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「おーい地球人、プロレスしようぜ!」  作者: 鶏の照焼
第八章 ~モノ「鬼」登場~
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「夜会」

 十轟院家の屋敷は月光学園から歩いて四十分ほどの所にあった。そこは江戸時代の武家屋敷のような作りをしており、塀に囲まれた敷地内には中庭もあるほどの豪勢な物であった。じっさいその屋敷は江戸時代に改築されたものであり、十轟院家そのものは江戸時代より前からこの土地に住んでいたとされている。

 そんな由緒正しき場所であったので、そこはコンクリートで作られた周囲の建物とは比較にならないほどの存在感を放っていた。散歩中に辺り構わず吠えまくる犬でさえ、この屋敷の傍を通る時にはそれまでの騒ぎが嘘のように黙りこくってしまう。近づいただけで体調を崩す人もいるとかいないとか割れる始末である。

 おかげであそこには幽霊か何かが住み着いているんじゃないかと噂する者まで現れ始めていた。もっとも、それを表立って口にする者は殆どおらず、おまけに当の十轟院家もそのことに関して無関心を決め込んでいたので、大きな騒ぎになることは全く無かった。

 だがその建物が周囲の景観からひどく浮いており、尋常ならざる雰囲気を放っていることは確かであった。





 そんな十轟院家の屋敷の地下に、広大な空間が広がっている。広さは月光学園の体育館よりも一回り大きく、十轟院家の面々は実際にここを鍛錬場として使っていた。地下を掘っていたら偶然見つけたような代物ではない。人工的に作られた空間である。

 そこは床から壁から天井から、全てが檜の木材で覆われていた。床を踏み込めばぎしぎし音が鳴り、聞く者に和の風情を感じさせる一方で「抜け落ちたりしないだろうか」とそこに初めて訪れる者を不安にさせたりもした。

 室内に人工の照明は存在しなかった。代わりにその空間の至る所に篝火が焚かれ、内部を薄明るく照らしていた。


「まずワシの要求は以上じゃな」


 その無駄に広大な空間の中央からしわがれた老人の声が聞こえてきた。二大怪獣が突如出現し、渋谷と品川を蒸発させた日の夜のことである。

 着流しを羽織って座布団の上にあぐらを掻いて座っていたその老人は、頭はすっかり禿げ上がり顔は皺だらけ、背骨も曲がりきって袖口から突き出した両手も枯れ枝のように補足、非常にこぢんまりとした印象を与えた。

 だがその目は鷹のように鋭く、精気に満ちた強い光を宿していた。


「住めば都とはよく言うが、そろそろあの時期が迫っておる。このままあれを放置しておいたままでは、こちらの計画にも支障が出てくる」


 十轟院家現党首、十轟院厳吾郎である。今年で八十九歳になる彼はその鷹の目を光らせつつ、自分の向かい側に座っていた相手を見据えた。


「だから君の方で、あれを説得してほしいのじゃ。ここの統治は止めて、もといた場所に帰ってくれとな」

「説得ですか」


 その眼光鋭い瞳を真正面から受け止めながら、彼の反対側に座っていた芹沢優はのんびりした声を返した。まるで他人事のような返答であった。


「そうじゃ。説得じゃ。ここら一帯を管轄している獣使いの君なら、いや、君にしか出来ない事じゃとワシは思っておる」

「そうですか。まあ出来ますけど」


 厳吾郎の言葉に優がまたしてものんびりした言葉を返す。それから優は相手の言葉も待たずにお互いの間に置かれた土鍋に手を伸ばし、そこに突っ込まれていた菜箸を手にとって中身をかき混ぜ始めた。

 厳吾郎の妻、十轟院トヨが夜食にと作ってくれた鍋ラーメンである。この時、時刻は既に深夜の一時を回っており、味付けはトヨの計らいで胃もたれのしにくいあっさりとした塩味となっていた。


「シユウの説得なら簡単ですよ。こっちから向こうに出向いて、もう止めてくれって言えばそれでおしまいです」

「ほう。そんな簡単に済むのか」


 手元にあるお椀の中に入っていた箸とおたまを使ってラーメンとスープを手元その中に入れながら優が答え、彼女が入れ終わった後で同じように自分の食べる分を自分のお椀に入れつつ厳吾郎が問いかける。すぐには手をつけず、湯気の立つ黄金色の液体とラーメンの入ったお椀を両手で抱えるように持ちながら優が答える。


「そういう契約ですからね。それに向こうは義理堅いっていうか、約束はちゃんと守る奴が多いんですよ。人間と違って」

「君の人間嫌いも相当なもんじゃの」


 そう言ってから厳吾郎がお椀の中のスープを一口すする。優もそれに倣ってお椀に口をつけ、それからお椀から顔を離して静かに言った。


「優しい味ですね」

「それも人間が作った物だ」

「優しい人もいればそうじゃない人もいるんですよ」

「人間は面倒くさいぞ」

「だから嫌いなんだ」


 ニヤリと笑って言う厳吾郎を前にして、優が目を伏せて吐き捨てる。優はこの時「お前も嫌いなんだよ」とそれとなく厳吾郎に伝えていたが、当の厳吾郎はそれを知りながら不敵な笑みを崩さなかった。

