「モンスターズ」
最初に動いたのはセイジの方だった。彼は自分はその場から動かず、背中から生やした触手を一斉に伸ばしてバニグモンへ攻撃を仕掛けた。
それまで海の中で揺らめく海草のようにウネウネ蠢いていた触手達は、セイジの命を受けまず背筋を伸ばして真上に伸びきり、ハリネズミが毛を逆立てるような姿を取った。そうしてピンと伸びた触手達は次に根本付近で直角に折れ曲がり、眼前の敵に向けられた先端を尖らせ一本の槍と化し、標的目指して一気に伸びていった。
「……」
バニグモンは避けなかった。三つの首、六つの目でそれら襲い来る触手をじっと見つめていた。
そのバニグモンの体に触手が突き刺さる。
一本、二本、三本。体のあちこちに次々と刺さり、瞬く間に十本目が土手っ腹に命中した。
そして敵の前面から刺さったそれらは初めの勢いのまま体内を突き進み、あっという間に反対側の皮膚を突き破ってそこから顔を露わにした。そうして先に刺さった触手が体を貫通する間にも、新たな触手が次々と到来する。
バニグモンは全く避けなかった。避けるどころか、両手を広げてそれらを受け入れているようにも見えた。そんな彼の体は足首から首筋に至るまで、全身余すことなく次々と刺し貫かれていった。
「これは凄まじい! なんという凄絶な光景! 触手はここまでやれるのか!」
「もう全身刺されすぎで、本体がどこにあるのか全然わかりませんね」
上空からラ・ムーが熱のこもった声をあげ、ソロモンがバニグモンの有り様を冷静に解説する。彼の言葉通り、バニグモンの体には何百もの触手があらゆる所に刺さっており、バニグモン本来の姿はそれらに隠れて伺い知る事が出来ない有様となっていた。
この状況下にあって、バニグモンは指一本動かさずにいた。
「さあどうしたことだ、黒い怪獣! これ以上は勝てないと踏んで、抵抗を諦めたのか!」
「あるいはまた別の攻撃手段を持っているかのどちらかですね。さてどっちでしょう」
ぴくりとも動かないバニグモンを見たラ・ムーとソロモンが続けて言葉を放つ。一方で地上からその様を見ていたD組の面々も全身を貫かれたままのバニグモンを見て唖然としており、誰もがそれが死亡したものだと思っていた。
そんな彼らの予想は、次の瞬間に大きく裏切られた。
「これは! これはどうしたことだァ!」
それを見たラ・ムーが叫ぶ。彼の視線の先には黒い表皮を赤く染め、全身から煙をもやのように吐き出し始めたバニグモンの姿があった。その後もバニグモンの体は時間が経つにつれて更に濃く赤く染まっていき、吐き出す煙の量も秒単位でより濃厚になっていった。
「おそらくあの怪獣の体温が急激に上がっているんでしょう。それの影響を受けて、ああして体表が赤く染まっているんです。体から出てる煙は水蒸気ですね。体内の水分が蒸発してるんです」
「なるほど。そういえば確かに聞こえますね。こうなんというか、シュー、シューという煙の出てくる音が」
ソロモンの解説を受けてラ・ムーがそう答える。実況役の言う通り、バニグモンの体からはシュー、シューという音が漏れ始めていた。それは水を入れたヤカンを熱した際に、その口から水蒸気が漏れ始めた時の音に似ていた。
そしてその煙が吐き出される音に混じって、何かが焼かれるような音が聞こえてきた。
「そういえば、先ほどから何か聞こえてきますね。こう、鉄板で肉を焼いた時のような音が」
ソロモンが首を傾げる。音の出所は触手だった。バニグモンの体に突き刺さっていた触手から煙が昇り立ち、火で熱せられたかの如くその表皮が焼けただれて行っていたのだった。
そしてついにはその一部から火がつき、次の瞬間には全ての触手が炎に包まれた。
「こ、これは! 焼かれている! いや燃やされている! 赤くなった黒い怪獣の放つ高熱によって、体に刺さった触手達が根こそぎ燃やされているッ!」
