「ネタばらし」
蚩尤のいた統括府が炎上し廃墟と化したニュースは、その次の日には町全てに広まっていた。当然月光学園にもそのニュースは伝わっており、その日、学園内ではどこに行ってもその話題でもちきりとなっていた。
「あれを燃やしたのはワタシデース! ザイオンから指示を受けて燃やしたのデース!」
もっとも、その火種はいつものように朝のホームルーム時にD組に乗り込んできたアスカが放ったこの台詞であったのだが。その大声は壁で遮られた隣のクラスにもバッチリと聞こえ、昼休み前には既に学園全域にその噂は広まっていた。
ちなみにアスカがこの台詞を吐いたのは、彼女がホームルーム開始と同時にD組にやって来た際に浩一から昨日の事について尋ねられたからであった。浩一は浩一で「明日になったら詳しいことを説明する」と昨日炎上する統括府から無傷で出てきたアスカに言われていたので、その通りにしただけであった。こんな自信満々に大声で叫ばれるとは思わなかったのだ。
「なんでそんなことしたんだよ」
「ていうか、本当にアスカちゃんがやったの?」
案の定、帰りのホームルームが終わるなりアスカは質問責めにされた。なんで朝だけでなく帰りのホームルームの時にも平然とこのクラスに馴染んでいるんだと不思議に思う生徒も少なくなかったが、誰も突っ込んだりはしなかった。突っ込むだけ無駄であると悟っていたからだ。
「なあなあ、本当にアスカがやったのか? 本当に?」
「本当だよ。全部そいつがやった」
そしてアスカに向けられた生徒の一人の問いかけに対して浩一が投げやりに答えた。他の生徒も
そちらに視線を向け、最初にアスカに尋ねた生徒が浩一を見ていった。
「本当かよ?」
「本当だよ。昨日実際に会ったしな」
「え、そうなの?」
生徒達からの問いに浩一が頷く。勉吉も「そうなんですよ」続けざまに頷き、二人の姿を認めたアスカが駄目押しとばかりに声を放つ。
「オー、昨日ぶりですネー! 昨日はあの後さっさと帰ってしまって申し訳ありませんでシタ! 代わりに今日しっかり答えマスので、なんでも聞いてくださいネー!」
「本当に会ってたんだ」
「じゃあ何で燃やしたの?」
生徒の一人が驚きの声を上げ、別の生徒が浩一達に変わってアスカに問いかける。アスカは答える代わりに制服の胸ポケットに手を入れ、そこから一つのガラス瓶を取り出した。
「半分ダメもとだったのデスが、これを探していたのデス。まさか本当に見つかるとは思っていませんでシタが」
アスカの見せてきた瓶にクラス全員の視線が集まる。そのうち生徒達は一斉にアスカの元に群がるが、その中で亮は教卓の前に座ったまま昨日見たのと同じ物がアスカの手元にあることに驚いて目を見開き、麻里弥は自分の席についたままそれをアスカが持っている事に驚いて眉間に皺を寄せた。
「なにこれ? 雲?」
「うわ、なんか動いてる」
「キモ!」
「生き物か何かなのかな?」
それを見た生徒達が口々に感想を述べていく。彼らの視線の先にはガラス瓶の中に閉じこめられた黒い雲が詰められており、その雲はまるで生きているかのように不気味に蠢いていた。
「うわあ、変なの」
「なんなんだろ、これ」
「モノって言うんだってさ」
浩一が言った。それが昨日アスカから聞いた唯一の情報であった。浩一の言葉を聞いた面々が一様に首を傾げる。
「モノ?」
「モノってなによ」
「消しゴム?」
「安心してクダサイ。それについてもちゃんと説明しマスから」
生徒達の疑問にそう答えてからアスカが視線を動かす。その先にはなおも自分の机の前に居座る麻里弥の姿があり、それを認めたアスカは麻里弥に向かって微笑んだ。
「十轟院さんが」
「えっ」
それを聞いた面々が一斉に視線を麻里弥に移す
。不意打ちを受けた麻里弥は一瞬しどろもどろとしたが、すぐに一つ咳払いをした後で観念したように声を上げた。
「ここまで来たら、誤魔化す必要もありませんわね・・確かに、わたくしはそれを知っておりますわ」
「そうなのかよ」
「それでそれで? これはいったいなんなの?」
「はい。それはですね」
それから麻里弥は、その瓶詰めの物体についての説明を初めた。それは昨日亮が聞いたのと全く同じ内容であり、それを聞いた面々が一人残らず頭に「?」マークを浮かべたのもまた昨日の亮と同じ反応であった。
「つまり、どういうこと?」
「どういうことなの?」
「意味が分からない」
「そういうものだと言うしかありませんわ。わたくしも他にこれをどう説明すればいいかわかりませんもの」
麻里弥も麻里弥で困惑した表情を浮かべていた。他人に物事を説明することのなんと難しいことか。亮は麻里弥の困惑を汲んでうんうんと頷いた。
その亮の目の前で麻里弥が言った。
「とにかく、このモノというのはとても危険な存在であり、放置する訳にはいかないのです。少なくとも、人間と接触させるのは非常に危険なのですわ」
「そんなにヤバイのか」
「先ほども申したように、彼らは他の生き物の持つ恐怖の感情で動きます。そして生き物の中でも特別強い恐怖の感情、そしてそれに連動して強い想像力を発揮する事が出来るのが、わたくし達人間なのですわ」