 押しても引いても動じない。優はこの老人が苦手だった。


「君が芹沢君の娘さんかね。はじめまして」


 二人が初めて会ったのは優の父の告別式の時だった。優はこの時既に人間不信に陥っており、自分を含めた全ての人間を敵視していた。


「お父さんの件についてはお悔やみ申し上げるよ。だが、だからと言って、いつまでもここにいる訳にもいかんだろう。どうだね、腹でも減ったし、どこか別の所に行って飯でも食わんかね」


 だがこの老人は、そんな優の心の中に土足で上がり込んできた。優がどれだけ心に防壁を築こうと、この腰の曲がった退魔師はそれをひょいと飛び越えて自分の中に侵入してくる。自身は決して周りに流されず、自分のペースに相手を引っ張り込んでくる。この時の台詞にしたって、肉親を失ったばかりの相手に対してこの物言いはないだろう。


「悲しい気持ちはわかる。だがいつまでも悲しんでばかりもいられないだろう。君にはまだ未来があるんだ。ここにばかりいるわけにはいかんだろう」


 だがそれは優にとっては心地よいものだった。自分を本気で心配してくれる人がいることに安堵を感じていた。

 それが嫌だった。決意が揺らぐ。だから優は今もこの老人が嫌いだった。嫌いということにしおいていた。


「とにかく、シユウについては私がなんとかしますので、ご心配なく」


 この話題を早く切り上げようとして優が早口でそう告げ、それ以上は何も言わないとばかりにラーメンを食べ始める。そのやけっぱちな姿を見て苦笑を漏らした後、厳吾郎もまたお椀の中のラーメンに箸を伸ばした。

 それからしばらくは、ラーメンをすする音だけが聞こえてきた。お互い食べることに集中し始めており、話は少しも進まなかった


「それで、そっちの計画の実行はいつなんですか?」


 三杯目を食べ終えた所で優が厳吾郎に問いかける。四杯目をお椀に入れかけた所でそう問われた厳吾郎はその手を止めてそれに答えた。


「三日、いや四日後かな」

「どっちなんですか」

「待て待て、確か四日後だ。間違いない」


 言い直した厳吾郎を優が睨みつける。だが厳吾郎はそれに気づきながらも、それには動じずに自分のペースを貫いた。


「うん。四日。四日後だ。だからそれまでに君はシユウの説得をしておいてくれ」

「明日しますよ」


 投げやりに優が返す。厳吾郎はびくともしない。絶対に相手の思い通りには動かなかった。その体はもう吹けば飛ぶようなほどに華奢なのに、魂は千引岩のように重く頑固だった。

 優はそれを忌々しいと思う一方で、頼もしいとも感じていた。それが余計にむかついた。


「さて、もう夜も遅い。これを食べたら、今日はこれでお開きにしよう」


 そんな事を優が考えていると厳吾郎がそう言ってきた。彼はこの時五杯目をお椀に注いでいた。自重という言葉を知らないようだった。

 それ以前に優には腑に落ちない事があった。今日ここで自分がした事と言えば、ちょっと話してラーメンを食べただけだ。


「今日は獣使いと退魔師として重要な話があると聞いて来たんですけど」


 優はもっと重要な話題について話をするものだと思っていた。実際、優が厳吾郎から「今日集まってくれ」と携帯電話越しに言われたときは、彼は非常に厳めしい声を発していた。まるで緊急事態が発生したと言わんばかりの声色であり、それを聞いた優も獣使いとしてかなりの覚悟を決めてここに赴いたのであった。彼女は他の全ては適当にいなして過ごしていたが、獣使いの仕事だけは絶対に手を抜かなかったのだ。

 だが蓋を開けてみれば、今日はお互いの今後の予定について軽く確認をするだけであり、後は夜食のラーメンを突っつくだけであった。重要でも何でもない。


「これで本当に終わりなんですか?」


 拍子抜けを通り越して怒りさえこみ上げてきた。万全の覚悟を決めてきた自分がひどく滑稽に見えたのだ。そんな優の心情を察したのか、厳吾郎が小さく笑いながら彼女に言った。