興奮したラ・ムーが声を大にして叫ぶ。それはまるでバニグモンの眼前で巨大な火の玉が出現したかのような姿であり、触手達は槍同然の硬度を保ったまま、一つ残らずその火の玉の勢いを支える燃料と化していた。
反対側から顔を覗かせていた先端部分はこの時には既に熱にやられてへたれてしまっており、引き抜く事も出来ずにいた。
「うわ」
「すご……」
それを見た誰もが驚いていた。だが一番驚いていたのはセイジだった。そして一番ダメージを受けていたのもセイジだった。
自分の体の一部である触手を根こそぎ燃やされ、その触手の食らっているダメージ、熱さと痛みは触手を通してしっかりと彼にも伝達されていたのだ。今の彼は、まさに熱せられた鉄板の上に押しつけられ、生きながら体を焼かれているような物であった。
「gaaaaaaaaah!」
触手が炎に包まれた次の瞬間、セイジが苦悶の叫び声をあげる。さらに彼はその場で倒れ込み、痛みを和らげるかのようにそこでのたうち回る。頭や尻尾をでたらめに振り回し、周囲にあった建物やビルがその巻き添えを食らって根こそぎ倒壊し、車が吹き飛ばされアスファルトが粉々に打ち砕かれる。それらの瓦礫や建物の残骸がセイジの体に降り注ぐが、そのダメージさえも今彼を襲っている痛みを和らげるにはほど遠かった。
「恐竜が暴れ始めた! そんなに痛いのか!?」
痛かった。だが体を襲う痛みは一向に減らなかった。それはもはや耐えられる類の代物ではなかった。
セイジは当初、触手を突き刺したままにして相手を拘束しようともくろんでいた。だがこうなってしまってはもはや計画がどうこう言っている場合ではない。
ついにセイジは自分から触手を切り離し、残りの部分を体内に引っ込めた。熱はまだ残っていたが、それでもずっとマシになった。
「触手が切り離された! ダメージに耐えきれなかったか!?」
ラ・ムーの実況は当たっていた。一方で激痛から解放されたセイジは何とか立ち上がり、全身を振るわせてからバニグモンを睨んで吼える。この時セイジから切り離された触手は一気にその力を失い、燃やされてなお保っていた硬度もすっかり失って「槍」からただの触手へと戻っていた。バニグモンの眼前で生じていた火の手はその乾いたミミズのような有様となっていた触手の端っこにまで広がり始め、ついにはそれ全てを炭へと変えた。
なお、体内に進入していた部分も熱によって燃やし尽くされていた。おまけに傷口の部分は触手の一部を蓋代わりにして熱で焼いて塞ぎ、ダメージを最小限に留める事に成功していた。
「これはわからなくなってきた! 両者痛み分けの展開だ!」
「お互いそれなりにダメージを与え合っていますからね。とはいっても、これだけで終わるほど彼らは華奢ではないでしょう」
再び睨み合いの体勢に入った両者を見下ろしつつラ・ムーが叫び、ソロモンが解説を加える。彼らの眼下では互いに手の内の一端を見せ合った両者がじりじりと間合いを調整しつつ硬直した状態が続いていた。
「……」
時々唸り声や短い雄叫びを上げながら、それでも両者は大きく動こうとはしなかった。この時二体の怪獣の目は鋭く細められ、自分の体の動きは最小限に抑えながら相手の動きだけをじっと見つめていた。
「隙を伺っているんだ」
その二体の怪獣の様子を見た亮がぽつりと呟く。その声に気づいたエコーが亮の方へ視線を向け、それを察した亮が続けて言った。
「さっき、お互いの能力を見せ合っただろ? で、結果は痛み分け。どっちも相手に有効打は与えられなかった」
「それで?」
「それでお互い警戒した。今のままでは勝てない。お互い相殺しあって、このまま行けば泥仕合になる。でもだからと言って奥の手を晒す訳にはいかない」
「もしかしたら、その奥の手すら持っていないのかも知れない。手持ちの能力はさっき出した技だけであって、もう切れる札が無いのかも知れない」
