「幕間」
その日は橘潤平が退院し、学園に再びやってくる事になっていた日であった。彼はかつて地球と月との親善試合の際に月側の選手である宇宙ウサギにコテンパンにのされて重傷を負い、今日まで病院生活を強いられていたのだった。しかしそんな怪我も今ではすっかり完治し、そして五体満足で再び学園にやってきた彼を他の生徒達は万雷の拍手と声援でもって歓迎した。ちなみにそこにD組の生徒達とその担任である新城亮の姿は無かった。前者は単に興味がなく、後者はまだ学園に姿を見せていなかったからだ。
「潤平様ー!」
「キャー! ステキー!」
「潤平様、退院おめでとうございます!」
自分が正門をくぐった瞬間に方々から轟いてきた多くの声を前に、潤平は驚くこともせずに爽やかな笑みを浮かべ片手をあげて答えていく。その仕草を見た面々は男女問わず陶酔した表情を浮かべ、中には喜びのあまりその場に崩れ落ちてしっまう者までいる始末であった。だがその熱狂的な人気は、彼の実力にしっかり裏打ちされたものであった。
彼はこの学園においてトップクラスの頭脳と天才的なロボットの操縦技能を持ち、生徒会会長と執行委員長を兼任するだけの度量と器量も持った、文武両道を地で行く好青年であった。おまけに顔立ちは眉目秀麗、体つきもモデルのように細くしなやかに引き締まった出で立ちというまさに天から二物を与えられた存在であり、学園内には彼のファンクラブまで設立されているほどのカリスマ的人気を誇っていた。
「ああ、潤平様ってば本当に非の打ち所がないわ!」
「ええ、本当! でもそんな潤平様を、あのウサギは……!」
「空気を読まないって最低よね! 潤平様は最強なのに!」
ちなみにそんな爆発的な人気を誇る潤平を一方的に叩きのめした宇宙ウサギ、もといこの学園に転入してきた「富士満」とその第二人格である「アラタ」は、彼女の転入した二年D組の生徒以外の面々からは蛇蝎の如く嫌われていた。もっとも、当の本人はそのことを全く気にしていなかったが。
また彼は現警視総監の一人息子でもあり、そのことを知る者達からは彼は将来キャリアとして警視庁に入り父親の座を引き継ぐとされていた。そのことは学園の教師陣も知っていることであり、潤平本人も将来は父と同じ道を歩もうと考えていた。
そんな潤平に対して、教師達はその接し方に人一倍気を遣っていた。なぜなら事情を知る教師達は彼の背後にいる存在を過剰に恐れていたからであり、また彼が成長して警察の高官となった時、そのおこぼれに少しでも預かろうともくろんでもいたからだ。
「とにかく、彼の機嫌だけは損ねてはならない。橘の父親は相当な親バカだ。下手をすれば我々の首が飛ぶことになるかもしれない。重々気をつけるんだぞ」
豚のように肥え太った教頭は、他の教師に対してことあるごとにそう釘を刺して回っていた。言われた教師は正直「またか」と少なからず辟易していたが、逆らう訳にも行かなかったので話半分に聞き流していた。
そしてそのように打算的思考を巡らせていた者は、彼の父親がトップに君臨する警視庁内にも存在していた。むしろ彼の父をより身近に感じる分、そう考える者は学園よりも多かった。彼らは何とかして潤平を通してその父に取り入り少しでもおいしい思いをしようと考えており、そんな彼らにとって潤平の退院と同時に当の学園で発生した事件はまさに渡りに船であった。
その事件は件の橘潤平が登校してきた、正にその瞬間に起きたものであった。そしてその概要を聞いた者は一人残らずそれを話した人間の正気を疑ってしまうような、おおよそ常識では考えられない物であった。
胴体から切り離された校舎と同じ背丈を持った二本の足が学園の敷地内で暴れ回っていると聞かされて、「ああそうなのか」と冷静に切り返せる人間はそうはいないだろう。
実際、言葉で現場の状況を聞かされた警察の面々は一人残らず「なにバカなことを言っているんだ」と首を傾げた。だが実際に現場である月光学園に行ってそこにある光景を目の当たりにした時、彼らはまずそのバカなことが現実に起きていることを認めざるを得なかった。
「ほ、本当に足が暴れてる……」
「あれ、ちょっと浮いてないか?」
「ていうか、あれとやりあってるのって、あのウサギか?」
そのうち現場にやってきた刑事の一人が、樹齢数百年の大木と同じ太さを持つ二本の足を相手取って大立ち回りを演じているウサギを見つけて声をあげた。それを聞いた刑事達は次々と意識を足からウサギに移し、そして思い出したように口々に言った。
