「血の宴」
昼休みの終了を告げるチャイムが鳴り響く頃。
体育館の中は死屍累々の地獄と化していた。
「なるほど、大したものだ」
前方にあるステージの上に立つ一人の男子生徒が、そんな赤黒い血化粧を施された床の上に何百人もの生徒や教師が血を流しながら倒れる、鼻が曲がりそうになるほど強烈な匂いを放つ館内を見渡しながら感心したように呟く。なお、体育館内に血を流しながら倒れている者達は皆息はあった。
やがてその髪を短く刈り上げた男子生徒は目を細め、その視線をその体育館の中央、そこに背中合わせで構えを取りながら立ち尽くす一団へと向けた。
「これだけやってまだ立っているとは、さすがだな。ただの能無しの集まりかと思っていたが、力だけは一丁前に持っているようだな」
「うるせえな」
そしてステージの上でそう余裕を見せた短髪の男子生徒に対し、中央で固まっていた一団の一人が声を荒げた。彼の制服には至る所に誰の物ともつかぬ返り血がべったりと付き、その返り血は彼の特長の一つである金髪にもかかっていた。手にしていた両刃の長剣も赤黒い色で塗装され、そしてそれを持つこの青年は肩で息をするほどに疲れ切っていた。
「はあ……はあ……」
青年ーー益田浩一は満足に声も出せない状態にあった。先ほどの台詞にしたって腹に渾身の力を込めて息と一緒に吐き出したような物であり、全くの虚勢であった。本当ならば今ここで座り込みたい気分であったのだが、「まだ敵が残っている」という一心が彼の精神を奮い立たせていた。
「どうした? 随分と疲れているようだな」
そんな浩一の憔悴し、だがなおも意地で立ち続けようとする姿を見て、ステージ上の刈り上げの男が薄ら笑いを浮かべて言った。浩一は咄嗟にその方を睨み返したが、刈り上げの男はそれを無視してそこの一団に属する他の面々に視線を移す。
その全員が一斉に男を睨みつけていた。
「残りはあなただけですわよ」
十轟院麻里弥が手にした日本刀を振り下ろし、刀身に付着した血を落としながらぞっとするほど低い声で告げる。
「まったくふざけた事をする」
クマの着ぐるみを着ていた進藤冬美が日頃作っていた自分のキャラクターを無視してドスの利いた声で言った。
「最悪です。血を飲む気にもなりません」
保健医兼吸血鬼のカミューラが目を閉じべったりと血の付いた手で首筋を押さえながら沈痛な声を漏らす。
「なんの関係も無い人間を巻き込んで……」
そして無手のままの新城亮が、腹の底からせり上がってくるマグマのように煮えたぎった怒りを噛み殺すように唸りながらステージ上の男を睨みつける。
「こうまでして俺達を消したいのか」
「ええ、もちろんですとも」
亮からの問いかけに、刈り上げの男がわざとらしく大げさに答える。
「あなた達はここの平穏を乱した。ここの規律に逆らい、持ち込まなくてもいい外の空気を持ち込んだ。それはとうてい許し難い事だ」
「別にお前らに迷惑はかけてないだろ。何が気に入らないんだよ」
「十分迷惑なんだよ。学園の平穏を乱すことは、つまり我々の心の平穏を乱すことにも繋がる。君達の存在そのものが邪魔なんだよ」
言い返した浩一に向けて男が高圧的に答える。今度はそれを聞いたカミューラが男に言った。
「その邪魔な存在を片づけるためなら、何をしてもいいと?」
「そうです。全ては平和と安定のためです」
「何も知らない他の生徒達を巻き込んでもいいと?」
「生徒会の決定です。生徒会の命令は絶対なのです」
「さすが、副会長様は心意気が違う」
断言する勢いで放たれた男の言葉を聞いた冬美が皮肉混じりに返す。その声には明らかな怒りの色が含まれており、それを聞いた副会長と呼ばれた男は一瞬たじろいだが、すぐに体勢を元に戻して大仰に言った。
「そうだ。俺は生徒会副会長の牧原忍だ! ここでお前達を消すのは、全て生徒会のため、そして学園のためなのだ!」
