「一触即発」
生徒会会計を務める月光学園一年生の林大和は、誰よりもこの学園の、もとい生徒会の規律に対して誰よりも忠実な男であった。連綿と受け継がれる学園の掟を厳守し、そして生徒会長より下された命令を疑問一つ抱かずに黙々と遂行していく、己の職務に関しては感情を差し挟まない機械のような男であった。
実際、彼は常日頃から感情のない男と呼ばれていた。彼は細長い眉に刀のように鋭く研ぎ澄まされた切れ長の瞳、長い鼻に薄い唇と、とかく見る者すべてに冷たい印象を与える顔つきをしていた。おまけに口数も少なく、表情筋が丸ごと凍りついているんじゃないかと言われるくらい感情を表に出さないので、彼を知る者の一部からは「まるで生気を感じない」、「死体が歩いているみたいだ」と恐れられてすらいた。
だが当の大和は、そんな周囲の評判をまったく気にしなかった。たとえクラスメイトが親切心から「もう少し笑った方がいい」と指摘してきたとしても、彼はそれを無視した。彼にとって最も優先すべきは自分の愛想を良くする事ではなく、この学園内における反乱分子を排除し、学園の、ひいては生徒会の平穏を保つことであった。
「……」
そして今、彼はそんな自らの拠り所である生徒会の平穏を現在進行形で乱す最大の敵と相対していた。
二年D組。彼はその教室の前に無言で立っていた。
「……」
以前からここの連中は、何かにつけては生徒会や学園そのものに反発してきていた。だがここはこの学園の意向に背く「不届き者」を一様に押し込めて出来た、いわば「反乱分子の巣」であったので、そこに在籍する連中が一致団結してそのような態度を取ってくることは十分予想出来ていた事であった。予想できていたがために、生徒会も執行委員もこれまでは大がかりな制裁を加える事もせずに傍観を続けていた。一クラスだけで学園全てをひっくり返せる事は出来ない。そう考えていた。
だが今になって状況が変わった。発端になったのは新城亮とかいう新しく赴任してきた教師だ。彼は元々D組を監視するためにここにやって来たのであったが、彼は着任したその日にD組の反骨心に迎合し、一転して「こちら側」の敵となった。さらにはその新城亮の登場に息を合わせたかのように月からはD組の連中と同じく無用な気骨を持った転校生が、さらにその外宇宙からは自ら新城亮と友人以上の関係であると自慢する新任女教師が、自分の部下二人を引き連れて次々とこの学園にやってきた。当然その三人組もD組と意気投合した仲だ。
本来ならばそれらの学園を乱す存在は事前に排除しておくのが好ましかった。だが彼女らの転入劇の背後には、この学園創立に深く関わった月の帝国の女王の姿があった。その力は経済的にも物理的にも桁違いで、現校長でさえそれには頭が上がらなかった。もし下手な事をして女王の不興を買えば、教師陣の首は一瞬で吹き飛ぶだろう。二つの意味で。
地球側と協力して月光学園の創立に携わりながらこれまで静観を決め込んでいた月側が今になって活発に動き始めた正確な理由はまだわからなかった。だがそれによって生徒会の行動が大きく制限され、それと反比例するようにD組の生徒達が幅を利かせ始めてきたのは事実だ。このような非常にまずい事態になってしまったのも、元はと言えばあの新城亮とかいう新任教師のせいだ。奴がここに来たおかげで、今まで動かなかった、むしろ動かない方がよかった歯車が次々と動きだし、彼らを取り巻く環境は大きく変わろうとしていた。
それは決して許される事ではなかった。
「処分が決定された」
大和がその命を受けたのは、その日の夕方であった。窓から夕日の射し込む生徒会室で、大和はその橙色の光を正面から受けながらその場に立っていた。
「目標は二年D組教師の新城亮。奴に制裁を下し、それを見せしめとして今現在のさばっている不穏分子を黙らせる」
それは生徒会の総意であった。実際に命を飛ばしたのは夕日を背にして長机の前に座っていた副会長の牧原忍であったが、それが「生徒会副会長」からの物ではなく「生徒会」からの命令であると理解していた大和は二つ返事でそれを引き受けた。
「奴に襲撃をかけるのはこれで三度目となる。今度こそは確実に仕留めろ。この学園では何が絶対の存在であるのか、はっきりと知らしめるのだ」
「はい」
深々と腰を曲げて大和が答える。忍は一つ頷き、それから言葉少なに言った。
「行け」
大和は何も言わずに再び腰を曲げる。その後大和は無言で忍に背を向け、夕日を背に受けながら生徒会室から出て行った。そしてそれから数時間後、彼は何の躊躇いも無しに二年D組を爆破した。
「無事か?」
爆発の衝撃で激しくひしゃげながらも辛うじて原型を留めていた教卓の中から、亮が何度か咳き込みながら外へと這いだす。そして手に持っていたパチンコ球ほどのサイズをしたシールド発生装置のスイッチを切り、そう声をかけながら教室の中の方へ目をやると、そこに広がる光景はかつてあったそれとは一変していた。
床や天井は丸ごと真っ黒に焼け焦げ、そこにかつてあった机や椅子も同様に一つ残らず炭化し、至る所に無秩序に放り出されていた。その内のいくつかは窓ガラスをぶち破って外に飛び出し、窓ガラスの枠の部分はドロドロに溶けていた。