「あ、あいつ知ってる! 月から来た化け物ウサギ!」
「ああ思い出した。前にここの生徒を返り討ちにした奴だ」
「それからここの教師に逆に倒されたんだよな。なんでここにいるんだ?」
応援要請や避難誘導などの自分たちがやるべき諸々のことは、目の前の現実離れした光景を目にしたことによって完全に頭から消し飛んでいた。大半が三十代を過ぎた中年集団である彼らにとって、巨大生物やロボットや宇宙人といった物は全て自分たちの理解の範疇の外にある異次元の存在であったのだ。新しい価値観を受け入れることの出来ない、化石のような連中であった。
そして彼らは前に行われたビッグマンデュエルの試合内容は覚えていたが、その後のウサギと学園の顛末までは知る由も無かった。ちなみにこの時足と戦っていたのは例の化け物ウサギだけであり、これは彼女を嫌う他の生徒達が加勢するのを渋って、また満とアラタの方も下手な被害を出すまいと唯一動こうとしていたD組の面々を静止させた結果であるのだが、それもまた彼らの知る由のない情報であった。
「オラァ!」
巨大ウサギが足の一本を片手で掴んで地面に叩きつける。その後もその足を掴んだまま何度も叩きつけ、その後自分に向かって突撃してきたもう片方の足に向けてそれを投げつける。投げ飛ばされた足はもう一方の足と激突し、二本まとめてその場に墜落する。
「ッシャア!」
その様を見たウサギがガッツポーズを作りながら会心の叫び声をあげる。一方の足もすぐさま再浮遊を始め、空中で体勢を立て直してウサギと向き直る。それを見た刑事達も思わず歓声を上げるが、その時刑事の一人が不意に声を上げた。
「でもあれ、どっから来たんだ?」
そう声を出したのは、前髪を七三に分けた三十代半ばの刑事だった。刑事達がその声に反応し、即座に声をあげた七三の刑事の方を向く。その男は彼らの視線を受けながら言葉を続けた。
「あの足、ひょっとして昨日捕まえたのと同じ奴なんじゃ……」
学園側に背を向けた彼らの背後では、ウサギが自分の方へ突っ込んできた二本の足を両方ともそれぞれ片手で捕まえ、二つ仲良く地面に叩きつけていた。その足と地面が激突した事で爆弾が爆発したかのような音が轟き地面が激しく震動したが、刑事達はそれでも意識をそらすことなく最初に言葉を放った者に視線を固定させた。
「それって、新山が捕まえてきたあの子の?」
「ああ。あいつが一緒に持ってきたあれだよ」
「あのいつの間にか消えた奴か」
「そうだ。あれがどこかで潜伏して、そこで巨大化して、ああやって暴れ回ってるんだよ」
「ううむ……」
七三の刑事の言葉を受けて、他の刑事達が再び黙り込む。確かにその線も無くはないだろうが、だからといって今目の前にいる足が利のう捕まえた少女と関係しているという確たる証拠もない。そんな風に考え込む面々に向かって、七三刑事は何か焦るような口振りで言葉を吐いた。
「だからここは何人かを署に戻して、その子から話を聞き出すべきだと思うんだ。やるなら速い方がいい」
「なんの確証もないのにに話を聞きに帰るのか? その子が今の状況を作ったって言う証拠はどこにもないんだぞ」
「ここで立ってたって、俺らが出来ることなんて限られてるだろうが。それに俺は、なにもあいつが黒幕だなんて言ってる訳じゃない。ただ心当たりがないか話を聞くだけだ」
疑念を抱いた一人の刑事に向かって、七三の刑事が声を荒げて反論する。そして再び静まりかえる面々を前に、その七三の刑事は声を大にして叫んだ。
「やれることはすぐにでもやっとくべきだろ! ここでボヤボヤしてても意味ないだろうが!」
結局、その気迫に満ちた声が決定打となった。彼らはすぐに署に戻す人員を決め、それを警察署に向かわせた後で残りのメンバーで避難誘導を行うことにした。
ここで警察署に戻ったのは、最初にそれを提案した七三分けの刑事だった。
「ここで手柄をあげておけば、少なからずアピールが出来る。なにせ襲われているのはご子息の通われている学園だからな。なんとしても成果をあげなければ……」
一人車に乗って警察署に向かう道中、その男はそう思案を重ねつつほくそ笑んだ。この男もまた、橘潤平を通じて警視総監に取り入ろうと企んでいる者の一人であった。
「何か知ってるんなら素直に吐け! 黙ってても意味ないだろうが!」
それから数十分かけて警察署に戻ってきたその七三分けの刑事は、帰ってくるなり芹沢優への事情聴取を始めた。この刑事は警察署に戻ってきた時から既に冷静さを欠いており、周囲の声など全く聞く耳持たなかった。ここで手柄をあげれば出世間違いなしと思っていたからだ。
