「モノカミ」
「いやあ、ここに外の人を呼ぶのは久しぶりだ」
ザイオンと出会った面々はその後彼の導きによって全員乗ってもまだスペースが余るほどの巨大エレベーターに乗って上へと昇り、食堂と思しき椅子とテーブルが規則的に並んだ広大な空間に入った。そこは床に赤いカーペットが敷き詰められ、壁と天井が白く塗り固められた場所であった。
彼らはそこにあるテーブルの一つにザイオンとそれ以外の面子が向かい合うようにして座り、全員座り終えたところでザイオンがそう声を出したのだった。
「あいにくと客人をもてなすに足りる物はこれと言って無いんだ。勘弁してくれ」
どこか間延びした、べったりと耳に貼り付く粘ついた声だった。それは深夜の沼地のようなジメジメした薄気味悪い気配を帯びており、聞く者の背筋を氷柱に変える程の寒気を味わわせる代物であった。
それだけでも恐ろしかったのに、おまけにこの時のザイオンの瞳は怪しくギラつき、口の端を吊り上げて不気味な笑みを浮かべていた。それは底なし沼の奥から這い上がってきた怨霊の如き恐ろしさであった。
「こわい……」
「お化け屋敷かよ」
D組の何人かは実際戦慄していた。小さいドラム缶にキャタピラとロボットアームをくっつけたような自立機動メカが彼らの前に丁寧に紅茶入りのカップを置いていった事にも気づかなかった程に、彼らはザイオンが無意識に放った恐怖に中てられていた。
もちろんそれを怖いと思わずに済んだ者もいた。亮やエコーがその筆頭であり、生徒達の中にも同じ気持ちの者達がいた。だが彼らも彼らで紅茶に手をつけようとはしなかった。テーブルを挟んで目の前に座るザイオンと言う男をまだ無条件に信用した訳ではなかったからだ。
「うーん……地上のもいいけど、やはりここの紅茶は格別デース! 帰ってきたって感じがしマース!」
そんな中で、D組の方に座ったデューイ・シックス、もといアスカ・フリードリヒは一人嬉しそうに大声を出した。ついさっき首をもぎ取られたとは思えないほど快活な声であった。
「ほら、皆も飲んで飲んで! 早くしないと冷めちゃいマスよー!」
しかし本人はそんな事など全く気にせず、未だ誰一人として紅茶に手を着けずにいた事に気づいて前と変わらぬハイテンションでそう催促する。
それを聞いた直後、亮がザイオンに目を向け思い切ったように口を開いた。
「紅茶もいいですが、それよりまずはこちらの方から自己紹介をした方がいいと思うんですが」
「ああ、その必要はない。君達の事は全部デューイから聞いている。いや、今はアスカだったか?」
亮としては会話のきっかけを作りたい所だったが、その思惑はザイオンによってあっさりと崩された。だがそこで今度はカミューラがザイオンの言葉を拾い、警戒心よりも好奇心に満ちた顔で彼に問いかけた。
「ところで、さっきから言っているその、デューイ? って言うのは、いったいなんなんですか?」
「ん? デューイはデューイだよ」
それを聞いたザイオンが不思議そうに答える。それから彼はドラム缶型のメカに二杯目を要求していたアスカを手招きで呼び寄せる。それを見たアスカは催促のポーズを止め、空のカップをテーブルに置いてからそのテーブルの上を足の力だけで飛び越えてザイオンのいる側に立った。
「ええっ?」
それまで持参してきた手製の試験キットを使ってカップの中に注がれた紅茶に毒が無いかどうか調べていた勉吉が驚いた声を出す。アスカが跳躍した時に放った音に気づいて顔を上げ、その時彼はまさにテーブルの上を飛び越えているアスカの姿を見たのだった。
「ちょ、ちょっと、なにを」
「デューイ、こっちへ」
しかしなおも驚く勉吉を尻目に、ザイオンはアスカに自分の元に近づくよう促す。それを聞いたアスカは何も言わず満面の笑みを浮かべたまま彼の元に近づき、そして椅子に座ったザイオンのすぐ隣へ立ち止まった。