「ひどいな……」
その変貌ぶりに思わず亮が顔をしかめていると、その教室の一部分から彼を呼ぶ声が聞こえてきた。
「先公、大丈夫か?」
その声のする方へ亮が目を向けると、そこには一つ所に固まったアラタと勉吉とアスカの姿があった。彼らはアラタを前衛とするように固まり、そして彼らのいた地点とその周囲の床は謎の爆発が起こる前と同様に白く綺麗なままであった。
「こっちはなんとか。お前達も無事か?」
「おうよ。この程度、屁でもねえって」
亮からの問いかけにアラタが笑って返す。その後、周りに比べて真っ白なままのアラタの足下を見ながら亮が言った。
「何をしたんだ?」
「ああ、これか?」
亮の視線に気づいたアラタが自分の足下を見て、そして笑みを浮かべ自分の喉を親指で指しながら答える。
「これだよ」
「これ?」
「叫んだんだ」
「それだけか」
亮はアラタが何をしたのかをすぐに察した。アラタの後ろに控えていた勉吉が亮に代わってアラタのしたことを言葉にして説明した。
「大声で叫んで、それが衝撃波になって飛んできた物を吹き飛ばしたんですね?」
「まあそんな感じだ」
「凄まじい肺活量デスね」
勉吉の解説を聞いたアラタが自慢げに頷き、アスカが感心した声を出す。それから亮はアラタ達の元に向かい、合流した所で亮が言った。
「さて、これは誰がやったと思う?」
「そんな難しい話じゃねえだろ」
「執行委員ですかね」
「シッコー? 何ソレ?」
合点のいったように頷きあう三人の横で、アスカ一人がきょとんとした顔を見せる。それを見た亮は「さてどう説明したものか」としばし逡巡した後、結局ありのままを隠さず、かつ簡潔に説明した。
「ああ、そう」
説明を聞いたアスカはげんなりとした表情を見せたまま肩を落とした。もうテンションを保つことも放棄していた。それを見た三人は揃って苦笑したが、半開きになったドアから不意に放り込まれた物を見てその顔色を一変させた。
「なんだあれ」
上部に表面に縦横の刻みが施された、縦に間延びした球体。
まるでパイナップルのような。
「手榴弾!」
亮が叫ぶ。直後、アラタは迷いなく勉吉とアスカの手を取り、一直線に枠だけが残った窓へと走っていく。
「わっ、わっ!」
いきなり腕を引っ張られた勉吉が叫ぶがお構いなしだった。そのアラタに続くようにして亮も窓へと走り、やがて亮とアラタは窓の縁を蹴って一気に校外へ飛び出した。
四人が飛び出したその瞬間、教室に放り込まれた手榴弾が爆発した。それは時間が来ると共に内側から一気に膨れあがり、表面の殻を吹き飛ばして内部に詰め込まれていた爆炎と黒煙と烈風を盛大に吐き出した。
「捕まってろ!」
空中に身を投げた状態でアラタが叫ぶ。そしてパニックになって何かを叫ぶ勉吉とアスカをまとめて胸元に引き寄せ、意識を自身の奥深くへと沈めていく。
アラタの全身に赤いヒビが走る。その直後、アラタの体の中から光があふれ出して胸元の二人ごとその全身を飲み込みながら肥大化していき、一瞬後にそこには隣にいる亮の何倍もの大きさを持った白い巨大ウサギが出現していた。
「先公!」
赤い瞳をそちらに向けながらウサギが叫ぶ。亮は何もいわずにウサギの腕にしがみつき、それを確認したウサギはそのまま落下、両足を曲げて衝撃をしっかり殺しながら地面に降り立った。
「わぷっ!」
着地地点は正面中庭だった。中庭と言っても庭園とかがあるわけではなく、ただ正門と校舎をつなぐだだっ広い空間が広がっているだけだった。そしてそこに着地したウサギの腕の中に埋もれていた勉吉が苦しげにうめく。それからアスカと揃って腕の中から辛うじて上体を引きずり出し、真上にあるウサギの顔を見上げながら言った。
「い、今のは? なんなの!?」
「歓迎だろ? 生徒会か執行委員かどっちかわからねーが」
「ここではこんな事も起きてるんデスか?」
「いつもって程じゃないがな」
勉吉のうろたえ声にアラタが返し、アスカの問いかけには亮が答える。だがそんなやり取りの直後、彼らの背後で何かが落下したような重い音が轟いた。
「ああ?」
不審に思ったアラタが背後を振り返る。そこにはまるで達磨に細長い手足をくっつけたような、見るからにずんぐりむっくりな黒一色のロボットが立っていた。頭のような物は無く、本当に達磨に手足がくっついただけであった。
「消す」
そのロボットの中から声が響いてきた。およそ感情のこもっていない、陰気な声だった。
「消す」
「それ以外言えねえのか」
同じ言葉を繰り返すロボットを睨みつけながらアラタが吠える。だがロボットはそれに答えず、ただ淡々と以前と同じ言葉を繰り返すだけだった。
「消す。消す。消す」
「やってみろよオラァ!」
そしてそれに長々とつき合えるほど、今のアラタに余裕は無かった。全身でロボットに向き直り居丈高に声を放つ。
「消す」
ロボットは動じない。だがそれに答える代わりに両手を持ち上げ、片足を一歩前に踏み出して戦闘態勢を整える。
「消す」
「上等だ!」
アラタが三度吠え、口を大きく開けて威嚇する。
既に空を覆う闇は濃く深くなっていた。その夜闇を眩しく照らす程に、ことここに至って二体の巨人は静かに火花を散らしていた。