そう言ったのは芹沢優だった。彼女は亮とはまた違うところで戦車に乗って二大怪獣の決闘を観戦しつつ、亮が言ったのとほぼ同じ内容の言葉で麻里弥と勉吉とザイオンに今の状況を説明していた。
「お互い手が出せんという訳か」
「そういうこと」
ザイオンの言葉に優が頷く。この時地底製戦車に乗り込んでいた四人は操縦席から離れ、それと隣接した部分にある高級ホテルのスイートルームにも匹敵する優雅な空間に移り、ふかふかのソファに座りつつ天井から吊り下げられたモニターを通して観戦していた。
するとそれを聞いた麻里弥が何かを考え込むような難しい表情のまま言った。
「もしそうだとするなら、決着は一瞬でつくかもしれませんわね」
「おそらくね」
優もそれに同意する。いまいち理解できなかった残り二人に対して麻里弥が言った。
「このまま戦い続けても長期戦は必至。泥沼と化しますわ。無駄に消耗もしますし、何よりいつまで続くかわからない。ならばいっそのこと、隠していた奥の手を使って一気に勝負を決めた方が安全確実という訳です」
「だからああして敵の隙を探してる。そこを突いて、一撃で仕留めようとしている。要は剣道と一緒ね」
優が麻里弥の後に続けて、彼女の言葉をフォローする。それを聞いた二人はなるほどと納得したような表情を浮かべ、それから何度も頷いた。
状況に動きが出たのはその時だった。
「動いた! 恐竜がついに動き出した!」
それに最初に気づいたのは例によってラ・ムーだった。だが彼がそれに気づいたときには、その恐竜は既に行動に移っていた。
セイジは一度大きく吼えた後、助走もつけずにその場でジャンプ、空高く跳躍しながら口を大きく開け、バニグモン目指してまっすぐ落下していったのだ。
「この恐竜、噛みつく気です! しかも落下の勢いも利用して、ダメージを更に増やそうという魂胆か!」
「ですが、黒い怪獣の方も動き始めたみたいですよ。体が赤くなっています」
ソロモンの言う通り、バニグモンもまたセイジの跳躍に合わせて行動を開始していた。彼はまず触手を焼き尽くしたのと同じように全身を赤熱化させ、次にその生み出した熱を真ん中の首へと移動させていった。全身を染める赤色が口の方へと吸い寄せられていき、体色が赤から黒へと戻っていく一方、その口内は今にも爆発しそうなほどに赤く輝いていた。漏れ出す蒸気も相当な量であったが、バニグモンはそれに構うことなく顔を動かし、落下するセイジへ狙いをつけた。
次の瞬間、バニグモンのその口から火球が打ち出された。口から吐き出されたそれは怪獣達からすれば小さなサイズであったが、それは外殻が今にもはちきれそうな圧倒的な密度を誇り、そして表面は地獄の業火のように、あるいは小さな太陽のように轟々と燃え盛っていた。
そしてそれは速かった。大砲から撃ち出される鉄球よりも二回りほど大きいサイズであるにも関わらず、それは銃弾のように速かった。
「火球が猛スピードで迫る! これは万事休すか!?」
ラ・ムーが叫ぶ。ソロモンも目を皿のようにして成り行きを見守る。火球が恐竜に迫る。
だがセイジは冷静だった。
「シィィィィィッ!」
セイジが空中で低く唸り、背中から新たな触手を数十本生やす。それらはセイジの背丈よりも長く伸ばされ、左右に大きく広げられた。その姿はまるで恐竜に翼が生えたかのように見えた。
そして十分伸ばしたそれらを体の真上でねじり合わせて一つの束とし、その上で新しく生やした触手を外側に巻き付けて更に纏まりを強固な物とした。
セイジはそうして出来上がったしなやかに動く一本の棒を後ろに振りかぶり、その勢いを利用して自分の前に向かって右から左へと振り回した。
その進行方向上には件の火球があった。
火球と棒が激突する。だがパワーは棒の方が勝った。棒は火球を捕らえたまま左方向へ動き続け、そしてついには飛んできた火球をそのままセイジの左側の方向へ受け流す事に成功した。