「おう、そうじゃ。君は普段は下僕と飯を食っているそうだが、たまにはこうして人間と飯を食うのも悪くないだろう?」

「まさか、それだけのために私を呼んだんですか?」


 優が言った。その声は震えていた。厳吾郎がうんと頷く。


「なんでこんな夜中に?」

「普通に呼んでもどうせ来ないじゃろう。普通に夕飯時に呼んでもな。君はまだ家族団欒に抵抗があるじゃろうし」

「ここに呼んだのは?」

「上でガチャガチャやったら家族が起きるからの。許してくれい」

「……最初から話をする気はなかった?」

「うん」

「お前は!」

「なんなら今日はここに泊まっていくか? もう夜も遅いし、深夜の一人歩きは危険じゃからな」


 声を荒げる優の台詞を遮って厳吾郎が言い放つ。相手が激高しているというのに、この老人はそれでも自分のペースを崩さなかった。

 優はもう限界だった。自分一人が馬鹿を見た挙げ句にこの仕打ちである。もう一秒たりともここに居たくはなかった。


「大丈夫です。一人でも帰れますから」


 空のお椀を足下に置き、ぶっきらぼうな声でそう言いながら優が立ち上がる。その言葉から、そして小刻みに震える顔からも、腹の底からこみ上げてくる怒りを抑えようとしているのがひしひしと伝わってきた。

 だが千引岩はびくともしなかった。立ち上がった優を見上げながら飄々とした声で言った。


「そうか。もう帰るのか。それは残念じゃ」

「ええ。私はこれで失礼します。それでは」

「だそうだ。君の主はもう帰るそうじゃぞ」


 その厳吾郎の突然放った言葉を聞いて、優が動きを止めた。何を言っているんだこいつは、思う間もなく、そこの唯一の入り口である引き戸が動いてそこから一つの人影が室内へと入ってきた。


「あらユウ、もう帰っちゃうの?」


 人影が残念そうに優に問いかける。その姿を見て優は愕然とした。


「なんでここにいるの……」

「そちらのお爺様にご招待されたのよ」


 それは全身を真っ赤に染め上げ、顔面にあるはずの顔を構成する一切のパーツを削ぎ落とした無貌の存在。芹沢優の使役する下僕の一人にして右腕的存在。

 それは「ジャヒー」と呼ばれている化け物、もしくは神に近しい力を持った超常的存在である。


「ここ凄いのよ。自前で温泉も持ってるの。入らせてもらったんだけど、中々良い所だったわよ」


 そのジャヒーは、この時バスローブ姿で優と相対していた。彼女はつい先ほどまで自分が言っていた「温泉」に浸かっていたであった。

 目も鼻も口も無いのっぺらぼうがどうやって喋っているのか、そのことについて今更言及する者はここにはいなかった。だが優は別のことについてジャヒーについて追求せずにはいられなかった。


「どうして私に黙ってここに来たの」

「だって、今日は優はこっちに泊まるから気にしなくていいってお爺様から言われたのよ。十轟院家なら特に問題ないって思ったしさ。それでなんならお前も来るかって言われて、なら行くしかないかなって思って来ただけだし」

「はあ?」


 優が肩越しに厳吾郎を見る。その非難轟々の視線真正面から受け止めながら、それでも人を食った態度を変えずに厳吾郎が言った。


「泊まるなら一人より二人の方が楽しいだろうと思ってな」

「私に黙ってそんなこと言ったんですか?」

「そうじゃ」

「私はそんなつもり全然無いのに?」

「ああ、騙されたってわけね。まあここは諦めるしかないんじゃない?」


 状況を察したジャヒーが優の元に近づいて彼女の肩を軽く叩く。叩かれた優はすぐさまジャヒーの方へ目を向け、恨めしそうに言った。


「着替えとか持ってきてないわよ?」

「それは大丈夫。私が持ってきたから」

「どうして?」

「お爺様に持ってきてくれって頼まれたからね。ユウが着替えを忘れたからってことで」


 外堀は完全にふさがれていた。逃げ道はもはや無かった。

 優は全身から力を抜いた。逃げることに疲れたのだ。そして優はがっくりと肩を落としたまま、開きっぱなしの出入り口へと向かっていった。


「お風呂入ってくる」

「着替えは脱衣所に置いてあるから」

「タオルも好きなの使ってよいぞ」


 疲れ切った声で言った優にジャヒーと厳吾郎が言葉を投げかける。優はそれらには答えずに黙ってこの部屋から立ち去っていった。


「あなたも強引ね」


 そして優が立ち去った後、ジャヒーが厳吾郎の方を見て言った。そう言われた厳吾郎は顎をさすりつつ「さて、なんのことやら」とお茶を濁した。

 それを見たジャヒーが苦笑して言った。


「食えない人間ね」

「ひねくれた面も持ってるのが人間という生き物じゃなからのう。人間は面倒くさい生き物じゃて」

「そうね。でもそんなだからかしら。私は人間は好きなのよね」


 ジャヒーが実に楽しそうに言った。だが目は笑っていなかった。





 結局この日、優はジャヒーと一緒に十轟院家に泊まることになった。散々嫌がっていたのが嘘のように、優はぐっすりと眠りについた。

 その寝顔はとても穏やかで、自宅では一度も見せたことのない安らぎに満ちた顔だった。

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