても信じられなかった。そしてそんな事を思う内に、やがて無表情のまま堅く引き締まった口を動かして潤平が言った。


「それは本当なのですか?」

「ああ、本当だ。電話越しではあったが、昨日の昼頃に現警視総監が直々に、私にこの話をしたのだ。是非ともあれの力を使いたいとな」

「それの存在を信じているのですか?」

「そうだ。あの人はいわばオカルト的な事物は全てこの世に存在していると信じている人だ。だからモノとかいう存在の事も実在していると信じているし、それに超常的な力が宿っていることも信じている。頭首の話を盲信しているとも言うべきか」

「ではなぜ警視総監はその話を父上に?」

「お前を説得して欲しいと言われてな。モノの力を手に入れるにはお前の力を借りる必要があると言われたのだ」

「自分に? なぜ?」


 いまいち要領を得ない潤平が兵庫に問いかける。兵庫は腕を組んで、難しい表情を浮かべながら言った。


「お前の通っている学園には、獣使いが一人いるらしいな。怪物を封印して使役するような連中のことだ。確か、二年の」

「二年D組、芹沢優」


 父より先に息子が答える。その時の潤平の顔は嫌悪に歪みきっていた。D組と関わってまともな結果に終わったことなど一つも無いからだ。潤平にとって、否、生徒会と執行委員会にとって、今のD組は疫病神以外の何者でもなかったのだ。

 ここに来て、あの者共のおかげで学園内における生徒会の求心力は下がり始めている。まだ威厳を保ってはいるが、学園内の空気が緩み始めているのも事実だ。かといって下手に取り除こうとすれば藪蛇な結果に終わることは、これまでの出来事が証明していた。

 正直、もうこれ以上関わりあいになりたくなかった。一年と三年にも問題児を集めたクラスは存在しているが、中でも今年の二年D組は最悪に近かった。


「その芹沢優とやらに、お前の方から頼んではくれないか。獣使いとして、是非とも我々に力を貸して欲しいと」


 しかし兵庫はそんな潤平の葛藤などお構いなしに自分の要求を突きつけてきた。アンタッチャブルな存在に自分から接触を図れと言ってきたのだ。潤平は正直言って断りたかった。


「なら父上の方から頼みに行けばいいじゃないですか。なんで自分に頼むんですか?」

「もちろん出来るならばそうしている。だがあの芹沢優という奴は、どうも警察が嫌いらしいのだ。こちらから頼みに行っても断られるか、話も聞いてもらえずに一蹴されるのがオチだ。ならば同じ学園に通っているお前の方から頼んだ方が、成功する確率はずっと高いだろう」


 潤平の問いかけに兵庫が答える。この父は学園の内情を全く知らないようだった。今までそのことについて父と全く話さなかった自分にも責任はあるのかもしれないが。

 そもそも、まともな家族団欒などこれまで一度も無かった気がする。とある企業の社長である母は今海外に出張中であるし、父は父で常日頃から話しかけようとしてくる訳ではない。家の中で会っても無言ですれ違うだけだ。

 それが寂しいかと言われたらそんな事は無かったりするのだが。


「頼む。お前だけが頼りなのだ」

「……わかりましたよ」


 それにここまで言われて無碍にするわけにもいかない。潤平は結局父の頼みを聞くことにした。


「失敗しても知りませんよ」


 釘を差しておくことも忘れなかった。兵庫はそれに頷き、しかし「絶対に成功させるんだぞ」と念を押してきた。

 成功させる自信は全くなかったが、かといって断れる空気でもなかった。嫌な奴と一対一で向き合うことを察して、潤平は針の筵に座らされているような気分を味わった。





「太陽系くれるんならやってもいいよ」


 そして次の日、潤平の予想は的中した。目の前に座る獣使いは、こちらの要求を聞き入れる気などさらさら無かった。


「そもそもモノの封印は私の仕事じゃないし。やろうと思えばやれるけど、封印するほど悪い奴でもないし」

「だがモノは人間に危害を加える存在だと聞いた。ならばそれは悪い存在ではないのか? お前は何もしなくていいのか?」

「それはあれよ。人を襲う動物を絶滅危惧種として保護しているようなものよ」


 潤平の問いかけに優が答える。そしてそれまで持っていた蜜柑をテーブルの上に置き、しかし視線は蜜柑に落としたまま優が言った。


「確かにあれは人間にとっては有害かもしれない。でもあれは悪じゃない。最初から殺そうと思って人間に接触している訳じゃないの。そこも動物と一緒ね」

「だがそう言うのなら、人間を襲った動物は射殺されるだろう。モノが動物と同じならば、その動物と同じ対応をすればいい。なぜそうしない?」

「出来ないからよ。さっきのはあくまで例え話。実際はモノは動物とは違う。熊や虎よりもずっと恐ろしいものよ」


 そう言って優は立ち上がり、潤平に背を向けて自分の後ろにあった箪笥の引き出しをあける。そしてそこから一つの茶色い棒を取り出してそれをテーブルの上に置き、前に座っていたのと同じ場所に再び腰を下ろしてから口を開いた。


