「ミューテーション」
何が起きたのかわからなかった。満は自分に、否自分達に起きた出来事を理解しようと何度か目をしばたき、手の甲で両目をこすった。数瞬前に触れもなく出現し両目に激しく焼き付いた白い閃光の残滓をぬぐい去ろうとしたのと、自分の目の前にある景色が夢でないかどうかを試すためだった。
だが目に焼き付いた光も周囲の光景もちっとも変わることなく、これが紛れもない現実であることを彼女に無言で告げていた。無慈悲で容赦のないな真実だった。
二体目の怪獣が現れた直後、自分達はアスカの言葉に従って全員一カ所に固まってはぐれないようにしていた。それだけだった。だが集まった次の瞬間にはどこからか溢れてきた光に全身を飲み込まれ意識を失い、気がつけば彼女は他の生徒や教師とともにこの町並みの中に、地上にある渋谷の町の中に立っていたのだ。
一瞬の出来事だった。既に非難が完了していたからか、周囲に人の気配は無かった。いや、人がいるにしろいないにしろ、驚かない方がおかしかった。
「もう滅茶苦茶ね」
だが満が狼狽したのはそれが最後だった。彼女は少し経った後で全てを受け入れたかのようにそう呟き、大きく息を吐いて気持ちを落ち着かせる。それから頭上に持ち上げた手を叩き、なおも平静を保てずにいた生徒の面々に向かって声をかけた。
「みんな落ち着いて! ここでパニックになったらおしまいだよ!」
それを聞いた全員が一斉に満の方に顔を向ける。その表情は一人残らず怯えきっており、それを見た満はまず彼らの気持ちを落ち着かせようと考えた。
だがこの場合、人間をどうやって落ち着かせればいいのか。地球に降りたばかりの満にはそれがわからなかった。月の人間とはそれなりに交流もあったが、そもそもこんなシチュエーションは一度も体験した事がなかった。
「富士の言う通りだ。みんな、まずは落ち着こう。焦らなくていい。ゆっくりと、大きく深呼吸をするんだ」
そんな満の懸念を察したのか、亮が彼女の隣にたって自分を見てくる面々に向かってそう言った。亮の言葉を聞いた面々は藁にもすがる思いで、しかし言われた通りゆっくりと深呼吸を繰り返し、その緊張で凝り固まった顔の筋肉を徐々に解していった。
「なんとかなったな」
それから亮は満の方を向いて彼女に言った。満もまた亮の方を向いて小さく頷く。その二人の元へカミューラとエコー、そしてアスカの三人がやって来た。
「新城先生、生徒達は全員揃ってます。はぐれてる子はいませんでした」
「怪我してるのもいなかったわ」
「とりあえずは上手くいったみたいデス」
そして亮に対してそれぞれ報告をしてくる。これについては亮は特に指示を出しておらず、彼女達が独自に動いた事であった。
それら三人の言葉を聞き終えた亮は「わかった、ありがとう」と自分から骨を折ってくれた彼女達に礼を述べた後、次にアスカの方を見て彼女に問いかけた。
「教えてくれ、さっきは何が起きたんだ?」
「ワタシもそれを話したくて先生の所に来マシタ」
その言葉を待っていたと言わんばかりにアスカが即答する。それからアスカは生徒達の方を向き、彼らにも聞こえるくらい、しかし張り上げるとまではいかないくらいに声を大きくして言った。
「簡単な事デス。ワタシ達は地下からワープしてきたのデス」
「ワープ?」
「そうデス。今セイジと相対している怪獣、ワタシ達が守護神と呼んでいるあの怪獣によるものデス」
問い返してきた生徒の方を見ながらアスカが答える。別の生徒がそれを受けて言った。
「あれが俺達をここまで転送したって事なのか?」
「イエース! その通りデス! 地底世界の被害を最小限に留めるために、あの時あそこにいた異物全てを、自分ごと地上に転移させたのデス!」
「異物って……」
アスカの言葉を受けてまた別の生徒が不機嫌そうに呟く。それに対して冬美が「まあ間違ってはないクマ」と申し訳程度にフォローした後、次に彼女がアスカに尋ねた。
「それってつまり、地上に追い出した連中を自分で始末するって意味なのかクマ?」
「そういう事デス。元々はこの星の地下深くに棲息していた怪獣なのデスが、ザイオンが交渉してあの場所に永住するかわりにあそこを守ってもらっているのデス」
「で、危険物があったら自分ごと外に追い出すのか。凄いプロ根性だな」
「義理堅い性格をしているのデス」
エコーの言葉にアスカが答える。すると生徒の一人が「俺らも襲われるのか?」と不安げに声をあげたが、それに対してもアスカは「そこはワタシがなんとかしマス」と自信満々に答えた。
そのアスカに今度は満が問いかける。
「じゃあセイジもその危険物に含まれてるの?」
「そうなりマスね。守護神もといバニグモンからしてみれば、セイジも巨大化した時点で町を脅かす危険な存在という事になりマスし」
「それ止めた方がいいんじゃねえのか」
浩一がアスカに言った。アスカは「ノンノン」と首を横に振りながら余裕たっぷりに返す。