「デューイ、パージだ」
「アイアイサー」
ザイオンが静かに言葉を発し、それを聞いたアスカがハキハキとした声で答えて自身の首筋に手を当てる。首筋に当てられたアスカの手が何かスイッチのような物を押す。
直後、アスカの体が吹き飛んだ。
「な……っ」
爆発したのではない。その体がそれぞれ手や足、胴体といったおおまかなパーツごとに分かれて破裂音と共に方々に弾き飛んでいったのだ。
「ぶっ!?」
その時ようやく紅茶を飲もうとしていた面々が、それを見て飲みかけた黄金色の液体を盛大に吹き出す。テーブルの上に紅茶がぶちまけられるが、誰もそれを咎めようとはしなかった。ザイオンもそれを注意する事はせず、黒ひげ危機一髪の如く真上に吹き飛んだアスカの首を片手でキャッチし、それを向かい側に座る面々に向けて見せびらかすようにしながら不敵な笑みを浮かべて言った。
「これが彼女の正体だ」
「つまり、どういう事です?」
「ろ、ロボットとか?」
「違う違う。この子は正確にはロボットじゃない」
生徒達からの問いかけに対して、ザイオンが愉快そうに笑みを浮かべながら返す。それから彼は「さて何と説明すればいいか」と空いた手を顎に当てて暫く考え込んだ後、何かを閃いたように僅かに顔を上げてから彼らの方へ向き直って言った。
「君達は確か日本人だったな。ならこう言った方が多少はわかりやすいかな? 確か、そう・・付喪神だったか」
「つくもがみ?」
「そうだ。付喪神だ」
「何百年何千年と存在し続けたモノに霊魂が宿って生まれる存在、でしたっけ」
「そうそう。それだ」
いつの間にかアスカに続いてドラム缶ロボに二杯目を要求していた芹沢優が、それを一口飲んでからザイオンにそう言った。それを聞いたザイオンもまた目を細め、嬉しそうに頷きながら肯定する。それからザイオンは手に持っていたアスカの生首をもう片方の手で優しく撫で、我が子を労るようにその髪を丁寧に梳きながら言った。
「このデューイ・シックスは、君の言った付喪神と同じ造りをした存在であるんだ。人工の付喪神と言うべきかな」
「人工の? それはつまり、どういうことですの?」
「霊界から魂を引っ張ってきて、それを無機物に憑依させる」
「なに言ってんだこいつ」
麻里弥の質問にさらりと答えたザイオンの言葉を聞いて浩一が眉をひそめる。ザイオンはその浩一の方に目を向け、相変わらずゾッとする声で言った。
「信じられないのも無理はない。だがこれは事実だ。デューイ・シックスとはアスカ・フリードリヒという名前の死霊を、専用の人形に憑依させて生み出した存在なのだ」
「お前頭おかしいクマ。そんな事出来ると思ってるクマ?」
「出来るとも。現に彼女はここにいる。君達も彼女と話したはずだ」
「それは……」
ザイオンの言葉を聞いた冬美が押し黙る。ここに来るずっと前、D組の教室に遊びに来たアスカが鬱陶しい程のテンションで騒ぎまくっていたのを知っていたからだ。そしてそれは他の面々も同様であった。
「ついでに言うと、このアルフヘイムで生活をしている人間は全員デューイと同じだ。人形に霊魂を宿らせた。付喪神だな」
そんな驚きで何もいえずにいた面々に向かって、ザイオンがさらに爆弾を投下する。するとその言葉に好奇心を刺激されたのか、亮がザイオンに向かって尋ねた。
「では、この町を作ったのもその付喪神という事なんですか?」
「半分正解だ。町を発展させたのは彼らだが、その町の基礎を作ったのは私だ。まず私が人形を依り代にして生き返った者達のために簡単な住居と土地、それから建設用の資材と地上からここに資材を送るためのワープポータル、それから重機を与えた。後は彼らの自由にさせたんだ。私が作ったのはこの地下空間と、共同生活用の掘っ建て小屋一つだけだよ。最初に住まわせた人形もせいぜい四、五人程度だ」