「藪蛇って知ってる?」

「なんだと?」

「余計なちょっかいを出して遭わずに済んだはずの災難にあってしまうことよ。モノに手を出すっていうのは、その藪蛇と一緒なの」


 そう言ってから優が目の前の棒を軽く突っつく。次の瞬間、それまで一本の棒だったそれが潤平の目の前で一瞬にして蛇へと変化し、そして鎌首をもたげて潤平の方を見上げ、舌を突き出して威嚇するようにうなり声をあげた。


「なっ……!」


 突然のことに潤平が驚きの声を上げる。一方で優は表情を変えずにその蛇を見つめ、そして蛇の頭を人差し指で撫でながら言った。


「余計なことをしなければ災難に巻き込まれずに済む。おとなしくしているのが賢明なの」


 蛇は威嚇を続けながらも、優の愛撫は拒絶することなく受け入れていた。そうして優が頭を撫でている内に蛇は威嚇を止めておとなしくなり、持ち上げていた首を降ろして下顎をテーブルにつける。その直後、蛇はくねらせていた体をまっすぐ伸ばし、それからゆっくりと形を変えて一本の棒に戻っていった。

 それを見ながら優が言った。


「モノも一緒。痛い目を見たくなかったら余計なことはしないで大人しくしている方がいいの。専門家に任せた方が一番ってことね」

「お前がやるつもりはない、ということか」

「そういうこと」


 潤平の言葉に優が答える。だがそこまで言ったところで優は右手を握りしめ、それを開いて手の平に一枚の紙片を出現させる。優はそれと同時に握った左手を開いて中からボールペンを出し、そのペンを取って紙片に何かを書き始めた。


「なにをしている?」

「私はやらないけど、そっちが勝手にやるなら止めはしない」


 優はそう答えながらやがて紙片に何かを書き上げ、それを手にとって潤平に寄越した。


「これは」


 潤平がそれを手に取る。そこには何かの文章がびっしりと書かれていた。それをまじまじと見る潤平を前に優が言った。


「それ手順ね。その通りにすれば使役する事が出来ると思うから。あとこれ」


 潤平が顔を上げると、テーブルの上にはいつの間にか一振りの剣が置かれていた。それは全体を金色で塗装された見るからに派手な剣であり、柄と刃の間の部分には赤い宝石が一つ埋め込まれていた。


「そこにも書いてあるからわかると思うけど、力のない人間が相手を従わせるにはその剣を使う必要があるの」

「なぜそれをこちらに渡す?」

「なんか必要そうにしてたからさ。とりあえずもらっといて。あ、モノは明日来るから、今の内にしっかりそれ読んでおいてね」

「なんだと?」


 明日? 潤平が一度紙に視線を降ろし、それから再び優に目を向ける。

 だが優の方に目を向けた時、彼は優の住んでいるマンションの隣にある公園のド真ん中に立ち尽くしていた。既に周囲は夜闇に包まれ、その闇の中で遊具の輪郭が不気味に浮かび上がっていた。


「……」


 潤平は何が起きたのかわからず、呆然とそこに

立ち尽くしていた。ふと右手に目をやれば優から受け取った紙が、左手にはテーブルの上にあったはずの金色の剣が握られていた。


「……ふん」


 なぜこんなことになったのか。なぜ芹沢優はこれを自分に寄越したのか。潤平はそれらを考えようとして、すぐにその思考を打ち切った。考えるだけ無駄であり、そして今はそれより優先して考えるべき事があるからだ。


「明日、か」


 紙片と剣を握る力を強めながら潤平が呟く。まだいくつか腑に落ちない所はあったが、手から剣の柄の堅い感触を強く感じるほどに、潤平の目にはやる気の炎が宿っていった。

 だがその炎は、決して父のために死力を尽くすというような類の物ではなかった。それは父から話を聞いた時から自分の内に芽生え始めていた新たな計画を実行に移さんとする黒い炎だった。

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