「その必要はありまセン」
「なんで?」
「面白そうだからデス」
アスカが断言する。
「二大怪獣の激突、次があるかどうかもわからないドリームマッチ! これはもう最後まで見なきゃ損デス! 損なのデス!」
「あ、そう」
アスカの瞳は燃えていた。浩一はそれ以上何も言わなかった。他の面々も反論しようとは思わなかった。
「レディース・エーン・ジェントルメーン!」
直後、彼らの頭上から声が聞こえてきた。驚いて顔を上げてみれば、そこには彼らのよく知る円盤の群が浮遊していた。
その円盤群は一回り大きな円盤を中心にして円を描くように隊列を組んでおり、その中心にある円盤を取り囲んでいる小型の円盤はその全てが底部からカメラを吊り下げていた。
「あ、久しぶりに見た」
「仕事が速い」
ビッグマンデュエルの実況解説役の乗り込むその円盤を見た生徒達が一様に声を上げる。その表情には旧友と再会したような懐かしさがあった。
「これはもう止められませんね~」
「行くところまで行かせた方がいいかもしれませんね」
その一方で、もうこの状況はどうしようもないと悟る者達もいた。まあ別に止めないと世界が滅びる訳でもないので、この場を収めようと必死になっている者はいなかったのだが。
「さあ本日お見せする対戦カードは、こちら! 町中に突如出現した二体の巨大怪獣! この両者によるガチンコ対決だ!」
その一方、円盤に乗っていたラ・ムーとソロモンは眼下で睨み合いを続けている怪獣二体を視界に収めながら実況を始めていた。周囲に浮遊していたカメラ付き円盤は既に各々の配置についており、実況役の豚、ラ・ムーが声を張り上げる。
「まずは向かって右側、謎の怪獣! ぱっと見、太古の地球に棲息していたとされる恐竜に見えなくもないですが、詳しい事は我々も把握しておりません!」
「まったくわかりません」
「そして向かって左側、謎の怪獣! こちらは全体的に黒く、言葉通り怪獣らしい外見をしておりますが、こちらについても詳しい情報はまだ入ってきておりません!」
「まったくわかりません」
ラ・ムーの説明にあわせてソロモンが合いの手を入れる。要するに何もわからなかった。
「さあ、そんな両者ですが、今も睨み合いが続いております。最初に攻撃を仕掛けるのはいったいどちらなのか!」
だがそんな事はお構いなしに、ラ・ムーは己のテンションをぐんぐん上げていく。戦う相手が誰であろうと、面白ければそれでいいのだ。
変化が起きたのはまさにその時だった。
「おおっと、これは!?」
それに目聡く気づいたラ・ムーが声を上げる。その視線の先には、頭を下げて苦しげに呻く恐竜の姿があった。
これはどうしたことだ! とラ・ムーが叫び、次の言葉を吐き出そうとした次の瞬間、恐竜の背中から皮膚を突き破って触手が生えてきた。
「うおっ!?」
それも一本ではない。何十本もの紫色の触手が背中から出現し、それぞれが命を宿しているかの如くウネウネと蠢いていたのだ。触手はどれも長く、背中から地面に届くほどの長さを備えていた。
「うげえ」
それを地上から見ていたD組の生徒の何人かが嫌悪で顔を歪める。中には目を閉じて顔を背ける者もいた。嘔吐をする者が現れなかったのは幸いだった。
「これはいったいどうした事だ!? 恐竜の背中からいきなり触手が生えてきたぞ! 非常に気味が悪い!」
「本当に薄気味悪いですね。それとこっちの左の方もおかしくなってますよ」
ソロモンが本当に気味悪そうに叫ぶラ・ムーの肩を叩きながら言った。ラ・ムーがソロモンの指さす方に目を向けると、そこには先の恐竜と同様に顔を下げて苦しげに呻く黒怪獣の姿があった。
「おおっと、こっちもこっちで何か変化が起きそうだ! いったい何を始める気なんだ!」
ラ・ムーがそう叫んだ直後、怪獣が頭を天に向けて伸ばし雄叫びを上げる。次の瞬間、その怪獣の左右の首の皮膚を突き破って新たに二つの頭が出現した。
「うひゃあ!」
頭だけではない。首までもがそこから伸びていき、最終的には元からあった頭とほぼ同じ高さにまで到達した。その姿はまるで三つ首竜のようであった。
「こちらもこちらで凄い! なんとこの怪獣、一気に首を三つに増やしてきた! いったいこれにはどんな効果があるというのか!」
ラ・ムーがマイクスタンドを持ち上げて叫ぶ。彼のテンションは最高潮に達しつつあった。
そして彼と同様、相対していた二体の怪獣もまた激突の様相を呈し始めていた。それまで唸って威嚇するだけだった両者だったが、ここに来てじりじりと互いの間合いを詰め始めていた。威嚇も続けて行われ、まさに一触即発の展開であった。
その様を見たラ・ムーが言った。
「さあ、まさにお互い戦闘態勢が整ったようです。果たして勝利するのはどちらなのか! と、ここまで来たところで今回はここまで。この戦いとその決着はまた次回に持ち越しとなります。乞うご期待!」