「これは生徒会のため、そして学園の平穏のためでもあるのです」
朝倉若葉を伴って橘潤平が生徒会室に現れたとき、既にそこには生徒会役員と執行委員の全員が顔を揃えていた。林大和はいなかった。
そして最後に現れた二人が席に着くのを見た後、招集をかけた張本人である牧原忍は淡々と、しかし力強い声で集まった面々に今日ここに呼んだ理由と自分の考えを訴えた。
二年D組の排斥。一言で言ってしまえば、これが彼の訴えたい事だった。もっともこれは以前から何度か話題に上がっていた事であり、そして話題になる度にに具体的な方策も見つからないままお流れとなっていた。
だが今回は違った。何かと思ったらまたこの話かと半分うんざりする面々に対し、忍は具体的なプランを提示して見せた。
それを聞き終えた後、彼らは目の色を変えた。賞賛していたのではない。本当にそんな事をやるのか、と驚き戦慄する者が殆どだった。
「勝ち目はあるのか?」
だが橘潤平は一人顔色も変えず、平然と忍に問いかける。問われた忍は自信満々と言ったように頷き、彼の目を見ながら言った。
「もちろんです。既に準備もできています」
「今日か?」
「そうです」
「……」
潤平は考え込んだ。彼としてはあの不良連中をなんとかしたいと常々考えており、そして今日忍が提示したプランは今までに出された物よりも非常に確実性が高く、魅力的であった。
「でもそれ、本当にやるんですか?」
その時、席の一角から声が挙がった。生徒会会計の松田十和子である。目元を前髪で隠し後ろ髪を三つ編みにして束ねた彼女は、弱気ながらもはっきりした声で苦言を呈した。
「確かにそれは効果的だとは思います。でも、そのために他の人を利用するだなんて」
「これは全て学園のためだ。目的を果たすための一時の犠牲にすぎない。一生操ろうという訳ではない」
だが忍がそれに対してそう断言する。
「奴らの増長ぶりは目に余るところまで来ている。もはや見て見ぬ振りは出来ない。今や教師の中にも奴らの賛同者が生まれている始末だ。早急に手を打たなければ、ここは奴らによって遠からず腐り果ててしまうだろう」
それから忍は潤平の方を向き、彼に真剣な眼差しを向けて言った。
「たとえ完全に成功しなくとも、これだけやれば牽制にはなるはずです。どうかやらせてください」
必死の形相で見つめてくる忍を、潤平は腕を組んだままじっと見返していた。周りの面々も一斉に潤平に目を向け注目する。と、そのうち潤平は腕を解いて両手を膝上に置き、それから忍に向かって短く言った。
「許可する」
硬直していた空気がゆっくりと流れ始めた。もう後戻りは出来なかった。殆どのメンバーが不安な面持ちを浮かべる中、忍だけは自信満々とも言うべき不適な表情を浮かべて答えた。
「了解しました」
生徒会の許可をもらった忍は意気揚々と作戦を
実行に移した。もっとも、忍はたとえ許可が降りなかったとしても作戦を実行するつもりであり、ここで潤平に確認を取ったのはあくまで「物のついで」のようなものであった。
忍の執った作戦は非常に簡単なものであった。まず生徒会名義で「全校集会を開く」と伝えて全校生徒と教師を体育館に集め、そこで全員が詰まったところで忍本人がスピーチを行うように見せかけてステージ中央に立つ。執行委員と生徒会役員は最後のだめ押しと言うことで体育館外で待機させた。
その後忍は両掌を見せつけるように両手を前に掲げ、そこから二年D組以外の全員に向けて洗脳光線を発射した。これはかつて朝倉若葉が見せた物と同様の、生徒会及び執行委員に入る事を許された者が手に入れることの出来る異能力である。
