「異邦人」
町の中身が変わってから一ヶ月が経った。だが町はそれ以前の日常に戻ることはなかった。
蚩尤は町の地下、正確に言えば月光学園地下にあるシェルターに中央府を置き、そこに自選した部下数人と共に住み込んで、そこから地上に向けて指示を飛ばしていた。ちなみに蚩尤が地下に潜ったのは単純に自分の住む新しい建物を作れるだけの土地がどこにも無かったからである。だが学園の関係者達は暫くの間生きた心地がしなかった。
そしてこの謎の存在が町一つを統括することになったという話は、当然ながら日本全国にも広まった。さらにそれだけに留まらず、インターネットを通して全世界にまで波及していった。「蚩尤」だの「監視」だのと言った単語がインターネットでの検索ワードランキングの上位に食い込むほどの盛り上がりを見せるのに、さして時間はかからなかった。
当然ながら世界中のメディアがその町に注目し、日本のマスコミもこれに食いついた。だが蚩尤はそれらから持ちかけられてきた全ての取材を拒否した。まだ改革すべき部分は残っており、そんな物に構っていられるほど暇では無かったからだ。マスコミと同様に興味本位でここを訪れる観光客も増えたが、大抵はほかの町と比べてこれと言って代わり映えのしない町並みや生活風景を見て、落胆しながら帰って行くだけだった。ちなみに蚩尤会いたさに強引に中央府に突撃した一部のマスコミや観光客は一人残らず抹殺され、酸で服も体も欠片一つ残さずに消滅させられた。そういった処理の実情は、この時はまだ町の外には漏れ出たりはしなかった。
アメリカから月光学園に留学生がやってくる事になったのは、この町が一つのムーブメントと化していたまさにその時であった。
「いいですな、くれぐれも粗相の無いように」
朝の職員会議の席で、小太り体型の教頭は額の汗を拭きながら集まった教師達を前に険しい表情で言った。ちなみにこの教師陣の中に、亮と彼に近しい教師はいなかった。彼らには今日会議があることすら知らされていなかった。
「何度も言いますが、今日この学園に留学生が来ることになっています。この学園に勤める一人の教師として、恥ずかしくない態度で接していただけるようお願いします」
そういって教頭が再び頭を下げる。この学園の最高権力者は校長であるが、こうして教師や生徒に対して実際に指示を出すのは教頭の仕事だった。実際には何人か足りなかったが、教頭も他の教師もその事に触れようとはしなかった。今現在この町が変わってしまった原因があのクラスにあることを知っていたからであり、彼らはそれを非常に疎ましく思っていたからだった。
「ところで、その子がD組の生徒と接触した場合はどうします?」
そのうち、教師の一人がその二年D組の存在を話題にあげた。その直後、場の空気に音を立ててヒビが入り、彼以外の教師全員がそろって渋い顔をした。
「それは、困る」
別の教師が苦々しく呟く。他の教師もそれに同意するように次々頷き、もう一人の教師が他の綿々と同じように頷きながら言った。
「留学生があそこの野蛮な連中と接触してしまっては、確実に我が校の品位を疑われてしまう。最悪、こちらの印象を誤解して抱いたまま故郷に帰ってしまい、そこでその間違えて覚えた印象を広めていってしまうかもしれん」
「それは駄目だ」
「ああ、そんな事になっては我が校の名折れだ。絶対にあってはならない事だ」
教師達の中から難色を示す声が次々とあがっていく。その様子を見た教頭は半分予想通りなその展開を見て内心ほくそ笑みながら、しかし表向きは冷静さを保ちつつ教師陣に向けて言った。
「まあまあ、そう興奮しないで。まずは落ち着いて考えましょう」
その声を聞いた面々が、波が引くように大人しくなって教頭の方を見る。教頭はまるまる太った顔の上にニンマリと笑みを浮かべ、その表情のまま教師陣に向かって言った。
