「怪物と怪物」
獣使いとして認められるためには、事前に二つの能力を修得することが求められる。すなわち使役と融合である。
使役とはその名の通り、人間とは全く違う異形の存在を手懐け、己の手足として使う能力である。これは獣使いとして必須と言ってもいい物であり、そしてまたその獣使いの自力が大きく問われる物でもある。
なぜなら俗に言われている「怪物」を封印する時には特別な道具の力を借りて行うのだが、封印した怪物を下僕として扱うためにはそんな道具の助けを借りることなく、己の力と知恵と度胸、そして何よりも運と情熱を武器に身一つで交渉を持ちかけなければならないからだ。怪物を封印すること自体も非常に高度な技術を要するものであるが、気難しく気まぐれな異形の怪物達と渡り合い使役するためには、そんな小手先の技術だけでは通用しないのだ。
もしそういった獣使いとしての「センス」のない者が自分の封印した怪物を使役しようと封印を解いて表に出したならば、その者はその怪物に真っ先に喰い殺されるか、逆にその怪物の下僕として一方的に契約を結ばされてしまうだろう。怪物との交渉にセーフティネットは存在せず、失敗すれば死か、あるいはそれよりも重い代償を支払わなければならないのだ。
そして例え「使役」に成功したとしても、こちらが少しでも力の衰えを見せたり不義理を働いたりして相手の不興を買ったりすれば、即座に下僕の方から一方的に契約関係を切られたりもしてしまう。酷いときには「退屈だから」「つまらない」などと言った理不尽な理由、挙げ句の果てには軽いきまぐれで主従を解消されることもある。その時も封印状態は維持されたままではあるが、契約解消の際にこちらが隙を見せれば怪物達はすぐさま襲いかかり、そして彼らは元主の血と引き替えに完全な自由を手に入れるだろう。
そしてもう一つの能力である「融合」とは、これもまた読んで字の如く、自分が封印した怪物と己自身を一つに合体させることである。こちらは「使役」と違って口八丁手八丁で相手と交渉する必要はなく、自らの体内に取り込んだ怪物の精神を相手よりも強大な精神力でねじ伏せることさえ出来れば、その相手を黙らせた上で力だけを奪い自由に行使することが可能となる。その際獣使いの姿そのものが変質することもあるが、本人は自我をしっかりと保っているのでなんの問題もない。件の「使役」に比べればずっとシンプルなやり方である。
逆に怪物を押さえつけるのに失敗した場合、その者は体内に取り込んだ怪物に逆に肉体を乗っ取られ、それ以降はその肉体はそれ自体が滅びるまで体内にある怪物のいいように使われてしまうだろう。なお、このとき元の獣使いの精神は完全に消滅してしまっており、その肉体の中にあるのは怪物の精神だけである。
このようにどちらもハイリスクハイリターンであり、能力を行使するにはそれ相応の覚悟を要求される。わずかな油断が即死につながるため、獣使い達も必要に迫られた時以外で滅多にその力を使うことは無いほどである。使えば使うほど自滅の可能性が増えていく物を非常時以外に喜んで使うような物好きはまずいなかった。
だが芹沢優はそんな物好きの一人だった。その使役と融合を日常的に使い、リスクなどものともせずに日常を送っていた。だがこれは別に、彼女が自分の力量やセンスに絶対の自信を持っていたからではなかった。
自分の命を枯れ葉よりも安く考えていたからだ。
牛の角と筋肉質な太い腕、そして鷲のそれのように鋭い足の爪を備えたかつて芹沢優であった巨大かつ異形の怪物は、鬼の形相を浮かべて自分と同じ背丈を持つ蚩尤と相対するとそれを威嚇するように甲高い叫び声をあげた。
「うわっ!」
それをすぐ近くで聞いた亮達は、そのあまりの音量の前に咄嗟に耳を塞いだ。ここより離れた所で待機していた刑事たちも同様に両耳を塞いで苦悶の表情を浮かべていたが、その中にあってジャヒーだけは耳を塞ぐこともせず、その場に平然と立ちながら異形と化した優の姿を見つめていた。
「融合したのね」
「なんだって?」
叫び終えたかつて優だったモノが口を閉じていくのを見て耳を塞ぐのをやめた亮が、そのジャヒーの呟きを耳聡く聞きつけて彼女に尋ねた。それを聞いたジャヒーは亮の方を向き、そして担任にならって次々耳栓を止めていく生徒達の方も見ながら口を開いた。
「融合したのよ。自分のしもべとね」
「融合したって、芹沢が?」
「そうよ」
「どういう意味だよ」
亮よりも先に生徒の一人が尋ねる。その質問してきた生徒の方を見ながらジャヒーが言った。