何も知らない教師と生徒は驚く暇もなく一瞬で忍の下僕となった。そして難を逃れたD組の生徒達は忍の両手からいきなり放たれた虹色の光を見て驚いたが、それ以上に光が消えると同時にゆっくりと自分達の方を向き、それから両手を上げていきなり全方位から自分たちに襲いかかってきた生徒達の姿に驚愕した。
「な、なんだ!?」
最初の襲撃で、D組の生徒の三分の一が打ち倒された。それに反応することも出来ずに何十人もの生徒による殴打や蹴りを一斉に食らい、あっけなくその場に崩れ落ちた。
「はあっ!」
十轟院麻里弥や進藤冬美など、すぐさまその状況に対応し迎撃を行っていく者もいたが、敵の数は圧倒的だった。肉と肉のぶつかりあう音が響き、血飛沫が飛び散り、その中で一人、また一人と倒されていき、最終的にはそこには前に述べた五人だけが立っていた。富士満は生徒の一人をかばってそのまま打ち伏せられ、雁田勉吉と芹沢優は抵抗むなしく倒された。満については昨日の戦いにおけるダメージがまだ体に残っていたのが影響しており、また満に守られた生徒も彼女の後を追うように倒された。
なおこの時、浩一のパートナーである妖精のソレアリィは、何も知らずに浩一の家でネット将棋をしていた。浩一には彼女を呼び出す余裕すらなかった。
「そんな、満様!」
「気遣うのは後だ!」
「くそ、こいつら気でも狂ったのか!」
この時新城亮と彼に迎合する教師達も他の教師からの襲撃を受けた。ターゲットにされた亮とカミューラはすぐさま合流して次々襲いかかる面々を協力して打ち倒していき、彼の妻であるエコーとその部下三人は「準備をしてくる」と言って壁に穴をあけて何処かへと去っていった。
「準備ってなにを!?」
「後でわかりますよ! 今は数を減らしましょう!」
その後もD組とその協力者達は奮闘を見せ、襲撃者達の数は次第に減っていった。それから身動きのとれる余裕が出来るや否や亮とカミューラは遠くで戦っていた生き残りの生徒達の元へ急ぎ、そこで残りの面々と合流して残敵の排除に当たった。
そして今に至る。
「しかし、ここまで生き残るとは少し意外だったよ」
最終的に生き残った五人を見下ろしながら忍がうそぶく。自分がこの世界で最も偉い存在であるかのような尊大な口振りだった。
「が、これで終わりだと思ってもらっては困る」
それから忍は一歩前に出て、ステージ端の縁の上に足を載せながら指を鳴らした。直後、ここの唯一の出入り口である鉄製のドアが重々しい音を立てて左右に割り開かれ、そこから外に待機していた残りの生徒会と執行委員の面々が姿を現した。
「おいおい」
「マジかよ」
それを見た亮が呆れたように呟き、続けて浩一が呆然と言葉をはく。ここも本来ならば忍が直接洗脳光線を放って彼らの内の何人かを下僕とし同士討ちを誘うつもりであったのだが、潤平の許可がもらえた所でついでとしてだめ押し役を頼んでおいたのであった。
「お前達がこれまで何をしてきたのか、徹底的に体にたたき込んでおく必要がある」
背中の腰辺りから肉厚のナイフを引き抜き、それを顔の前でちらつかせながら忍が言った。その顔はサディスティックな喜びに満ちており、出入り口から現れてきた面々も皆一様に薄暗い笑みを浮かべていた。
彼らの体は活力に満ちていた。心身共に無傷であり、万全の状態で狩りに望むことができた。対する獲物の方はそれまで曝されてきた数の暴力によって力を殆ど使い果たしており、立つのがやっとという有様であった。
「用意周到ですわね」
「安心しろ。殺しはしない」
苦々しく言い放つ麻里弥に向けて、ステージから飛び降りながら忍がにやけ面で言い放つ。
「少し痛い目を見て、反省してもらうだけだ」
己の勝利を確信した、醜くも会心の笑みであった。
その次の瞬間だった。
エコー達によって穴が空いていた所の壁が盛大に外から崩され、そこから体育館の天井にまで届く大きさを持った一つの物体が土埃と共にその中に出現したのだった。