「護りのスキル」
「はい、こちらソロモン。なんでしょうか?」
渋谷駅前の喫茶店で一息ついていた一組の豚と鶴、ソロモンとラ・ムーが同時にその連絡を受け取ったのは、地底でザイオンとその取り巻きが「戦車」に乗り込んだちょうどその時だった。大の大人と同じ背丈を持ち、それぞれアロハシャツを着た豚と紺の着流しを着た鶴が並んでカウンター席に座って携帯電話片手にコーヒーを飲む姿というのは非常にシュールな光景であったが、しかし実際に彼らの周りにいた人間はその姿をちらと意識して視界に納めることはあれど、大げさなまでに騒ぎ立てたりはしなかった。
なぜなら彼らは外宇宙からもたらされ、今地球で最も熱く人気のある異種格闘技「ビッグマンデュエル」の主に地球方面で行われている試合の実況解説役であり、その姿は街頭モニターやテレビを通して多くの人に認知されていたからだ。ビッグマンデュエルの試合が最も視聴率の稼げる番組ということもあって試合の再放送や生放送を行うテレビ局も多く、それもまた彼らの知名度を上げる一助を担っていた。そのおかげで彼らの存在は地球規模で広く知れ渡っていたのだ。
「ええ、ええ、はい。わかりました。ではそのように」
おまけに今のご時世ではテレビをつければ自分と違う体躯を備えた宇宙人を目にするのが当たり前な状況になっており、更にこの日本ではテレビで見たのと同じ宇宙人が町中を歩いているのも珍しくない状態になっていたので、今更それを見て驚く人は殆どいなかったのだ。
「さっきの話聞いたか?」
豚、もといラ・ムーが携帯電話をしまい、同じく電話をしまったソロモンに話しかける。それを聞いた鶴もといソロモンは小さく頷き、翼の端っこでコーヒーカップの取っ手を摘んで中身を飲みながら言った。
「本当に来るんでしょうかね?」
その声は非常に懐疑的だった。だがそれを聞いたラ・ムーはそんなソロモンの背中を軽く小突きながら言った。
「それでも一応準備はしておかないとな。我々
の仕事を忘れたとは言わせんぞ」
「今のところ前触れも何も無いんですがね」
「なんだ、随分嫌そうじゃないか」
「だって私達、今休暇中ですよ? せっかくの有給なんですよ?」
ソロモンがただでさえ細長く伸びた口をさらに尖らせて言う。彼の言うとおり、今二人は休暇をもらって羽を伸ばしている最中だったのだ。
「もう少しゆっくりしていたかったんですがね」
「でも仕事は仕事だ。さ、カメラ円盤の準備だ」
「はいはい」
ラ・ムーの言葉にソロモンが渋々承諾する。それからソロモンは再び携帯電話を取り出して何処かに電話をかけ、ラ・ムーはキャッシャーの前に進んで会計を行う。
「終わりました」
そのラ・ムーの元にソロモンが近づいてくる。この時には既にラ・ムーも自分の仕事を終えており、二人はどちらかを待たせることもなくスムーズに喫茶店の外に出ることが出来た。
異変は直後に起きた。
「え?」
最初にそれを見つけたのはソロモンだった。何気なしに空に目を向けた時、偶然それの姿が視界に入ったのだ。
「なんだあれ」
それは紫色に光るガスの球体だった。内側からまばゆい光を放ち、それが表面を覆う紫のガスを輝かせていたのだった。そしてソロモンに続くかのように、周囲を歩いていた人間達も次々とそれに気づいて空を見上げていた。
「あれは……?」
そしてラ・ムーも同様にそれに気づき、空を見上げる。よく見ればその球体から放たれる光はまるで心臓の拍動のように明滅を繰り返しており、しかもその明滅のスピードは次第に速く、小刻みな物になっていった。
「爆弾か?」
「まさか、そんな」
ラ・ムーの言葉にソロモンが返す。その言葉には呆れと失笑の色がこもっていた。
そしてソロモンがそう言った直後、空中の球体が爆発した。
「ぎゃあっ!」