「打ったーッ! 触手のバットで明後日の方向に打ち返したーッ!」
ラ・ムーが興奮の極みにあるかのような声をあげる。ソロモンもまた無言で頷き、そして品川駅付近に着弾した火球はその辺り一帯を蒸発させた。着弾点である駅周辺が白い輝きに包まれ、後にはクレーターしか残らなかった。
セイジにとってはそんな事はどうでもよかった。インパクトは一瞬だったために触手もほぼ無傷だった。セイジはその触手の束を解き、しかし展開したまま一直線にバニグモンの元へと落下していく。
バニグモンは動けなかった。火球を撃った反動が来たからか、それとも近づいてくるセイジに恐怖したからか。どちらにせよ、バニグモンは避けることも防御することも出来ずにいた。
そのバニグモンの喉元にセイジが噛みついた。
「ぶつかった! そのまま転がっていく!」
それから両者は激突し、バニグモンは地面に押し倒され、両者もつれあって地面を転がっていく。道路がことごとく陥没し、めくれがり、巻き添えを食ったビルが次々崩壊していく。自動車が枯れ葉の如く空中に巻き上げられ、電信柱がへし折られる。
だがセイジは噛みついた喉を離そうとはしなかった。
そして何度目かの回転の後、ようやく両者の動きが止まった。この時セイジは上に、バニグモンが下におり、セイジはなおも噛みついたまま馬乗りの姿勢を取っていた。
「これは痛い! 致命傷だーッ!」
「うわあ、ひどい……」
ラ・ムーが声を大にして叫ぶ。一方のソロモンは両手の翼を広げて顔を覆い、羽の隙間からその光景をチラ見していた。その目線の先ではマウントポジションを取ったセイジが噛みついたまま頭を上下左右に振り回し、バニグモンの首を噛み千切ろうとしていた。
セイジが頭を動かす度に、傷口からマグマのように赤く輝く血液が周囲に飛び散る。もちろんそれはセイジの顔にも付着したが、当のセイジはそんな事お構いなしだった。
「これは決まったかな」
それを見た優がぽつりと呟いた。だがその一方で別の地点からそれを見ていた亮は苦い表情を浮かべて言った。
「まだ終わりじゃない」
「えっ?」
「どういう意味ですか?」
それを聞いた生徒の何人かが尋ね返す。亮はバニグモンの方を指さして言った。
「奴はまだあれをやる気だ」
そう言う亮の指さす先では、バニグモンの体が再び赤く染まっていた。しかし今度の場合は体から蒸気が漏れるほど体表が熱くなる事は無く、ただ体色が赤くなるだけであった。
また体を染めた赤色はその後すぐに頭の方へ向かって吸い上げられた。ただし今回は真ん中の首ではなく、その無傷なままの左右の首へとそれぞれ吸われて行っていた。
左右の顔の口がゆっくりと開かれ、口内が赤く輝いていく。火球を撃ち出した時と同じ輝きであった。
「二つの口が!」
「まさか、同時に!?」
それに気づいた生徒達が一斉にどよめく。戦車の中に乗って観戦していた麻里弥達もそれに気づいてソファから身を乗りだす。
そして彼らとほぼ同じタイミングでセイジもまたそれに気づく。
気づいた瞬間、バニグモンは行動に移っていた。バニグモンが二つの口を大きく開ける。二つの火球が撃ち出される。
セイジの顔面に激突する。
「うっ、あつっ」
銀河中に存在するその試合を観戦していた視聴者達の元には、ラ・ムーの実況はそこまでしか聞こえてこなかった。テレビやモニター、あるいは空中に浮遊する平面ディスプレイからは実況だけでなく一切の音が、果てはノイズさえも聞こえてこず、そこにあったのは完全な無音だけだった。
だがカメラは動いていた。視聴者のかじりついていた画面にはその時の光景がありありと映されており、それを見た視聴者はそのあまりの凄まじさに一人残らず生唾を飲み込んだ。
ラ・ムーの実況音声が途切れた時、そこには白いドームがあった。圧倒的な量感を保ちつつ渋谷一帯を丸ごと飲み込み、表面を小刻みに明滅させながらその存在感を誇示する半球状の物体があった。