「いい加減にしろ! こっちは遊びでやってる訳じゃないんだぞ!」
七三分けの刑事が一人で行った事情聴取は、もはや脅迫に近かった。少しでも手がかりを得ようと必死であった。
それだけ鬼気迫るものを見せる刑事に対し、しかし優は昨日と同じスタンスを貫いた。どれだけ脅されても顔色一つ変えず、ただ無感動に曖昧な返事を返すだけだった。
「そうなんですか」
「ふざけるな! いいから知ってること全部吐け!」
「そんなこと言われても知らないです」
その態度は先方の神経を逆撫でするだけであるということは理解していたが、それでも優は自分の態度を変えようとはしなかった。単に警察が嫌いだったからだ。
「そうか、そんなに強情なら、こちらにも考えがある」
だが刑事が次に吐いた言葉が、優の表情を一変させた。
「今からお前の家に家宅捜索を行わせてもらう。文句はないな」
「!」
優が目を見開き額から嫌な汗を流す。今あそこではジャヒーが封印の準備を進めている。今日明日でパーツが揃うことは無いだろうが、それでも準備はしておいた方がいいだろうと言うことで用意を済ませておくことにしていたのだ。当然そこには封印を施され箱詰めにされた蚩尤の体のパーツもある。
そのパーツの封印自体は一部の隙もない万全な物だ。だがそれに抵抗する蚩尤の力は圧倒的で、おかげで実際は「辛うじて封じ込めている」という状態であった。端的に言えば誰かが箱の蓋を開けるだけで、簡単に封印が解けてしまうということである。
そして目の前のこいつらが、そんな箱を前にしていったいどんな行動を取るのだろうか。
「……まあ、うん」
だがそこまで考え、最悪の展開も予想できた所で、優はそれ以上考えるのを止めた。別にあれが完全復活したとしても止めようはあるからだ。最悪東京が地図から消えるかもしれないが、別にどうでも良かった。優はこの町や人間に特別愛着を持っていた訳ではないし、獣使いにとっては結果が全てだったからだ。
それにぶっちゃけてしまえば、あれは確かに危険だが自分から破壊をもたらしていくような存在ではない。こちらから不要なちょっかいを出さない限りは無害な存在なのである。復活した場合傍迷惑な目に遭うのは確実だろうが、死ぬよりはずっとマシだ。
「別にいいですよ」
だから優はすぐに無表情に戻り、いつもの調子で目の前の刑事にそう言った。言われた刑事は一瞬面食らったが、すぐに得意げな顔に戻って優に言った。
「ふん、やけに強気だな」
「どうなっても知りませんから」
「お前こそ、後で後悔しても知らんぞ」
その刑事はそう言い捨てると共に勢いよくその部屋から飛び出し、それから室内にもよく聞こえるほどの大声で何事か指示を出し始めた。
「……」
そんな外の状況などお構いなしに、優はその部屋の中でゆっくりと両手をあげて背中を伸ばした。そして完全にリラックスした状態のままおもむろに首筋に手を当て、遠く自分の家にいるジャヒーに思念波をとばした。
「優、平気なの?」
「ええ、大丈夫」
真っ黒になった視界の奥から早速聞こえてきたその言葉にそう素っ気なく答えてから、優はすぐさま本題を切り出した。
「今から警察がそっちに行くから」
「なんで?」
「家宅捜索とか言う奴よ」
「ああもう。こっちはこっちで忙しいのに」
苛立たしげなジャヒーの声が脳内に響く。それをなだめつつ優が言った。
「あなたは外に出なくていいわ。あいつらが中に入ってきたら好きなようにさせて」
「……本当にいいの?」
「ええ。邪魔しなくていいわ。やりたいようにやらせておけばいいから」
「でもそれ、下手したら」
「知ってる」
ジャヒーの言いたいことを理解していた優は、その言葉を遮りながら自分の意見を述べた。
「あれは一度痛い目見ないと反省しない連中だからね。これでいいのよ」
「……まあ、あなたがそう言うなら、別にいいけど」
優の言葉を聞いたジャヒーは大人しく引き下がった。下僕にとってマスターの言葉は絶対なのだ。
「じゃあ、そういうことでよろしく」
「あっ、ちょっ、まっ」
そして伝えたいことを伝え終えた優は、念波を打ち切って目の前の光景に意識を戻した。ジャヒーが何か言いたげであったが、どうでも良かった。
「……はあ」
意識を目の前の視界に戻した優は一つため息をついた。事態は悪い方向に進んでいるような気もするが、本当どうでも良かった。
「おなかすいたなあ」
とりあえず、今は空腹をなんとかしたかった。