「人間の一際強い恐怖の感情と妄想を受けてモノは形を得て、そして形を得たモノは人間の想像通りに動き始める。簡単に言うと、モノは恐怖を抱いた人間の想像通りに人間を襲い始めるんだ」
「自分で自分の首を絞めるようなものですね」
麻里弥の後を継ぐように言葉を発した亮に対して勉吉が言った。亮はそれを聞いて「まあ大方そんな感じだ」と同意した後、今度は麻里弥の方を見て彼女に言った。
「でも、ここにいていいのか? 確か準備がどうとか言っていた気がするが」
「その方はもう十分ですわ。準備は万端。あとは本番に備えるだけですわね」
「そうなのか。もう出来ていたのか」
「先生、それどういう意味ですか?」
亮と麻里弥の話を聞きつけた生徒の一人がそう問いかけてくる。それを聞いた麻里弥が答えた。
「先ほどわたくしが申し上げたモノを、わたくしが止める。そのための準備のことを言っていたのですわ」
「モノを止めるって、麻里弥ちゃんが?」
「はい。まあ正確に申せば、被害を最小限に食い止める、と言った方がよろしいでしょうか。モノという存在は人間に制御できる代物ではありませんので、その進行自体を防ぐ事は出来ないのですわ」
麻里弥の言葉を聞いた生徒達が理解と驚きと感心の混ざった声を上げる。中にはその声に混じって「先生知ってたんだ」と別の方向で驚く声もあった。するとその生徒達の中から、麻里弥の友人である進藤冬美が心配する声で麻里弥に問いかけてきた。
「それって、マリヤ一人でやるのかクマ? 危険じゃないのかクマ?」
「いえ、全て一人でやる訳ではありませんわ。確かに矢面に立つのはわたくしですが、本番ではわたくしの家族も、後方からわたくしの支援に回ってくれまず。家族総出で事に当たると言いましょうか」
「ああ、あの人も動くのか」
昨日出会った麻里弥の母親の顔を思い出しながら亮が言った。麻里弥はそれを受けて「はい。心強い援軍ですわ」とにこやかに答え、そしてそれを聞いていた生徒の一人が「先生どこまで知ってるんだろ」と疑問を呟いた。
だがその問いは麻里弥達には伝わらず、それとは別の問いが彼女の耳に届いた。
「で、マリヤよ。その本番ってのはいつやる予定なんだ?」
月からやってきた新入生のアラタである。主人格を差し置いて表層に出ていた彼女はその男勝りな顔にふさわしい荒っぽい口調で麻里弥に問いかけ、一方でそれを聞いた麻里弥はその荒々しい言葉遣いに怯むことなく、にこやかにアラタの方を見て答えた。
「明日ですわ」
これは予想外の答えだった。そこにいた麻里弥と亮以外の全員が目を点にする。
「え、明日、え?」
「早すぎじゃね?」
「まだ心の準備が……」
そんな風に戸惑いの表情を見せる彼らを前にして、麻里弥は再度にこやかに微笑みながら言った。
「大丈夫ですわ。全部わたくしに任せてくださいませ。五歳の頃からやっている事ですから、今回もきっと無事に終わりますわ」
「お前そんな時からやってたのか」
今度は亮も目を点にした。今やD組の教室内は完全に驚愕の空気に包まれており、その中で唯一その空気に馴染んでいない麻里弥は、自分を包むその異様な雰囲気を前に小首を傾げた。
「そんなに驚くことでしょうか?」
誰も突っ込まなかった。突っ込む余裕も無かった。
その日の夜。芹沢優は自分の借りているマンションの一室の中で一人の男と対面していた。
「こちらからの要求は以上だ」
男は優とほぼ同じ背丈で、彼女と同じくらい細身であった。顔立ちは端正で、美形と称するに十分な魅力を備えていた。
だが今、男はテーブルを挟んで自分の向かい側に腰を下ろし、自分には目もくれず呑気に蜜柑の皮を剥いている女に対して射殺すような鋭い目つきを向けながら、重々しい声でそう問いかけていた。そこにあったのは同年代の女性を魅了する甘いマスクではなく、自分以外の全てを見下す冷たい顔だった。
「我々は苦境に立たされている。今の状況を覆すには、それまでの劣性をはねのけられるだけの強烈な印象づけが必要だ。だから今日は、お前にこの依頼を持ちかけてきたのだ。獣使いとしてのお前にな」
男が目を細める。眼力をより一層強めた男に対して、優はなおも蜜柑に意識を向けていた。己のペースを一向に崩そうとしなかった。
男の眉間にまた一つ皺が深く刻まれる。だが男は喉元から出掛かった激情を必死に抑え込みながら、幾分か声の調子を落として再度言葉を放った。
「もちろん報酬はしっかり払う。贔屓もしないし、無碍にもしない。活躍に見合った対価をしっかり払おう」
その男、橘潤平はそこで一旦言葉を切り、それから慎重に言葉を選ぶように言った。
「我々は、例のモノとやらの力が欲しい。あれを制御したい」
「……」
「これまでお前達にしてきた非礼は全て詫びる。報酬もいくらでも払う。だから、お前の持つ力を、獣使いの持つ封印の力を我々に貸せ」
潤平が優を睨みつける。一方で優は完全に皮を剥き終えた蜜柑をまじまじと見つめながら、気の抜けた声で言った。
「太陽系全部くれるんならやってもいいよ?」