球体が爆発して強烈な破裂音が周囲の人間の鼓膜を揺らし、更に紫色のガスが周囲にまき散らされる。ガスは視界を完全に遮ってしまうほどに色濃く、さらに爆発してから一分も経たない内に渋谷一帯を完全に飲み込んでしまうほどの量を持っていた。
「な、なんだこれ!」
「毒ガス!?」
突然の出来事にソロモンが呻き、ラ・ムーがそう言って顔を真っ青にする。しかしラ・ムーがその言葉を漏らした時、ガスは独りでに消滅を始めていた。町を覆うスピードが速ければ、その消えていくスピードもまた迅速だった。
瞬きを一つするよりも速くそのガスは霧が晴れるように視界から消え失せ、次の瞬間にはいつもの渋谷の町並みが広がっていた。気づいたら住民全員がゾンビになっていたとか、建物全てが廃墟になっていたとかいう事は無かった。
いつも通りの渋谷があった。
「おい、あれなんだよ?」
「うそだろ」
霧の晴れた町中に巨大な怪獣二匹と腕の生えた戦車が出現していた以外は、いつも通りの渋谷だった。
遡ること数十分前。
ザイオンに催促されて上部ハッチから戦車の中に乗り込んだ三人は、その中の広さに驚いていた。
「何これ」
「ホテルみたいですわね」
勉吉が呆然と呟き、麻里弥が素直な感想を述べる。優はその二人の横で感心したように口笛を吹きながらあたりを見回し、ザイオンはそんな三人の様子を見て嬉しそうに言った。
「どうだね。スゴいだろう」
そこは麻里弥の言う通り、ホテルのスイートルームのような広さと豪華さを兼ね備えた場所だった。流石にベッドは無かったが、そこは四人が入ってもまだ余裕のあるほどの広さを備えていた。
床にはめまいがするほど鮮やかな赤い絨毯が敷かれ、四方の壁はクリーム色に染められていた。その上には新品同様にふかふかなソファとその前に置かれたシックな木製のテーブル、天井の四隅には部屋を圧迫しないように小振りだが十分豪勢なシャンデリアが配置されていた。
そのシャンデリアから放たれる橙色の光によって室内は暖かく照らし出され、テーブルの上には果物とワインの瓶が置かれていた。しかも後方にはワインを満杯に詰め込んだ棚があり、テーブルを挟んだその棚の反対側の壁には鹿の頭を模した鉄製のオブジェが飾られていた。
「でもコクピットは? どうやって操縦するんですか?」
そんな場違いなまでにお高い部屋を一通り見渡した勉吉が、ザイオンに向かって問いかける。この時ザイオンは懐から取り出した端末をいじっており、勉吉からその問いかけを受けた彼は操作を終えた端末をしまってそれに答えた。
「コクピットは隔離されているんだ。ここの雰囲気を壊さないようにね」
ザイオンがそう言った直後、彼らを再び震動が襲った。突然の揺れに警戒する彼らに向かって「リフトが上昇を始めたんだよ」と告げてからザイオンは件の鹿のオブジェに近づいていき、壁偽を向ける格好になって鹿の鼻の頭を撫でながら言った。
「こっちだ」
直後、ザイオンの背後で壁が左右に割れた。驚く三人をよそに壁は音を立ててスライドしていき、やがてその奥には鋼一色に染められた無骨な操縦席が姿を現した。前面にはモニターがはめ込まれ、その前にはシートが横並びに二つあり、その両者に挟まれる形で計器やボタンが配置されたコンソールがあった。さらにシートを取り囲む形で何本もレバーが地面から伸びており、シートの前には「H」を丸く歪めたような形のハンドルが一つずつ置かれていた。
「操縦と攻撃はそれぞれ別の人間が行う事が出来る。もちろん一人で全部こなすのも可能だが、分担した方が負担は減る」
シートの一つの背もたれに腕をかけながらザイオンが説明をする。どう動かすのか、どの計器がどの役目を果たすのか、その他注意事項や脱出、自爆の方法などと言った様々な事柄を話していった。