「それから?」
「彼らは最初の頃こそ静かに過ごしていた。生き返ったと思ったら、いきなり見慣れない場所に置かれていたんだからな。そして私から説明を受けて気持ちが落ち着いてくると、彼らはそのうち色んな物を欲しがるようになった」
「具体的にはどんな?」
「レストラン、公園、デパート、一軒家。服や食べ物も。とにかくなんでもだ。気持ちに余裕が出来てきた証拠だな。そこで私は彼らに言ったんだ。欲しい物があるなら自分で作りなさいとね。彼らは不眠不休で働いた。人形の体はスタミナ切れは起こさないからな」
「そうやって彼らは自分達で町を広げていった」
エコーの言葉にザイオンが頷く。
「そうして彼らが町を広げていくにつれて、私も人形の数を増やしていった。人手が増えると彼らはもっと大きな物を作り始めた。それこそ前に言ったレストランやらデパートやらをだ。そのうち彼らは工場までも造り、建設用の重機を自分達でこしらえるようになっていった。さっき私がいた所にしたって、彼らが造った場所なのだ。挙げ句の果てには高層ビルなんかも建て始めた」
話している内にザイオンのテンションは段々と高まっていき、その語り口も熱のこもった物となっていった。その様はまるで子供の成長と嬉々として語る親バカな親のようであった。
「いや、実に見事なものだったよ。彼らの手際はまさに目を見張る物だった」
「あの、それより聞きたい事があるんですけど」
そのザイオンの子供自慢に割り込むように、勉吉がおずおずと控えめに問いかけてきた。それを聞いたザイオンが口を閉じて勉吉の方を向く。
「何かね?」
「あの、なんでここを造ったのか、という理由を聞きたいんですが・・」
「ここを造った理由、かね」
「は、はい」
それを聞いたザイオンが口を閉じ、椅子の背もたれに深く身を預ける。その姿を見た勉吉は地雷を踏んだと思い「だめですか?」と申し訳なさそうに問いかけたが、ザイオンはすぐに身を起こしてテーブルの上に両腕を置き、薄気味悪い笑みを顔に貼り付けながら答えた。
「いや、駄目という訳じゃない。ただちょっと、本当の事を言っても信用してくれるかどうか不安になったんだよ」
「本当のこと?」
「どういう意味ですか?」
「言葉通りの意味だよ」
満の言葉にザイオンが答える。それから彼は満と彼女の前に言葉を放った浩一の二人に、続けて最初に疑問を述べた勉吉へと目を向ける。
「うーん、どうなんだろう。君達は日本人だったね? 何か宗教は信仰してるのかな?」
「いや、特に何も」
浩一が答える。他の者達もうんうんと頷く。
「そうか。無宗教か」
「それが何か問題でも?」
「まあ色々とね」
「いいからまずは教えてくれ。知らないままじゃ判断しようがない」
そこでエコーが口を挟む。その語気の激しい言葉を聞いたザイオンは一旦口をつぐみ、それから諦めたように「わかった、言うよ」と一同に向かって言った。
それからザイオンはもう一度テーブルの向こう側を見渡し、「誰にも言わないでくれよ」と前置きした上で重々しく口を開いた。
「神に頼まれたんだよ」
場の空気が固まった。
「は?」
「神に頼まれたのだ。ゴッド。ロード。神聖なあのお方だ」
全員鳩が豆鉄砲を食らったような顔をしていた。アスカの生首は眠ったように目を閉じ、ザイオンはくそ真面目な顔をしていた。
ザイオンが再び口を開いた。
「ここは試験場なのだ。一度死んだ人間が転生に値する存在かどうかをチェックする。そういう場所なのだ」
ザイオンの顔は笑っていなかった。
D組の者達はひきつった笑みを浮かべるしかなかった。