「言葉通りよ。優は自分が封印した怪物と一体化したの。あそこにいるのはそうして誕生した、優の心と怪物の力を持った全く新しい存在」
「新しい?」
「そうよ。確か優はあのときフンババって言ってたから、融合したのもそのフンババっていう名前の怪物でしょうね。心の方はまだ優のほうみたいだけど」
「あれの中身は芹沢さんだって言うんですか?」
「そうよ」
「優ちゃん、まだ無事なんですよね?」
「今の所はね」
それから矢継ぎ早に投げかけられてくる生徒達の質問にジャヒーは一つ一つ簡潔に答えていき、あらかた答え終わった後でジャヒーは生徒達の方を見ながら落ち着き払った声で言った。
「まあ見てなさい。ああなった優は強いから」
ジャヒーが自慢げにそう言った瞬間、優とフンババが合体したその怪物は激しく地面を蹴り上げ、一目散に蚩尤の元へと向かっていった。
「ガアアアッ!」
そして雄叫びをあげると共に筋肉の鎧をまとった右腕を後ろに引き絞り、その後蚩尤が反応するよりも速く右手を突き出してその腹をぶち抜いた。
「決まったーッ! 一撃!」
上空から観戦していた実況役の豚ことラ・ムーが叫ぶ。その下では優の攻撃の一部始終を目の当たりにした亮達がそろって顔を驚愕に青ざめ、ジャヒーはただ一人澄まし顔でその光景を見つめていた。
「いい加減にしろ」
そして当の優もといフンババは相手の腹を自分の手で貫いたまま、顔を近づけて恐ろしく低い声で囁いた。
「お前の主は私だ。これ以上反抗するな」
「フン」
だがその脅しを聞いた蚩尤は怯むどころか鼻で笑い返し、相手の目をじっと見つめて言った。
「貴様ノ指図ハ受ケン」
そしてそう言い終えると同時に蚩尤は片足をフンババの腹に押し当ててから蹴り飛ばし、互いの距離を離すと共に腹に刺さった腕を強引に引き抜いた。蹴られたフンババは後ろ向きのまま地面を滑り、瓦礫の山と化した校舎跡地に激突してそれを粉々に吹き飛ばし、その直後に後退を止めて腹を血に濡れてない方の手で抱えながらその場に片膝をついた。
ちなみにこの時、地面を滑るフンババによって蹴散らされた瓦礫のいくつかは間近にいた亮達の所へも降り注いでいったのだが、それらは全てジャヒーの張った見えない障壁に阻まれて彼らを襲うことは無かった。
「よくも……!」
一方で片膝立ちで静止したフンババはその姿勢のまま、苦悶の表情を浮かべながら蚩尤の方を睨みつけた。その視線の先で、仁王立ちになった蚩尤の腹があり得ない速さで再生していく。そして完全に傷が塞がった後、蚩尤はフンババを見下ろし自慢するように鼻で笑った。
「我ハ不死身。コノ程度デ止メラレルトデモ思ッタノカ」
「相変わらずめんどくさい奴ね」
「あーっと! ダメージが一瞬で回復していく! これはキツい!」
再生能力を目の当たりにしたフンババが恨めしげに言葉を吐き捨てる一方、その上空ではそれを見たラ・ムーが意気揚々と声を上げた。だがその声はもちろん地上には届かず、その代わり蚩尤がフンババに向かって言葉を放った。
「今度ハコチラノ番ダ。簡単ニ潰レテクレルナヨ?」
「御託はいいから、さっさと来なさい」
「フフン」
フンババの挑発を受けた蚩尤が不敵に笑い、両足を開いてから頭頂部を相手に突き出すように体を折り曲げる。そして蚩尤がその体勢を取った直後、彼の頭から生えていた一対の角が悶え狂ったように複雑にねじれながら伸びていき、やがてその角はねじれながらも先端がまっすぐフンババの方を向いた二本一対の槍と化した。
「串刺シニシテヤル!」
「おおっと! これは鋭い! 刺さればひとたまりもないぞ!」
その槍の如き角を見たラ・ムーが叫び、それに呼応するかのように蚩尤が猛然とフンババ目掛けて走り出す。だがそれを見たフンババは両足を肩幅に開き、そこから動こうとせずに正面からそれを待ち構えた。
両者が激突するのに一秒かからなかった。インパクトの直前、フンババは蚩尤の角を両手で握りしめ、自身の体にそれが突き刺さるのを防ぐと同時に相手の勢いを殺いでいった。
だが猛牛の如き蚩尤の突進をフンババが受け止めた次の瞬間、そこから発生した衝撃波によって周囲に残っていた瓦礫や残骸は根こそぎ吹き飛ばされ、一瞬にして彼らの周りには荒れ放題の大地だけが残る有様となっていた。学園も他の建物と同様に残骸一つ残らず完全消滅し、かつて学園のあった場所には今では大地だけが残っていた。
ジャヒーの障壁によって守られた部分は、周囲と比べてそこだけがお立ち台のように盛り上がっていた。その中に保護されていた面々は目の前の光景を見てただ唖然としていたが、そのうち生徒の一人がぽつりと呟いた。