そうする内に、車体と彼らを再び軽い震動が襲う。リフトが地上に到達したんだ、と言ってから、ザイオンが三人に問いかけた。
「さて、これで準備は完了だ。ところでどうするかね? 誰かこれを動かしてみたいと思う者はいるかね?」
「いや、いきなりそんな事言われても困るんですけど」
「それより、このままここで戦うんですか?」
戸惑う優の横で勉吉が問いかける。ザイオンがそれに答える。
「いや、別に我々が戦う訳ではないよ。まずはあの二体の戦いを見届けて、決着がついた所で止めに入る。守護神もセイジも私の町にとっては貴重な人材だからね。失うわけにはいかないんだよ」
「最初から止めようとは思わないんですか?」
「ああ」
「どうして?」
「面白くないからだ」
優の問いかけにザイオンが断言する。優は納得したのか呆れたのか、それっきり黙りこくって何も言わなくなったが、彼女に代わって今度は勉吉が尋ねた。
「ところで、あの守護神というのはいったい何者なのですか?」
「この星に元々住んでいた地底怪獣だよ。確か名前はバニグモンだったか。ワープスクリーンを張る前にここに住み着いてしまってね。有事の際に町を守ってもらうことを条件に、ここに留まっても良いということにしたんだ」
「怪獣と交渉したんですか?」
「そうだ。彼は頭がいいうえに人間の言葉も話せる。凄い奴なのだ」
驚く勉吉に向けてザイオンがまるで自分の事であるかのように自慢げに答える。それから彼は立ったまま左側のハンドルを切ってその場で戦車を回転させ、モニターの中に「守護神」バニグモンと戦闘狂獣セイジが向かい合う姿を納めさせるように向きを調節する。そしてそれが終わった後、彼はそのモニターに映る怪獣二体を見ながら言った。
「それと、バニグモンはもう一つ、面白い能力を持っているんだ。まさに守護神と呼ぶにふさわしい能力だ」
「それはいったいなんですの?」
ザイオンの言葉に今度は麻里弥が食いつく。肩越しに彼女の方を向いてザイオンが答えた。
「見ればわかる」
だがザイオンはそう言ったきり、視線を再びモニターの方へ戻してしまった。まったく答えになってないその返答を受けた麻里弥は不審に思いながら自身もモニターの方に意識を向けたが、その瞬間、麻里弥はその体を硬直させた。
「あれは……?」
その目線はモニターの向こう、空中のある一点に固定されていた。麻里弥の言葉に気づいた他二人もつられるようにモニターに目を向け、そこで彼女と同じ物を発見して二人とも怪訝な表情を浮かべた。
「なにあれ」
「球?」
優が無表情で呟き、勉吉が首を傾げる。その勉吉の言う通り、それは内部から発光する紫色の球体だった。よく見るとそれは完全な球体ではなくガス状の物体が一カ所に凝り固まったような存在であり、麻里弥は不思議そうな目でなおもそれをじっと見つめていた。
そんな三人の様子を見たザイオンが愉快そうに一度小さく笑みをこぼしてから、改めて三人の方を見て言った。
「あれがバニグモンの能力の一つだ」
「それはなんですの?」
視線を固定したまま麻里弥が問いかける。同様にその球を見つめたまま、ザイオンが素っ気ない口調で返した。
「転移機能だ」
ザイオンが口を開いた次の瞬間、麻里弥達三人の意識は闇の中に沈んだ。
意識がなくなる直前、視界内で例の紫色の球体が内側からの発光を強めて爆発したような気もしたが、その情報を脳が認識するよりも速く彼らの視界は真っ白に染まり、次の瞬間には視覚だけでなく五感全てがブラックアウトした。
「ん……」
次に彼らが目を覚まして起きあがったときには、モニターの向こうにはその球体はもうどこにも無かった。それどころか、それまで目の当たりにしていた地底の町並みも無かった。
「あれ……?」
「ここ、どうして……?」
そこにはとても懐かしく感じるような地上の町並み、渋谷の町が広がっていた。