「ようはその子が間違った知識を覚える前に、こちらから接触していけばいいだけの話じゃないですか。その子は今日、校門から来るんでしたよね?」
「はい。もう向かっているかと思います」
「よろしい。ならここは私が校門の前に立って、その子を直接迎え入れましょう。それから職員室に連れて行って、そこで学園の説明をするついでに警告もしておくとしましょう。D組がどれだけ素行不良で悪どい場所なのかをね」
そこまで言って教頭が目を細め、底意地の悪い笑みを浮かべる。周囲の教師たちもその教頭のプランを聞いて、一様にその顔を愉悦に歪める。
D組を除け者に出来る絶好のチャンス。この機を逃すわけにはいかない。
「では、そのように」
周りの教師の反応を見た教頭がニヤついたまま両目を光らせる。この時教頭は既に己の策の成功を確信していた。
「Oh! ユーの通っている所はそんな事になっているのデースか!?」
同じ頃、二年D組に在籍する雁田勉吉は一人の少女と通学路を歩いていた。その少女は腰まで届く金色の髪をなびかせ、眉は細く、目は細長く瞳は水色、鼻はやや高く唇は薄く引き締まった、どこか大人びた印象を持つ顔立ちをしていた。体つきもモデルのように引き締まり背は勉吉よりもずっと高く、誰が一目見ても「外国人」とわかる見た目をしていた。
だが大人びた外見とは裏腹にその性格はとても明るく、表情もコロコロ変わり、太陽のように元気溌剌としていた。外で動き回るより家の中で読書している方が好きな勉吉にとっては眩しすぎるほどであった。
「これはつまり、ワタシは今から鎖国状態のニッポンに赴くブラックシップ、サー・ペリーと同じ立場にいるいう事なのデスね? ううう、プレッシャー激しいデス……」
そしてその少女は勉吉の通っている学園の制服を着ていたが、勉吉はこの女生徒を見るのは初めてだった。月光学園は世界中からエリートを集めていると謳ってはいるが、実際に在籍しているのはその殆どが日本人だからだ。理由は簡単、前校長が時代錯誤も甚だしいほどの外国人嫌いで、どこにも負けない「強い日本」を目指すために生徒と教師の大半を日本人で固めてしまったのだ。
「hmm……ワタシ、そんな所でこれからお世話になるのデスね? うまくやっていけるでしょうカ……」
そんな「日本人しか着ない」はずの制服を身につけた異国の少女は、勉吉が通学路を行く最中にその目の前に突然姿を現し、「道に迷ったので学園まで一緒に言ってほしい」と頼み込んできたのだ。そして勉吉が口を挟むよりも前に、その少女は彼に対して月光学園について矢継ぎ早に質問をぶつけてきた。勉吉は流されるままにその質問に「正直に」答え続け、そして今に至るという訳である。
奥手な勉吉はまだ相手の名前も聞いていなかった。
「あ、あの!」
そしてついに、意を決して勉吉が少女に問いかけた。突然声を掛けられた少女は独り言を中断し、隣の少年を見ながら穏やかな表情で尋ねた。
「ハイ、なんでしょう?」
「あ、あの、そういえばまだ、自己紹介とかまだ、でしたよね……?」
「ああ……ああ! ソーリー、ソーリー! 月光学園の生徒に会えて安心して、すっかり忘れてマーシタ! いやー、本当ソーリーネ!」
「い、いえ、そんな謝らなくてもいいですよ……」
「それじゃあ、まずはワタシから自己紹介シマース!」
控えめな勉吉の言葉を無視して、少女が勉吉の行く手を遮るようにその前に立って元気な声で言った。
「ワタシ、アスカ・フリードリヒ、イイマス! アメリカ合衆国から留学生としてやって来まシタ! ヨロシクデース!」
「あ、アメリカ? 留学生?」
「そうデース!」
アスカがそう元気満々に答えながら戸惑う勉吉の両手を自分の両手で包むように握り、そのまま両腕を力任せに上下に振り回す。
「ユー、こっちで出来たワタシの初めてのトモダチ! これからヨロシクネー!」
「は、はあ、どうも……」
勉吉はこれからこのテンションについていけるのか、不安で仕方なかった。