「やりすぎ……」
「まだ可愛い方よ」
ジャヒーが顔色一つ変えずにさらりと言い返す。その彼女の顔の向く先では、文明の消滅した大地の上でなおも蚩尤とフンババが取っ組み合いをしていた。
「この馬鹿力め」
「貴様ガ言エタコトカ」
互いに顔を近づけ、悪態をぶつけあう。そんな両者の力関係はぶつかった当初は互角であり互いに拮抗していたのだが、そのうちフンババの体が徐々に後ろへとずり下がり始めていった。
「我ニ力デ勝テルツモリカ」
その最中、少しずつ相手を押し始めた蚩尤がフンババを見てほくそ笑む。だがフンババは相手の目をじっと見返し、軽く首を回して余裕綽々に答えた。
「最初から力比べをする気はないから」
「ナンダト?」
「この体勢に持って行くのが目的だったのよ」
「負ケ惜シミヲ」
そう言って苦虫を噛み潰したように不快さを露わにする蚩尤に対し、フンババはそんな蚩尤に見せつけるかのように己の口を大きく開いた。
「ナニヲ」
疑念を感じた蚩尤がそれを口にするよりも前にフンババの口の奥から紫色の煙が吐き出され、それが蚩尤の顔を直撃した。
「なんだあれはーっ!?」
「なにあれ!?」
「毒ガスね」
ラ・ムーとD組の生徒が同時に叫び、ジャヒーが腕を組みながら冷静に解説する。
「フンババの武器の一つよ。普通の生物なら、一息吸い込むだけで死んでしまうほどの強力な毒よ」
「それは通じるのか?」
「あれじゃ蚩尤は殺せないわ。でも動きを鈍らせることは出来る」
亮の問いかけにジャヒーが答える。そしてその言葉通り、彼らの目の前では毒ガスを顔に浴びた蚩尤が大きく雄叫びをあげ、角を掴まれ拘束された状態で苦しげに頭を大きく振り回した。それからフンババが角を離すと同時に蚩尤は自分から後ろへと下がり、今度は苦しげに呻きながら顔にまとわりついている煙を引きはがそうとするかのように全身を振り回し始めた。
「こっちを見ろ!」
その蚩尤に向かってフンババが駆け寄り距離を詰める。蚩尤はその存在に気づいていたが、体を振るのを止めてその方へ顔を向けたときには、既にフンババはその懐に入り込んでいた。
「シイイイッ!」
そして息を吐きつつ、フンババが曲げた膝を伸ばして飛び跳ねるような動きで、蚩尤の顎にアッパーカットをたたき込む。鉄球よりも頑強な拳が顎に突き刺さり、蚩尤の巨体がフンババ諸共宙を舞う。
「クリーンヒット! 強烈な一撃だーッ!」
すかさずラ・ムーが実況をつける。ちなみにこの場面が今回の試合における瞬間最高視聴率をマークした。
「フンッ!」
さらにフンババは一度着地した後、間髪を入れずに再度曲げた膝をバネにして上空に飛び上がり、即座に蚩尤の頭上を取る。そしてその場で左足を伸ばして一回転し、始めに槍のように鋭く伸びた蚩尤の角をその足先から生やした爪で切り落とす。
チャンバラで刀同士が激突したような甲高い金属音が鳴り響き、次の瞬間、蚩尤の角が二本とも切断され地上に落ちていく。しかしそれが落下を始めるよりも速く、フンババはさらに一回転して今度はその爪の狙いを相手の首に定めた。
「キサマァ・・!」
腕のない蚩尤は叫ぶことしかできなかった。そのシユウの首筋めがけて爪が迫る。
「もう終わりよ」
そして白い軌跡が一直線に閃き、蚩尤の首は胴体と別れを告げた。
首が落とされ、それをフンババが掴んで自分の元へと引き寄せる。その瞬間を目の当たりにしたD組の生徒達は一様に喜びを爆発させた。
「やった! 勝った!」
「すごいすごい! ヤッホー!」
「バンザーイ!」
「待って」
だがフンババの勝利を確信し沸き立つ生徒達をジャヒーが言葉少なに諫める。そして肩をいからせた彼女が一団の先頭に立って障壁を展開した直後、首を落とされ力を失った蚩尤がフンババよりも先に地面へと落下していく。
「まだ何かあるのか?」
その剣呑な空気を察した亮がジャヒーに問いかける。生徒達もそれを察して波が引いていくようにお祭り騒ぎを止め、じっとジャヒーの背中を見つめる。
ジャヒーは前を向いたまま頷き、そのままの姿勢で後ろの面々に言った。
「あれで終わりるわけ無いでしょ。たぶん大技を使ってくるはず」
「大技?」
「ええ。体の中にあるエネルギーを一斉に外に解放するの」
「……つまり?」
嫌な予感を覚え脂汗を流しながら亮が尋ねる。ジャヒーが淡々とした声でそれに答えた。
「自爆」
眼前で蚩尤の巨体が地面と衝突する。
刹那、その衝突地点から金色の光が溢れ出し、彼らの視界を一瞬で覆い尽くした。
その日、私立月光学園を中心とした半径五キロのエリアに存在する全ての町が、地図の上から姿を消した。